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同窓生(千葉大)はmixiに集ってください

Posted on 4月 2nd, 2006 in 未分類 by apj

 明日座長が当たってる電気化学会の会場の下見もかねて、首都大に行ってきた。その後、三人だけの、千葉大理学部物理学科の同窓会。佐々木君と鹿野君と私だけ。何だか学生の頃と全然変わってなくて話が盛り上がった。

 ところで、今、mixiで、「千葉大理学部物理学科85年度」というコミュができています。同窓生の連絡用コミュです。皆さん、仕事が忙しかったり家庭を持ったりで連絡が途絶えがちですが、私たちの世代はおそらく職場でも家庭でもネットを使う環境にあることが多いし、携帯からでも使えるので、とりあえずmixiに連絡手段を確保しようと試みています。
 もし、千葉大学時代の同級生でまだ未参加の方がいらっしゃいましたら、私宛にメールをください。mixiへのお誘いとコミュへの参加のお手伝いをします。

講演資料公開

Posted on 3月 31st, 2006 in 未分類 by apj

 物理学会のニセ科学シンポジウムで使ったスライドを公開した。どっちに置こうか迷ったのだが、結局、水商売ウォッチングの追加情報の方に入れた。
 マイミクのはりがやさんが、mixiでもニセ科学シンポジウム開催の記事に対して100件以上のコメントがついているとメッセージをくださった。とてもまだ全部読む時間がないが、最初のサマリーだけ見た限り、誤解している人たちがたくさんいるように見える。典型的な誤解の一つは、「正義感にかられた科学者がいろんなものにニセ科学のレッテルを貼って叩きまくる」というものである。もちろんそんなことをするつもりもないし、そういう内容のシンポジウムでもない。
 なお、私の主張は、ニセ科学批判は正義だの主義だのではなく、利害でやるべきだというものであることをもう一回書いておく。

結局制度設計の問題になる

Posted on 3月 30th, 2006 in 未分類 by apj

 「ニセ科学と向き合う」シンポジウムと、協同研究者の一般講演が終わって、春の物理学会の日程は個人的には終了した。シンポジウムは、田崎さんの司会で終了が30分伸びる盛況だった。なお、物理学会で使われているタイマーは、長時間を設定すると時計よりもちょっとだけ遅れる癖があるようだ。一般講演の15分では問題がないが、シンポジウムの40分となると気がつく程度には遅れる。タイマー全部がそうなのか、たまたま今回使ったものだけがそうなのかはよくわからない。
 発表で足りなかったところや、発表後に整理した点についていくつかメモをしておく。

 ニセ科学と向き合う方法(たとえば、教育活動でいくのか、批判するのか)、具体的に何をとりあげるのかは、それぞれの個人に任されている。他のもっと重要な○○を取り上げないのはよくない、といった批判は無意味である。

 ニセ科学を批判する、という活動をするのは良いが、それが権威になってしまうとまずい。「ニセ科学だ」と言って批判したがそれが間違っていた場合どうするのか、批判活動が独善に陥らないためにどうするか、という問題がある。

 現状での私の考え方は、

・研究者の情報発信の内容について、ねつ造を除いて大学に介入させてはならない
 ∵運営側の利害に反することがある。特に、運営側が企業や権力者に迎合しない保証はない。
・その裏返しとして、批判活動をするとしても大学に守ってもらうことは考えない
 ∵大学に権限を与えたら規制の口実も同時に与えることになる。具体的なトラブル処理は、最終的には法的手続きということになるが、大学の利害と研究者の利害が完全に一致するとは限らない。
・独善に陥らないために、直接社会とつないでおく。出した内容が損害を与えた場合はその情報を出した人が直接の責任を(学外の社会に対して)負う。つまりは訴訟のリスクを負え、ということ。批判なら何をやってもいいわけではないし、最終的に線を引くとしたら、法的責任のところになる。
・司法が信頼できるのか?→信頼が前提ではない。信頼を担保するため、対審を公開することになっている。みんなの目でチェックできる。
・大学は信頼できるか?→司法の信頼と同じ意味では全く信頼できない。情報が隠される場合が多すぎるし、隠される範囲も広い。

 当分の間、こういう考え方で進んでみたい。そのうちまた別の問題点も見えてくるだろう。

懲戒処分の記載内容

Posted on 3月 29th, 2006 in 未分類 by apj

 京都大の白川太郎教授が懲戒解雇された件について。金銭の管理にしくじったのなら処分は仕方がないが、それ以外の部分で少し気になったので、全文引用してコメントをつけておく。なお、○に数字は画像で埋め込まれていたので()に数字に変更した。

2006年3月28日
京都大学大学院医学研究科教授の懲戒処分

1.事案の概要
  本学の教授が、平成15年9月から同17年12月までの間、以下の行為を行ったことは、国立大学法人京都大学教職員懲戒規程第3条に規定する懲戒処分の事由である「信用失墜行為」及び「その他(大学の教職員としてふさわしくない行為をしたとき。)」に該当するものであり、これらの事実を総合的に判断して、本日、京都大学教職員就業規則に基づき懲戒処分を決定した。

(1)A社に対して、京都大学教授の肩書き及び顔写真が付され科学的根拠の少ないコメントを広告に使用することを許可し、これが平成16年8月30日(月曜日)の新聞朝刊の折り込み広告として配布されたことについて、同年11月11日(木曜日)に医学研究科長から文書による厳重注意を受けたにもかかわらず、その使用を停止させるための有効な措置をとらず、平成17年6月及び同年10月にいたっても同様の内容が同社のパンフレットに記載されて顧客に配布された。

(2)B社のホームページに平成17年3月頃、兼業許可を受けることなく、同社顧問として、京都大学教授の肩書き、顔写真、履歴及び業績を掲載させた。

(3)兼業先のC社から、平成16年7月8日(木曜日)に無利子で1,000万円の供与を受けた。

(4)D社からの回答によれば、同社から平成15年9月に研究開発費用として2,500万円、同16年1月に実験費用として1,000万円をそれぞれ受領したにもかかわらず、大学で定める正規の研究費受入の手続きを行わなかった。

(5)医学研究科は、平成17年6月10日(金曜日)に研究科長、同月23日(木曜日)に医学教授会が事情聴取を行い、金銭に関わる、(3)(4)の事項は重大であるので、その後も繰り返し事実を解明するため説明を求めたが、上記事情聴取において自ら述べた(3)、の(4)金銭の受領につきその確認が拒否される等、十分な回答がなされなかった。
 このため、医学研究科長は、最終的に、(4)の事項に限定して、平成17年11月22日(火曜日)及び同月30日(水曜日)に業務命令により回答書及び関係書類の提出を求めたが、これにも応じなかった。

2.懲戒処分の内容
京都大学大学院医学研究科 教授(50歳)      懲戒解雇

3.処分の決定日
   平成18年3月28日(火曜日)

 経理に不審なところがあれば、処分の対象になるのは当たり前だが、引っかかったのは(1)の項目である。健康がらみの宣伝で大学教授の名前や顔写真が使われるというのは良くあることだし、望ましいことではない場合が多いが、それを大学が注意していいのか?
 大学は産学連携や社会貢献を進めたがっており、「貢献してまっせ」という内容が世間に出ることをむしろ歓迎している。文書の中には「科学的根拠の少ないコメント」とあるが、一体どこで線を引くのかがあらかじめ明確でない限り、教員としては動きようがないし、萎縮効果をもたらすのではないか。コメントは編集されるから、ばっさり省略された挙げ句科学的に曖昧なものになることだってあり得る。
 大学が教員の活動内容のうち、情報発信の内容について規制することは、学問の自由との関連においても大きな問題を引き起こす。学問の自由の保障というのは、時の権力者や企業の利害に反しても真実を述べることを制限しないということである。これが必要だということは、歴史から学ぶことができる(憲法学の教科書が役立つだろう)。学問の自由を制度的に維持するには、怪しい情報が発信されることを規制できる制度やしくみを大学内に作ってはならない。なぜなら、怪しいか怪しくないかの判断それ自体が、時代や状況によって恣意的になされるおそれがあるからである。より大きな利益をもたらす「学問の自由」を維持するためには、怪しい話が混じるリスクを許容するしかない。
 私はこれまで、企業の怪しい宣伝に研究者が登場することを批判してきたし、その立場は今後も変わらない。しかし、大学が、研究者が怪しい宣伝のお先棒を担ぐことを規制するのは、どんな形でなされることであっても反対する。おかしな宣伝に荷担した学者は、言論の場で批判すればいい。現実の損害が発生した場合は、司法の場で責任を問えばよい。研究のねつ造のような、大学内で白黒つけられる場合はともかく、表現が絡むような曖昧な事案については、裁判所のような事実認定機能を持たない大学が手を出すのは避けるべきだろう。
 今回の処分は、(1)が無くても可能だったはずである。(1)の内容を文書に入れたのは、一見社会に対する責任を果たしているように見えるが、別の意味でまずいのではないか。

MBS(関西限定)の放映内容へのリンク

Posted on 3月 28th, 2006 in 未分類 by apj

 阪大のきくちさん、立命館の安斎さん(ジャパンスケプティクス)、同志社女子大の左巻さん達が出演した番組の内容がウェブに上がっている。
イマ解き「“ニセ科学”に我慢できない科学者」
 マイナスイオンはニセ科学、と断言したなかなか痛快な作りになっている。主な内容は「水からの伝言」批判である。ペットボトルで雪結晶を人工的に作る話は、理科の演示実験で使われている。

 ところで、安斎さんの手品は一見の価値ありなので、見る機会があった人はぜひ見逃さないように。
 ニセ科学も演技が巧みだと、科学者が騙されて転ぶことがあるので、手品師を連れて行くというのが正しい。ジェームズ・ランディがその方面でも活躍しているのは有名な話である。

オーダリングシステム

Posted on 3月 25th, 2006 in 未分類 by apj

 酔うぞさんとこのエントリの後半部分について。
 病院内の情報管理をやるオーダリングシステムだが、ちょっと前までは信じられないようなものが実装されることがあった。「リアルタイムとは2秒以内」が話題になっているが、私が知ってるケースでは、患者の入退院の管理や給食の手配、投薬情報などの情報システムの設計が悪くて「一日三回しかオーダーを見に行ってくれないシステム」というのができあがっていた。中途半端な予算で次々開発をやっている間に、わけわかんないシステムになったということらしい。一日の最後のオーダーのチェックが午後4時半あたりで……ということは、夕方死亡した患者さんの給食の取り消しは伝達されず、翌朝枕元にご飯が届くことになる。「お箸でも立てとくんでしょうか?」という、シュールだか冗談だかわからないコメントをするしかなかった。このシステム、2000年頃にまだ動いていた。こんなシステムが世の中に存在してるんじゃ、そりゃ「リアルタイムとは2秒以内」と言いたくもなるだろう。
 情けないのがオーダリングだけかと思ったらそうではなく、へたれな発電装置というのもあった。
 設備の整備点検で一週間ばかり施設のかなりの部分がネットワーク機器を道連れに停電することが決まった。ルータやハブだけなら、非常用の発電装置で何とかなるだろう、ということで、担当者が施設課に発電装置を借りに行った。すると、施設課が、そんな長時間の利用は困るといってなかなか貸してくれない。不審に思った担当者が、発電装置の仕様書をチェックしたところ「連続運転」と書いてあった。そこで、担当者が「連続運転と書いてあるやんけ!」と施設にねじ込んだら、施設課の返事は「連続は連続でも10分間の連続です」。発電装置のくせに、UPS並の性能しかないという主張だった。担当者は「それって非常用電源だよね。そんな仕様で本当に地震があったらどないするねん!」と脱力しながら突っ込んだとのこと。

 いずれにしても、時々信じられないようなシステムやら設備やらが用意されることがあるようで……。

波動注意報

Posted on 3月 24th, 2006 in 未分類 by apj

 編集中だったんで削除して日付を変えて書き直し。 
 波動注意報というサイトがある。江本氏の「波動」の現状についてよくまとまっている。
 最近は、「水からの伝言」で知られているが、水の話が出てくる少し前に、ある農業コンサルタントの人から情報をもらった。それによると、「波動測定器」少し前まで農家向けに売られていたということだ。設備として販売するから、値段もそれなりのものになる。背景に、有機農法の優位性を示したかったということがある。有機農法で作った野菜と化学肥料を使って普通に作った野菜について、栄養の分析をやって比べても、大きな差が出なかったため、有機農法を推進したい人たちが「差の出せる測定法」を探していたところに、「波動」が忍び込んだということらしい。しばらくして、測定法として使えないことがだんだんわかってきて(当たり前だ)、次のターゲットを水にするつもりだから気をつけろ、と注意をもらったのが、多分2000年になるかならないかのあたりだったと記憶している。それから間もなく、「水からの伝言」がはやり始めた。
 「波動測定器」については、せいぜい接触抵抗を数値として出しているだけだという話が、別冊宝島「トンデモさんの大逆襲」の「波動汚染」という記事にまとめられている。この本は品切れ絶版なので、図書館をあたってみてほしい。販売に関与した企業は、今更「装置がインチキでした」などと言うと詐欺で訴えられるのでみんな黙っている、ということもまとめられていた。
 「水からの伝言」の方は、去年の夏頃から、やっと従来のメディアに批判が出るようになってきた。

 私の批判本を出している自費出版男だが、どういうわけか最近「波動」の弁護にやっきになっている。ウェブの方では「科学でないものを科学者が批判するのはよくない」という主張をしている。これはもちろん間違いで、正確にいうなら「科学でないのに科学っぽい装いをしているから科学の側が批判している」だけの話である。
 今頃になって何でまたよりによって波動の弁護に走りはじめたのか考えてみたのだが……。自費出版氏は、磁気活水器「ダイポール」の販売員向け講習会などを手がけており、「水は変わる」と頑固に主張していた。去年の暮れに、公取から排除命令が出たので、これまでの「水は変わる」の根拠にしてきた内容が宣伝に使えなくなった。「水は変わる」の根拠として、より科学っぽかった宣伝がダメになったので、もはやオカルトな波動しか残ってないということなのだろうか。他の人たちからも批判が上がり始めているこの時期に波動を弁護する方向に走るのは、ちょっとタイミングが悪すぎないか?

 「波動注意報」からたどれるblog「星になれ!」にも気になる記述がある。3月1日のエントリで、教師が水伝の話を肯定的に扱っているのを見つけて注意をしても、教師から連絡が返ってくることがほとんどなく、記事がひっそりと削除される、と書いてある。3月7日のエントリでは、

「素直になって人とのコミュニケーションを大事にする」事を諭す教師自身が一番素直じゃなく、コミュニケーションを大事にしてない事を見せている。

と書いてあるが、これが本当なら、生徒に対して「人の話を聞け」「コミュニケーションを大事にしろ」「よく考えろ」といった指導をしても、説得力が皆無である。生徒というのは妙に鋭いことがあるので、教師の口先の指導と実際の考え方が違うということを実はとっくに見抜いているかもしれない。指導の効果にもかかわりそうだ。

ねらーが高得点取りそうな……

Posted on 3月 23rd, 2006 in 未分類 by apj

 「火星文命題不公 家長喊送分」より。台湾の大学学科能力試験で、「orz」みたいな文字を出して正しい文に直せってのが出たという話。

こうしたインターネットで使われる記号や絵文字は“火星のように理解できない”ことから「火星文」と呼ばれるそうです。

とあるけど、「火星文」とはうまいこと言う。さすがに、ネットを普段から使ってない学生には不公平だと、保護者が抗議活動している。しかし、普段からネットを使っている学生を選別するためには適切な問題なのかもしれない。それでも、2ちゃんねるのいろんな所に転がってそうなAAモドキを大学入試で出すとは、何とまあ大らかな……。
 ウチの学科なんか、化学の問題出すのに、当用漢字の表に出ているかどうかのチェックをしているというのに。
 スラッシュドットでも取りあげられている。学科能力試験って日本のセンター試験に相当するらしい。日本で同じことをやったらねらーがみんな高得点出しそうな……まあ、それ以前に指導要領逸脱とかなんとかで記者会見になるんだろうけど。

中谷宇吉郎による疑似科学批判

Posted on 3月 23rd, 2006 in 未分類 by apj

 向こうの掲示板より。「雪は天からの手紙」(中谷宇吉郎)に、疑似科学批判(千里眼事件など)を書いた物があるという話なので、読んでみようと思って注文した。
雪は天からの手紙
中谷宇吉郎随筆集
 内容が重複するかも知れないがまあ仕方がない。しばらくでかけるので、読むのはもう少し先になる予定。なお、千里眼事件についてはすでに本が出ている

何とか準備終了

Posted on 3月 22nd, 2006 in 未分類 by apj

 物理学会の発表準備がどうにか終わった。シンポジウムと一般講演の両方を準備しなければいけないから、普段の倍以上の作業になる。
 シンポジウムについてだが、kikulogにも田崎さんのページにもあるように、ニセ科学バッシングの会ではないということに注意してほしい。「ニセ科学vs.物理学会」の構図を期待して来られても、がっかりすること請け合いである。私の話は、「水商売ウォッチング」というコンテンツを作ることで、どんな影響があったのか(社会に対してと私自身に対しての両方)、どうやってニセ科学が広まるのか、対応するときの注意点には何があるか、といったものになる予定である。具体的な話は、なぜ水のネタをやり出したのか、ということを説明するときにちらっと出すことになる。また、間違った情報が訂正されないということを説明するための例として「NMRによる水クラスター評価」の歴史的経緯を出す予定である。
 二、三日前から、きくちさんのblogで、ニセ科学の話に対するコメントに「政治的な問題」が混じってきている。政治的な方に話を持って行こうという流れと、政治的な話になるに違いないと思いこんで批判する流れの両方が出てきているように見える。政治的問題になるような科学技術というのは、曖昧な部分があって白黒がつかない物であることが多く、だからこそ政治に利用可能となっているのではないだろうか。予測不可能な曖昧さが、単に情報の蓄積の不足によるものであるなら、「ニセ科学」ではなく「不十分科学」「未完成科学」とでも呼ぶべきだろう。
 発表する分科の「物理と社会」は、何も特別なものではないことを付記しておく。一般講演と同じに考えていただきたい。ここで発表したからといって学界の「お墨付き」が特別にもらえるわけではない。他の領域・分科での発表と同じで、研究者が普段やっていることの活動報告に過ぎない。
 「物理と社会」で以前から活動している人たちのテーマは、環境問題や原子力政策に関する問題など、そもそも政治色が強い問題が多かったように思う。だから、物理学者と社会が関わるというと、イコール政治的問題、と思ってしまう人もいるようで、研究者(院生、PD含む)の本分は研究だとか、むしろ積極的にやるべきだとか、政治活動の是非を暗に含んで賛否両論が出てくる。どうやらこれまでの「物理と社会」の活動は、正確にいうなら「物理と行政」だったのではないかと思う。分科で「ロビー活動して立法にこぎ着けた」という報告が出ていたのは見たことがない(これは私が見落としてる可能性大、ご存じの方はお教えください)が、もしあれば、「物理と立法」というのも少しは含まれていることになるのだろう。
 これまで「物理と社会」でやってきた人たちと私の決定的な違いは、私の立ち位置が「物理と司法」だということに尽きる。科学的に正しいことを社会に向かって主張しても、誰かの利害に反することはあり得る。社会の中で主張が効力を発揮するには、利害を全面に出して争ったときに最終的に訴訟で勝てるということが必要になってくる。もっとも、司法が科学の是非を正面から判断することは必ずしも必要でなく、司法の枠組みの中で、科学的に正しいことを言った場合に最終的に勝訴できる、という法律論ができていればそれで足りる。

 以前、沖縄で分科会が行われた時、冨永教授(お茶大)と一緒に、教育のセッションを見に行ったことがある。そのときの議論があまりにも内向きだったので二人ともフラストレーションを感じた。その結果が、学会誌3月号に掲載された「騙されないために(by 冨永)」という巻頭言になった。「そのうち、騙されないために理科教育が必要だという話をまとめて教育の分科に出そう」と言っていたのだが、シンポジウムの方が先に盛り上がってしまったので、少し落ち着いてからになりそうである。