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高校と大学はずれるからなぁ……

Posted on 9月 14th, 2005 in 倉庫 by apj

 ウチの学科の新入生向けに、化学で必用な数学と物理を教えようという話になって、こんな内容でどうかと案を出した。
—————————-
1.指数関数、対数関数、三角関数。記号の説明と意味。
  オイラーの式を、複素平面付きで紹介
2.微分の公式。初等関数について。合成関数、積、商の微分公式
  偏微分の記号の紹介
3.積分 定積分と不定積分について
4.微分方程式
  1次反応の速度論、ランベルト・ベール則を例にする。
  記号の説明。解法。
  もし可能なら、1階線形、2階線形で、化学や生物を例にしたものも。
5.ベクトルと行列
  ベクトルの内積、外積。
  2次元、3次元の行列とベクトルの計算
  逆行列の求め方。
  直交座標と極座標。2次元と3次元
6.中間テスト
7.力学
  運動方程式、振動、円運動まで。速度、加速度の導入。
  ポテンシャルと運動エネルギー。
  重力、電気的な力を両方入れるが、電気的な力に重点をおくこと
  換算質量が必要な理由と使い方
  誘電率とは?透磁率とは?(定義)
  波動方程式の解。
8.前期量子論など
  モーメント、回転運動(対称コマ分子の回転のモデルとして)
  光電効果、ボーア模型。
9.期末テスト
—————————-
 一番の問題は、高校化学のイメージで、物理や数学はやらなくてもいいと思いこんでる学生が入ってくるというところ。ところが、大学の化学の基本的な部分はむしろ高校物理につながっているので、最初から物理や数学を捨てた人はどうやってもついていけないということになる。大体、量子化学と化学熱力学が基礎にあるし、速度論になると微分方程式必須である。
 高校の先生に頼みたいのだが、高校数学が得意なら大学は物理学科へ行け、高校物理が出来る人は大学で化学に行くと幸せになれる、高校化学ができる人は大学の生物系に行くとうまくはまる、という指導をしてもらえないものだろうか。

大学の情報発信

Posted on 9月 11th, 2005 in 倉庫 by apj

ある方からメールをいだたいた。農薬掲示板での議論についての連絡だった。私は農薬については素人だが、勤務先の大学の情報発信がからんでいるので、ちょっとひっかかった。以下、個人名を伏せて引用させていただく。

私は農薬を主商品とする化学メーカーに勤めております。
職業柄、「農薬掲示板」なる掲示板に出入りしているのですが、
そこで気になる書き込みがありました。
apj様とは直接の関係は無いと承知しておりますが、
同じ山形大学つながりと言う事で、お知らせいたします。
やはり「農薬」と言う事で脊髄反射的に「悪いもの」となるんでしょうね。
とは言え、大学などの公共高等教育機関でこれをされますと、非常に困ります。
以下に書き込みを転載いたします。
http://www.nogyo.co.jp/cgi-bin/12ch/nouyaku/index2.html

(以下農薬掲示板より転載)
◆◆気軽になんでも質問、たてきが答えるスレッド3◆◆より

299 名前: 裏日本 投稿日:2005/09/07(水) 22:58
はじめまして、たてき様。

現在の農薬は代謝試験をおこなっており、適正使用を
行なっている限り残留農薬の体内蓄積はほとんど
問題ないものと考えておりました。

しかしながら
山形大学環境保全センタ-のサイトに、
http://www.id.yamagata-u.ac.jp/EPC/top.html
「種の絶滅とは」という環境問題の解説項目
があり、絶滅の原因として農薬が挙げられており、
http://www.id.yamagata-u.ac.jp/EPC/13monndai/17syu/syu.html#2

その中で「農薬」は「毒」と定義づけられ
「農薬汚染された食糧を食べ続けると体内に農薬が
蓄積され、やがて許容量を上回ってしまいます。」
と結んでありました。

ここでは蓄積される根拠を示してはいませんが
大学の付属機関(?)がこのような結論を公の場に出す
ということはそれなりに根拠となるデータがあるのでしょうか?

また、人間が絡んだの種の絶滅は「乱獲」が主であり
農薬による原因があるとしても農薬の使用により
「餌が減った」程度の間接的な原因と認識しとおりましたが
農薬そのものの毒性による絶滅があったのでしょうか?

なにか知見がございましたら、ご教示ください。

300 名前: ★たてき 投稿日:2005/09/08(木) 00:57
>>299
 私が知る範囲では農薬の毒性による生物の絶滅はないです。
ただ、当該ページにも農薬そのものの毒性による絶滅があったとは書いてはいませんね。
「薬」か「毒」かの二者択一論が展開されていますが、おおよそ専門家レベルではありえないレベルの内容です。また、作物が農薬に汚染されているという記載がありますが根拠は示されていません。作物の残留農薬検査結果からはそのような汚染はありません。

 当該ページの根拠は当該ページの作成者と話をしてみないとワカラナイので、
このスレに読んでみましょう。メールしときました。

(転載終わり)

と言う事で、早めに方は着きそうです。

 大学が情報発信するのだから、元情報までたどれるように、引用文献リストなどをつけてもよかったのではないか。世の中の利害関係とは一歩引いた姿勢で情報を扱えるところに、大学の存在意義の一つがあると思う。
 ウェブによる情報発信は、安価に、専門性の高い情報でも簡単に出せるところが利点である。従来の紙メディアやパンフレットは、製作のコストがかさむから、どうしても万人受けする情報に止めるしかなく、ごく一部の人が必用とするコアな情報を出すことは不可能だった。ウェブが普及して、専門家が普段接しているのと同じ(マニアックな?)情報を簡単に出せるようになった。このことをもう少し意識しても良いのではないか。紙のパンフレットと同じ程度の突っ込み具合では、ウェブに出す意味がない。
 もう1つは、学外の専門家を舐めるなということだ。私も、これまでに何回か会社の技術者の方と情報交換したことがあるが、私が押さえていない情報まできっちり文献調査してからみえた方が何人も居られた。大学で研究に携わっていなくても、方法論を間違えずに進み、かつ現場で鍛えられた方々の持っている知識や判断力は、大学人など簡単に越える。そういう人たちに信頼されなかったら、まともな産学連携などできないだろう。
わかりやすい解説記事を書くことも大事だが、突っ込まれて逆に信用を落とすようではやっぱり困る。

 そういえば、この間、学内で、受託研究を増やすためにどんな活動をしたかという調査が回ってきた。私は、正直に、「会社から訴えられますよと3回くらい脅しを食らうほど情報発信して、ボランティアでメールでとどく質問などにもそこそこきちんと答えて、講演や講義の依頼もこなして地道に営業すれば、研究委託してくれる企業に巡り会えることもあるだろう」と書いたのだが……。

ソフトの使い勝手

Posted on 9月 8th, 2005 in 倉庫 by apj

 もう、かれこれ10年ばかり、EndNoteを愛用してきた。最初に使ったのは、軽部研に居たころで、確かニチレイから来ていた社会人学生の人が薦めてくれたのがきっかけだった。これで、当時は400件弱の文献を整理し、学位論文の後の文献リストを作るのに使った。HyperCardでやってた院生も、これに乗り換えた。
 ところが、EndNote7位から使いようがなくなってしまった。普段はTeXで論文やら報告やらを書くので、ギリシャ文字やら上付下付の特殊文字なんかも全部TeXでテキストベタ打ちでデータベースに入力し、テキスト文書のフォーマットを実行することで、bibitem形式のリストをTeXソースの最後にくっつけて出すということをしていた。ところが、EndNote7から、plain textのフォーマット機能がなくなってしまったため、TeXでは使えなくなった。rtfならできる……ということは、本来ならplain textで書けばいいTeXソースを、わざわざワープロで書いてrtfで保存してformatした後、さらにワープロでplain textで保存しなおしてからTeXコンパイルということになる。何か一手間以上面倒なのだが。その上、昔はあった、ユーザー定義の形式でのデータエクスポートができなくなった。これも、bibtexを使うときはbibファイル形式でごっそりデータをExportする(普段の管理はEndNote)という使い方をしていたのだが、できなくなった。ということで、Exportフィルターだけでも自分で作れるはずだということで、FileMakerに乗り換え作業の真っ最中だったりする。しかし、汎用のソフトだと、データ入力やらメンテがどうしても面倒である。たとえば、EndNoteだと、著者名でソートした一覧表を出した状態で、第一著者の頭文字を入力すると、同じ文字で始まる著者のデータのあたりにスクロールしてくれたのだが、FileMakerではできない。つまり、ある著者の論文のデータを触ろうとすると、一般のサーチコマンドを実行するか、自分でウインドウをスクロールして探すことになる。細かいことだが数が多いと面倒だ。
 一応、上記の機能を復活させて欲しいと英語で書いて開発元に要望は出したのだが、どうなるかわからない。以前、日本の代理店経由で要望を出したが、途中でどうなったのか不明で、最新のEndNoteではやっぱり復活はしていないようである。
 BibTeX専用の文献データベース管理ソフトでフリーのものがいくつかあるが、どれも、データのimport/exportに不安があって、なかなか乗り換えられない。うまくいかないものである。

Palm版のFileMakerのHotsyncが……

Posted on 9月 7th, 2005 in 倉庫 by apj

うまくいきません。OS10.3+Missing sync3+FileMaker Mobile7の組み合わせだが。データベースがpalmに転送されない。
MissingSync4を使おうかと思ったのだが、一足先に試した10.4環境では、HotSyncすると、Palm desktopのアドレス帳に書き込み許可がないと出て同期がとれない上、Palm Desktopの日本語版のファイルやディレクトリを認識せず、英語版と同じ名前のファイルの方と同期をとってしまう。
 かといって、Microsoft Entourageだと一人に対しての複数アドレスを扱えない。Macについてくるアドレス帳でもそれは同じで、その上、メモ帳がないので、MissingSync付属の別ソフトと同期させることになる。NowUpToDateは英語版のみで、HotSyncはできるかわりに、予定やらのカテゴリ指定画面が英文フォントのみなので化けまくるし。
 さて、どうしたものか……、。

おすすめ参考書

Posted on 9月 6th, 2005 in 倉庫 by apj

「食卓の向こう側」を批判するだけでは何なので、まともな方の参考書を紹介しておく。「食卓の安全学ー「食品報道」のウソを見破る」松永和紀著(家の光協会)。この本の特徴は、食品報道をどう読むかという、科学情報に関するリテラシーの部分に相当なページをさいているところである。参考までに、2章と3章の目次を示す。

第2章 科学記事はこうして作られる
 1 新聞記者はオールラウンドプレーヤー
 2 事実を伝えるのは難しい
 3 センセーショナルが最優先なんて
 4 仮説を事実として報道する怖さ
 5 誤りを正さないマスメディア
 6 「ナンチャッテ学者」の不思議な存在
 7 経済部記者が書く科学記事
 8 でも、ジャーナリズムには役割がある
第三章 科学記事を正しく見極めるには
 1 有名人のお墨付きにはご用心
 2 「体験談は信用度ゼロ」と思え!!
 3 動物実験にごまかされてはいけない
 4 記事広告にも気をつけて
 5 数字、単位、グラフのトリック
 6 毒性の種類と量に注目する
 7 学会発表は信用できるか?
 8 目指せ!『ネイチャー』『サイエンス』

 私が教養の講義でやっている「科学リテラシー」の内容の一部が、ほぼ完全に含まれている。今年はもうシラバスを決めてしまったので、各自で買ってくれというしかないが、来年度から参考書指定しようかと思っている。個別の食材を議論している部分は、時間がたてば古くなるかもしれないが、2章や3章の指摘は今後もおそらくそう大きく変わることはないだろう。本当は、こういう知識を高校までにみんなが知っている状態であることが望ましいのだが……。

爆笑替え歌

Posted on 9月 4th, 2005 in 倉庫 by apj

  と学会例会に参加していた。で、会場で、埼京震学舎さん発行の「大宗教学」という同人誌を買ったのだが、第一頁目に掲載された替え歌がツボにはまって爆笑してしまった(他にも爆笑替え歌とツッコミコラム満載なので、このノリが好きな人にはおすすめの一冊である)。
 背景を説明しておく。6月4日に、トンデモ本大賞2005が開催されて、第14回日本トンデモ本大賞受賞作が、『人類の月面着陸は無かったろう論』副島隆彦著、徳間書店に、ぶっちぎりの得票数で決定した。この本へのツッコミは、会長の山本弘さんが詳しく書いておられる。これをふまえて作られた「日本トンデモ本大賞受賞奉祝歌」なのだが、ウルトラマンタロウの替え歌で、こんな感じ。

「アポロ! プロジェクトNo.11」

うそつきのNASAがいる うそつきの学者いる
そしてアポロは特撮だ
旗を見ろ 星を見ろ 地面を見ろ
批判したら 怒り狂う あまりにも……
何かがソエジーに起きる時
TVのバラエティ 真に受けて
ソエジーがおこりだす ソエジーがたたかう
たろう たろう たろう
月行かなかったろう

うそつきのNASAが来た うそつきの学者来た
そしてアポロは行ってない
あれは何 あれは敵 と学会だ
私も呼べ 君たちの 宴会に
アメリカ憎いと呪う時
TVのバラエティ 真に受けて
ソエジーがおこりだす ソエジーがたたかう
たろう たろう たろう
月行かなかったろう

『人類の月面着陸は無かったろう論』を読みながらこの歌を口ずさめば2倍楽しめると思う。

役割を放棄して煽るマスコミ

Posted on 9月 3rd, 2005 in 倉庫 by apj

 2ちゃんねるで話題になっていたので覗いてみたら、見覚えのある名前が出てきた。まず、元ネタになった「食卓の向こう側」の記事を一部引用する。

母豚のお産で死産が相次いだのだ。やっと生まれたと思ったら、奇形だったり、虚弱体質ですぐに死んだり。透明なはずの羊水はコーヒー色に濁っていた。
 「えさだ」。ピンときた農場主は、穀物など元のえさに変えた。徐々にお産は正常に戻ったが、二十五頭の母豚が被害に遭い、農場主は生まれるべき約二百五十頭の子豚をフイにした。
 母豚が食べたのは、賞味期限が切れた、あるコンビニの弁当やおにぎりなど。「廃棄して処理料を払うより、ただで豚のえさにした方が得」と考えた回収業者が持ち込んだ。期限切れとはいえ、腐っているわけではない。「ちょっとつまもうか」と、農場主が思ったほどの品だった。
 肥育用の子豚に与えれば、肉質にむらがでる。そこで母豚に、それだけを毎日三キロ与えた。農場主の計算では月二十万円のえさ代が浮くはずだったが、百十四日(豚の妊娠期間)後、予期せぬ結果が待っていた。
×   ×
福岡市内のコンビニで売られていた「おにぎり弁当」のラベル
 原因はわからない。だが、予兆はあった。与え始めて間もなく、母豚がぶくぶく太ったのだ。すぐに量を減らした。
 豚の体の構造は人間に近い。「人間でいえば、三食すべてをコンビニ弁当にしたのと同じこと。それでは栄養バランスが崩れてしまう」と、福岡県栄養士会長で中村学園短大教授の城田知子。
 一般的なコンビニ弁当は高脂質で、濃いめの味付け、少ない野菜。毎食これで済ませたら…。
 家庭にはない食品添加物も入っている。「腐る」という自然の摂理から逃れるには、何らかの形で人の手を加えなければならない。例えば、おにぎりを「夏場で製造後四十八時間もつ」ようにするには、添加物などの“テクニック”が要る。だが、そのおかげで、私たちはいつでもどこでも、おにぎりをほおばることができるのだ。

これを追跡したのが、MyNewsJapanのこの記事である。

これはスクープである。だが、「あるコンビニ」では分からない。コンビニのなかにも、AM/PMやセブンイレブンのように、比較的、添加物を減らす努力をしているチェーンもある。コンビニといっても地場の数店舗のものもあれば、全国チェーンもあり、品質管理にはばらつきがある。

 「コンビニ」と一緒くたにされては、風評被害がおきる恐れもあるし、全国のコンビニ店オーナーも迷惑だろう。なによりも、消費者としては、具体名が分らないと日々の消費行動に役に立たないから、話にならない。

 取材源秘匿のため、住所や農家や回収業者は伏せるべきだろうが、読者の立場からは、コンビニ名については伏せられる理由がない。

 この点、取材班にメールで尋ねると、「記事に実名を掲載していないことについて、特定の方にそれを伝えるということはできません。あしからず、ご了承下さい。」(「食 くらし」取材班)と、予想どおりの無意味な答えが返ってきた。少なくとも、報道機関が重要な5W1Hを省くからには、理由を説明する義務がある。

 たまたま、数日前にここで「食卓の向こう側」の著者のブログを話題にし、著者が合理的思考を欠いているのではないかということを議論した。今回、元記事の農家の人の話を読んで、真っ先に思ったのは、「**水を使ったら作物や家畜がよく育つようになった」というたぐいの、体験談による水関係の非科学宣伝と構造が同じだということだ。
 コンビニ弁当の一部は脂肪分が多くてカロリーが高いから、たくさん食べさせると豚が太るというのは、まあ、予想されることだろう。死産が相次いだことも事実だったとしよう。しかし、それだけでは、人間と豚の両方にとって、何の情報にもなっていない。
 もし、脂肪分の取りすぎが豚にとって主な問題だというのなら、食べさせる物を選べばよいだろう。揚げ物中心の弁当と、梅やシャケのおにぎりとでは、脂肪分の割合が全く違う。残飯を与えるときに、揚げ物の少ないものを選んで与えればいいということになるのではないか。もし、添加物の一部が問題だというのなら、次のステップは、何が問題なのかを突き止めることだろう。添加物の含まれた食品はこれからも増えるだろうし、化学物質に対する感受性は種によって異なる。「豚にはこれが含まれているものを与えてはいけない」といったことがわかれば、農家にとって役立つ情報になる。
 人間の方は、成人病の低年齢化が問題になっているが、すべてがコンビニ弁当のせいだというわけでもないだろう。まあ、コンビニ弁当ばっかり食べていたら栄養が偏るのは確かだから、各自で気をつければいいし、そのための教育はちゃんと学校でやっているはずだ。添加物を問題にしたいのなら、わざわざ詳しい人に訊きに行って「品に張られたラベル(内容表示)を見て自分で判断するか、確かな材料を手に入れて自分で作るか。食は自己責任。」しか情報がないのはどうかと思う。読者が知りたいのは、「コンビニ弁当が豚の健康状態に及ぼす影響」ではなくて、自分が買う時にどうやって判断するか、どれくらいの頻度までならそこそこ大丈夫と思って良いのか、という知識の筈である。
 コンビニの名前を公表するとパニックになる、と西日本新聞は主張しているようだが、とても元の記事にそれだけの内容があるとは思えない。「そのコンビニの弁当は豚に食べさせるとよくない」という以上の意味はない。この記事でパニックを起こす読者がいるとしたら、今、自分のところの豚にコンビニ弁当の残飯を与えている農家だけではないか。もし、人がパニックを起こすというのなら、失礼を承知でいうと、西日本新聞の読者の頭のレベルは関係ない煽りに簡単にのせられる程度だということに過ぎない。西日本新聞は、配慮する姿勢を見せつつ、読者を馬鹿にしているように見える。

救急外来にて

Posted on 9月 2nd, 2005 in 倉庫 by apj

 もうそろそろ24時間近く経つのだが、昨晩、帰宅途中にコンビニに寄ろうとして、空き地をショートカットして近道することを試みて、見事に、40cmくらいの土地境界の段差のところを自転車に乗ったまま落下して大コケした。ハンドルを握っていたまま前に回転したものだから、顎を地面にぶつけてざっくり切って、そこら中血だらけということになった。タオルのハンカチで押さえながら家に戻ったが、血がとまらないので、また自転車に乗って、近くの救急外来まで行って「すみませんが診てください」と血を流しながらやるはめになった。
 時間外診療を受けるなんて、学部の頃に食中毒だか胃腸炎を起こす風邪だか分からない症状で医者に診てもらって以来のことだった。
 行ってみたら、直前に救急車で運ばれてきたらしい意識不明の年配の女性が、ストレッチャーに載せられて処置室から運ばれていくところだった。家族らしい人が数人廊下の椅子に腰掛けて待っていた。医者が、CTだ、MRだなどと言っていて、どうも、どうして意識が無いのかがまだはっきりしないようだった。
 私の方は、ベッドに横になれと言われ、傷口を洗って何針か縫うことになった。傷の中に砂やらガラスやら、異物が残っていると、縫っても回復せず、また開けて取り出すことになり、回復がおくれるのだそうな。局所麻酔をするときに、目を閉じてろと言われ、どうしても何をしてるか見たくて目をあけていたら、顔の上にガーゼを置かれてしまった。多分、処置の途中で目に薬品が入ったりするとまずいというのがあるのだろうけど、防護眼鏡をかけてでも見たかった……。で、いざ縫合する段になると、もっと本格的にシートをかぶせられてしまった。上の面は吸湿性素材、下はビニールみたいな防水材料でコーティングしてある少し薄い青色のシートだった。傷口のところだけ穴があいてて、医者から見えるようになっている。シートをかけてから「息ができなきゃ言ってくれ」って言われてもだな……まあ、自分の息の水滴で濡れた感じがするだけで、呼吸に問題はなかったが。ただ、小さな怪我なのになんでこんなものをかぶせるのかと思ったら、胸のあたりに、糸やら針やら器具やらを置かれる感触が……。確かに、服の上に器具を直接置くと衛生上問題がある上、服を汚すこともあるから、ディスポーザブルの滅菌シートを使うというわけか、と勝手に納得した。
 傷を押さえたり麻酔を追加したりの作業の最中に、電話がかかってきて、医者が呼び出されていった。「**さん?」とか確認をとっている様子からして、救急外来に何かと電話をかけてくる常連がいて、関係者に名前が知れ渡っているらしい。意識不明な人はともかく、電話をかけて心の安定を得たい人の相手もしなきゃいけないなんて、仕事とはいえ医者は大変だ。弁護士は気に入らなければ事件を受任しなくてもいいが、医者は本人が酒に酔ってる時以外は受診を拒否してはいけなかったはずだ。まあ、今回かけてきたのはそれとは別の人らしかったが、本人の主張する症状と家族が見た状態が大きく食い違っているらしく、来たら精神科を紹介することになるかも、と説明をしていた。体の病気だって急病があるのだから、心の病気にだって急病があっても不思議はないな、とこれも何となく納得した。
 縫合を終わって、痛み止めと抗生剤をもらって帰ろうとしたら、入り口のところで「血圧が下がったので呼ばれました」と言ってる人とすれ違った。多分、夜中の1時頃だったと思う。家族が入院していて、容態が悪化したのだろう。
 翌朝受診するように言われたので、午前中に出向いていった。徹夜の当直あけなのに変わらぬ様子の昨日の先生に診てもらい、再度消毒して、薬を出してもらった。やっぱり外科の医者は体力勝負なんだなあ……。
 外来の処置室に、注意書きが貼ってあった。体液はすべて感染源だと書いてあるのは当たり前としても、伝票を汚染しないように気をつけるように書いてあったのは、なるほどと思った。伝票が汚染されると、会計などの事務方で感染事故が発生するということになるのだろう。器具の滅菌は後からまとめて何とでもなるが、紙を滅菌したあと使うのは難しいだろう。
 まあ、とにかく、妙にいろんな人間模様をかいま見たような夜だった。

天文台でもか……

Posted on 9月 1st, 2005 in 倉庫 by apj

 「はい、こちら国立天文台―星空の電話相談室」(長沢工著、新潮文庫)を買った。天文台の広報普及室に掛かってくる電話での質問について、やりとりの様子をまとめたものである。ところが、最後の方に、質問のされ方をきいていると、ものを科学的に考えようとする姿勢がみられないケースが増えているということが書いてあったり、星占いのために星座の配置を知りたいとか、UFOについて知りたいといった、むしろオカルトな質問が結構多いという記述だった。やってくる質問をきいて、理科教育の状況を著者は憂えている。
 科学リテラシーの講義をやって、学生からの質問を見ると、一体どこで誰から「テレビのバラエティ番組の言ってることの信憑性が高い」ということをすり込まれたのか、責任者出てこい、と思ったりするわけだが、一般の方々の質問を受け付けている天文台でも同じ傾向であったかと思った次第。

「教育的配慮」の思考停止馬鹿

Posted on 8月 31st, 2005 in 倉庫 by apj

読売新聞オンライン版から。

「毎日かあさん」論争、表現の自由か教育的配慮か

 文化庁メディア芸術祭賞を受賞した漫画「毎日かあさん」を巡り、作者の漫画家西原(さいばら)理恵子さん(40)と東京・武蔵野市の間で論争が起きている。

 西原さんの長男(8)が通う同市立小学校が、西原さんに「学校を作品の舞台にしないでほしい」と申し入れたためだ。

 「表現の自由への圧力」と抗議する西原さんに対し、市側も「正当な教育的配慮」と譲らない。双方が文書で主張を繰り返す事態となっており、9月2日の同市議会でも取り上げられる予定だ。

 西原さんは、「ぼくんち」「恨ミシュラン」などの作品や、放映中のNHK連続テレビ小説「ファイト」のタイトル画で知られる。

 「毎日かあさん」は、武蔵野市やその周辺を連想させる街を舞台に、西原さんの長男や同年代の子ども、母親を思わせる登場人物の日常をコミカルに描いており、2002年10月から毎日新聞で週1回連載中。連載をまとめた単行本も既に2巻が毎日新聞社から発行されている。昨年、文化庁メディア芸術祭賞、今年は手塚治虫文化賞を受けた。

 問題となったのは、授業参観の場面。主人公の母親が、落ち着きのないわが子を含む児童5人を「クラスの五大バカ」と表現し、ユーモアを交えつつ、子どもの成長を見守る内容だ。

 この場面が紙面に載った直後の昨年11月、長男の担任の女性教諭(40)が西原さんを学校に呼び出し、「迷惑している」「学校を描かないでほしい」と注文をつけた。

 西原さんは翌12月、毎日新聞社の担当者と同小学校に出向き、校長らに「保護者だからといって、編集者を通さず作者を直接呼びつけるのは非常識だ」と抗議。校長らは「学校に落ち度はない」と主張したという。

 西原さんは、父母の一部から「学校とトラブルを起こすならPTA活動に参加しないでほしい」と告げられたのを機に、今年6、7月、弁護士を通じて市側に「作品はあくまでフィクション」「公権力による表現の自由の侵害ではないか」などの文書を送った。これに対し、市側は、「他の児童や保護者への配慮をお願いした」「作品中に『武蔵野市』の固有名詞もあり、児童の人権に教育的配慮を求めることは当然」などと、8月までに2回、文書で回答した。

 西原さんは「フィクション作品の内容に介入するのは納得できない。子どもを学校に預けている立場上、作品を描くこと自体をやめろと言われたに等しい」と憤る。また、毎日新聞東京本社編集局は「毎日かあさんは西原さんの経験に基づいたフィクションで、内容については人権やプライバシーに十分配慮して掲載している。学校側には納得してもらったと認識している」としている。

 一方、同市教育委員会の南條和行・教育部長は「保護者を学校に呼ぶことは珍しくない。表現の自由を侵害してはいない。学校には不特定多数の児童がおり、配慮するのは当然だと思う」と話している。
(2005年8月31日14時32分 読売新聞)

 武蔵野市の教育委員会もその学校の校長も、そろいもそろってアホですか?
 通学する子供を持つ母親が、学校のことを話題にしてフィクションを書くことを止めさせようとする「教育的配慮」って何?他の児童や保護者への「配慮」って何?
 何かというと教育機関の人間は他人に「配慮」を求めたがるが、それはただの思考停止じゃないのか。「配慮」の中身も満足に説明できないくせに他人に配慮を求めるのは、教育者として正しい態度ではないと思う。というか、そういうのが表現をむやみに規制して物を言えない世の中を作ってるということにさっさと気付け。無神経に他人に「配慮」を求めて「教育者の責任」を果たした気分に浸るんじゃない。「無神経」に「配慮」を求めたがる人間を教育の現場から一掃しないと、いつまでたっても学校が風通し良くならないんじゃないか。
 それにな、担任が主張する「迷惑」って何?誰かから例によって匿名でクレームでも届いたわけ?だったら「状況は似てるけどフィクションだ」って説明すれば済むだけのことじゃないのか。「迷惑です」って言えば何でも通ると勘違いするんじゃない。何を迷惑と思うかは主観によってもぶれるし、文句を言わなければいけない本当の相手は「フィクションを事実と思いこんでクレームをつけてきた勘違いしてる人」の方だったりしてね。
 漫画を読んで、特定個人のことだとはっきりわからないように書かれているのなら、それ以上内容に文句を言うなと。どこにでもありそうな光景を描いてるなら、個人のプライバシーとも結びつきようがないだろう。