疑似科学と科学の哲学
「疑似科学と科学の哲学」が届いたので読んでいる。
科学と疑似科学を振り分けるというのは難しいし、誰もが納得する疑似科学や科学の定義はない。いくつかの判断基準については、いろんな人がいろんなことを言っていて、教養の講義のあとの方でまとめて紹介しているが、これで必要十分というものでもない。読んで少し考えてみたい。
科研費の書類締め切りでまだちゃんと見ていないのだが、今週の教養の講義の学生からのコメントに「実験を見せてくれ」というのがあった。登録者が200人近い講義で一体どうせよと?と思ったり、次回の内容は中性子線回折だの質量分析だの、見せようがないがなというものだったりで、ちょっと手の打ちようがない。
が、それ以前の問題として、ちょっと前から個人的にから引っかかっているのは「実験を見せられて信じる」ということの危うさだったりする。mixiのコミュで、「水にありがとう」結晶ネタで、「実験を見て信じた人はどのていどいるか?」と訊いてみたが不発に終わってしまったんだけど。
つまり、見せられた実験の内容と、それにくっついている科学の体系……とまではいかなくても、まあ理科で扱う内容の広がりのギャップが大きいまま、つまり「その実験から得られる情報<科学の体系的知識」な状況で教えられる知識を受け入れるという経験を積んでしまったら、今度は、いい加減な(あるいは意味のほとんどない)実験を見せられてくっついてるのが実はホラ話でも、信じる方に行ってしまうのではないかということだ。このあたり、理科教育の方ではどうやって解決しているのか、疑問を持っている。
研究のときの泥臭いexperimentの積み重ねと、教育用のdemonstrationでは意味が違うのだが、その違いを一体どこで認識するのか、ということが疑問なわけで。教育学部ではこの手の問題はとっくに解決済みなんだろうか。
ここからは旧ブログのコメントです。
by Niimi at 2005-10-38 19:20:38
Re:疑似科学と科学の哲学
「見なきゃ信じない」ってのの裏返しは「見たものは信じ込む」って事で、『こんなに痩せました』って写真広告,嘘データのグラフ,手品師による詐欺なんかが流行る訳ですわね。
by apj at 2005-10-28 04:29:28
Re:疑似科学と科学の哲学
いやね、まさかとは思いたいんだけど、小中学校の理科の教育が「見せたから信じなさい」になってたら、かなりまずいんじゃないかと。まあ、中学校は教科担任だから、理科に関心の無い人が理科教師をしていることは多分少ないと思うが、問題は小学校かなぁ。
by Niimi at 2005-10-15 08:18:15
Re:疑似科学と科学の哲学
見えるところだけじゃなく、その裏を想像する力をつけなくちゃいけないと思うのよね。ただまぁ「見なけりゃ解らない部分」ってのもあるのは確か。蛙の解剖とかフナの解剖とか今はやらないんだよねぇ… (中学校にウシガエルを持ってった記憶が ^^;)
by 萌えよドラゴン at 2005-10-19 10:12:19
Re:疑似科学と科学の哲学
こいつは、ブルース・リーこと李小龍師匠の教えの裏返しで、Don’t feel! You must think!でいくことを教えるのが大事なんでしょうね~。そして、その考える時にベースとなる思考の枠組みも。
by apj at 2005-10-04 10:25:04
Re:疑似科学と科学の哲学
解剖かぁ……。小学校の時フナをやって、興味を持ったので解剖器セットを一式買ってもらって持ってたな。そのセットと、顕微鏡用のプレパラート製作キットが宝物でしたよ。中学校では蛙をやるってんで楽しみにしてたけど、一部のクラスしかやらなくて、私のクラスは外れた。残念。
その後、夏休みのイベントで、近くの川でマスだったかのつかみ取り大会があったので、焼いて食べる前に解剖しました。楽しかったなぁ……(遠い目)。
実物を見ること自体が結構強烈な体験だった気がする。自分としては。で、その後いろんな本を調べたりして自分で勉強した。それでも、研究のための実験がどんなものかということは想像もできなかった。近くに研究者がいたわけじゃないし、教えてくれる人もいなかった。
なのでやっぱり、体験の後、どう考えるのかが大事なんでしょうね。あるいは、壮大な(?)体系の一部分を見せられているのだということを伝えないと、体験から間違える方に行ってしまうかも。もちろん、「徹底的に体験」すれば、矛盾に気付いたり考えの発展のさせかたに気付いたりすることがあるのだろうけど、それは、昔の人が歩んだ道を追体験することになるから、学習の効率という点ではとても悪くなってしまう。
by すっぱいぶどう at 2005-10-04 01:14:04
Re:疑似科学と科学の哲学
私も数年前まで授業に実験を入れてました。実際に教えていると「百聞は一見にしかず」って感じでわかってもらえる気がするのです。
しかし、実際に学生の側は「楽しかったな~」としか思ってなくて、考察ができない…。「○○について考察せよ」と指示しても、友達のプリント丸写しで、その友達が適当に書いたものか、調べて書いたものかもわかってないし、「楽しかった」「おもしろかった」ばかりで虚しくなって中断しています。
去年か一昨年の「化学と教育」誌に体験談が載っていたのですが、ちゃんと考察することを教えないと、『楽しい思い出』だけが増えるそうです。私が教えているのが文系学生なのもあるかも知れませんが、教員の技量の問題ですね。。。
by apj at 2005-10-55 22:08:55
Re:疑似科学と科学の哲学
確かに教師の技量しだいなんだろうけど、その「技量」を上げるシステマティックなトレーニングをどこでも受けることなく教員になっちゃうんですよね。大学の場合は特に。すると完全に個人の試行錯誤になるわけですけど、これって他の業種じゃあんまりあり得なさそうな(いやでも、新人をろくな訓練も無しに投入して見事なデスマーチって業界もあるからなぁ)。
個人の向き不向きもあるだろうけど、技術であればマニュアル化して誰でもあるレベルまでは習得可能だと思うのですが、「技術」になるほど体系化されてるんかな。かといってTOSSみたいな方向に走ると、別の意味で問題ありそうだし。
by rmiya at 2005-11-31 09:37:31
Re:疑似科学と科学の哲学
考察ができないってことなら、実験レポートの考察の項の内容として「得られた値が文献値と一致してよかった」とか「スムーズに実験ができてよかった」とか書いてくる学生が非常に多いのが困りものですね。いったい実験の目的を何だと心得ているのか。まあレポートの目的の項でも「○○について学ぶ」などと平気で書いてるし。じゃあちゃんと学んだかどうか検証した結果がレポートに書いてあるのかと、小一時間……問い詰めても意味が分からないらしくてキョトンとした顔をしてるしなぁ。(主題とズレて、ごめんなさい)