この間、ポスドクの問題について少し書いた。で、コメントでのやりとりをするうちに、ユニオンを作ってはどうかという話を出したのだが、「柳田充弘の休憩時間」で「博士ユニオン【組合】を結成したら」という記事を見かけた。同じ事を考える人がいるものだ。
ただ、博士ユニオンの問題点は、
・博士号取得者のうち、ユニオンを作って政策的にどうにかしようという視点をもてる人は、とっくに別の分野で活躍しているだろう。
・現実にユニオンを作るという調整型の実務の出来る人材であれば、既にどこかに職を得ているだろう。
・「ユニオンを作ることに労力を使うくらいなら自分の研究をしていたい。そんなことをするのは研究者の本分ではない」と考えるポスドクの方がずっと多いのではないか。ポスト争いが激しければなおさらである。
・ポスドクの指導者(現在のスーパーバイザーや、元の博士論文指導教員など)は、「ユニオンなど作る時間があったら研究をして成果を出しなさい」と言うだろうし、それに対して逆らうのは身分が不安定なだけに難しいだろう。業績があった方が有利だから、本当にそのポスドクのためを思って言っているとしても、結果として連帯することからは遠ざかることになる。
といったあたりにあるのではないか。調査をしたわけではないが、周りを見て目に付いた傾向は、こんなところである。
また企業もいくらいろいろ言っても、博士達を本気で採用する気がほとんど無いことも統計上明らかです。
とある。
大学院重点化の時の文部大臣は東大の有馬さんだが、核物理出身だから、ちょっと前までのオーバードクター問題を十分知っていた人のはずなのだ。その人が、どうして博士の定員を大幅に増やす計画を進めたのか?というのがよくわからない。
企業のニーズが実は無かったことがはっきりしてきたわけだが、どうして博士を増やすという結論になったのかもよくわからない。どうも、企業にアンケートをして、高度な技術や知識を持った人材が必要か?などという質問に対する答えがyesだったから始めたという話は時々きくが、一体どこまで本当なのか。もっとも、企業のニーズを知るには「御社では学位取得者をこれまでどれだけ採用し、今後どれだけ採用しますか?」という採用計画を聞くべきなのだが、これをきちんとやって政策を決めたのだろうか。まともな調査に基づいたものであれば、景気の変動という要素があったとしても、企業の採用実績はもうすこしマシなものになるのではないかと思うのだが……。
「博士が余ってるなら大学院定員を減らせばいいじゃないか」に書かれていることは正しい。
大学にとって不利益だから意図的に避けているのか、それとも何か意味があるのか、「大学院定員を大幅削減する」という手段には一切言及していなくて、非常にもどかしい。
とあるが、実際、大学にとっても個々の教員にとっても金銭上の不利益がある。院生をどれだけみているかで、配分される研究費も違うし給料の手当も違ってくる。おそらく、定員を絞るという考えは大学からは出てこないだろう。
もし、博士号取得者の何割がパーマネントな職を得たかで大学を評価するようになれば、変わってくるかもしれない。正規雇用される任期無しの職(大学、企業問わず)に何人ついたかを評価の対象にすればよい。例えば、学位取得者の8割程度が任期無しの職を得られるようになるまで自動的に博士の定員を減らし、逆に8割以上が任期なしの職を得るようになれば(ニーズがあるということだから)定員を徐々に増やすといったルールを導入するのが、需要と供給をマッチさせる方法だと思う。前年度の就職実績で次年度の募集定員を決める方式である。徒弟制度では無理ということがはっきりして、キャリア教育に本気を出すとか、企業への就職支援についてもっと力を入れるようになるのではないか。一方で、全員が就職しなくてもいい程度の多少の余裕をもたせることにしておけば、意図的にはみ出してハイリスク・ハイリターンを狙う人が居る余地もある。ただし、これは「人材流動化」とは真っ向から対立することになってしまう。
「理科教育に博士を充てるのは?(政策と自己責任)」のような自己責任論は、問題を矮小化するだけではないか。進学した人間が、自費で教育にかかるコストの全てをまかなっているのであれば、自己責任論で良いのだけれど、博士の養成には税金が使われている。長期にわたって活躍するのが難しい人材(プロジェクトが終わったら失業の危機)と分かり切っているものを税金で養成することの是非や、需要を読み違えた責任は、自己責任論からは出てこない。なお、社会保障という点からは、ポスドクは社会的弱者なので、もうすこしセイフティーネットの整備があっても良さそうである。
それにしても楓さんのところの更新はストップしたままである。元気にしておられるならいいのだけれど……。