物理学会のニセ科学と向き合うシンポジウムの話題にトラックバックがあったので、blogを見に行った。微妙にずれたツッコミどころのあるコメントが出ていたので、ここで突っ込んでおく。
”(お)物理学会は,日本社会 にもっと積極的に発言の機会をもつべきである。そのためには,学会員のアカデミックな研究.教育活動や受賞などに関する情報をマスメディアにリリース すべきであり,そのための広報機関を学会内部に作るべきである。一般社会人から隔てられた非公式クラブの立場にいつまでも甘んじることなく,そこから早急に脱却し,物理学者もこの日本社会の重要な一員であることを社会にアピールすべきである。”
この当時、私の意見は全く省みられることはなかった。が、今回、日本物理学会の”花形(エース)”である田崎晴明教授がこういった試みを行ったために、マスコミも飛びつき、日本物理学会もサポートしたのであろう。氏のHPには、日本物理学会長である佐藤勝彦教授への賛美が書かれている。
いずれにせよ、9年前に私が主張したことが正しかったということがお分かりであろう。この点については、私は、何が科学をつぶすのか?の中でも論じている。
今回のシンポジウム、物理学会の側からマスコミに宣伝したという話は聞いていない。だから、「9年前の主張」が正しかったかどうかという評価はまだだと思う。ついでに言うと、マスコミが動いたのは、ネットのあちこちで話題になったことが大きいのではないか。
ところで、9年前の主張が正しかったと言うのは自由だが、それならこの9年間、井口氏は一体何をしていたのだろう?評論しただけで終わりか?
水からの伝言批判について、井口氏は次のようにコメントしている。
もし問題があるとすれば、それが学校の理科の本(文部科学省認定の本)として引用されることであるが、これは、今度はその著者の問題というよりは、教科書の制作者や教科書を認定した国家公務員の知的レベルの問題である、ということになる。言い替えれば、そういうインテリを教育したはずの大学側の問題と言えるのである。
水からの伝言は、文部科学省経由で学校に広まったわけではない。TOSSという民間の教育団体を通して広まったのである。教科書とも副読本とも関係がない。また、「大学側の問題」とひとくくりにしているが、小中学校の教員を養成しているのは主に教育学部であって理学部ではない。教員養成がどう行われているかという現実をもう少し見てから発言してもらいたい。
井口氏はと学会の活動も完璧に誤解している。
菊池誠教授は、「ト学会」(”トンデモない”という意味の”トンデモ”という言葉を流行らせた「トンデモ学会」)のメンバーとして有名である。今回の日本物理学会の「ニセ科学」シンポジウムは、かなりこの「ト学会」の”乗り”であるように私には見える。
私個人は、この「ト学会」は好きではない。というのも、あまりに”原理主義”的だからである。宗教で言えば、原理教。イスラム教で言えば、シーハ派。キリスト教で言えば、キリスト教原理教。こういった”堅物”的側面がいなめないからである。
と学会はト学会ではないのだが、それはともかくとして、と学会が言う所の「トンデモ」とは「著者本来の意図とは異なった意味で楽しめる」というものである。実際、と学会例会では、プレステ2用のゲームソフトや、ウルトラマンが登場するプロモーションビデオ、NHK教育「中学生日記」などが多数取りあげられていて、疑似科学系のネタはむしろ少数派である。最近のと学会本も、コミケで売ってると学会誌の内容も、疑似科学ネタはむしろ少ない。こんな何でもありな発表が行われている集団に向かって原理主義的とは、井口氏はと学会のドコを見て言ってるのだろうか。
次は典型的な詭弁である。
私は、古典的物理学者の多くが、何らかの(今では間違っていると考えられる)仮説を持っていたということを知っている。
ケプラーは宇宙をプラトンの多面体が構成していると考えた。ニュートンは超能力のようなものを信じていて遠隔的相互作用(瞬時に伝わる力)の存在を信じていた。マックスウェルも真空は何かエーテルのようなものが詰まっていると考えていた。テスラも摩訶不思議な宇宙観を持っていた。アインシュタインも超能力を信じていた。
こういった個々の人物が固有に持つイメージ(描像)まで”トンデモ”だと言って否定する必要はあるのだろうか。
まず、と学会が、昔の古典物理学者の誤った仮説をトンデモと呼んでネタにした事実などない。勝手な思いこみで決めつけるのは止めていただきたいものだ。ついでに言うと、と学会以外でも、この手の仮説をトンデモという理由で否定しているのは見たことがない。言ってもいないことを言ったかのように想像して議論するのは、混乱するだけなのでやめてほしい。
しかし、国や大学の後押しを受けた専門家であるプロの科学者なら、ハバードモデルや格子モデルというおもちゃのモデルを解くためにスーパーコンピュータなどを使って何億円もの予算で研究でき、しかし一方、ごく普通のアマチュアの科学者が、身銭を切って行った美しい氷の結晶の研究が「ニセ科学」のレッテルを張られてバカにされるとするのであれば、何か本末転倒的な理不尽さを感じざるを得ないというのも事実である。
水の結晶を眺めて楽しんでいるアマチュア科学者しか居なかったのなら、何の問題も発生しなかった。ついでに言うと、江本氏をアマチュア科学者と呼ぶことには同意しかねる。元々、まともな測定回路も入ってない波動測定器を高額で売りつけるということに荷担していた人物である。
水に情報を記憶させるという詐欺商法の片棒を担いでいるから問題なのだ。誰かに何かを売りつける立場になった時点で事業者であり、プロとみなすのは当然である。
要するに、私が言わんとすることは、「ニセ科学」バッシングするというのであれば、同時に今度は自分達が行っていることが「ニセ科学」ではないという正統性をも主張する必要が出てくる、ということである。
果たしてこの辺がどう展開していくのか、今後を観察する他ないだろうネ。
さて、ここで井口氏が公開している略歴を見てみる。注目すべきことは、1990年にソルトレイクのユタ大学で学位を取っているという部分である。常温核融合の騒ぎが起きた時期、場所ともにぴったり重なる。まさにご自分が居た場所で起きた常温核融合について完全にスルーしているのは何故だろうね?こんな内容の評論を書くのなら、当然常温核融合の件について一言あっていいはずだが、井口氏は、常温核融合は今でもニセ科学ではないとでも考えておられるのだろうか。
ちょっと引用の順番が変わるが、
にもかかわらず、無名の自称科学者の「水や氷の本」は「ニセ科学」のレッテルを張り、一応東大出身の科学者の養老孟司の「バカの壁」や茂木健一郎の「クオリア」にはなぜ「ニセ科学」のレッテルを張らないのであろうか? この心理状態は私には理解不能である。私の個人的観点では、ここにもある種の”新手の” 官尊民卑的な思想が入っているのではないか、と見える。
そう思うんならオマエガヤレ。評論だけなら誰でもできる。ついでに言うと、「アマチュア科学者」なら根拠のない実験モドキをもとにして商売をしてもいいのか?実際に、江本氏の波動の話が水製品の宣伝に使われているし、ワラをもつかむ(病気の人に)つけ込む形で波動転写装置が売られている。アマチュアだろうがプロだろうが、「科学者」なら、こんな現実を認識した時点で、悪用されないように注意するなり何なり手を打つはずだが、江本氏は何もしていないばかりか、むしろ被害を増やす方向に進んでいる。評論を書くなら、水からの伝言が、出版物以外にどう使われているか確認してからにしていただきたい。