金と謝罪はよく考えてから受け取ろう
「finalvent氏の不誠実さについて」で、議論の最後の方でfinalvent氏が謝罪したり敗北宣言したりしたことについて、私は「(1)完敗宣言も謝罪も却下し、受け取らない。
議論はそもそも勝ち負けではないし、何についての勝ち負けだかはっきりしないものについての完敗宣言など意味不明である。」と書いた。これについて補足しておく。
もし、私が、finalvent氏の謝罪やら敗北宣言やらをそのまま受け入れたとしたら、同時に「議論の趣旨を見ても内容は一向に定かではないが(←ここ重要)、finalvent氏は私に対して何か謝罪しなければならないことをした」「finalvent氏と私の議論は勝ち負けをはっきりさせるために行われた、若しくはそういう種類のものであった」ことを認めることになってしまう。私は、そんなことは全く考えていないので、私自身が考えてもいないことを認めないために、finalvent氏の完敗宣言や謝罪については、明白な形で却下の意思表示をしておく必要がある。
別にこれは、ニセ科学の議論に限った話でもないし、finalvent氏に限った話でもない。
ついこの間も、職場の某トラブルで、私が謝罪を受け入れては、という案が出てきたので、即座に突っ込んだ。
「謝罪しても、バカが賢くなるわけではないし、無知なのが知識を得るわけでもないから、謝罪など無意味なので不要。トラブルの原因は当事者の無知に起因すると私は認識しているので、謝罪の代わりに○○という本を読んでレポートを出す、といったあたりが適切と考える」
曖昧な謝罪で丸く収めようとした上司は渋い顔をしたが、知ったことではない:-P。
謝罪で済ませて感情的なしこりを残さないようにしたとしても、問題が改善されずいつまた同じパターンで発生するかもしれないという不安の方はしっかり残る。後の方がより問題である。
うかつに謝罪を受け入れると、本来の問題がごまかされたり、本質的な解決が行われないままになったり、もともと無かった設定を受け入れることになったりという副作用がある。このあたりは、うかつに金を受け取ると、別の意味が発生することがあって後々面倒なことになるのと似ている。
まあ、金の方は罰則を伴うことがあるのでそれなりに慎重な人が多いかもしれないが、謝罪の方は経済的物理的実体が無いからチェックが甘くなりがちではないか。
金と謝罪は安易に受け取るな、理由と発生する効果をよくよく検討してからにすべし、というのが私のモットーである。