Feed

道はなかなか遠そうだ

Posted on 4月 25th, 2006 in 未分類 by apj

 この間、ポスドクの問題について少し書いた。で、コメントでのやりとりをするうちに、ユニオンを作ってはどうかという話を出したのだが、「柳田充弘の休憩時間」で「博士ユニオン【組合】を結成したら」という記事を見かけた。同じ事を考える人がいるものだ。
 ただ、博士ユニオンの問題点は、
・博士号取得者のうち、ユニオンを作って政策的にどうにかしようという視点をもてる人は、とっくに別の分野で活躍しているだろう。
・現実にユニオンを作るという調整型の実務の出来る人材であれば、既にどこかに職を得ているだろう。
・「ユニオンを作ることに労力を使うくらいなら自分の研究をしていたい。そんなことをするのは研究者の本分ではない」と考えるポスドクの方がずっと多いのではないか。ポスト争いが激しければなおさらである。
・ポスドクの指導者(現在のスーパーバイザーや、元の博士論文指導教員など)は、「ユニオンなど作る時間があったら研究をして成果を出しなさい」と言うだろうし、それに対して逆らうのは身分が不安定なだけに難しいだろう。業績があった方が有利だから、本当にそのポスドクのためを思って言っているとしても、結果として連帯することからは遠ざかることになる。
 といったあたりにあるのではないか。調査をしたわけではないが、周りを見て目に付いた傾向は、こんなところである。

また企業もいくらいろいろ言っても、博士達を本気で採用する気がほとんど無いことも統計上明らかです。

とある。
 大学院重点化の時の文部大臣は東大の有馬さんだが、核物理出身だから、ちょっと前までのオーバードクター問題を十分知っていた人のはずなのだ。その人が、どうして博士の定員を大幅に増やす計画を進めたのか?というのがよくわからない。
 企業のニーズが実は無かったことがはっきりしてきたわけだが、どうして博士を増やすという結論になったのかもよくわからない。どうも、企業にアンケートをして、高度な技術や知識を持った人材が必要か?などという質問に対する答えがyesだったから始めたという話は時々きくが、一体どこまで本当なのか。もっとも、企業のニーズを知るには「御社では学位取得者をこれまでどれだけ採用し、今後どれだけ採用しますか?」という採用計画を聞くべきなのだが、これをきちんとやって政策を決めたのだろうか。まともな調査に基づいたものであれば、景気の変動という要素があったとしても、企業の採用実績はもうすこしマシなものになるのではないかと思うのだが……。
 「博士が余ってるなら大学院定員を減らせばいいじゃないか」に書かれていることは正しい。

大学にとって不利益だから意図的に避けているのか、それとも何か意味があるのか、「大学院定員を大幅削減する」という手段には一切言及していなくて、非常にもどかしい。

とあるが、実際、大学にとっても個々の教員にとっても金銭上の不利益がある。院生をどれだけみているかで、配分される研究費も違うし給料の手当も違ってくる。おそらく、定員を絞るという考えは大学からは出てこないだろう。
 もし、博士号取得者の何割がパーマネントな職を得たかで大学を評価するようになれば、変わってくるかもしれない。正規雇用される任期無しの職(大学、企業問わず)に何人ついたかを評価の対象にすればよい。例えば、学位取得者の8割程度が任期無しの職を得られるようになるまで自動的に博士の定員を減らし、逆に8割以上が任期なしの職を得るようになれば(ニーズがあるということだから)定員を徐々に増やすといったルールを導入するのが、需要と供給をマッチさせる方法だと思う。前年度の就職実績で次年度の募集定員を決める方式である。徒弟制度では無理ということがはっきりして、キャリア教育に本気を出すとか、企業への就職支援についてもっと力を入れるようになるのではないか。一方で、全員が就職しなくてもいい程度の多少の余裕をもたせることにしておけば、意図的にはみ出してハイリスク・ハイリターンを狙う人が居る余地もある。ただし、これは「人材流動化」とは真っ向から対立することになってしまう。
 「理科教育に博士を充てるのは?(政策と自己責任)」のような自己責任論は、問題を矮小化するだけではないか。進学した人間が、自費で教育にかかるコストの全てをまかなっているのであれば、自己責任論で良いのだけれど、博士の養成には税金が使われている。長期にわたって活躍するのが難しい人材(プロジェクトが終わったら失業の危機)と分かり切っているものを税金で養成することの是非や、需要を読み違えた責任は、自己責任論からは出てこない。なお、社会保障という点からは、ポスドクは社会的弱者なので、もうすこしセイフティーネットの整備があっても良さそうである。

 それにしても楓さんのところの更新はストップしたままである。元気にしておられるならいいのだけれど……。

使い捨てのコーヒーカップが不良品だらけ

Posted on 4月 24th, 2006 in 未分類 by apj

 ホルダーに差し込んで使う、使い捨てのコーヒーカップを買ってあるのだが、今使っているロットはやたらと不良品率が高い。つまり、入れると水漏れする。よく観察したら、差し込んだ時に底の方をひっかけるためのわずかな出っ張りの部分に穴が空いているということのようだ。
 今日、学生とゼミをやって4個つかって1個不良品、先週のゼミでも4個つかって1個不良品。そのまえに職場の先生にだした時も1個目が不良品。とにかくこの不良品率は異常に高い。その前に買った一袋は、不良品など無かったことを考えると、製造工程に何か問題が発生したとしか思えない。
 まあ、100個400円などという安い品で、仙台駅のコーヒー&輸入食料品の店で1年以上前に買ったものだから、使い始めたのが最近だといっても、今更返品にもいけないし、クレームを……といっても仙台までの往復のバス代で何袋か新品が買えてしまう。
 とりあえず、ネット通販でもうちょっとましなものが入手できないか、探してみよう。

戦闘妖精雪風

Posted on 4月 23rd, 2006 in 未分類 by apj

 戦闘妖精雪風のDVDの中古がセットで安かったので買ってきて鑑賞。空戦のシーンの見応えがある。本来の目的と違う意味で楽しめたのは、1巻の特典映像の方で、製作スタッフが空自の小松基地を取材したときのビデオがよかった。説明している自衛官が待機中なのか待機中と同じ格好の、耐Gスーツ着用で出てきていた。(あやふやな書き方だったので修正&追加。2006/04/25。のんびりムードだったんで、本当の待機中ではなくて宣伝のためでしょう。普段はこんなカッコでやってますよ、という……。ただ、下半身締め付けるスーツは空気を送り込んでなくたって十分窮屈だと思うので、ああいうものを来て毎日コトに備えているのはきっと大変だろうなぁ)
 その昔、航空高専で航空電子工学の座学やら学生実験やらを非常勤でやっていたことがあり、私が教えて良いのかホントにという不安は棚に上げておくとしても……結果として私がアビオニクス関係に興味を持つようになってしまった。少なくともそっち方面の本を読むのが楽しくなった。その結果、家に帰るとレーダーやら航空機の制御やらの本が転がってたりする。

コンパでした……

Posted on 4月 21st, 2006 in 未分類 by apj

 新しく配属になった4年生歓迎&お花見コンパを夕方から開催。天気が良くて暖かければ外で……という話もあったが、昨日から気温が下がってしかも曇り空のため、「花見」の部分が省略されてしまった(それでも団子は配置されたが)。野菜サラダやビールを買ってきて簡単に始まったのだが、途中から学生が「たこ焼きを作る」と言いだして、買い出しに行った。あまり意識してなかったのだが、卒業生が置いていった電熱式のたこ焼き器が研究室にあることがわかった。で、小麦粉を溶いたものを流し込んで焼いていたのだが、上手な学生がいて、うまく丸く焼けていた。なぜかたこ以外にチーズを入れたりしていたので、溶けて粘くなってしまい、たこ焼きの材料というよりは、チーズフォンデュを焼いているのに近い状態になってしまった。味はよかったけど。
 いろいろ話をしていて、お開きになったのが日が変わる頃だった。

雪が降った……

Posted on 4月 20th, 2006 in 未分類 by apj

 医学部のキャンパスの桜が満開だったのだが、昼頃から土砂降りの雨で、昼過ぎには雪に変わった。これまでに無かったわけではないが、桜が開花してからの雪というのは、山形では珍しいらしい。弘前からやってきた先生は、弘前では雪と桜と梅が同時なんてこともそうそう珍しくはないと言っていた。

なかなか理想のワープロは無いものだ……

Posted on 4月 19th, 2006 in 未分類 by apj

 生協で、Mac用の玉小箱というソフトウェアを見かけたので、ウェブでもうちょっと詳しい情報を調べた。ほしいものにかなり近いが、それでもちょっと不足である。
 アウトラインモードを持っている玉手帖 は、なかなかいいんだけど、項目クリックでそのページごとの表示というのがひっかかる。アウトラインを出した状態で文章全体をスクロールして見たい、かつアウトラインクリックで該当箇所にジャンプ、というのが私にとっては絶体外せない機能である。
 編集画面が2つ並んで出て、対訳を作るのに役立つという玉双紙は魅力的なんだけど、保存形式に不安がある。できれば、対訳形式のままでhtmlのテーブルレイアウトか何かで書き出してほしいんだけどなぁ。調べた限り書き出しはtxtとrtfで、一つのファイルになるらしい。rtfで、対訳=2段組左右対照モードで保存できるなら、別のワープロで読み込んでhtmlで保存という手も使えるのだが、rtfでどう保存されるかまでは情報がない。

 結局今のところ、一般教育の講義資料は(内容を見ながら絵を張り込んだりするので)Kacisマイノート2、長い原稿はMellel(Kacisでやってもいいが、最近Kacisのバージョンアップが無いので、乗り換え候補も少しは使わないと……)、数式書きまくりの演習講義ノートはTeX(=テキストファイル、miエディタで編集)となっている。

 MSWord?私にとっては問題外です……。

高校数学の教科書を買ってきた

Posted on 4月 18th, 2006 in 未分類 by apj

 前回、高校数学とのつなぎの講義を始めて見たら「数IIIも数Cもやってない」と言い出す学生がいた。それで、彼らが一体何を知っていて何を知らないのか調べるために、新課程(=ゆとり教育)の数学の教科書を1セット(7冊)買ってきた。で、いろいろ見ているのだが、数III、Cというと、極限、微積分、行列が入っている。これをまったく知らない学生がいるとすると、そのままでは物理化学の講義が成り立たない。ということで、やってない人でも最低ラインには到達してもらわないといけないので、数IIIの教科書を見ながら講義ノートを作る羽目になっている。微積分の計算だけなら、高校の内容でも結構使えるし、物理化学の教科書を読むのにε-δは不要だし(このあたり、数学の先生に講義してもらうと妙にこだわりがあるみたい)。
 やってないのは数学だけではない。生物を全くやっていませんとか、物理を全くやっていませんという学生が何割か居る模様である。これでは、専門の教科書を使った講義が始まったら即死するのが目に見えている。学生の方もそのことに気づいて不安を感じてはいるようである。物理については最低限のことを前期の後半にやる予定だが、それでも不安な人のために、ブルーバックスの「新しい高校**の教科書」を薦めている(**は物理・化学・生物・地学)。

 高校で科目の内容の選択の幅が広がったために、そのしわ寄せが大学に来ている。普通科については、理系文系の2分割で理系は数学全部と理科の大部分、文系はそこまでやらなくていい代わりに社会やら古典やらを増やす、という程度の区分けに戻せないものか。

環境ホルモン濫訴事件:原告の支離滅裂

Posted on 4月 17th, 2006 in 未分類 by apj

 先週、第六回口頭弁論が行われた環境ホルモン濫訴事件について。
原告(松井三郎京都大教授)の主張は、原告がシンポジウムで行った発言について、「原告が、環境ホルモンは終わった。次はナノだ」と被告に書かれたことが名誉毀損にあたるというものらしい。原告代理人は裁判官の前で口頭で「環境ホルモンは今でも重要な問題で、原告は環境ホルモンをずっと研究してきた。原告が次はナノだと言うはずもないし言う立場でもない」と力説した。
 しかし……松井教授は、2005年度に、ナノ粒子の有害性をテーマとする科研費を得ていたことが判明した。雑感343によれば、日本学術振興会の科学研究費補助金採択課題・成果概要データベース http://seika.nii.ac.jp/ にアクセスし、「松井三郎」で検索すれば出る。

研究課題名 ナノ素材の毒性・代謝機構とその環境影響評価
研究代表者 松井 三郎  (マツイ サブロウ) 京大・教授

 (;゚Д゚)ハア!?
 次はナノだと思ってるだろ!って指摘されたって、本人がやってることがまさにその通りなんだから、怒る理由が全く無いぢゃないか!つか、次がナノだと思ってないなら、何でこんな科研費申請してるわけ?代理人弁護士はこのことを知ってて「次はナノなんて言うはずないっっっ!」て叫んでたのか?
 毎回毎回予想の斜め上いく裁判で、第六回は比較的穏やかだったと思ったんだが、考えが甘かった。やっぱり今回も予想のかなり斜め上。まさか、ナノ粒子の有害性で研究費をもらっておいて、「次はナノだと言った」と指摘されたことで逆ギレして相手を訴えるなんて……何がしたいのかさっぱりわからん。これで、訴える内容としては、どうひいき目に見ても「環境ホルモンは終わったと言ったと誤解された状態で文章が書かれた」しか残らない。一体この先どうするつもりなのだ?

裁判サイトを作る

Posted on 4月 15th, 2006 in 未分類 by apj

 環境ホルモン濫訴事件の口頭弁論が昨日行われたので、休暇をとって傍聴してきた。傍聴レポートは既に掲示板の方に簡単にまとめた。書証の公開は現在作業中である。
 応援団のページを作り始めた時は、どう見てもおかしな訴訟であるから、裁判を丸ごと見せてしまえば被告の応援になるだろうという考えの方が大きかった。ネット上で裁判についての議論をしているのを時々見かけたが、訴状が読めなかったり、弁論の内容がはっきりしなかったり、一方当事者の応援フィルターがかかった形で編集されたりしている場合がほとんどであった。すると、議論は、どちらかを応援するという感情的なものになったり、拠って立つものがはっきりしないため水掛け論になったりしてしまう。それは避けたいし、そのためには見に来た人が十分に裁判の内容を検討できなければならないから、一次資料つまり書証の全公開ということを考えた。
 もうちょっと邪な目的を正直に言うと、私個人としては名誉毀損訴訟の参考教材がほしかったということである。訴状や書証を載せた法律の参考書もあるが、教材として編集されたもので、手が加えられているし、名誉毀損をあつかったものは知る限りない。
 ネット上で表現をする限り、名誉毀損で訴えられるというのは、いつでも起こりうることである。そうであるなら、本職の弁護士がどういう議論の仕方で訴訟を進めるのか、あらかじめ詳しく知っておくと対処がしやすいだろう。このためには、現実の訴訟でやりとりされている証拠書類一式が読めると一番良い。法学者からみて訴訟の内容が興味をひかないものであったとしても、現実の社会で起きている紛争である以上、そこから得るものはあるはずである。書証を全部蒐集すれば、名誉毀損訴訟を学ぶための教材が1セット手に入ることになる。もっと言うと、カミソリ弘中謹製の書面が読めるというのが実においしいわけで……。
 今回、傍聴が終わった後、サイトそのものについて少し話をした。被告代理人の弁護士からは、「公開されるとなると緊張感がある」という感想をもらった。酔うぞさんの意見は、「ネット上に傍聴席を作った」というものだった。さらに、裁判の証拠書類を全公開してバーチャル傍聴席にしてしまうようなサイトはこれまでに無かったということである。それなら、応援団サイトの活動は、裁判サイトをどう作るかということに対する一つの回答という意味も出てくるのかもしれない。
 酔うぞさんが既に指摘しているが、原告代理人は、ネット上で裁判について批判されることを嫌がっているようである。
 憲法では対審は公開することになっているのだから、裁判すればみんなに知れ渡るのは仕方がない(特に今回は原告がプレスリリースを出しているので、普通より広まる状態である)。これまでは、書証は裁判所に行かないと見れないし、書証を読んだ人が突っ込んだ議論をする場所もそんなに無かった。ネットのおかげで、書証を見やすくすることができて、意見交換もやりやすくなった。もともと、対審を公開するのは、司法が国民の期待と乖離しないようにみんなの目でチェックしようという趣旨である。だから、ネットを使って裁判の正確な情報を見やすくするのは、対審の公開の趣旨に添っていると考えている。みんなが訴訟の状況を知れば、いろんな意見が出てくるのは当たり前だし、意見交換があるのも当たり前である。これまでは、単に技術的理由で、一部の行政訴訟や集団訴訟的な紛争以外で意見交換ができなかっただけではないだろうか。原告がネットで議論されることを嫌がるのであれば、対審の公開の趣旨をどう考えているのか、一度伺ってみたい。

江戸民具街道

Posted on 4月 14th, 2006 in 未分類 by apj

 本日、裁判所で解散した後、酔うぞさんとcomさんと一緒に個人運営の博物館に立ち寄った。
おもしろ体験博物館 江戸民具街道
259-0142 神奈川県足柄上郡中井町418
Tel/Fax 0465-81-5339

 江戸時代の燭台、行灯や駕籠、水瓶、消防ポンプ、干菓子の型といったものが多数展示されていた。私は今回初めて見たので、まだどう理解していいかわからない。燭台が、「地球ごま」みたいに二軸で回転する金具に固定されていて、手が震えてもろうそくが一定の位置を保つ仕組みになっているのをさわってみることができた。行灯に菜種油を補給する壺は、補給の時に漏れて伝った油を容器外側のせり出した部分で受け止めて、穴から自然に容器内に戻す工夫がなされていた。当時の普通の人にとって油がどれほど貴重だったかは、こういう工夫を見ないと実感できない。モノが豊富になると、この一手間かける精神はどこかに失われてしまうらしい。
 菜種油の行灯の明るさを体験させてくれた。個人運営の博物館で、部屋を暗くして火を付けてくれた。がんばっても出力は1Wだそうで、思ったより暗い。時代劇でも、夜の薄暗い部屋が演出されているが、あんなに明るくない。和紙を通して明かりを見たら、とても文字など判別できない。直接火に近いところに持って行くとかろうじて文字や形が判別できるという明るさだった。ろうそくは高級品だから、一般家庭ではそうそう使えなかったが、客を取る花街ではたくさん使われていた。当時の人たちにとっては、大量のろうそくが使われている花街は、今でいうならネオンサインぴかぴかでエレクトリックパレードをしている光景のように映ったに違いない。 それでも、ガス灯や電灯に比べれば暗かったわけで、ただ単に街が明るくなったというだけでも、あの時代の人たちは文明開化を肌で感じたのではないだろうか。
 酔うぞさんが興味を持っていたのはお菓子の型で、型を抜くための工夫が、機械の金型と同じ仕組みだだと言っていた。金型工作の経験は全くないので、そういうものなのかと興味深く見てきた。
 天文時計の動態保存がすばらしい。こりゃ国宝級だろうという話をしていた。オールメカニック、おもりを下げておいて、一定速度で降りてくるのを、板に描かれた線の目盛りで読むのだが、GPSでチェックしたら一日の誤差が1秒だったそうで……。

 車で行かないと到達困難な場所にあるが、見学が可能な人はぜひ一度といわず、訪れてみてほしい。電化されて失われた生活の知恵と、今も場所を変えて使われている知恵の両方を知ることができる。