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仮面ライダーThe First

Posted on 5月 4th, 2006 in 未分類 by apj

 以前から気になっていた仮面ライダーThe FirstのDVD Collector’s Editionを買ってきて見ている。上映は結局見損ねた。
 俳優さんも熱演してるし、アクションも切れがあっていいのだが、問題は全編貫いている「水からの伝言」ネタである。

 まず、最初、本郷が在学している大学のシーン。取材に応じた本郷の台詞は、
本郷「極端に言えば、水の面に美しいものが映ったとき、その水の結晶は美しくなる」
本郷「人間の身体の60%は水でできていることはご存じですか?美しいものを見ると人間は元気になる。それはもしかしたら水の結晶が物理的に変化しているからなのかもしれない」
画面に出ているのはドッカの波動本に登場する水結晶写真の動画。今後も研究を続けるのか、という質問に対して、
本郷「ええ、今年で大学院も修了なんですが、このまま大学に残って助手として研究を続けようと思ってます」
 ここで大量の水結晶写真のシーンに切り替わる。
 仮面ライダーに改造されて、最初の作戦中に正気に戻るきっかけは、雪が降ってきて六角形の結晶を見たから。降ってくるわざとらしいサイズの雪の結晶。CGだと思うが、直径2cm位はありそうな六角花の結晶が……。
 途中、ホールで講演している本郷猛。
本郷「水は生きています。今見ていただいているのは、私たちの研究室で実際に撮影された水の結晶の映像です。結晶がゆっくりと成長していく様子が観察できます。これは標高1000メートルのわき水から採取した水の結晶です。普通の水とは違い、均整の取れた結晶が、六つの方向に羽根を開くように伸びているのが見て取れます。水は、鏡のようなものです。美しいものの前では、美しく形を変えていきます。」
 結晶成長の映像、プロジェクターで大写し。
 ショッカー基地に乗り込んで、改造寸前の緑川あすかを助け出した後も、海岸歩きながら水結晶の映像に変わる。何この「水からの伝言」プロモーションビデオ……orz。
 一方、悪役のショッカーはというと、天本英世が幹部役でデジタル出演しつつ、改造人間を作る。常人より身体能力が極端に優れているが、一定時間毎に血液を入れ替えないと拒否反応が起きるという設定。三田村晴彦&原田美代子の不治の病コンビが登場し、ショッカーに手術されて完治する。もっとも、コブラとスネークの改造人間にされて仮面ライダーと戦わされるわけだが……。

 どう見ても、本郷猛がやってる水結晶の研究よりもショッカーの科学の方が役立ちそうなところにトホホ感がただよっている。人を拉致ってきて改造するのはよくないとしても、今の医学じゃ助からない筈の二人を仮面ライダーと戦える程度には治している(つか頑丈にしすぎだってばさ)なわけだし。使い方がマッドな方に行ってるのが問題なだけのような。

 特典のメイキングビデオや、アクション絵コンテ集も楽しめるんだが、見終わった後にびみょーな脱力感が残ることも確かである。

山形名物

Posted on 5月 3rd, 2006 in 未分類 by apj

 GW中は東京で過ごすので、本日移動。
 山形駅の待合室をうろうろしていたら、「稲花餅」があったので購入。「いがもち」と読む。こしあんの入った餅で、黄色く着色した米粒が3粒中央についている。小さな餅で、2個が1枚の笹の葉に押しつけられた形で、五枚(=10個)入り。生ものなので、遅く行くと売り切れていることが多い。今回初めて買って食べてみたが、笹の香りが良くてそれなりに楽しめた。でもまあ、蔵王名物とか書いてあるから、そんなに有名なものではないかもしれない。
 有名な方のさくらんぼも出始めた。でもまだ出始めだから値段が高い。もう暫くするともうちょっと値段が下がるはず。

ゴロ寝deスクDX

Posted on 5月 2nd, 2006 in 未分類 by apj

 ゴロ寝deスクDXを買った。坐ってノートパソコンで作業をすることがあるので買った。直接膝の上にパソコンを置くと熱くなるし、首を長時間下に向けていると首が凝って痛くなってくる。たまたま、新し物好きのダウンロードを眺めていたら広告が出ていたので衝動買いしてしまった。
 まず、とても軽いので、持ち運びが楽だし、坐った状態でずらしたり持ち上げたりが簡単にできる。角度の調整もやりやすい。商品の感想ページには、関節部分に角度メモリがついてないので左右を合わせるのがちょっと面倒だとあったが、実はコツがある。一旦、足の角度を直角にした状態で、足を伸ばして坐り、机の足が自分の足をまたぐように置く。そのあと膝で天板を支えながら、足と天板の角度を順番に調整すると、左右同時に調整ねじをゆるめても、両側を同じ角度で固定できる。
 天板に角度をつけたときにパソコンが滑り落ちないように手前にストッパーが点いているのだが、この高さがあと5mmほど低いと、腕が当たる感じが軽減されてもっと楽になるだろう。
 値段も手頃だし、納得できる買い物だった。坐ったり、壁にもたれたりして作業する人にはおすすめの一品である。

自分が学生の時に読みたかったな……

Posted on 5月 1st, 2006 in 未分類 by apj

 「これから論文を書く若者のために 大改訂増補版」(酒井聡樹著、共立出版)を買った。学生向け論文まとめ指導の資料に最適、というか学生にも買わせたい本である。私が4年生くらいのときに読みたかったよなぁ……。
 タイトル通り、卒論から博士論文を書く期間を対象にして、論文を初めて書く人がどうやってまとめるのかを具体的に書いてある。最終目標はジャーナルに投稿して載ることである。

 第2部の具体的な書き方の部分だが、論文投稿という目的に限らず役立つ内容を含んでいると思った。もうすこし易しくしてジャーナル投稿目的という部分も弱くすれば、一般的な報告書の書き方になるんじゃないかと思った。読者対象の設定に応じた書き方とか、議論の運び方には共通するものがある。このジャンルの本としては「理科系の作文技術」が以前からあるが、それよりも例が具体的かつ実践的で読みやすい。

基準が現状に追いついただけ

Posted on 4月 30th, 2006 in 未分類 by apj

 YOMIURI ONLINEより

“徒弟制”一掃、文科省が大学院を抜本改革へ

大学院教育の充実に向け、文部科学省は今年度から、大学院生や若手研究者が教授の労働力とみなされる“徒弟制度”の一掃を目指すなど、抜本的な改革に乗り出すことを決めた。

 近年、大学院に進む学生が増える一方、海外や財界からは「教育水準が低い」との批判が出ており、日本の国際競争力を高めるためにも、大学院教育の質向上が不可欠と判断した。文科省は今後5年間かけて、大学院による教育課程や教員組織の見直しを支援するなど、教育基盤の整備を進める。

 文科省は3月末、専攻分野ごとに講座を設け、教授を頂点に助教授、助手らを配置して教育研究を進める「講座制」の規定を大学設置基準から削除。この枠が外れることにより、今年度から各大学・大学院が自らの裁量で柔軟な教育研究体制作りを進めることが可能になる。

 07年度からは、教授の職務を助ける役割だった助教授が廃止され、新たに学生の教育や研究を主な職務とする「准教授」が新設される予定で、こうしたことを契機に教授と院生らの硬直的な徒弟関係の改善が図られることになる。

 日本の大学院はこれまで教育より研究を重視する傾向が強く、研究室では大学院生や若手研究者が教授の手伝いを通じ、自然に知識を身につけるという「徒弟修業」の考え方が根強く残っていた。

 また、講座制は大学院内の教育研究の責任体制を明確にすることなどを目的に導入されていたが、教授が研究室の人事を独占的に行うことなどへの批判も強かった。このため、院生らからは「教育内容が教授の能力に左右されすぎる」「教授の労働力として使われ、雑務に忙殺されている」などの不満の声が上がっていた。

 一方、産業界からは「応用が利かない」などと改善を求められており、今年度からは、教育の質を保証するため第三者による外部評価が導入される。若手研究者向けの研究費補助も拡充され、財政支援策でも、優れた研究を行う大学・大学院に国が補助金を出す「21世紀COEプログラム」に代わる新たな策を実施する見通しだ。文科省は3月、これら施策を盛り込んだ2010年度までの5か年計画「大学院教育振興施策要綱」をまとめており、要綱に沿って総合的な改革を進める。

 文科省によると、1988年に約8万7000人だった日本の大学院生数は、昨年は約25万4000人に増加している。

(2006年4月30日4時19分 読売新聞)

 今時、講座制のピラミッドを維持できているのは、旧帝大と一部マンモス私大だけではないか。規模の小さい大学では、1学科の教員定員が少ないため、講座制をまじめにやったら、カバーできる専門分野が少なくなりすぎて機能しない。だから、とっくに半講座制、つまり書類の上では講座制だが、実際には教授と助教授が独立に研究室を持って全く別のテーマで研究するという方法でやりくりしてきている。教員採用にもそれが反映されているから、教授が自分の講座維持のために人事を云々ということはない。制度を変えたところで、現状が半講座の大学はほとんど影響を受けないだろう。旧帝が変わるかというと、でかい大学の強みがまさに講座制にあったりするわけで、変わらないんじゃないか。

 「教育内容が教授の能力に左右されすぎる」という文句を真に受けるのはどうかしている。どこの大学院でも院生の方が指導教員指定で進学するわけで、選ぶ権利は院生にある。教員側は拒否できない……というかヘタに拒否したらアカデミックハラスメントじゃないかと言われるおそれがある。だから、その先生の指導が嫌なら別の大学の別の先生を選んで受験すればいいだけではないか。それに、院生が居なくなれば、手当や研究費が減るという形で教員にもフィードバックされる。

 教育のうち、基礎的な力を付けるという部分に限って言えば、内容を左右している原因は「教授の能力」ではなく、その専攻のカリキュラムに対する取り組みや、専攻に所属している教員の研究テーマになるのではないか。
 学部の教育では、例えば、理学部の「化学科」であれば、日本全国どこの学部であっても、カリキュラム内容にそう大きな違いはない。ウチの学科では、生物系を強くしてみました、という特徴を出しているが、それでも普通の理学部化学科でやる内容はカリキュラムに組み込まれている。また、学部ではこんな教科書を使う、という相場も大体決まっている。大学に指導要領はないが、ある学科のスタンダードな教育内容については、教員の共通認識となるものがあると言ってよい(文学部はよく知らないが、文系でも法学部では決まってそうだし、理工系は決まってない所の方が少ないだろう)。教え方の上手下手はあるとしても、スタンダードが決まっている場合は、その差が出にくい。
 これが、修士以上になると、スタンダードなカリキュラムや教科書が今のところはほとんど無い。すると、各教員の専門に特化した内容が講義の内容になりがちである。また、修士課程で、講義によってとらなければならない単位は少ない。院の講義を隔年開講にして、見かけよりも教員の講義負担を減らしている場合もある。まあ、こういった要因で、相対的に講義内容の一般的な部分の比率が下がるので、「教授の能力」に左右されるように見えることになる。
 海外で出版されている教科書を見ると、大学院向けというものがいくつかあるし、国内でもそういう教科書が出始めている。ただ、ある分野の院のスタンダードなカリキュラムがどうあるべきかということについては、確かにあまり整備されていないと思う。

 ところで、私が修士向けの講義で何をやっているかというと、複素積分の簡単な使い方、フーリエ変換を使って時間領域と周波数領域の変換、空間座標と波数空間の変換、ブラウン運動の扱い、といったあたりである。これを、分光測定の基礎を説明するという形で説明している。物理の話題のうち、化学でもよく使いそうなものに絞ったつもりである。学部でやるにはちょっと物理っぽ過ぎるのだけど、機器分析から一歩踏み込んで何かしようとすると、もはや物理と化学の差が無くなっているもので……。

 博士課程在学中は、講義による単位はとることになっていたが、時間割が存在しなかった。受講届けだけ出しておけば、単位が出るとのことだった。それでは面白くないし、野次馬根性もおさまらないから、講義があるというタテマエの方をうまく利用して「普段やってる講義かゼミのどれかに入れてください」と先生と交渉して、学部の人類学でやってる講義とか、研究室で毎週やってるゼミとかを見せてもらった。キャンパスが離れているから、本郷に出向くのも気分が変わって良かったし、知り合いを増やしたり情報をもらったりするきっかけにもなった(外部から他分野に潜り込むと、本当に隣は何をする人ぞ状態になるもので)。

 雑用については、軽部研の頃は多かった。が、60人前後居る研究室の切り盛りで発生する雑用だから、みんな仕方がないと思っていた。一番割を食ったのは助手で、雑用のみで一日が終わる状態だった。ただ、それも、潤沢な研究費を維持するためには必要だというのが了解事項だった。
 今は……どうしても人手が要るとき以外は雑用は回していない。人手が要る、というのは、例えば、棚を廃棄処分にする時や、でかい実験用機材が届いた時に、運ぶの手伝ってという場合である。
#教員だけでやると腰を痛める人が続出するのが関の山^^;)。
 お茶大も半講座だったが、教授が助手に雑用を回したら、助手が学生を使ってやろうとしたので、「給料もらってる人がやらんかいゴルァ!」と、教授が助手を叱ったって話ならあったりする。これも、研究室のカラーによるのかもしれない。

準ひきこもり、ってのが居るのか……

Posted on 4月 28th, 2006 in 未分類 by apj

 掲示板経由、はてなダイアリーのエントリより。
 大学では、クラスで何かするといったことを強制されないので、他人と積極的に関わらなくても過ごしていけるから、一見適応してるように見えてその実ライフスタイルが引きこもりである、という話。
 元ネタは「大学生における準ひきこもり行動に関する考察 ―キャンパスの孤立者について―」「かぐや姫症候群に関する考察 ―準ひきこもり行動との関連から―」という、富山国際大学の大学紀要に掲載された論文である。
 まあ、こういう論文を書きたくなる気持ちもわからないでもない。定量的な調査をしたわけではなさそうなので、問題提起のためのものだろう。
 「準」ではなく本当に引きこもり状態になって学校に来なくなる学生への対応をする羽目になっているのが大学教員の現実で、だからといって大学教員はカウンセラーじゃないから何をどこまでアドバイスすればいいかもわからず、学内じゃ教員に対する説明会まで行われている。ところが、それだけじゃ済まなくて、一見問題なさそうな学生も実は……というのが大学紀要の内容だろうけど、問題提起されても教員の側から対応するのは難しいだろうなぁ。
 「地方私大教員が就職率の悪さを学生に転嫁するために考え出した新しいレッテル」などという見当外れを堂々と書いている自称院生も居るが、認識不足だろう。責任を学生に転嫁したって、就職率の数字は改善しないわけで、誰の得にもならない。
 ただ、この問題が事実であったとして、かつ広く認識されるならば、「準ひきこもり」の状態でも大学に出てきているのだから、仲間と一緒にやらないとできない課題を準備するといった対策は可能だろう。誰にでも有効ではないだろうが、人付き合いの練習のきっかけ程度にはなるかもしれない。あるいは、医学部のように、仲間の輪に入って試験対策をしない限り脱落するカリキュラムを用意して選別することで、見かけの就職率を上げるという手もある。この場合は、就職率が改善するかわりに、留年と退学の率が上がるかもしれないが。

 

カップが届いた

Posted on 4月 27th, 2006 in 未分類 by apj

 コーヒーカップが不良品だらけな件について。若干割高だが国産品のカップを通販で注文したのが、本日届いた。見た感じでは、材料のムラもないし、これなら大丈夫そうで、ちょっとほっとしている。

三貴商事って……

Posted on 4月 26th, 2006 in 未分類 by apj

 事務から「三貴商事株式会社の社員が研究室を回って営業活動をしている」という情報が回ってきたわけだが。事務では既に、「本学部では,教育・研究活動に支障を来すため,研究室等に立ち入っての営業活動はお断りしている」のに、まだしつこく営業しているということだ。ネットで調べたら先物取引の三貴商事株式会社が引っかかった。来てるのはこの会社の営業なのか?勧誘方針のページを見ると、

2.勧誘姿勢
当社では、お客様が迷惑となるような時間帯での勧誘行為、あるいは執拗な勧誘行為は致しません。お客様への投資勧誘は法令・諸規則を遵守し、お客様ご自身の投資判断と責任において取引ができるように、十分な説明の上でお客様本位の投資勧誘を行うように努めます。
なお、オンライン事業においては、ホームページ・メールマガジン・新聞・雑誌等の媒体を通してのご案内を行い、お客様に対し、金融商品の推奨、売買の推奨等を目的とした電話や戸別訪問による勧誘行為は一切行いません。

と明記してある。私のところにはまだ来てないのでよくわからないのだが、同名の別会社なのか?

日経サイエンス6月号

Posted on 4月 26th, 2006 in 未分類 by apj

 日経サイエンス6月号24ページに、茂木健一郎氏が『「わかりやすさ」の病』という短いコラムを書いておられる。

 昨今の日本人は、「わかりやすさ」の病にかかっているように見える。科学的知見を解説する場合でも、あたかもそれが絶対的な真理であるかのように「断言」することが求められることが多い。

とある。そのあと、科学的真実は仮説であるという説明があり、

 科学することの中核には、現状に対する批判精神がある。ポピュラーサイエンスの文化において、日本人が「わかりやすさ」の病にかかっているとすれば、その批評精神の欠如はより広い社会的文脈においても害をなしているはずである。

と指摘している。
 この話と多少関係するが、以前にこんなことを書いた。そのあと、「わからなさに対する耐性が減っていることが問題なのではないか?」という話を周りの人たちとしていた。本当はわかってないことに、わかりやすい説明を無理矢理くっつけるとインチキが入り込むことになる。また、「科学で説明できないこともある」からといって、別の何か、たとえば「効果があるかもしれない」という「可能性」を積極的に「信じる」のは明らかな嘘である。「科学で説明できないこと」で、科学の枠組みに入る話なら、科学で説明が付くまで棚上げにして放置するのが正しい(その問題の研究者は別だが)。
 どうも、既に解決済みのことばっかり教育されて、解決してないことをどう扱うかという部分が抜けているんじゃないかと思う。

アメリカの水伝批判

Posted on 4月 25th, 2006 in 未分類 by apj

水伝批判がアメリカでも始まった模様なので貼っておく。雪結晶の研究のプロが始めたということは、よほど見かねるものがあったのだろう。
カリフォルニア工科大学のKenneth G. Libbrecht教授のページ。
http://www.its.caltech.edu/~atomic/snowcrystals/myths/myths.htm

My opinion, you ask? The short answer is that I think Mr. Emoto’s work is nothing more than the usual New-Age nonsense — popular gibberish.

とまあ一刀両断^^;)。情報ありがとうございました>ながぴいさん。