二日連続他所のブログからネタを拾うことになったが、何だか符号するものを見つけてしまったのでメモしておく。酔うぞさんとこで出ていた記事「シンドラーエレベータ・自治体困惑と言うが」で、
そもそも入札制度は、一番安く納品できる業者を探すという意味でありましょう。
ということは買い手である自治体などが品定めできる能力を要求されているという事ですよ。
しかし、今や高度になったシステムなどを自治体などが独力で判定できる能力はないわけですよ。
原告規模で屎尿処理設備の談合事件で、11社が起訴されましたが屎尿処理施設の最新システムを自治体の職員には判断できる知識が無いことは容易に想像できますが、それでは自治体は判断できないから外部のコンサルタント会社にその自治体に適当なシステムの構想を作ってもらうわけです。
ところが、11社が起訴された事件ではその企画を作ったコンサルタント会社を取り込んでいたというのですから、自治体だけが蚊帳の外という事になります。
これでは入札自体が成立しないわけですよ。
値段だけを見れば悪くても安いものを買わざる得ない、内容はさっぱり判らない。
一体どうやって入札を成立させるのでしょうか?基本的に入札制度自体が無理に近いんじゃないでしょうかねぇ?
とある。その一方で、フラスコさんところからたどって行き着いたのが「役人学三則」。岩波新書だそうだが、元ネタは法学者の末弘巌太郎(1888―1951)が書いたものだから、だいぶ昔の話である。で、この内容が、酔うぞさんの指摘を裏付けるような代物だった。
、第一条 およそ役人たらんとするものは、万事につきなるべく広くかつ浅き理解を得ることに努むべく、狭隘なる特殊な事柄に特別の興味をいだきてこれに注意を集中するがごときことなきを要す。
君ら若い方々はとかく理想にとらわれて一生をある種の事柄に力を集中してその道の専門的達人になりたい、というふうに考えがちであるが、君がもしも役人として出世を希望するのであるとすれば、かくのごとき態度は根本的に間違っている。現在の官制および官吏任用の実際は、ある種の行政事務に特別の興味を有し、したがって特種の知識技能を有する役人が一生をその事務にささげつつ適当に出世しうるようにできていない。
(中略)
だから特殊の事務に興味を感じてそのほうの専門家になると、自然ほかに融通がきかないため、なかなか出世できない。そうしてほかから人繰りの関係上どんどん専門の知識なき役人が上役として転任してくる。だから出世という妄念をたちきってお寺にでも入った気でなければ、特殊行政の専門家になることはできないのである。
(後略)
などと指摘されていたりする。もちろん、末広教授は、このような風潮を望ましくないとして痛烈な皮肉をこめて書いている。ただ、50年も前から役人側が末広教授の指摘の通りだったのだとすると、酔うぞさんが書いている「入札が成立しない状況」は、表面化しなかっただけで、実はずっと前からあったのではないか。「特殊行政の専門家」であれば、守備範囲の入札の内容を判断できるかもしれないが、そうならないことが出世の道であれば、自然と判断出来る人は居なくなるわけで。
そういえば、水関連でも似たようなのがあった。相談された事例なので固有名詞を出せないが、市営プールに怪しげ活水セラミック装置がぼったくり価格で入ったのを追求していたケースで、入れた役人の判断の主な根拠が、製品の説明を読んで理解したというのではなく「他所の自治体に導入実績がある」だったというのが。
談合がいいとは思わないが、談合で上乗せされたコストと、入札で決めたときに品質を判断し保証するためのコストについて、どこかで評価は出ているのだろうか。