現代の知識で過去の行動を判断する愚
擬似科学発見テストだそうですが。
ウィキペディアの以下の項目に含まれている引用部分は、極めて偽科学的説明である可能性が高い。科学的説明の逸脱とその理由を説明しなさい。
はっきり言ってピント外れの出題にしか見えない。
まず、引用されたウィキペディアの文章
江戸時代の江戸では、富裕層のあいだで玄米に替えて精米された白米を食べる習慣が普及し、将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった。江戸時代末期には一般庶民も発症し、江戸患いと呼ばれた。大正時代以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた。
高木は海軍において西洋式の食事を摂る士官に脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(兵曹および兵。のちの下士官兵)に多いことから、栄養に問題があると考え、明治17年(1884年)軍艦筑波に、この前年別の軍艦が行なった遠洋練習航海と食生活以外は全く同じ内容で遠洋練習航海を行なわせる試験案を上策し、それが採用され、結果として西洋食の艦において脚気患者が出なかった。このことから栄養障害説を確信したとされる。下士官兵にはパン食は極めて不評であったので、西洋食(パン食)から、同じ麦を食材とした麦飯に海軍の食料は変更された。これによって、海軍における脚気は根絶された。
は、過去の出来事を現代の知識を踏まえてまとめたもので、歴史の解説であって科学の解説ではない。Wikipediaの文章の中で、現在の科学に照らし合わせて判断できる記述といえるものは、「ビタミンB1を含まない精米された白米」くらいしかない。ところで、「胚芽米のすべて」を見ると、
しかし、筆者の大学で分析した結果、「第三世代胚芽米」コシヒカリのビタミンB1含量は、一般の胚芽米(五訂食品標準成分表)のほぼ1.5倍(精白米の4倍)、ビタミンE含量は、ほぼ1.2倍(精白米の6倍)であった。驚異的な数値である。カリウム、マグネシウムなども高い数値を示した。胚芽の一個づつは小ぶりでも、まんべんなく着芽しているためである。
とあるので、精白米にビタミンB1が全く含まれていないというわけではなさそうである。食品成分データベースから、穀類→米、とたどって、精白米を調べると、詳しい成分まで見ることができるが、ビタミンB1含有量はゼロではない。従って、「ビタミンB1を微量しか含まない精米された白米」とでも修正するのが、今の科学に照らし合わせた正確な記述ということになる。
残りの部分は、歴史の記述であって科学の記述ではないから、この中に史実と違う内容や誤りが含まれていたとしても、擬似科学とは呼べない。
また、当時は存在すら知られていなかったはずのビタミンB1という物質が登場するが、Wikipediaの記述は江戸時代に起きたことを現代の知識を背景にして記述したものであり、江戸時代にビタミンB1が知られていたという誤解を招く余地は(よほど曲解しない限り)無いだろう。
高木の推論も、歴史的事実としてそのように考えたという話に過ぎず、現代の科学についての誤認をさせるものではない。この部分の記述が歴史的事実と違っていたとしたら、それは、Wikipediaの筆者が歴史について調査不足だったとか間違えたといった話に過ぎず、「間違った科学史の記述」ではあっても擬似科学とは呼べない。もし、高木の推論の仕方や試験への持って行き方が、今の知識を基準とした場合に何か問題があるものであったとしても(同じことを今実行したら擬似科学と呼ばれるものであったとしても)、それは当時の実験医学の水準の限界によるものであり、現代の科学の知識を元にして批判すべき対象ではない。
なお、「スキャンダルの科学史」には、史実としての記述として、高木が、「脚気は栄養のバランスの問題」であると考えるに至った理由として、監獄食と海軍食の比較からだと書かれている。が、これも、史実をどう確認するかという問題であり、擬似科学の問題ではない。
脚気が、食物摂取におけるビタミンB1欠乏以外の理由で起きるかどうかについては、私も知識が無いのでわからない。何か、代謝異常を起こすような病気があれば、脚気を発症することがあっても不思議ではないが……。しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので、まれに発症する別原因による脚気があったとしても、この文脈において考慮する必要はない。
何て言うか、できの悪い準備書面に対する反論を書いている気分。関係無い論が展開されている部分を指摘して、「その主張は本件訴訟に関係がない」と、さくっとスルーしてるみたいな。あるいは、準備書面と関係のない証拠が出てきて、その証拠は主張に関係がない、と一蹴する感じというか。
ここからは旧ブログのコメントです。
by com at 2008-11-05 05:45:05
テーマで判断?
歴史を科学的に考察する部分で欺瞞があり、だから擬似科学だ、との主張は理解できるけど、テーマそのものが擬似科学だ、とする誤解は多いですよね。
過去のできごとを現在の科学で検証すること自体は何の違和感も無いけど、その検証結果から過去のできごとを擬似科学とは判断できないでしょう。
ここ50年に限っても、あらゆるデバイスの検出能力が飛躍的に増大しているのだから、当時の結論と現在の事実が180度違ったとしても、当時の手法さえ間違えてなければ、単に淘汰された過去のできごとだろうし。
by apj at 2008-11-16 05:54:16
だからわけがわからないんですよ
comさん、
だから、一体何をテストしたいのかがさっぱりわからないんですよ。
wikipediaの例では、歴史を科学的に考察、というものではないし(というか、江戸末期くらいからなら文献を探れば史料は出てきそうだから、書かれている程度のことは、文献調査の対象にはなっても,科学的に考察する対象になるのかと)。
また、仮に、当時の基準に照らして擬似科学であったとしても、「昔こんな擬似科学があった」というお話以上のものにはならないし。