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磁気水(吉岡氏の件)について補足

Posted on 2月 18th, 2010 in 倉庫 by apj

 1つ前の関係ないエントリーに、愉快犯を名乗る人物が、リモホ112.68.231.242(←他でも似たようなことをしてるとか、磁気活水器マルチの関係者かもしれないので一応メモ)から書き込んできた。
 関係のない話題にフォローしている時点で程度が知れるわけだが、そのまま続けても話が混乱するので、こちらに引用して、コメントは削除する。

磁化水」計測に成功 (by 愉快犯)
http://www.minusionwater.com/magwatermeasurement.htm
なんていう記事が吉岡さんのサイトにありましたよ。
水商売ウォッチングの反論が楽しみ!
あんたの科学者の端くれならくだらんことばかりブログに書いてないできちんと科学者らしいコメントを述べよ!
at 2010/02/17 23:10:38

 これについては、既に掲示板で話が済んでいる。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/bbs01/showthread.php?mid=27577&form=tree
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/bbs01/showthread.php?mid=27567&form=tree

 ソースが日刊工業新聞なのだけど、掲示板の方にも書いたように、この新聞のこの手の取材記事は、とんでもないものが出ることがあるので信用ならない。かつて、取材される側にいた時の経験からすると(当時の軽部研究室は、紙面が埋まらないと「話題ありませんか」と記者が来るような所だった)、マユツバとか話半分以下だと思う方がよい。私が遭遇したケースは、確かO157の食中毒が問題になって、検査法の開発が必要だという時の話である。同じ研究室の人がこれまで別のDNAについてやってきた分析方法でO157もターゲットにする計画を考えていた、程度の状態で、新聞に出た記事は、既に検出キットの開発が行われていて今にも実用化できる、ってニュアンスの代物だった。さすがにこれはまずいだろうと、取材に応じた担当者が青くなっていた。こういうことがあるので、日刊工業新聞の取材記事であっても、新聞記事はまずあてにならない。

 問題の件は論文のアブストラクトは公開されていて、見ることができる(掲示板の議論の方にアブストラクトへのリンクがある)。それによると、使った水は”Sample water (public drinking water)”となっている。これでは、水の中にどういう不純物が入っているかわかったものではない。微小な効果の測定になればなるほど不純物のコントロールが難しくなるのだけど、著者がそのへんをどう考えているのかがまったくわからない。本文を見ないと何とも言えないのだけど、磁気水界隈では、実験に使う水処理の仕方を変えると結果が変わったという話もちらほらある。水の精製が足りないと、何を測定しているかさっぱりわからないということになる。

 現状の磁場の水に対する効果の測定は、pure waterを使って、溶存酸素の濃度を制御するといった精度で行われている。飲料水などという曖昧なものでOKというやり方をとってはいないのである。

 ついでに言うなら、研究者の1人は、昔はまともだったかもしれないが、最近は、気功エネルギーの研究をしていて、代替医療の怪しい方に首まで浸かっているように見える。普通に考えて、話をそのまま信用していいとは思えない。

 それよりも何よりも、一番笑えるのは、吉岡氏がこの記事を得意気に出していることの方である。

 特商法や景表法によると、商品の効果についての合理的根拠は、販売開始時に備えている必要がある。条文には書かれていないが、根拠の提出を認められてから提出期限までが短いので、根拠を求められてから実験したのでは間に合わないようになっている。従って、法は、販売開始時に合理的根拠を備えるよう求めている、と考えるしかない。
 仮に、この論文がまともだった場合、吉岡氏のこれまでの販売が違法であったことを補強する証拠になるだけである。
 「今回初めて論文になるような段階のものであった」=「それの論文が出るまで合理的根拠を示す方法がなかったし、かつ、その論文が出てもまだその検査方法等が標準的な方法と認められたわけではない」が成り立つので、論文が出る以前から売ってた吉岡氏は、合理的根拠もないのに思い込みに基づいて違法な販売をしていたという結論になる。

 販売が合法であることを言いたいのなら、今頃新しく出た論文を紹介していたのではダメで、「販売する10年も前から論文レベルの話は終わって評価方法その他が確立してました」という顔をしていないといけない。まあ、出来ないだろうけどね。

 つまり、問題の記事を引用することは、華麗に吉岡氏の首をしめることになるのだけど、自分で自分の首をしめている事実にご本人だけが気付いていないということになる。