日本人が「アンネの日記」を破りたくなる理由
東京の図書館で「アンネの日記」が多数破られたことがニュースになって、シオニストの興味まで引いている。ただ、どうにも、ホロコーストやらナチスやらと関連した思想的な背景とは結びつかないというか、そう考えるには違和感がありすぎる。
歴史的に見て、キリスト教は日本に布教されて一時期弾圧され、今では社会に受け入れられた。しかし、結局多数派にはなれなかった。ユダヤ教はキリスト教に比べれば布教が無いに等しい。それでもキリスト教が日本で布教に成功していれば、宗教的対立の枠組みで反ユダヤという思想が出てきたかもしれないが、キリスト教自体はマイナーなままだし、仏教や神道ではどうがんばっても反ユダヤとは結びつかない。
第二次大戦では日本はナチスドイツと同盟を結んでいたし、ナチスドイツがユダヤ人の殲滅をもくろんだことは確かだけど、日本の方にはユダヤ人を殲滅する動機がまるでない。その頃の日本は「八紘一宇」を掲げていた。意味するところは「人類皆兄弟」(ただし日本に都合のいい、他国にとってはかなり押しつけがましい大東亜共栄圏の意味)だから、特定の民族を殲滅する思想が出てくるはずがない。さらにナチスドイツは純粋アーリア人最高非アーリア人イラネ、という価値観を持っていたわけで、東洋人である日本人はアーリア人ではないので、利害に基づく軍事同盟だけなら可能であっても、感情移入できる要素はまるで無い。
日本でも「すべてはユダヤの陰謀だった」系の本も出ているけど、「キリストの墓が青森県にあった」「チンギスハンは源義経である」ってな与太話と同程度の扱いでしかない。まだ「相対性理論は間違っている」ネタの方が普及度は高いんじゃないの。
今の日本の排外主義は、主に韓国中国北朝鮮、あとは米国に向かっていて、ユダヤは民族としても宗教としてもちっとも登場していない。今の日本社会には、ユダヤとの軋轢は現実には存在していないのではないか。右の団体がデモでハーケンクロイツを掲げてたって、それは多分(ナチスがユダヤに対してやったのと同じような感じで)日本から韓国中国北朝鮮の人は出て行け、って主張のつもりであって、ユダヤ出て行けって話は出てきていない。というかやってる本人達はユダヤの存在すら意識してないんじゃないか。まあヨーロッパの人が見ればぎょっとするだろうけど、文化的歴史的背景がまるで違うので、ナチスドイツの現状での扱いを意識して学んでなければあの旗の意味を大勘違いしそうではある。
ついでに言うと、世代によるとしても、日本じゃ「ハーケンクロイツのヨーロッパでの扱い」よりも「アンネの日記」そのものの知識の方が(学校経由で)普及してるんじゃないかなあ。また、アンネの日記の話は国語で出て来た記憶があるんだけど、日本の学校の教科指導って他の教科の知識とは結びつけずに教えられるので、歴史の授業でナチスが何やってたかという話と「アンネの日記」が強く結びついているかというと、案外そうでもなさそうな気がする。ホロコーストがひどいことだと頭で理解できたとしても、地理的に離れている上宗教的背景も違うので、その深刻さを肌で感じるのは難しいのではないか。
一方で、図書館の「アンネの日記」を延々破るというのは、かなり情念というか偏執狂的なものを感じる。大多数の日本人は、そういう情念や偏執をもたらすようなユダヤとの関わり方をしてきていない。だから、いわゆる右翼の思想的背景に基づく行動というよりも、もっと個人的な動機に基づく行動ではないかと思える。もし、今排外デモをやっている右翼が思想信条に基づいて図書館の本を破るとしたら、「アンネの日記」じゃなくて、南京大虐殺とか従軍慰安婦関連の本になるんじゃないか。
それじゃあ、どんな場合に「アンネの日記」を破りたくなるだろうか。いろいろ考えてみた。
(1)妄想系
アンネに感情移入して、あの日記を破ればアンネを救えるといった思いつきで破っている。あるいはもっと別の、その人個人にとってのみ意味のある一種の「儀式」。
(2)嫉妬系
アンネは15歳までに年上の彼氏が3人も居たので、そのリア充ぶりというか女子力の高さっぷりというかへの嫉妬。
(3)嫌悪系
あの年齢の女子にありがちな、母親を初めとする大人への不満を書いた部分があって、それが単に気に障った。10代女子が日常の不満をがんがんブログに書いたら炎上した、ってのと似てる。ユダヤへの反感じゃなく、アンネの性格が気に入らないとか、ガキが何生意気言ってんだという、どちらかといえば儒教的価値観に反した結果。
(4)報復系
アンネの日記で読書感想文をかかされるなどして、読むことを強制されたが、内容が面白くなかった上苦痛だったので八つ当たり。(3)が気に障ったのに教師の圧力が原因で正直にそれを書けなかったとか。
私にとって「反ユダヤ」「ホロコースト肯定」よりはしっくりくる理由をひろいろひねり出してみたらこんな感じになった。さて、どう決着するんですかねえこの事件は。
アンネの日記偽書説もまだ出回ってるけど、日本でのこの説の扱いは、知名度においても思想信条との結びつきにおいても「アポロは月に行かなかった」以下だと思う。サイモンウィーゼンタールが今回の事件を政治利用のチャンスと見るのは自由だけど、空振りだった場合、個人の妄想を大まじめに取り上げる滑稽な団体と評価されることは覚悟しておいた方がいいんじゃないかなあ。ただ、その立場は海外に向かって説明しなきゃいけないから面倒だけど、それも仕方ないよねえ。