講義ネタなど
科学リテラシー。電気化学(水の電気分解)の話の後、去年の酸素水素暖房器具(怪しいマルチ商法付き?)の爆発事故のネタと、阪大菊地さんの「
阪大のながぴいさんからの情報。
日本物理学会2006年秋季大会(9月20日(水)―23日(土)、奈良女子大学)で以下のような発表があるらしい。
言葉が水の氷結状態と水中元素濃度に及ぼす影響
(九大院工)高尾征治・○川添淳一・(アイエイチエム)江本勝・
(ホワイトマックス)増本勝久・(IHMテック)里中耕也・(サロンドジャン)石田静子
<申し込み要旨>江本は独自の水の氷結技術を開発し、水の氷結状態が言葉の影響を受けて多様に変化することを示した。ここでは、それに対応して水中に微量含まれる元素濃度がどのように変わるかを調べてみた。その結果、「ありがとう」、「ばかやろう」の日本語だけでなく「Thank you」,「You fool」の英語でもカルシウム元素が同じパターンで変化することがわかった。
秋は分科会で、物性関係の会場は千葉大のはずだが、彼らは実験核物理で登録したらしい。まあ、日本物理学会といえば、その昔、清家新一氏がUFOの飛行原理について発表したこともある由緒正しいwトコロなので、今更何が発表されたって驚かないが……。しかし、水の結晶成長なのに何故物性ではなく核物理?と思ったのだけど、「水中に微量含まれる元素濃度」が変わるという主張なら、元素変換だから核反応か……orz。彼らはどうやら『ありがとう』の声かけ実験で、核反応を引き起こす境地に到達したらしい。常温核融合の斜め上を行ってるな^^;)。
水関連で九州大学というと、日本トリムと組んでる活性水素説の白畑教授が有名だが、今度は言葉で核反応という、もっとアレなネタが出てきたということか。
9月末は直前までプラハのNCMに参加しているので、日程的に核物理を覗きに行くのは無理だし、自分の物性の発表だって自分でできるかどうか危ぶまれて居るんだよなあ……、残念。
科学リテラシー。電気化学(水の電気分解)の話の後、去年の酸素水素暖房器具(怪しいマルチ商法付き?)の爆発事故のネタと、阪大菊地さんの「
トンデモ本大賞を受賞した「量子ファイナンス工学入門」を、注文していたのだが、本日届いた。いやもう素晴らしいw。大まじめに冷静にトンデモないことが書いてある。
株価を花粉粒子よりもさらに小さい量子に例えるならば、株価は複素数空間にある量子の従う運動原理に支配されていることになる。
収束の概念の例としてζ関数を持ち出し、ζ(12)の分子に691という数が出てくるもんだから、
西暦691年に持統天皇が織女星と牽牛星を祭る七夕の宴が開催しているから、691という数字は宇宙に関する数字かもしれない。
波動関数に従う金融資産が一定の座標(株価チャートと同じである)という部分空間に存在する時、確率測度は確率振幅になり、この座標内のどこかに金融資産の価値が見出される確率振幅は0から1の値をとる。
古典的な運動をする金融資産の経路は、過去から未来へ進む光円錐の中の一本の矢印として表すことができた。
何て言うか、書かれている物理学の部分だけを抜き書きするとまともなのに(というか、まともな本から引っ張って来たのだろう)、この著者独自の解釈が加わった部分がことごとくこの調子である。読み進むうちに、「物理学って何?」という疑問が出てくることはなさそうだが、「金融資産って一体?」という気分には浸れる。
おすすめの一冊だが、著者のトンデモさを堪能するには物理学の素養があった方がより望ましい。ともかく私はこの本を見て、物理学を専門に選んだことが自分の人生において「笑い」を増幅する方向に効いた、という生まれて初めての経験をした。
学生実験の物理化学セクションが始まった。初回は「ラマン散乱」。GF行列法を用いて、四塩化炭素のラマン散乱スペクトルから力の定数などを見積もったり、振動数の計算をしたりする。SI単位系への変換や関数電卓の使用に慣れていれば1時間もあれば終わるはずである。が、計算の量が多く、指数部分が大きくなる計算がたくさんあるので、一番の落とし穴は「電卓の打ち間違い」。途中計算をノートに細かく書いて、後から検算しやすい状態を保っておかない限り、何回やってもやる度に答えが違ったりして延々時間を費やす羽目になる。簡単だからまあいいだろう、とずぼらをやると、後で数十分のロスになって戻ってくる。
一昨年は、最後の一人ができたのが22時40分頃。昨年はそれが30分更新されて終わったら23時を過ぎていた。今年は……と思っていたのだが、最後の一人が終わったのが22時前で、今年は記録更新にならなかった。
教養の講義でもらった大量のコメントのワープロ打ちをして回答を作っていたのだが、削除要求を蹴飛ばした話に感激されてしまった^^;)。マイナスイオンネタで、セルミ医療器を取りあげて、批判をウェブに書いていたらクレームが来たけど法的根拠を示せとやり返したという話をちょこっとだけしたのだった。
ウチの学生さんたちって、平均して人柄は穏やかで友達になるにはとてもいいんだけど、反面、そのまま社会に出ると悪い奴にぱくっとやられそうな気が……。そうならないように教育しないとね、って話をしていたりするんだけど。
以前、私が作ってる水のページが、筑波大学で教材に使われたことがあった。もちろん、業者とやり合った記録なんてのも出てるわけで、それに対する学生さんのコメントが「人のいやがることをするのはよくない」といった観点からのものが多かった。どうも、高校卒業まで「争いごとはよくない」と教育されてきたようだ。まあ、社会に出てもまれれば変わるんだろうけど、「争った方がいい相手がいる」というか、争うことを肯定的に捉えなければいけない場合もあるということを教えるのも必要かなぁ。
週末、所用で東京方面に出向いたついでに、お茶大の冨永教授と茗荷谷のサイゼリヤへ食べにいったのだが……となりのテーブルで怪しい製品販売計画の真っ最中w。「テレビにとりあげられると無料で宣伝効果が……」とか言ってやがりました。全部は聞こえなかったが、どうやら水商売関係か健康関係かどっちからしい。
直前、山形で「マイナスイオンは未科学、ミラクルな効果の宣伝はインチキ、マスコミがいかにデタラメでいい加減で、フェイクの権威がどう作られるか」という内容の講義をしたばっかりだったわけで(-_-#;)。
そういや、以前も教授と研究会に出るため北海道のホテルに泊まって、朝のバイキングを食べてたら隣のテーブルで「電解水が酸化されて云々」と始まり、教授と微妙に見つめ合う羽目になったし。友達と食事に行った後、食後のコーヒーでも、と入った喫茶店では、磁気活水器マルチのダウン勧誘の現場にでくわした。
「マスコミが健康関係の商品をとりあげた時は眉につばをつけろ」というのをもっと徹底させないとアカンなぁ。
本日、千代田区公会堂でトンデモ本大賞2006が開催されたので行ってきた。
本年度の受賞作は「量子ファイナンス工学入門」。JSTの科研費の萌芽的研究(ちょっと記憶があやふや、本をこれから買うので、確認したら訂正します)の成果だそうで……。正しいものを無理矢理くっつけるとトンデモが生まれる、という新しいパターンである。それにしても、2年連続大学教授の著書がトンデモ本大賞を受賞したわけで、大学人としては一体何とコメントしていいやら。
会員として入場したから、「と学会アーカイブス1」が配布された。と学会のメンバーが雑誌などに出した記事をまとめたものである。
会場販売の物品でゲットしたのは
・と学会年鑑GREEN
いつもの例会本
・オタクの遺言状 いつかかならず
オタクが蒐集している、始末に困る財産をどうするかという話。
・月刊岡田斗司夫 創刊号
岡田斗司夫さんの評論やmixi日記採録。「聞くだけでプチクリになれる話」
・特撮が来た11
開田裕治さんの同人誌
・さあ、場ちがいになりなさい
植木不等式さんの同人誌
・ぶらりオタク旅Deluxe 6
会場でも発表があったが、明木教授の中国語版「電車男」訳文研究が掲載されている。
台湾版と上海版があるが、台湾版が妙に2ちゃんねる用語や日本のアニメに詳しく、細かい注釈を付けているという話。
例によって開演ぎりぎりに滑り込んだのだが、と学会扇子を2つ購入。毎年買おうと思っても売り切れで悲しい思いをしていた。今年は作った数が多かったらしく、残っていたので購入できた。これで夏も安心?
千代田区公会堂は老朽化のため、6月末に閉鎖されるとのこと。来年のとんでも本大賞は、6月30日に、イイノホールにて行われる。
元ネタはロゲルギスト・エッセイ「物理の散歩道」。
科学リテラシーの講義で出た学生からの質問に「死ぬと体重が軽くなるって本当ですか」という質問があった。一応、「水分が抜ければ軽くなるかも」とまじめな方の答えを出したが、多分これは学生の期待には反するだろう。
ということで、「死んだら魂が抜けて軽くなる」というオカルトネタを物理でモデル化するとどうなるかということを簡単に説明してみた。
1)天国モデル
見えない糸で見えないヘリウムを入れた風船のようなものつながっているモデルで、死ぬと糸が切れて風船は空へ上がっていく。この場合は、生きている間は浮力で常に上向きに引っ張られているから、死んだ瞬間に体重は増えることになる。
2)地獄モデル
見えない糸で見えないおもりがぶら下がっているモデル。この場合は、死んで糸が切れたらおもりが地面に転がり落ちて、体重は軽くなる。
十分広い器で受けると、転がり落ちた衝撃が観測できるかもしれない。
ただし、地面に落ちるというのは、その後泥にまみれるとか苔むすとか、落ちた衝撃で割れるとか誰かに踏まれたり蹴飛ばされたりするという光景が容易に想像できるので、これが魂の行く末だとするとかなり情けなく、オカルト的に考えてもまったくありがたくもうれしくもない。
ここまでしか話さなかったが、
3)消滅モデル
本当に魂の質量が消滅するモデル。巷のオカルトネタに登場する消滅量って、確か数十グラム程度だったはずだが、問題は欠損分の質量はE=mc^2でエネルギーに化けることにあり、これでは人一人死ぬ度にエラいことになる。
なんてのもありそうだ。
まあともかく、まともな検証測定が出てこなくて、減るらしいという話だけが一人歩きしてるなら、それはただの都市伝説かオカルト話だよ、ということで。
今日で、化学でこの先使う数学を大体終えた。来週は中間試験で、その次から(高校で物理をやってない人対応も含めた)物理の講義を簡単にやる。内容としては、力学と波と電気的な力と前期量子論あたりだから、高校物理の内容を選んで微積分をきちんと使ってやるという感じになる。
実はこの講義、一般教育(教養)ではなく、専門科目の必修指定である。それでいろいろ考えて思い当たったのが、何年か前に大学の教養部を解体したときに、やり方を根本的に間違えたのではないかということだ。
もともと、教養部の内容というのは、旧制高校でやってたことが元になっていたはずである。教養部を解体して、大学でそこをそんなにやらなくてもいいということにするのであれば、大学が手薄になった分、内容を高等学校の指導要領に降ろして、高校でやることを増やすべきだったのではないか。ところが、本来ならこの手のフォローをしてくれるはずだった教養部を組織として無くした上に、何の手当もせずに高校の指導要領をゆとりと選択で骨抜きにしたから、しわ寄せが専門に来た。入学したらさっさと専門の講義を始めるなどというのは全く不可能で、専門の講義内容の一部を高校との接続に振り向けることになってしまった。専門をとっとと教えろというのとは正反対の結果になっている。
この件については学科の教員全員出動で対応している。私はたまたま、数学と物理のうち化学で必要なものを選んで教えているが、化学概論の教科書を使っての講義や、一コマの実験入門にあたる内容を用意して、こちらは他の先生方がみんなで協力してやっている。
教養教育の方で「熱って何」という質問が出た。一行でコメントするなら、分子や原子の運動の激しさの指標だよ、とでも言うしかないが、当然これでは足りないので、あとは「熱学思想の史的展開」でも読んだらどうかと、参考文献として薦めておいた。しかし今見てみたら値段がすごいことになってるな……どうやら品切れになったらしい。
そんなこともあって「ボルツマンの原子」を衝動買いして読んでみた。熱を運動学的に理解するというのは、今ならすんなりいくけど、実験データが足りなかった頃はえらく受け入れがたく、紆余曲折があったんだなあということが、割と手軽にわかる。教養教育の受講者だと、中学以来理科をやってない人もいるので、「物質は原子からできている」も怪しかったりする。すると、この本の、原子の実在がまだはっきりしない状態で熱をどう捉えるか悩むというのと似たような状況になっているのかもしれない。それなら、昔の偉い人だって苦労したんだよ、ということを知るのもいいかもしれない。迷い方というか入り組んだ風景が見えるだろうし。