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ハコモノ行政失敗見本

Posted on 11月 6th, 2005 in 倉庫 by apj

大阪民国ダメポツアー」。赤字財政の大阪に作られた、高価で利用されないハコモノの数々。伝統的な商人の街のはずが実はトンデモ放漫経営だったという話と証拠物件が示されている。
 ただ、ウェブサイトの作者は、大阪だけ特殊だというのではなく、全国的に起きていることだという認識をもってほしいと主張している。
 なんでここまでハコモノ行政が失敗しているのかということの方が不思議。無駄なものを作ると決めた人にきちんと責任を負わせないといけないのではないか。現場で泥かぶって働いてる人の給料だけなら、多少高めでもまあ許容できるが、ハコモノとダブルではそりゃ大批判もされるわな。

ネット新聞の「水からの伝言」批判

Posted on 11月 4th, 2005 in 倉庫 by apj

 インターネット新聞より。「「水からの伝言」にみるにせ科学」というのが出ている。ここについているコメントに、「水からの伝言」を広めている江本氏の学位が、ディプロマ・ミルによるものだという指摘があった。
 今週の教養の講義で、水からの伝言批判をやったのだが、学位販売業についても注意を喚起する必要があるかもしれない。
 日本の大学は、国立大学法人については元々文部科学省の実行部隊だったし、私立大学についてはやはり文部科学省が許認可行政でがっちり縛った。このため、「大学」を名乗るディプロマ・ミルが発展しなかったのではないか。博士号販売会社(**博士という商標を販売する)、あるいはそれに近い「大学」には日本からもアクセスできる(例:ニューポート大学、イオンド大学など)が、これらの大学は、通常の意味で大学入試の時に考慮の対象になることはまずない。受験産業がそもそも相手にしていない。許認可行政の是非がとやかく言われることもあるし、規制緩和が求められることもあるが、こと大学についていえば、文部科学省の許認可行政はディプロマ・ミルによる被害を防いだという効果があったのではないか。しかし、アメリカでは、国ではない組織が大学認定をすることがあるので、認定団体自体が怪しいと、その下に「あやしい大学」がぶら下がることになる。

 国立大学法人については、大学評価・学位授与機構による外部評価を受けることになっている。評価項目の中に「大学が教員の評価システムを持っているか」という項目があるので、本学でも教員の評価をどうするかについて、委員会や会議などで議論が行われている。
 この評価、導入の仕方やその後の運営方法かならずしもはっきりしないこともあり、教員の差別化につながるのではないかと危惧する向きもある。しかし、外部評価を怠った場合、その隙にディプロマ・ミルの跳梁を許す可能性だってある。こちらの方がより問題ではないかと思う。インチキ大学に荒らされるよりは、厳しいことを言われたとしても、評価を受け入れる方がずっとマシだという考え方もあるのではないか。

ブログが謎挙動

Posted on 11月 3rd, 2005 in 倉庫 by apj

 PHPのセキュリティ・ホールのせいで、帰る間際に入れ換え作業になってしまった。とりあえず、ユーザー会の大垣氏が作ったパッチをダウンロードして、4.3.11に当てて入れ換えた。最新版に入れかえると、多分掲示板スクリプトを動かすのに書き換えが必用になるだろうということで、現行のものに近いバージョンで手当することにした。入れ換えが終わって試してみたら、私が作った掲示板関係のスクリプトは問題なく動いている。ところが、このブログのテンプレートがうまく動かなくなってしまった。トップページを表示させると、最新の記事の左上に「昇順/降順」と出るはずで、テンプレートもそうなっているのに、「/~/a>」という訳の分からない記号が出て、しかも、リンクでもなんでもない本文が、どこもかしこもトップページのリンクになってしまっている。つまり、タグを閉じ損ねているといった具合である。
 じゃあ、これを機会にblogのスクリプトを更新するか、と思って最新版をダウンロードし、テストディレクトリで動かしてみたのだが、データのインポート/エクスポートがうまくいかず、データの移行で失敗する。
 結局、設置サポート掲示板の過去ログを探し、「昇順/降順」が漢字で書かれているとなぜかダメだという話を見つけた。で、ひらがなで「しょうじゅん/こうじゅん」と置き換えてみたら、トップページに何も表示されなくなってしまった。結局、上向きと下向きの矢印に置き換えて、怪しいリンクが出なくなるようになった。
 何でこんなことになるのかさっぱりわからない。

何マッチポンプしてるんだか

Posted on 11月 2nd, 2005 in 倉庫 by apj

 毎日新聞の記事より。

博士研究員:就職支援に5億円 文科、経産省が来年度から

 研究現場を支える若手研究者「ポストドクター(ポスドク)」の就職支援に、文部科学省と経済産業省が来年度から乗り出す。大学や研究所の常勤職ポストが少なく、30~40代になっても定職に就けない博士号取得者が目立っているため。

 両省は来年度、ポスドクと民間企業など新たな進路とを橋渡しする新規事業に計約5億6000万円を支出し、「博士の就職氷河期」の解消を目指す。

 ポスドクは博士号を取得した後に任期付きで働く研究員。政府は、研究開発能力の強化のため、ポスドクに一定の年収を保証する「ポスドク等1万人支援計画」を科学技術基本計画に盛り込み、量産化を進めた。昨年度のポスドクは約1万2500人と推計される。

 しかし、定職を探す30~40歳代のポスドクの就職難が深刻になっている。常勤研究職の数は増えず、企業への就職も限られているためだ。

 そこで両省は、博士たちと研究機関以外の就職先との出合いの場を作ることにした。

 文科省は、大学や企業を対象にモデル事業を募集し、支援する。人材派遣会社などが、ポスドクに研究機関以外の就職情報を提供し、企業に出す研究企画書の作成方法を指導するといった事業が考えられる。

 経産省は、ポスドク向けにベンチャー企業などの求人情報をデータベース化したり就職セミナーを開く。

 澤昭裕・東京大先端科学技術研究センター教授(経営戦略)は「企業も即戦力の優秀な研究者を求めているが、求人情報が研究現場に届きにくい。世渡り下手の博士に、研究機関以外の活躍の場を気付かせられれば、新たな人材マーケットが生まれる」と話す

 文部科学省の都合で大学院定員を増やしてポスドクも増やしまくっておいて、いざ問題が発生したら企業に押しつけるってことですか?こうなるのは大学院重点化に走った時からわかりきっていたことのはず。少子化で受験生が減ることだって、減り方の速度はともかく予測はできていたはずだ。文部省内でも、若手の官僚は「重点化をやったら近い将来社会問題化する、特に文系は大変だ」って指摘してたし、そういう報告を出した人がいたはずだぞ(ってかその本人に'95年頃にきいた話だが)。ポスドクの支援に金使う前に、政策の誤りを認めて大学院の定員減らす方が先なんじゃないのか。ここまでくれば、国家予算で失業者を養成することになったことがはほぼ明らかなのでは。まあ、問題が生じれば予算がつくのが役所の常だから、それを狙ってポスドク問題を発生させたという見方もできなくはないが……。
 ついでに言うと、大学院重点化が始まった頃に、日立基礎研に就職した先輩と話をしたら、基礎研でさえ「これ以上博士イラネ」って話だった。理系の学位持ちが集まるところでさえも「増やせ」というニーズは無かったらしい。ところが、もっと博士号持ちを増やすのが社会のニーズに応えることだって方向で重点化の話が出てきていたから、一体どういう調査をしてそういう結論になったのか、当時から激しく疑問だったわけで。これも、1995年前後のことだ。そりゃ、もし、「高度に訓練された博士が増えると役立つと思いますか?yes/no」なんて訊き方をしたら、誰だってyesと答えるだろう。でも、本当に企業に訊かなければならなかったことは「御社で博士をこの先何人雇うつもりがありますか?」という採用計画についてじゃないの。で、この問いに答えた企業が何人の採用実績を示したかで、供給計画を決めれば良かったんじゃないのか。
 正直言って、私も就職では散々苦労したから、こういうのを見ると、他人事とは思えない。私の周りも私よりちょっと下の世代も、就職については屍累々なわけだが。しかし、この期に及んで斡旋事業だけやって、ポスドクを雇うつもりは文部科学省にも経済産業省にも全くないというのは記事を見る限りはっきりしている。まさに偽善の見本。こういうことは、役人の半分にでも博士号持ちの奴を雇ってから言えと。
 博士課程進学の時にはリスクを背負い込む覚悟をしたことは確かだし、好きで選んだんだろうと言われればそれもその通り。だから、一般の会社の人からどんなきついことを言われようが、それは仕方がないと思うが、原因を作った当の文部科学省が他人任せの対応をすることを堂々と表明するのを見ると本当に腹が立つ。
 まあ、人材が偏在していることは確かだと思う。最近、事情があって、企業が出した製品試験の報告を見る機会があったが、それがとんでもなかった。予算が使えるから測定器は投入してるんだが、対照実験してないとか実験条件抜けまくりでレポートの体をなしていないとか、実験結果の表と数値だけしかないとか、夏休みの自由研究ですかこれは?という代物だった。正直、そのレポートじゃウチの学科はまず卒業できない(つか実験の単位が取れない)。そこに1人でもいいから院卒の人がいて、仕切ってればずいぶん違うだろうなぁと思ったわけで(もっとも、ありがちなパターンとしてDQN社長にウソでもインチキでもいいから売ってこいと命令されたりしたら、嫌気がさして辞めるだろうけど)。

【個人でリスクヘッジする方法】
0)大学や独立行政法人の研究職は最初から考えないことが最大のリスクヘッジになる。
1)フレッシュマンで就職する
 学位取得(大抵は3月)後の4月から企業に行けるように、最終学年の春から就職活動する。学位取得後、ポスドクでうろうろしていると、後から面接を受けに行こうとしたときには既に中途採用扱いになって、さらにマッチングが厳しくなる。フレッシュマンで動くのが多分一番楽。
2)不幸にしてポスドクするハメになったら
 技術が活かせそうなアルバイトでも何でも最低1つは入れて、社会とつながりを持つこと。仕事ぶりが実直であれば、見ている人は見ていて、チャンスがやってくることがある。知り合いでも、バイト先の会社に就職した人がいるし、私も、紹介されたプロジェクトで企業の人と一緒になってやっていたら、数年後、その人が独立して会社を作るので来ないかと声をかけていただいたことがあった(たまたま別のところで仕事をしていたので行かなかったのだけど)。最悪なのは、出身研究室だけに閉じこもり外に出るのは学会だけなんて状況で、アカポスを狙うこと。

 あ、この文章についても、大学の話題なんで一応予防線貼っておく。もし、大幅な変更があったら、それは職場から取り下げろという圧力があったということだから、見た人はとりあえずコピペでもしておいてください。どの程度までなら表現を許すかという、大学に対するリトマス試験紙にはなるだろうし。

無断リンク禁止を主張するバカがまだ居た、しかも教師

Posted on 10月 30th, 2005 in 倉庫 by apj

 ネット上の情報に対するリンクについては、普通に見えるものである場合はそもそも自由でだというのが基本だが、それを理解しない教育関係者が後を絶たない。このネタの元はslashdot.jpのこのトピックである。

 堂々と無断リンク禁止と主張して憚らないのが、「北九州市立中尾小学校インターネット利用規程」。内容はこんなの。

○ 外部サイトより中尾小学校ホームページのリンク依頼があった場合には,市運用規定及び本校利用規程に照らして,教育的意義を考慮し,校長に承認を得るものとする。また,校長の承認を得ていないリンクが判明した場合には,校長の指導を受け,該当サイト公開組織に対して必要な措置を講じる。

 まるで、リンクしてくれと言わんばかりの「釣り」に見えるのは私だけか?とりあえず、校長先生以下全員、東北大の後藤さんの解説「リンクは自由」でも読んで出直せと。しかもトップページにはご丁寧に警告まである:「警告 本ページ及び以下のページへのリンクは、校長の承諾を得てください。」だとさ。
 リンクというのは外部からの参照に過ぎないわけで、それを嫌がるなら、ネットになんか出てこなければいい。校内LANのみの公開にすればいいだけの話だ。

 というわけで、このblogからしっかり2カ所に無断リンクしてさしあげることにした。さあどうする?「必用な措置」とやらを講じてみるかい?法的には何の問題もない上、ネットのモラルとしても主張できないようなことを、どうやって他人に要求できるわけ?不勉強で恥さらしてるのは、はっきり言ってあなたがたの方じゃないかと。

 わざわざ書いたのは訳がある。こんなことを、他の学校やら教育組織やらが右へ習えされたのではたまらないから、とりあえず人目に触れるようにし続けることには意味がある。それに、教育機関がこれでは、生徒にネットに対する誤解を植え付けてしまう可能性もあるから問題だ。
 これまでに、この手の無断リンク禁止を主張した有名組織には、たとえば日本弁護士連合会や、愛・地球博の公式ページがあったが、いずれも批判が殺到して、結局リンク制限の主張を撤回している。それを知った上での無断リンク禁止なのか?それならそれで別の意味でチャレンジングだとは思うが。批判殺到に耐えられるだけの理論武装をしているのなら是非それを見せていただきたいものだ。

 そうそう、ついでに言っておく。本日の内容について、もし学内からクレームつけられた場合は徹底的に手段を選ばずそのことも具体的に公開する。他人の嫌がることをするななとかなんとか、勘違いする人がこの先出てこないとも限らないしねぇ。

【追加】
 風呂入りながら考えたのだが、「オフィシャル度」みたいなものがあるんじゃないか。例えば、個人が趣味でやってるサイト、ペットの写真があったり趣味の話題があったりするものをオフィシャル度1とする。個人の名前を出して仕事をしている人、実名あるいはペンネームが認知されてる人が仕事の一環でやってるサイトをオフィシャル度2とする。個人ではなく、法人や団体が内部で会議したりや規約を作ったりして運営しているものをオフィシャル度3とする。無断リンク禁止をして叩かれるのは、オフィシャル度3や2の場合が多かったと思う。反対に、私人が細々とやっている趣味のサイトに「無断リンクしないでください」とあっても、そんなに批判はされていない。「ああ、リンクをきっかけにして同好の士を募りたいのね」とか「まあそっとしといてあげれば」という扱いになってると思う。個人がリンク禁止を主張するにしても、基本のところでリンクが自由なシステムの上でやってるのだということを意識しておくに越したことはないが(そうでないと、ついうっかり、間違った「ネチケット」を他人に説いて回ってトラブルの元になるから)。
 この分類は例えばの話なんで、3つじゃ足りないとかその区切りじゃだめとか、異論は出てくると思うけど、こういう発想で扱いを変えている面もあるんじゃないかな。

勧誘電話ウゼェ→ガチャ切りで対応

Posted on 10月 29th, 2005 in 倉庫 by apj

 職場の電話にマンションのセールスが今週2回もあった。会社名はいい加減に聞き流したら忘れてしまったが、担当者は「トウカイリン」と名乗っていた。
 一回目はこんな感じだった。
営業「天羽先生でしょうか」
私「はい」
営業「***のトウカイリンと申します」
私「何でしょう?」
営業「(あんまり印象に残らない前口上開始)」(このへんでろくでもないセールスと判断)
私「で、どういうご用件で?何を売りつけるつもりなんです?」
営業「マンション購入の案内ですが……節税のために(云々)」
私「住みもしないマンション買う趣味は無いです。ほんじゃ(ガチャ)」

 何か、教職員の方にお電話を……のようなことを言ってたので、山形大学をターゲットにして営業してるようだった。ただ、きっぱりガチャ切りしたので、脈が無いことはよく伝わったはずだから、もう二度とかかってこないだろうと思っていたら、金曜日に二回目があった。

担当者「この手の電話ってよくありますか」
私「ありますねぇホントに迷惑してますよ」
担当者「特に山形大の先生にお勧めしている理由を説明したいのですが」
私「興味ないので結構です(ガチャ)」
 こういうのは、相手が話し続けていても構わずガチャ切りするに限る。話を聞かせることができれば相手にとっては第一段階クリアなわけで、裏を返せば説明聞いた時点でこっちの失点1ということになる。
 もっとも、ガチャ切りするほうがある意味親切でもある。営業にもノルマがあるはずだから、買う気ナッシングな相手に延々時間をとらされる方が実は痛いはず。とっとと切って次の人に営業できるようにする方が、お互いにとって時間の節約、ダメージが少なくて済む。

 しかし、今回のは、口ぶりからして、大学の職員名簿ででもかけてきてるのか。とりあえず、毎年配る職員名簿の処分について、裁断して捨てるように徹底した方が良くないか?セキュリティ上の問題で、自宅住所やプライベートの電話番号は、どんな名簿にも一切載せないようにしているのだけれど。

 ところで、2ちゃんねるで話題になった有名(?)ニート君の「働いたら負けだと思っている」にインスパイヤ(笑)されてみた。

  「話を聞いたら負けだと思っている」

本日のメモ

Posted on 10月 28th, 2005 in 倉庫 by apj

 All about JAPANより。「あなたを襲うゾンビ PC の恐怖 PC はすでに死んでいる !?
ウイルスに乗っ取られてspam業者のお手伝いをしてしまうPCの話。Windows環境を対象にしているが、実は数日前、ちょっとやぱかったかも。お茶の水の方で立ててるatom11のpostfixのバージョンが古くて、件数は少ないが数日間踏み台にされてたっぽい。open relay checkはやってみて異常なしなのを何度か確認したが、毎日デーモンが送ってくるメッセージで、見知らぬアドレスに対して配送できなかったというアドレスが数件残っていた。同じセグメントのパソコンが何かに感染したのかと思ったが、どうもそうではなかったらしい。ただ、本気で踏み台にされると配送にしくじるメールが数件じゃ済まなくなるので、悪さをされていたとしても数は少なかっただろうと思う。とにかく怪しいので、すぐにpostfix abortして、最新版に入れ替えたら、その日から配送待たされてるというログが来なくなった。もちろん、向こうの管理者の冨永先生には報告済み。

 中西氏の雑感より。多比良和誠さんの論文に疑いがもたれている件についてだが、その多比良さんの書かれた内容が引用されている。そこからさらに引用。

実験担当者はほとんどの生データをコンピューター上に直接取り込み、整理された実験ノートとしては、記録を残しておりませんでした。そのため実験結果を裏付ける強い物的証拠を提出するには至らず

という部分がひっかかった。捏造疑惑云々はさておき、オンラインでデータ取り込みをやるようになるとこういう事も起こりうるわけで、どうやって記録を残すのがいいか、ということが問題になる。
 この件について、最適な参考書としては実験ノートの書き方・まとめ方 広川化学と生物実験ライン (28)があるが、残念なことに品切れなので、ぜひまた増刷してほしい。共通で使う機器のログノートとか、特許が絡んでくる場合のノートの管理とか、とにかく丁寧に解説されている。
 原著はWriting the Laboratory Notebook で、まだ入手できる。ただ、Amazon直で新品が手に入らないところを見ると、向こうでも品薄なのか。前期の化学英語Cのテキスト候補として自費で1冊買ったが、結局テキストにはしなかった。
 翻訳の方を知ったのは、軽部研に居たころだった。ちょうど、会社から来ていた社会人院生の人が、会社フォーマットのノートを作っていて、どう書いて記録を残すかというポイントを教えてくれた。そんなときに翻訳を買って、やっぱり同じようなことが書いてあるので、管理は大事だなあと思った次第。

 あと、バイオじゃ役立たないかもしれないが、波形解析で愛用してるIgorProは、装置に直接パソコンをつないでデータを取り込む機能も持っているが、Notebookというワープロみたいな機能もあって、データファイルとセットでデジタルでノートを書くことができる。それでも、HDDクラッシュすれば終わりなので、バックアップはしっかりしないと激しくやばいわけだが。

「日本の科学者」って一体……?

Posted on 10月 28th, 2005 in 倉庫 by apj

 一般名詞じゃなくて日本科学者会議編集発行の、「日本の科学者」という雑誌の10月号の件。中西裁判の掲示板の方でネタ提供があった。この話を掲示板の方でやるのは、裁判の話と外れるし、むしろネット上の表現の問題も含むのでこちらでまとめることにする。
 ここに書いたということを、掲示板の方にも投稿した。もし、以下の内容に大幅変更がかかった場合は、私宛に何らかの「圧力」か「恫喝(笑)」があったと判断してかまわない>皆様。

 問題の論文は「最近の環境問題の「まきかえし」を検討する」(畑 明郎)である。知り合いの人にコピーを送ってもらって全文を読んだ。中身は中西氏や安井至氏の考え方に対する批判で、そっちは私の専門外だから突っ込んだ議論をするつもりはない。突っ込みたいのは、畑氏が、国立環境研究所環境健康研究領域長(現東京大学大学院医学系研究科教授〉の遠山千春氏を擁護している部分である。該当部分を引用する(但し遠山氏のメールアドレスは削除)。

 2004年12月12日に安井至は,主宰する「市民のための環境学ガイド」というホームページの「ダイオキシンで暗殺」の中で,「13日月曜日の7時のNHKニュースに,国立環境研の遠山氏が出てきて,このニュースの解説をしていた.ダイオキシンの毒性について,例の言葉『サリンの数倍』を繰り返していた.もともとは,『サリンの2倍』だったはず,これがなんと強化されている.
……いずれにしても,ダイオキシンの専門家は,なかなか『ダイオキシンは怖くない』とは言わない.なぜなら,これまで嘘をついていたのか,と非難されるからである.特に,財務省からの非難は大変怖いぞ!!!」と記載した(http://www.Yasuienv.net/).
 これに対して,国立環境研究所環境健康研究領域長(現東京大学大学院医学系研究科教授〉の遠山千春は,「正当な根拠なく他人を嘘つきと呼んだり,脅したりしないという人間として最低限のルールは守るべきであり,自らに過ちがあるときは,深く過ちを認め,是正する位の誠実さと品位を持っていただかないと困ると思っているだけです.」などと,安井氏とメールや私信で論争した.しかし,安井氏が論争内容をホームページに公開しなかったため,遠山氏は論争内容をメールで公開した.
 このように,かれらの矛先は,私など市民サイドの研究者だけでなく,中立的立場の研究者の松井三郎や遠山千春などにも向けられており,環境問題を科学的に研究し,解決策を見出そうとする研究者に桐喝を加える卑劣極まりない行為と言える.真摯に環境問題を研究する私たちは,これらの桐喝に屈することなく,研究に適進していきたい.

 これの何が変かというと、書かれている遠山氏の行動がどう見ても変だと思うわけで。どういうネタで専門家同士がメールで議論を戦わせようが自由なのは当然だが、「安井氏とメールや私信で論争した.しかし,安井氏が論争内容をホームページに公開しなかったため,遠山氏は論争内容をメールで公開した」というのが何なのかわけがわからない。遠山氏の論争相手はやりとりの内容をウェブで公開するのが当然だとでも?誰でも気軽にウェブサイトを作れる時代なんだから、ウェブで公開したけりゃ(あるいはその必要があると考えたのなら)他人を頼らず、遠山氏が自分でやればいいのに、そこは他人に頼って当然という考え方をしているのか?で、相手が公開しなかったからメールで公開って、何でそういうデタラメな行動になるのか。メールのやりとりの公開の是非はひとまずおくとして、普通は相手がウェブで公開しなかったことが気に入らないなら自分トコでウェブで公開、となるものではないのか。
 一方、安井氏の方はこの件について、「予測と実証、「まきかえし」」の中で、

そこに書かれていることは、遠山千春氏側の主張に過ぎない。論争内容をホームページに公開しなかったのは、「私信」とは何かということで遠山氏と合意に到達できなかったためで、遠山氏自身も、最終的に、「公開することも公開しないことも、当方の判断で良い」、ということに同意したのだ。当方は、遠山氏の名誉にはならないことだと判断して、あえて公開をしなかった。
 一方、遠山氏はすべてを公開すべきだ、と主張しながら、すべてではなく、自分の都合の良いところだけをメールで公開した。このことは、当方の承認なしに行われた。メールでの公開なら良いとでも思ったのだろうか。

と書いている。実はこの件については、別ルートで、遠山氏がメールをお仲間に送った際遠山氏の手によって内容の編集がなされたという証言ももらっているので、「自分に都合の良いところだけ」という表現には当事者である安井氏の主観が入っているかもしれないが、そのままの形でやりとりの全てが流れなかったことだけは確かである。
 公開討論を挑むつもりがあるなら、電話番号など公開するとセキュリティ上問題のある部分は伏せ字にするとしても、それ以外の全てをまずは編集無しで公開するべきではないのか。自分が情報を出すときは編集済みのものをメールが届く範囲にだけ送る、などという遠山氏がやっている行動は、議論の内容の妥当性とは無関係に、外から見ている限り、単なる「卑怯」ではないかと思う。それを堂々と擁護して、畑氏は恥ずかしくないのだろうか。
 「日本の科学者」という雑誌は、今回この件で教えてもらって存在を初めて知ったのだが、こんな記事が堂々と載るのであれば「日本の科学者」とやらの仲間には絶対に入りたくないものだ。それ以前に雑誌のネーミングは何とかならないのか。発行部数にもよるが、科学者がこんなのばっかりだと思われたんじゃたまらないわなぁ。ついでに言うと、どうもこの手の人々は「日本の」とか「国民……」といったネーミングが好きなようである。名前の付け方を見るたびに、そのセンスはどうにかならんのか、ちょっとは身の程をわきまえてくれと思う。勝手に国民やら日本やらを名乗って、何かの代表のような気分で居られても、「そんな仲間には入りたくない一緒にすんな」と思うのは私だけではないはずだ。

 遠山氏のようなパターンを示す人というのは、実は結構他にもいる。私が、ちょっと前に遭遇したのは、シンポジウムで発表したら、私が会場に着く前に発表を済ませていた人からクレームをもらったというものである。「聞いてもいないのに発表内容を批判した」というメールを送りつけてきた上、「私が管理しているウェブサイトでやりとりが公開されていない」と言ってクレームをつけてきた。勿論「聞いてない発表を批判するのはそもそも不可能」「公開したけりゃオマエガヤレ、但し編集すんな」という返事を送ったのだけど。
 表現の内容以前に表現の形式、つまり意図的な編集をしないとか、公開したけりゃ自分でやるといった、基本的な姿勢が抜けている人は、内容の議論とは別のもめ事を引き起こしているように見える。昔なら少しくらいズルしてもバレなかったかもしれないが、これだけネットが普及してきて人の目が行き届いてくると、下手な編集をやって情報をゆがめようとしても即座にバレる。平気でこういうことをやる人は、バレるリスクやバレた時のダメージを全く考えていないのだろうかと不思議に思う。実際、私は畑氏とも遠山氏とも面識が無いが、遠山氏がメールを編集したって話がしっかり私のところまで届いていたりする。
 この手の形式上の問題というのは、どうまとめたらいいのだろう(内容の問題になれば、名誉毀損の判断基準など、一応のチェック項目があるのだけど)。

疑似科学と科学の哲学

Posted on 10月 27th, 2005 in 倉庫 by apj

 「疑似科学と科学の哲学」が届いたので読んでいる。
 科学と疑似科学を振り分けるというのは難しいし、誰もが納得する疑似科学や科学の定義はない。いくつかの判断基準については、いろんな人がいろんなことを言っていて、教養の講義のあとの方でまとめて紹介しているが、これで必要十分というものでもない。読んで少し考えてみたい。

 科研費の書類締め切りでまだちゃんと見ていないのだが、今週の教養の講義の学生からのコメントに「実験を見せてくれ」というのがあった。登録者が200人近い講義で一体どうせよと?と思ったり、次回の内容は中性子線回折だの質量分析だの、見せようがないがなというものだったりで、ちょっと手の打ちようがない。

 が、それ以前の問題として、ちょっと前から個人的にから引っかかっているのは「実験を見せられて信じる」ということの危うさだったりする。mixiのコミュで、「水にありがとう」結晶ネタで、「実験を見て信じた人はどのていどいるか?」と訊いてみたが不発に終わってしまったんだけど。
 つまり、見せられた実験の内容と、それにくっついている科学の体系……とまではいかなくても、まあ理科で扱う内容の広がりのギャップが大きいまま、つまり「その実験から得られる情報<科学の体系的知識」な状況で教えられる知識を受け入れるという経験を積んでしまったら、今度は、いい加減な(あるいは意味のほとんどない)実験を見せられてくっついてるのが実はホラ話でも、信じる方に行ってしまうのではないかということだ。このあたり、理科教育の方ではどうやって解決しているのか、疑問を持っている。
 研究のときの泥臭いexperimentの積み重ねと、教育用のdemonstrationでは意味が違うのだが、その違いを一体どこで認識するのか、ということが疑問なわけで。教育学部ではこの手の問題はとっくに解決済みなんだろうか。

授業公開

Posted on 10月 26th, 2005 in 倉庫 by apj

 10/20に、授業公開はいつでも誰でもOKだと書いておいたら、今は中学校の先生をしている卒業生の青山氏がきてくださった。何でも、北高での説明会に出席したついでがあったとのこと。OBに関心を持ってもらえるというのは、大変ありがたいことである。
 終わった後、いろいろ怪しい商売の広告ネタを見せてもらった。何でこんなのでだまされるのだろうという内容のものばかりだった。最近の流行はゲルマニウムらしい。やはり、インチキに騙されないように地道に理科教育するしかないということのようである。