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あなたに都合のよい「自然」なんか無い

Posted on 8月 25th, 2010 in 倉庫 by apj

 「自然」なお産、「自然」な治療法、「自然」治癒力……。
 病院に行ったら何やら怖ろしげな検査機器の山に囲まれてしまったり、医師からの説明が足りないと感じたり、薬をもらってきたけどあんまり良くならなかったりしたら、これらの言葉が魅力的に聞こえるかもしれません。
 さらに私達は、なぜ動くのかよくわからないまま、科学と技術の成果であるさまざまな製品に囲まれて生活しています。そういう生活に疲れたら、何となく「自然」がいいと思ってしまうのかもしれません。

 でも、ちょっと待ってください。

 少し前までは、医学も含め、身の回りに、今のような科学と技術の成果は、まだありませんでした。皆さんのおじいさん、おばあさんの時代か、その前の、ひいおじいさん、ひいおばあさんが働き盛りだった頃の話です。
 もっと昔……たとえば、世の中にファンの多い「時代劇」で描かれる時代にも、やっぱり、今目にするような科学と技術の成果はありませんでした。
 世の中、今でいう、「自然」な何とか、ばっかりだったのです。

 その頃は、出産は危険で、生まれた子供も母親も、今よりはずっと高い割合で死んでいました。無事に生まれてきても、未熟児だと死んでしまうとか、(ホメオパシーが批判される原因となった)ビタミンK欠乏症だと死んでしまうとか、ただ生きるためだけに、いろいろなハードルを越えなければなりませんでした。そのハードルを越えても、次に待っているのは感染症の連続攻撃です。これで、体力のない子供はどんどん死んでいました。ちょっと大きな怪我や病気をすると、即命の危険があるという状態でした。食糧だって、そんなに豊富ではありませんでしたから、充分な体力の無い状態で感染症と闘わなければならないことも多かったでしょう。無事に大人になっても、今の成人病が問題になるような年齢になる前に、多くの人は感染症で命を落としていました。平均寿命が40歳から50歳という時代もありました(今の日本では、この年代は働き盛りと呼ばれていますね)。

 子供が死産だった時の親の悲しみ、
 出産で妻を失った夫の悲しみ、
 病気による死で早々に別れなければならなかった肉親や近しい人の悲しみ、
 充分な薬や食事を用意することができないままにただ弱っていく家族を見ていなければならなかった人の辛さ
 ……
「代われるなら代わってやりたい」「まだ別れたくない」「何とかして助けたい」
 時代が違っても、民族が違っても、思いは同じはずです。

 いつの時代にも、その思いを受け止めて、なんとかしたいと思った人たちが居ました。
 その能力と条件に恵まれた人達が、その時代でできることを積み重ねてきました。途中で、間違いもたくさんあったでしょう。ですから、どれが正しいか見極めるための努力もしてきました。
 その積み重ねの上に、今の、医学をはじめとする技術があり、科学の知識もあるのです。
 もちろん、人のすることですから、完璧ではないし、今でも、ちょっとずつ良くするための活動は続いています。それでも、昔に比べれば、こんな悲しい思いをする人の数は確実に減っています。