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mod_rewriteの件は解決

Posted on 3月 17th, 2005 in 倉庫 by apj

ここに書いてあるように、<Directory> </Directory>の間でRewriteLog, RewriteLogLevelなどを書いてはいかんのだそうだ。もちろん、RewriteEngine Onも不可。

タテマエとホンネとルールと学校文化

Posted on 3月 16th, 2005 in 倉庫 by apj

 理科教育MLの受け皿整備騒動がまだ落ち着いてないのだが、また引っかかるものを見てしまった。13日にも書いたように、受け皿の1つである「理科と教育のML」は、まだ過去ログを公開するに至っていない。旧MLから、新たに3つのMLが派生したので、参加者が迷わないようにと、「理科と教育のML」のサマリーをいいじまさんが旧MLに投稿した。このことについて、「理科と教育のML」の副管理者のM氏が、過去ログを公開しないことになっているMLのログを公開するのはよろしくない、と異議を唱えた。ところが、MLの利用心得をどう読んでも、その異議の根拠が出てこなかったので、ちょっとした議論になった。まあ、M氏が一方的に議論を打ち切ろうとしたことにも問題があったのだが。私の見るところ、論点は
1)投稿された内容はログではないはず(編集されたサマリーで個人情報はほとんどない状態)
2)守秘義務が課されてないのに、メンバーに対して外で話題にするなと言えるのか(そうしたいのなら、心得の改定が必要では?)
3)心得の方は、参加者以外にも過去ログをいずれ公開する予定であると読める。副管理者が「過去ログの公開を行わない」と断言するのは、心得を無視していることになるのではないか。
4)そもそも、副管理者が、心得にないことをやってもいいのか。
の4つだった。

 それで、またまた考えることになった。私が引っかかったのは、サマリーを流すことの是非ではなく、「MLの利用心得の通りにものごとが動いていない」という部分である。

 どうしてこんなに簡単に規則以外のことができるのか?と思ったのだが、もしかしたら、「学校文化」がそういう傾向を育てたんじゃないか、と気付いた。というのは、学校には不合理な規則がたくさんあったからである(少なくとも私の経験した範囲では)。つまり、何かを便利にするとか安全を確保するといった目的がはっきりせず、学生らしさとか一種の精神論に基づいて定められたとしか思えないものが多すぎたと思う。
 例えば、服装規定で、女子の靴下は3つ折りなんてのがあった。私の育ったところは冬はかなり寒いし雪も積もるのだが、それでも靴下は3つ折りじゃなきゃいけないんですね。気候や風土は全く無視している。もちろん、生徒は守る気がまったくないわな。他にも、改正手続きがまともに書いてない規則(これって実は規則の体をなしていない)とか、たまには規則に無いことを取り締まろうとする生徒指導担当とか。
 こういうことが続くと、「規則とは守らなくてもいいものだ」ということを、体験によって学んでしまうことになる。

 日常で気になるものとしては、例えば、駅前の放置自転車の問題がある。本気で取り締まらないから、いつも駅前が自転車であふれている。そうなると、たまたま撤去されたのは運が悪かったからだという認識しか生まれてこない。ここでも、本気で守らせる気のない規則が生まれ、守らないことが常態化するという現象がみられる。

 ともかく、規則とは守らなくても何とかなるものだ、ということを何回も体験して学習してしまうと、規則を軽んじるようになるだろう。規則と書いたが、法と読み替えても同じことである。このとき起きているのは、タテマエ(制度上の仕組み)とホンネ(現実の運用実態)の乖離である。
 それでも、共通の基盤、というか、「世間」を共有している状態なら、タテマエとホンネがずれていても、それなりにうまくいくのかもしれない。

 ところが、学校の側は、「生徒の個性を認める」方向で教育をしてきた。「(学校が望ましいと思う)個性」に限られていたかもしれないけれど、それでも、個人個人がみんな違うということを認め始めたことは間違いない。すると、共通の「世間」「常識」は、どうしても共有されにくくなる。すると、お互いに折り合いを付けるには、タテマエの方を強化して、ホンネとずれが無い方に持っていくしかなくなる。
 実際、私は、今回MLを立ち上げる時、徹底的な法治主義でいくことにした。

 しかし、既に書いたように、山賀さんの方は、最後まで個人の資質に依存する管理を行う(強権発動有り)という制度を作った。副管理人ーということは、それなりに主催者とセンスを共有できる人なのだろうーのM氏は、主催者の利用心得の逸脱を、「善意で」やっている。

 個人の裁量権を残したシステムは、本来不安定なものではないかと思う。また、ホンネとタテマエの乖離を招きややすいシステムでもあるだろう。運用で、規則通りにやらないという経験を積んでしまったら、規則は守らなければならないとう精神をスポイルすることになりはしないか。

 それでね、個人の違いを積極的に認める教育って、団塊の世代あたりの教員が積極的にやってきたんじゃないの?それが実ったかどうかは知らないけど、今回、そういう教育をされた側と思われる私の近辺では、さしあたり法治主義という解を見いだしたんだよね。ところが、教えた側は、強権発動有りの制度をどうしても捨てられなかったり、管理側自らが決めたことに従わないという見本を見せたりしている。これって、どう考えても何かがねじれているように思えて仕方がない。

 まだ上手く言語化できないから、とりあえず思いついたことを書いてみた。
参考書としては、
「[新版]タテマエの法 ホンネの法」柴田光蔵著 日本評論社 4-535-51436-4がある。

山形大学不案内日記

Posted on 3月 15th, 2005 in 倉庫 by apj

 今日の午後、水関係でフリージャーナリストの高橋氏の訪問を受けた。取材自体は普通に終わったのだが、最初がいけなかった。
 約束の時間頃に電話が鳴ったので出たら(イ:インフォメーションセンター)
イ「インフォメーションセンターです」
私「はいぃ?」
イ「高橋様お見えになってますが」
私「はあ。じゃあ、こちらに来て頂くようにできますか?」
イ「研究室はどこでしょう?」
私「理学部2号館101ですけど」
イ「それ何階ですか?」
私「一階ですが。場所わかります?」
イ「わかりません」
私「じゃあ、私がそちらに行きましょうか?ところでインフォメーションセンターってどこにあります?」
イ「理学部一号館の隣です」
私「隣?事務の下あたりじゃないんですか?」
イ「別棟です」
私「そんなんありましたっけ?」
イ「あるんですよ」
私「じゃあ、とりあえずその辺探してみます。迷ったときのために私の携帯番号はxxx-xxx-xxxxです」
 理学部正面玄関を出て回りを見渡したら、なるほど隣の建物のところに、インフォメーションセンターって看板がかかってましたよ。中に入ってまたびっくり。まるで、民間企業のようなステキな一角が。おもわず、これは大学じゃないんじゃないか、と思ったくらいです。理学部1号館の改修費用がなかなか出なくてぼろいのに、最初のインフォメーションセンターがこんなにきれいだなんて、後から詐欺だと怒られるんじゃないかと心配になるくらい。そういえば、この間から何か工事してたよなあ、と記憶をたぐりました。
 ってぇか、理学部内の研究室配置図持ってないインフォメーションセンターって?で、そのインフォメーションセンターを知らなかった私って?
 ……どっちもダメじゃん^^;)。
 まあ、オープンして間もなかったってのもあるんだけどさ。精進、精進。

世界物理年なので

Posted on 3月 14th, 2005 in 倉庫 by apj

 昔、といっても学部3年生の頃、超重力理論の本を見て、さすがにこの世界で業績を出すのはしんどそうだと思って実験系に行くことを決めた記憶がある。それはさておき、今年は世界物理年なので、昔手出しをしなかった素粒子・宇宙論にも目を向けようかと思っていたら、こんなフレーズを見つけた。1971年のビュラカン会議における、ブラックホールを利用したワープ航法の話だそうで。

カルダシェフ このことは有限時間内に無限に大きい距離を移動させるタイム・マシンをわれわれに与え、それはまたわずかな固有時間内に無限に大きな時間間隔を超えさせもします。
モリソン それは電子にとっては大旅行ですが、私はそこへ宇宙船を送りたくはありません。
カルダシェフ 恐れることはありません。飛行状態は正常です。

 学会なのかSF大会なのかわからなくなってくる。
(「マッド・サイエンス入門」堀晃著、新潮文庫)

 確かに、最近の素粒子・宇宙論の解説本を読んでると、ハードSFを読んでるのか科学啓蒙書を読んでるのかはっきりしなくなってくるよなあ。

pplog2を試してみたわけだが

Posted on 3月 13th, 2005 in 倉庫 by apj

 去年設置したブログがあまりにも低調、ってか本人のやる気ナッシングで、そのうち必要なファイルがどっかに行ったらしくてNot Foundになったんで、仕切り直しをすることにした。またMovable Typeにしようかと思ったんだが、有料化されている上カスタマイズが面倒なので、軽く動くPHPのものを探してみた。無料のものを試したんだけど結局動かなくて、有料のpplog2を試しているところ。30日ほど試用期間がある。過去にさかのぼって日記を書けるので便利だ。

 ただ、完全には動いていない。ブログシステムの問題ではなくApacheの問題。mod_rewriteが動かない。
バージョン2.0.52で、
./configure –enable-module=all –enable-module=so –enable-shared=max –enable-rule=SHARED_CORE –enable-rewrite –with-layout=Apache
とやってmake している。で、apachectl -lでモジュールを見ると、mod_rewriteもちゃんと出てくる。それでは、とhttpd.confで RewriteEngine onってやると、モジュールが無いか綴り間違えてるだろ、ってなエラーが出て動かない。こいつが動いてくれないと、このブログのatomが使えないわけだが。
[:わからん:]

メーリングリスト立ち上げで大わらわ

Posted on 3月 13th, 2005 in 倉庫 by apj

 この一週間、メーリングリスト立ち上げで大わらわだった。参加していた理科教育MLが、3月28日をもって閉鎖されるというアナウンスがあったので、受け皿作りに手を挙げたのが原因。
 ところが、参加者の左巻さんと山賀さんもMLを作ることになって、結局3つのMLに発展解消することになってしまった。いまのところ、左巻さんの方は準備中なので、いずれご本人のブログあたりで連絡があると思われる。山賀さんの方は、「理科と教育のML」としてスタートした。私も【理科教育MLver.2】として既に運営を開始した。
 当初、山賀さんは500人程度の受け入れ予定で作ると言っていた(後に追加可能という話になった)。旧MLの加入者は1300人ほどで、半分を置いてきぼりにすることが前提ってのも何だかなあと思って、私の方は、もし全員やってきても受け入れ可能な体制でいくことにした。左巻さんのは、授業・教材中心でどちらかというと小中高の理科教育をテーマにしたいとのことだ。山賀さんと私は、広い話題を受け入れる方向である。
 山賀さんと私で組めれば良かったのだが、今のところそうなっていない。実は、旧MLで、東京の都立高校での君が代強制問題が話題になったことがあり、だいぶ議論したのだが、山賀さんと私は政治的には180度違うイデオロギーだということがはっきりした。これ以外でも、イデオロギーがからむ議論になると正面衝突を繰り返すという状態だった。なので、私の方から、運営側に参加しませんかとお誘いしたのだけれど、いっしょにはやれそうにないと振られてしまったというのが正直なところである。
 とはいえ、管理教育が強まることを山賀さんが憂えておられることはよくわかっている。そのことがあったから、いざMLが動き出してみて、考え込むことになった。

 私の方は、今回、徹底的な法治主義で運営することにした。山賀さんと私のスタンスの違いは、両MLのガイドラインの作り方にあらわれている。参加者間のトラブルだって起きるだろうし、「荒らし」「釣り」があらわれることだってあるだろう。それに対処することと、オープンな議論を充分に尽くすことを、どう両立させるか考えたときに、恣意性を排して法によって行うというのが1つの解であると判断した。私の方は、プロバイダが提供する規則に頼れないから全部決めなければならなかったので量が多いが、山賀さんはプロバイダの規則以外の部分を決めている。
 私の独断と偏見でその違いを並べてみるとこんな感じ。
(登録方法)
山賀:参加者は所属氏名連絡先をメールで知らせ、それを見て手動で登録する
天羽:参加希望者は管理専用アドレスにメールを送ると自動的にメールが返送され、それに従い登録作業をする(完全自動ノーチェック方式)
(誹謗中傷の禁止)
山賀:マナーの問題として利用心得に書かれている(ように天羽には見える)
天羽:批判は論評の範囲で、とした上で、「対抗言論の法理」てのもあるから各自努力して名誉の回復を図るように
(相互扶助)
山賀:メンバー同士で助け合いましょう、という視点
天羽:過去ログ自動公開システムなので、議論すること自体がある意味社会貢献と認識
(アーカイブ公開)
山賀:期間と範囲の限定付きで公開
天羽:spam除けにメールアドレスを機械的に伏せ字にして全公開

 で、最大の違いはここ。
山賀:ML管理人の全面的な権限を認める
MLへの登録、強制退会、投稿メールに対する注意、さらに投稿メール(過去メール)の削除の権限は一切管理人にある。管理人は、副管理人を指名することがある。管理人はMLの自由な雰囲気と参加者を守るため最大限努力する。
天羽:ML運営の基準は、ガイドラインにのみによるものであって、運営者の個別の発言で決まるものではない。ガイドラインは可能な限り公平なものをめざして制作しているが、運営者個人は、一時の感情に流されることもあれば、思いこみで何かを勘違いしたりすることだってある。/削除要求と削除理由の原則公開、間違って投稿したときの例外規定。強制削除はspamに限定。

 おそらく、これまでの山賀さんの投稿内容を見ている限り、運営の実態は、山賀さんのところも私のところも大して違わないものになるとは思うのね。問題は、そこに至るスタンスの違いにある。山賀さんの方は最後に管理者が権限を発揮する形になっていて、管理者の努力義務として自由を守ることを課している。私の方は、規則で管理者と参加者の双方を縛ることで自由を守ろうとしている。
 双方のガイドラインをどう読んでも、イデオロギーによって判断が割れるような部分は見あたらない。だから、当初、私は、ガイドラインの内容に合意できれば、イデオロギーとは無関係にいっしょにやれるんじゃないかと思っていた(今もそう思っている)。MLをどう実現するかというのは、サーバ構築技術やら法技術やらその他技術やらによるのだろうけれど、技術的に解決可能な問題に対してまで、政治的イデオロギーの違いから自由になれないのだとしたら、それはある意味理性の敗北じゃないのかと。
 こんなことを旧MLで書いていたら、 [rika:45046]でいいじまさんがフォローしてくれた。

我々若い世代(と一般化していいのか?)は、ひとりひとり考え方とか趣味嗜好とかが別々の方向を向いていて、まあ、だから松川さん[rika:45016]に「おたくっぽい」と言われてしまうわけですが、別々の考え方を保持しながら他人なりいわゆる「世間」なりと折り合うためにはどうすればいいか、ということを現在進行形で模索しているわけです。で、たどりついた暫定解が、法治です。

でも、「全共闘世代」は、「考え方を一緒にしないと共通の基盤に立てない、考え方が違うならまずその統一からはじめるべきだ」っていう発想があるように感じるんですね。山賀さんが天羽MLとの統合を嫌がっているのもその一環だろうし、企業の同じ課の中で必要以上に呑み会が多かったりするのも同根でしょう。

(注:「全共闘世代」というのは、山賀さんについては「全共闘」できなかったので違うということで、「団塊の世代」で近似できるらしい。)

 確かに、考え方を一緒にすることの優先度が高いか低いかという違いはあると思う。だけど、今回私が考え込んだのは、あれほど「管理教育」(教育委員会やその上の政治から教育現場に対する管理)の現状や将来を憂えていた山賀さんが作ったMLの利用規約や手続きが、結局「山賀さんが管理する」形で、山賀さん個人の資質に依存するものになってしまっているということだ。別に、無法地帯を容認するつもりはないのだけれど、それにしても、なぜここまで「管理する」ってことから自由になれないのだろう、というのが私の疑問なわけだが。