血液型性格診断、って言うけれども……
私は、自分の血液型を正確に把握していない。親からB型だと聞かされた記憶はある。だからといって、病院で「じゃあ自己申告に基づいてB型輸血しますね」などと言われたとしたら「ちょっと待てちゃんと検査してからにしてくれ」と叫ばなければならない程度の確かさでしか知らない(注:医療機関では輸血の前に、自己申告にかかわらず検査しているので、これはあくまでも仮の話)。
ちょっと前に「○型自分の説明書」なる本が大流行したが、あれが流行する条件としては、「血液型によってパーソナリティを分類したい」「血液型でもってパーソナリティの違いを知って納得したい」といった気持ちを持つ以前に、事実として「自分の血液型を精度良く把握していること」が不可欠なんじゃないか。もちろん、いろんな「血液型占い」「血液型性格診断」だって、その話題を振られた人が「血液型を知っている」ことを当然の前提としている。この前提が一体どこまで満たされているのかを知りたくなってちょっと調べてみた。
献血をすると血液型を教えてもらえる。この情報は、精度が高いと考えて良いだろう。血液型を知るためだけに余計な採血と検査を病院でする人はおそらく少ないだろうから、普通に生活していて血液型を正しく知る最大の機会は、多分、献血ではないか。
病理検査では、血液型は項目に入っていなかったし、普段の健康診断でも血液型の検査は見たこがない。
献血者数の推移は厚生労働省が公開している。1人で1年に複数回献血する人をどう扱ったかがよくわからないのだが、延べ人数だとしたら、実際に1回以上献血した人数の数(つまり既に血液型を教えてもらっている人の数)はこれを下回る。ただ、昔は献血したけど今はしていない人だって居るだろうけど、そういう人も血液型情報は持っているはず。全国民で考えると10人に1人くらいは、精度よく血液型を把握していると考えて良いのだろうか。それとも10人に3人くらいと見積もるべきなのだろうか。
他人との話題作りとして血液型性格診断の話を持ち出すことが有効であることの前提は、「自分と他人の双方が血液型を精度良く把握している場合がほとんどであること」だろう。これが成り立たなければ、血液型性格診断の真偽の帰趨とは全く無関係に、そもそも血液型の話題を持ち出すことそのものに意味がなくなってしまう。血液型を知っているという前提が本当に成り立っているのかどうかがちょっと気になっている。
手相人相なら、どういう解釈を引き出すかは別として、ほとんどの人が自分で観測可能なんだけど、血液型は専門家の手を借りて検査しない限りわからないはずなので……。
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