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学会の予稿締め切りが近いのだが

Posted on 1月 18th, 2006 in 倉庫 by apj

 物理学会の予稿締め切りが近い。ニセ科学シンポジウムの予稿をどうまとめようか迷っている。
タイトルが「水商売ウォッチングから見えたもの」だからなぁ。

○世の中はかなりあやしいものであふれている
○おかしな情報でもコピペでどんどん広まる
○一度広まると消すのはほぼ無理
○科学の無理解が共通点にある
○科学の知識が足りないというだけでなく、科学とは何かがわかってないために起きる勘違いにもつけこまれている
○相談を受けることが多い、消費者は本当に困っていたりする
○信じてしまった人を引き戻すのは大抵の場合無理
○お役所からの相談では、怪しい理論で書類を書いてきた企業に補助金が億近くつくこともある。この意味で、まっとうな科学とニセ科学は研究費のパイを奪い合う関係にある
○怪しいロジックには共通点があるーーインチキを主張しておいて違うというなら立証しろ、と、立証責任を他人に押しつける
○脅された場合の対応次第では、逆に信用を落とす
○ほとんど個人でこの手の批判活動をするのは実は大変。法曹関係者との連帯も必用だし、訴えられにくい書き方というのもある。(批判のノウハウ)
○景表法は、科学における立証責任のありかに、社会の側を合わせるはたらきをしている。公正取引委員会の役割は重要。
○立証責任とか名誉毀損とか営業妨害とか、あとは、教団アレフ摘発の裏話。
○特許に権威が伴わない、ということの確認。
○科学の知識があればニセ科学批判は可能かというと、そうでもない。それなりに時間も手間もかかる。脅された場合の防衛方法とか、ブラフかどうかの見切りの付け方とか、学門と関係ない部分が支えになる。
○正しい知識を広めるという、理学部なりの社会貢献としては一定の成果が出たと思っている。私はたまたま水をテーマにしたが、怪しいものの分布は他のテーマでもあると思うので、それぞれの専門分野で数人程度、手がける人が出てきてほしい。
○憲法でいう「学門の自由」が企業の利害と対立する形で正面きって争われた例はない。産学連携のいい面ばかり強調されているが、今後は産との対立もありうる。

 まとまらねぇ……。


ここからは旧ブログのコメントです。


by mnr at 2006-01-07 21:39:07
Re:学会の予稿締め切りが近いのだが

> 訴えられにくい書き方というのもある。(批判のノウハウ)
個人的にはこのノウハウを知りたいです。


by tygrysojciec at 2006-01-49 23:20:49
Re:学会の予稿締め切りが近いのだが

> ○特許に権威が伴わない、ということの確認。
 登録された特許であっても大したエビデンスになりませんが、インチキ系のものだと「出願中」てあったり、「公開番号」であったりして全くエビデンスがなかったりしますね。


by apj at 2006-01-11 11:27:11
Re:学会の予稿締め切りが近いのだが

 特許検索をかけてみると、ひどいのになると全然関係のない他社の特許がひっかかってきたり。ちゃんとライセンス料払ってるんかい!って突っ込みたくなります。


by 名無し工学者 at 2006-01-10 12:17:10
Re:学会の予稿締め切りが近いのだが

>理学部なりの社会貢献としては一定の成果が出たと思っている。
先生方は良く理解されていらっしゃると思いますが、工学系の中にも社会貢献を理解しdqn発表をしないよう頑張っている人もいます。また優れた人材育成に励んでいる先生方も沢山いらっしゃいます。逆に理学系dqnも存在していることも御理解頂きたい(当然理解頂いてると思います)。問題は学部ではなく「人」であることを発信頂きたいと願っています。(そんな私は組織の中で「活性水素」仮説を利用して人々を騙そうとしてる連中に反抗した結果、窓際に追いやられてしまった無力な研究者です。科学的に正しくても組織的には駄目人間扱いです)科学って何なんだろう…鬱です


by apj at 2006-01-23 22:15:23
Re:学会の予稿締め切りが近いのだが

名無し工学者さん、

 もちろん、工学部の方々の大多数はまっとうな産学連携をやっておられることは知っています。理学部出身者がインチキ水の宣伝に走っていることも知っています。
 「理学部なりの社会貢献」と書いたのは、工学部が研究の方向としては応用指向なので、特許を出すといった形で社会貢献しやすいのに対して、理学部はなかなかそうはいかないので、では別の方向で何かできないか?と考えたからです。もちろん、工学部でも基礎指向の方もいらっしゃるでしょうし、理学部でも企業と一緒に研究してどんどん特許を出したりしている人もいるでしょう。ただ、全体の傾向として、応用・現場直結なのは理学部よりも工学部だろうという程度の意味です。

>「活性水素」仮説を利用して人々を騙そうとしてる連中に反抗した結果、窓際に追いやられてしまった無力な研究者

 がんばってインパクトファクターの大きい雑誌に論文を書きましょうよ。真実を追っていれば、きっと時間が味方をしてくれると思います。イギリスのことわざにあるじゃないですか、「真理は時の娘」って。


by 名無し工学者 at 2006-01-26 11:29:26
Re:学会の予稿締め切りが近いのだが

ご丁寧な回答ありがとう御座います。私が肌で感じてるのは、私の周りで蔓延している奇妙な「理学者は工学者より格上である」って雰囲気なのです。だからこそ無意味な格付けでなく、本物の「人を見る力」こそが重要なのだ」ということを主張しなければ権威主義が蔓延してしまうという感覚なのです。疑似科学は常に曲解した引用をし、それを根拠として偽者を賞賛しています。真の科学は権威を必要としない、本物は本物を選択する。「科学者とは本物を見極められる人」でなければならない。偽者は偽者を選ぶという事実を白日の下に晒す必要があると感じているのです。そして若い人には「本物を見極めることが出来るよう本物になれ」と教育するべきだと思うのです。私自身は研究者としては「若手」と言われる世代なので、「本当の偽物」を見ることが出来たのは貴重な経験ととらえています。「本物を知るべき」若い人に偽者を見せることの教育的意味も含め、本物を育てる方法を考える必要性をシンポジウムになれば意味あるものになると感じています。


by 名無し工学者 at 2006-01-47 11:36:47
Re:学会の予稿締め切りが近いのだが

ちなみに「理学者は工学者より格上である」って雰囲気が生まれている原因は「理学部偏差値>工学部偏差値」だと分析してます。入試偏差値の価値についても考えなおす必要があるかもしれません。長々と失礼しました。


by 名無し工学者 at 2006-01-02 11:44:02
Re:学会の予稿締め切りが近いのだが

あちゃ~ やってしまった。
>本物を育てる方法を考える必要性をシンポジウム
「本物を育てる方法を考える必要性を訴えるシンポジウム」
のつもりでした。すんません m(_ _ )m


by apj at 2006-01-48 21:17:48
Re:学会の予稿締め切りが近いのだが

>理学者は工学者より格上である
 えーと、私の感覚では「理学部は工学部より役立たず」なんですが。実際、工学部(理工学部)人口>>理学部人口、です。偏差値云々は、もともと人数が違うので比較はできないでしょう。

 理学部物理出身で、会社に就職した人の話だと、まわりがみんな工学部だったため、
「大学では物理をやってました」
「物理……ってことは電気だね?」「物理なら機械だろ」
といったやりとりになるそうで、ちっとも理解してもらえず形見が狭かったらしいです。もうちょっと理学部に人・金を回してのほしいなあ、というのが本音です。ただ、それを言うにも、「お前ら工学部みたいに産業の発展にはちっとも役に立ってないじゃないか」と言われたら返す言葉もないので、じゃあ理学部なりに何かできることって無いのかと探すわけです。


by 名無し工学者 at 2006-01-11 10:19:11
Re:学会の予稿締め切りが近いのだが

私の環境とは違いが大きいようで、私のケースが一般的でない可能性が高いみたいですね.変なこと書いてしまい申し訳御座いませんでした.

ちょっと話題がずれてしまうかもしれませんが,

カールセーガン博士の疑似科学に関する遺稿にも書かれていますが、自然界の現象を解き明かす科学的研究が蓄積されていれば,後々ある機能をもつアプリケーションを生み出すための基礎になる.(具体例としてマックスウェルの電磁気学があったからこそ,通信技術が発展していった.もしマックスウェル電磁気学が生まれる前に、ある国の王様が世界中の科学者を集めて研究させたとしても通信技術は生まれなかっただろうと書いています。

理学分野は自然の法則を体系的かつ正確に解き明かすことが役割なのだと思います.工学者は理解されている自然科学法則を組み合わせて特定の機能を発現させる「エンジニアリング」を行います.つまり理学では「エンジニアリング」の際に必要になる自然法則の普遍的体系化が最も重要な役割と思います. 

最近は「エンジニアリング」という言葉を、「解らないから絨毯爆撃的に試してしまえ。その結果の中で良い条件を最適化する」という非知的行為の意味で使う人が増えているように感じます。こういう人達から見られると「価値が無いことをやっている」と指摘されるかもしれません。

技術者の質低下も原因の一つですが,このような考えの浅い実験と結果から適当な考察をするときに疑似科学が生まれやすくなっている気がします.この根幹を絶つには科学教育しか無いですかね。何かの本で「科学教育では既に体系化されたものを教えるだけでなく,体系化されるまでに現れた誤り,そしてその誤りがどう指摘され正されていったかという,科学的な正しさに導かれていくプロセスも教育するべきである」と書かれていました.誤りに気付きやすくなるという意味では有効な方法かもしれません.(もちろん学生が興味をもって理解してくれたらの話ですが)

なんだかまとまりも無い散文で申し訳ありませんでした.時間がありましたら,これからも覗かせて頂きます.(もちろん先生のご迷惑で無ければ ですが)

また疑似科学者達と過ごす1週間が始まります.鬱