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道徳の教科書ではなく……

Posted on 11月 26th, 2006 in 未分類 by apj

 道徳教育の話を何回か書いたので、じゃあ自分が小学生の時に一番共感を感じたのは何だったか、と思い出してみた。あまりに印象に残っていてその後の道徳やら人生観やらにかなり影響した(と自分では思っている)のが、森本哲郎の著作で、「あしたへの旅」(似た題名で「生きがいへの旅」もあるが……)。私が読んだのはダイヤモンド社の初版本で、その後角川で再版されている(ところでこちらもそれっぽいが)。
 読んだのは小学校の4年生か5年生位だったと思う。自分で買ってきたわけではなく、たまたま親が買って家にあったのを見つけて読んだらおもしろくてはまった。
 まず何が印象的だったかというと、ベトナム戦争の記述で、急降下爆撃してくる飛行機に向かって正面からライフルの弾を打ち込んで撃墜する話とか、川に竹槍を埋めまくって船が通れないようにする人海戦術の話が文句なしにまず面白いと思った。ローテクでハイテクの隙を突く、というのはネタが戦争であっても面白い。
 次に、(多分、連合赤軍事件や学生運動の顛末が背景にあったと思うが)組織を作ると右や左のイデオロギーとは無関係に硬直化する、つまり組織の存続そのものが自己目的化する、といった内容だった。これを避けるためには、均質化しないように異端の存在を意識的に許すようにしなければならない、という部分で、なぜかこれに心底共感してしまった上、正しいと信じてしまった。
 そうすると、学校で道徳の授業があっても、教師にお説教されても、話をきくときの視点はこの組織論になるわけで「道徳だと言って異分子を減らそうとする教育をするのは、いずれは組織というか社会の破滅をもたらすわけで、そこまでわかって教育してるのか?」と子供心に思いながら授業をきくことになった。道徳の授業も教科書もちっとも心には響かなかったが、唯一森本哲郎が書いた組織論だけが残った。
 多分、その当時の森本哲郎の著作を超える内容の、社会の見方とか切り口を示した上であるべき道徳を提示するのでないと、私には理解できないし受け入れることもできなかったと思う。
 ということで、私個人的には、道徳(というか社会と人間の関わり)の基準は、小学生の段階では森本哲郎なんだけど、他の人達がどうかはよくわからない。まあ、こういうのは非常に個人的体験なので一般化はできないと思うけど。

晴れたので……

Posted on 11月 25th, 2006 in 未分類 by apj

 なんとか松葉杖で頑張って近くの本屋に行って買い物。帰りにこれまた近くのファミレスに行って食事。普段なら徒歩10分もかからないのだが、途中休み休みで移動になったし、疲れたのでファミレスで思いっきり休憩してたら、ほぼ半日つぶれてしまった……。
 まだ連続して歩くと掌が痛い&息切れするが、腕や胸の筋肉はそれなりに強化されたようで、少し張った感じがするだけで筋肉痛にはならないし、少しくらいなら歩いている時に疲労で力が入らなくなるということもない。多少なら荷物も持てるようになった。

溶液シンポジウム初日

Posted on 11月 22nd, 2006 in 未分類 by apj

 溶液化学シンポジウム初日。座長を割り当てられた時間以外は、受付に張り付いて一日が終わった。
本来なら会場を走り回る役のはずなんだが、松葉杖じゃどうしようもないので、ほぼ自動的に受付に座りっぱなしで見張り番する役になってしまった。初日に、事前登録者の9割以上がやってきて名札やら予稿集やらを受け取っていくので、窓口業務が一段落したら、ノートパソコンを立ち上げて本日の支払い金額をエクセルの表に打ち込んで、金勘定してチェック。
 シンポジウムは何があっても時間通り開催しなくてはいけないので、この3日間だけタクシー出勤となった。元気なら自転車で走るので街中の渋滞など無関係なのだが……、誰かグループの先生に車で拾ってもらうとなると、もし渋滞に巻き込まれたら揃って二人で遅れることになり、業務に支障を来すので、安全のためばらばらの手段で会場にたどり着くしかない。しかも山形の朝8時半頃って、市の中心街は混みまくるんだよなあ。

金曜日まで……

Posted on 11月 21st, 2006 in 未分類 by apj

 今日の午後から溶液化学シンポジウムのプレシンポジウム、明日から金曜日までシンポジウム本番。今回は山形大学がホストで、ウチのグループがシンポジウムの事務局に当たっているので、ずっとその仕事に張り付く予定。私は骨折中なので、座長と自分の発表の時間以外は、会場入り口で受付に専念することになっている。受付なのでピークが過ぎればそれなりに時間はできるだろうとは思うが、電源がどうなっているかなどは、今日の午後、設営に行ってみないとわからない。ってことはモバイルの環境を動かせるかどうかもわからない。また、研究室にも居ないので、電話も通じなくなる。まあ、一日1回はメールを見ているので、緊急呼び出し以外は、メールを投げておいてくれれば対応はするつもりだけど。

本日届いた参考になる本・ならない本

Posted on 11月 20th, 2006 in 未分類 by apj

 既に掲示板の方でも話題になっているが、ケネス・リブレクト著「スノーフレーク」(山と渓谷社)。雪結晶の写真集で、中谷ダイヤグラムも紹介されている。「水からの伝言」の解毒剤として最適だが、そういうのを抜きにしても楽しめる。
 次が、このブログのコメントにリンクされていて衝動買いした化学の本。「実感する化学(上巻)」「実感する化学(下巻)」。アメリカ化学会が出しているテキストの第5版の訳本。ウチの学科の学生に副読本として勧めたい内容である。特に上巻5章の「水」は、おかしな水商売に騙される前に是非とも知っておいてほしい内容である。もちろん、他の部分もためになるし、図も豊富でわかりやすい。むしろ、物理出身の私が化学の一般常識の基礎的なところを最勉強するのに役立つ。
 参考にならない方の本は、「トコトンやさしい水の本」(谷腰 欣司著、日刊工業新聞社)。この本、前半はまともなことが書いてあるのだが、途中から酸化還元電位の俗説を信じ込んでたり、医王石で処理した水の話を出したりで、見事に怪しい水商売のお先棒を担ぐ内容になっている。日刊工業新聞社といえば、質のいい技術書を出すことで知られているわけで、こんなものが混じっているのは問題ではないかと思う。

教育基本法改正:「愛国心」が問題なのではない

Posted on 11月 17th, 2006 in 未分類 by apj

教育基本法改正について、賛否両論が出ている。「愛国心」を求めることが悪いという意見が多いが、実のところ、問題は他にあると思うので書いておく。
 問題になっている条文は二条で、現行法は

第二条(教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

である。政府提出の改正案は、

(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

である。かなり細かい内容にまで踏み込んでいる。愛国心で揉めている人達は五を問題にしているのだろうが、教育基本法の本当の問題はむしろ一の方にある。「豊かな情操と道徳心」というところまで具体的に踏み込んだために、情緒を教育するということが前面に出すぎている。これとバランスを取るには「合理的な考え方を養う」という文言あるいはこれと同等な内容を入れなければならない。現行のままでは、理科教育にとって不利な内容になっているし、科学技術立国を目指す方針の足を引っ張りかねない。
 「真実を追究」という文言があるからいいいではないか、という意見もあるかもしれない。しかし、現実には、田崎氏がニセ科学シンポジウムでも指摘したように、実は理科教育自体が行きすぎた相対主義に汚染されつつあるので、これだけでは弱すぎる。
 現行法のもとでさえ、「道徳教育をしましょう」となった途端に、「水からの伝言」というオカルト・ニューエイジ系の思想に入り込まれてしまったという現実がある。さらに、TOSSのお手軽実践例を見ると、「脳からよい物質がでるからいじめをしない」を始め、トンデモ話やニセ科学に基づく教育が確実に広まりつつある。他にも、「それ何てみのもんたの健康情報?」という内容の実践もある。もちろん、TOSSが教育内容を規定するわけではないが、それなりの数の教員に共有される情報であり、ニセ科学実践をしてもそれに対する批判が出てこない(既に自浄作用もニューエイジに対する抵抗力も失っている?)ということから、オカルト・ニセ科学蔓延の下地は既にあると考えた方がよいだろう。また、怪しい健康番組モドキの内容を学校で教えたりしたら、インチキ健康商法のカモを養成するだけである。
 現実を動かすのは事実の積み重ねと合理的な思考であって、情緒で物事は解決しないということをきちんと教えないといけない時に、情緒にウェイトを置きすぎた教育基本法はいかにもまずい。
 「戦争できる国家への道」だという理由で改正に反対している人が目立つし、政府与党の論調の方も、そういう人達を想定しているように見える。そうではなくて「ニューエイジ系の思想蔓延に対する抵抗力をつけられそうにない」ことの方が、政府改正案の問題だと思う。大声を上げて賛成反対を叫んでる人達の双方ともが、このことを認識してそうにないから困るのだけど。

学部長選挙in教授会(;´Д`)

Posted on 11月 16th, 2006 in 未分類 by apj

 本日、理学部の学部長選挙があって、候補者3人から選んで投票が行われた。んで、午後は教授会。最初に開票作業となる。学内規則では、過半数を得票した人が居なかった場合は、上位2人で決選投票することになっている。
 んで、開票してみたら、誰も過半数を取っていなかった。
「では再度投票を行います。一階の部屋へ順番にどうぞ」
って……マジデスカ(;°Д°)。もうね、根回ししてもいいから票を割るなよ……と自分の都合だけで思った私が居ましたよ。
 教授会は2階の会議室で開催される。会議室の一番近くの階段を下りてすぐのところが、投票所になっている部屋である。で、松葉杖ライフまっただ中の私は、階段の上り下りが出来ないから、2階の廊下をあっちの端のエレベータのあるところまで行って、1階に降りて、同じ距離を引き返して投票所に行くことになる。あのー、だいぶ慣れたけど平地を移動するのだって、息が切れるから休み休みでないと動けず、まだかなり疲れるんですけど(;´Д`)。
 さぼるわけにもいかないので、選挙管理の人に、移動に時間がかかることを理由に最初のグループが部屋を出た直後に出発することを許してもらい、延々廊下を杖で歩いて、何とかまだ投票が行われている間にたどり着いて投票、また同じ経路を戻って会議室にたどり着いた時には、他のみんなは投票を終わって着席してたよorz。
 何か教授会に出ただけで、肉体的疲労が倍になった罠。
 んでもって、教授会でちらっと出た話題がこれだったりするというオチが追加された。

山形大:1学期授業放棄、女性教員を処分 /山形
 山形大は、1学期間すべて授業放棄したとして、人文学部の50歳代の女性教員を13日付で停職10日の懲戒処分にした。
 同大によると、女性教員は今年度前期に割り当てられていた担当授業を欠席し、所属学部の教授会や学科会に1回も出席していなかった。給与は全額支給を受けていたという。10月からの後期についても、女性教員は担当授業を割り当てられていたが、同月から「体調不良」を理由に休暇を取っている。
 大学は「再びこのようなことのないよう職員の意識向上を図る」と説明している。【佐藤薫】
毎日新聞 2006年11月14日

 
 何だか脱力したので、景気づけに、BGMにDer Himmel Brennt流しっぱなしにして、溶液シンポの名札作りの続きをやってるところだったり。

シンポジウム準備中

Posted on 11月 15th, 2006 in 未分類 by apj

 来週の溶液シンポジウムに向けて、参加者の名札を作ったり、参加登録費の領収証を作ったり。
めずらしく、ExcelとFileMaker Proの組み合わせで作業をしている。FileMakerのラベルレイアウトは便利で、滅多に使ったことがなくても、入っているデータを好きなフォーマットで印刷できるので、領収証やら名札を作るのに役立っている。データの方は、PostgreSQL→ Excelで集計表→FileMakerでレイアウト、という流れになっている。
 何年かに1回あればいい種類の仕事だが、それなりに迅速に片付けなければいけないので、普段使い慣れていないソフトでやることになり、如何に早く何も知らない状態から必要最低レベルに達するかの勝負になっている。

教材開発に使えるかもしれないwiki置いてみました

Posted on 11月 14th, 2006 in 未分類 by apj

EducationWiki設置してみました。とはいえ、スキンはデフォルトのまま、プラグインも特に追加はしていない状態です。最低限、管理者パスワードまわりを設定してみました。

 水伝が学校に蔓延したことに対する対抗手段として、初等中等教育で使える教材を作ってはどうかという話が出たので、その情報交換のために設置しました。

 一応学内に置きますが、何かあったらシステムごとレンタルサーバに持って行けるように、私が講義案内等で使っているのとは別に、新たにインストールしました。

 暫く試験運用です。何か書き込む時はローカルにもファイルをバックアップしてくださるようお願いします。
提出が迫っている論文を抱えているので、それが終わったら、もうちょっとプラグインとかロゴとか整備します。いたずらされるようなら、編集者については会員制にするなどの措置をとります。

水伝:科学だけの問題ではない

Posted on 11月 13th, 2006 in 未分類 by apj

 たざきさんの『「水からの伝言」を信じないでください』があちこちで話題になっている。賛同する意見も批判的な意見も、いくつかのblogで見たが、やはり一言追加しておかなければならないと思うのでまとめておく。なお、この問題意識を最初に書いたのは、「水伝:「文系」の人の意見を知りたい」で、ここでいただいたコメントを使わせていただいて、可能な限りまとめてみる。
 まず、活躍中の物理学者が手間をかけて水伝批判の文書を公開したことで、ここでも以前話題になった「追試が必要か否か」という議論や「科学教育のレベルが低い」という議論があちこちで出てきた。やはり、科学者の側からの批判ということで「科学からみて何が問題なのか」という方向での意見が増えてきているように見える。
 だが、ちょっと待って欲しい。水伝は確かにニセ科学だが、それだけなら、他にも山ほどあるオカルト話同様に、科学の側からは放置しておくことになっただろう。ところが、学校に持ち込まれたから無視できなくなったのだと私は認識している。さて、改めて考えてみる必要があるのは、「水にありがとうという言葉をかけたり印刷物を見せたりすると結晶がきれいになるから、人にもありがとうと言おう」を却下するのに、必要なのは科学知識だけか?ということである。

 では、自然科学以外の分野の基本的な考え方で水伝を眺めたらどうなるだろうか。
 倫理学の立場からすると、水伝のロジックは、「損得勘定を倫理的判断に持ち込むのはまずい」という一般的な原則に引っ掛かることになる(byワカシムさん)。
 道徳教育という点からは、水伝のロジックは、『他者の価値観・感受性・人格を否定するのみならず、人間の尊厳や矜持などをすべて水に委ねてしまう、「悪魔に魂を売り渡した」「自我を放棄し、水の召使いに堕した」と言っても過言ではない、あまりに酷い倫理観』ということになる(by 田部勝也さん)。
 言語学の立場では、「何か特定の言葉に特定の意味が1対1対応で張り付いていて、相互に変換できるというわけではない」から、「ありがとうーきれいな結晶、ばかやろうーきたない結晶」という対応関係を認めるという結論にはならないはずである(by とらこさん)。
 もう少し一般的には、きちんと文系の学問を学んでいれば、文脈・状況を云々せずに言葉だけを云々するということ自体が受け容れられないはずである(by TAKESANさん)。
 さらに、トラックバックをくださったDさんは、文学をやっている人間ならこんな話にはそもそも興味を持たないと書いておられる。「水」は文系の領域ではない、文系は「人」なしに動けないからだ、と。水と言葉がつながることと、人と言葉がつながることは、まるで別世界だから結びつきようがないというのがその説明である。

 歴史学や民俗学がどうかについてはよくわからない。しかし、水伝はいわゆる「文系」の立場では、受け容れられないか、そもそも全く関心の持てない話だということがわかる。
 「水からの伝言を信じないで下さい」は科学者の視点では、

全国の科学者さんたちがもっとまじめになるか、日本の科学教育をもっとまともにする必要がある
<中略>
そもそも巷に蔓延したのは科学者さんたちがその問題を放っておき過ぎたことに起因すると思う。
<中略>
むしろ科学とニセ科学の区別がつかないくらい科学を理解できない日本の科学教育のレベルの低さが問題かな。

などと書かれているが、こんな認識では全く足りない。確かに、自然科学の考え方を身につけていれば、水伝はオカルトであるとして、即座に却下できるだろう。しかし、水伝は、世の中の何割かを占める文系学問を学んだ人達が、その文系の考え方を本当に身につけていたならば、自然科学の知識など無くても却下できる種類のものである。
 理系でも文系でも、どれか1分野だけでもでいいから、標準的な知識というか知識の背骨のようなものを身につけた人が一定数いたなら、水伝は広がらなかったはずである。水伝が蔓延したのは、理系文系を問わずに学力と常識の劣化が起きていたからではないのか。科学者の態度や理科教育だけが問題なら、まだ状況はマシだった。しかし、水伝蔓延の状況を考えると、分野を問わずに学力が崩壊しているとしか思えないわけで、その方がよっぽど深刻な問題ではないのか。