spamのタイトルが……
稼げる.comマガジンというところから定期的spamが来るんだけど、サブジェクトが「当たって砕けろ・・・・・?」だったので吹いた。砕けたらそれは損してるってことだろう。金儲けの姿勢として何か根本的に間違ってる気が。
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掲示板の方に投稿があったのだが、なかなか楽しいことになっているのでこちらにもメモ。
Reuterのニュース記事より。
The anti-swine flu holy water dispenser
Wed Nov 11, 2009 1:34pm ESTROME (Reuters) – An Italian inventor has combined faith and ingenuity to come up with a way to keep church traditions alive for the faithful without the fear of contracting swine flu — an electronic holy water dispenser.
The terracotta dispenser, used in the northern town of Fornaci di Briosco, functions like an automatic soap dispenser in public washrooms — a churchgoer waves his or her hand under a sensor and the machine spurts out holy water.
“It has been a bit of a novelty. People initially were a bit shocked by this technological innovation but then they welcomed it with great enthusiasm and joy. The members of this parish have got used to it,” said Father Pierangelo Motta.
Catholics entering and leaving churches usually dip their hands into fonts full of holy water — which has been blessed by a priest — and make the sign of the cross.
But fear of contracting the H1N1 virus has led many in Italy — where some 15 people have died of swine flu — not to dip their hands in the communal water font.
“It's great,” said worshipper Marta Caimm as she entered the church. “Thanks to this we are not worried about catching swine flu. It is the right thing for the times,” she said.
Luciano Marabese, who invented the dispenser, said he did so out of concern that fear of swine flu was eroding traditions.
And he is now blessing himself all the way to the bank.
“After all the news that some churches, like Milan's cathedral, were suspending the use of holy water fonts as a measure against swine flu, demands for my invention shot to the stars. I have received orders from all over the world,” he said.
(Reporting by Eleanor Biles; Writing by Philip Pullella; Editing by Louise Ireland)
つまり、共用の聖水盥にみんなが手を突っ込むと、新型インフルエンザの感染を促進することになるから、聖水をディスペンサーで配ることで感染のリスクを下げようという話。
聖水の効果は、宗教的なものであって信仰心によって支えられているので、機械に頼って配っても差し支えないということなのだろう。宗教的信仰心では現実のインフルエンザに対抗できないが、この方法をとると、現実の感染リスクは減らせる。
科学と宗教の楽しい共存、というイメージを持ってしまった^^;)。
稼げる.comマガジンというところから定期的spamが来るんだけど、サブジェクトが「当たって砕けろ・・・・・?」だったので吹いた。砕けたらそれは損してるってことだろう。金儲けの姿勢として何か根本的に間違ってる気が。
私は、自分の血液型を正確に把握していない。親からB型だと聞かされた記憶はある。だからといって、病院で「じゃあ自己申告に基づいてB型輸血しますね」などと言われたとしたら「ちょっと待てちゃんと検査してからにしてくれ」と叫ばなければならない程度の確かさでしか知らない(注:医療機関では輸血の前に、自己申告にかかわらず検査しているので、これはあくまでも仮の話)。
ちょっと前に「○型自分の説明書」なる本が大流行したが、あれが流行する条件としては、「血液型によってパーソナリティを分類したい」「血液型でもってパーソナリティの違いを知って納得したい」といった気持ちを持つ以前に、事実として「自分の血液型を精度良く把握していること」が不可欠なんじゃないか。もちろん、いろんな「血液型占い」「血液型性格診断」だって、その話題を振られた人が「血液型を知っている」ことを当然の前提としている。この前提が一体どこまで満たされているのかを知りたくなってちょっと調べてみた。
献血をすると血液型を教えてもらえる。この情報は、精度が高いと考えて良いだろう。血液型を知るためだけに余計な採血と検査を病院でする人はおそらく少ないだろうから、普通に生活していて血液型を正しく知る最大の機会は、多分、献血ではないか。
病理検査では、血液型は項目に入っていなかったし、普段の健康診断でも血液型の検査は見たこがない。
献血者数の推移は厚生労働省が公開している。1人で1年に複数回献血する人をどう扱ったかがよくわからないのだが、延べ人数だとしたら、実際に1回以上献血した人数の数(つまり既に血液型を教えてもらっている人の数)はこれを下回る。ただ、昔は献血したけど今はしていない人だって居るだろうけど、そういう人も血液型情報は持っているはず。全国民で考えると10人に1人くらいは、精度よく血液型を把握していると考えて良いのだろうか。それとも10人に3人くらいと見積もるべきなのだろうか。
他人との話題作りとして血液型性格診断の話を持ち出すことが有効であることの前提は、「自分と他人の双方が血液型を精度良く把握している場合がほとんどであること」だろう。これが成り立たなければ、血液型性格診断の真偽の帰趨とは全く無関係に、そもそも血液型の話題を持ち出すことそのものに意味がなくなってしまう。血液型を知っているという前提が本当に成り立っているのかどうかがちょっと気になっている。
手相人相なら、どういう解釈を引き出すかは別として、ほとんどの人が自分で観測可能なんだけど、血液型は専門家の手を借りて検査しない限りわからないはずなので……。
「明るい、前向きな言葉」をかけた場合と「汚い言葉」をかけた場合で花の育ち方が違うと中学の先生が言ってたがこれは嘘か?という質問に対して。
そんなことくらいで花が良く育つなら、例えばオランダの花卉農家では「明るい、前向きな言葉」をかけまくるという農法がとっくに行われているはずだが、なぜそうなっていないのか考えようよ、と答えてみる。
中退率など大学公表を…文科省が義務化狙う
文部科学省は5日、国公私立大学に公表を義務づける教育情報の項目を盛り込んだリスト案を中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)大学分科会の部会に示した。
5分野、計17項目からなり、大学側が積極公表してこなかった「中途退学(中退)率」や「在学者数」などが含まれる。受験生らの指標にしたい考えで、さらに項目を精査し、年度内の大学設置基準の改正を目指す。
リストで示されたのは、教育の質を向上させるため、大学が積極的に公表すべき情報で、「教育」「学生」「組織」「経済的枠組み」「学習環境」の5分野。
例えば、「学生」の分野で示された「中退率」は、入学後の進級の厳しさを示す一方、不本意入学の多さなどにもつながるデータで、経営に直結するため大学が出したがらないのが実情だ。
このほか、収容定員との差し引きで定員割れの実態が分かる「在学者数」、推薦入試やAO入試での入学者数が分かる「入試方法別の入学者数」など、リストには大学側が公表に消極的だった情報が含まれた。
教育情報の公表は大学設置基準などで規定されているが、具体的な公表項目は各大学の判断に委ねられているのが実態。大学運営の基礎となる学則を公表している大学は41%(文科省調べ)に過ぎず、「説明責任を果たしていない」との批判もあった。
(2009年11月6日08時05分 読売新聞)
これをやるなら、卒業した大学生がどれだけの知識を身に付けたかチェックする統一卒業資格試験のようなものを課さない限り、社会の側が困る。中退率で大学を競わせれば、どこの大学だって進級を甘くする方向に進むに違いない。そうなると、卒業生の学力の保証はまず不可能になる。
ところが、文科省は出口での絶対評価を小中高とまったくしてこず、一種の粉飾決算を続けさせているのだから、大学でそれができることは期待できない。統一卒業資格試験のようなものを課せば一定数の不合格者は出るわけで、文科省が学校制度をいじっても効果が無かったことだってあからさまにばれることにもなるから、やりたがらないんじゃないかな。
結局、高校までの出口評価に相当するのが、ある程度偏差値で分布を見ながら判断できる、「学力試験を課す大学入試」しかないということになりそうである。
中退の原因は、経済的事情や学生本人が心を病んで、というものが普通にある。経済的事情の方は支援で何とかなるとしても、心を病んでいる場合には、無理に学業を継続させずに中退して一区切りつけた方が良い場合だってある。中退させるなというのが必ずしも良いとは限らない。中退率で大学を競わせて、大学が中退に対して目一杯引き留める行動に出るようになったら、別の被害が発生するだろう。
あるいは「中退しなさそうな学生を選別する入試」(できるかどうかは疑問だが)に工夫を凝らすようになるかも知れないが、それはそれで本末転倒なことになりそう。
結局、文科省が、コースだけ用意すればそれで良いと思っていることが問題なんだろう。
既にきくちさんのところで告知がなされているが、ニセ科学フォーラム2009の詳細が決まった。
公式サイトはこちら。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/nk/
私の今回の話題は、神戸の裁判の総括。判例時報にも出ているので……。
ニセ科学を問題にして、誰かの利益とぶつかった場合、どういう責任を問われうるか、少しまとめておく予定。
生協の店頭で模範六法を見つけてゲット。
今年も、模範六法+模範小六法を使う予定。
ブックレビューを見ていたら吹いた。104ページ。
<白い虚塔 201X編>
教授「財前君、これ以上逆らうと、君を私の後任教授にするよ」
准教授「東先生、そこまでお怒りなんですか」
医局員「じゃ、教授、私は辞めますので。明日からがんばってね」
研修医「5時になったので帰ります」
患者「治療費はつけておいて。そのうち払うから」
警察「病気を治せない場合には逮捕し起訴します」
医療崩壊ここに極まれり、みたいな。
新型インフルエンザ対策で、今年度の入試は再試験をする方向でどこの大学でも調整が続いているはずなんだけど……。
話を見聞きした限りでは、
試験監督者である教員が感染して何人も抜けた場合にどうするのか
が一切触れられてもいない件。
受験生が感染することは想定していても、教員が感染することは全く想定していないように見える。しかし、毎日大人数を集めて教えているわけだから、教員は感染については高リスク群だろう。
また、去年だったか、季節性インフルエンザでセンター試験を別室受験になった受験生の試験監督をした教員が、監督後にインフルエンザを発病している。別室受験については監督者も学生もマスク着用などを行っているが、効果がなかった。無事に治ったから良かったのだけど、今のままだと、多少毒性の強いインフルエンザが流行した場合、万が一教員が死んでも死に損なのだが……。
感染源が受験生だということになったら、教員の労災申請の件数がはね上がりそうな気も。
感染症対策という観点からは、現状の大学入試のうち、特に大人数を1箇所に集めるセンター試験は見直した方が良いのでは。大学ごとの試験なら、センター試験ほどの人数が1箇所に集中することはないし。
「弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖」を書店で見つけたので衝動買い。
確か、消費者庁を作る時の集会(名前を忘れたが、福田首相(当時)も挨拶に来られたイベント)の後の懇親会で、宇都宮弁護士と会ったことがある。たまたま席が前だったので、beyondさんと一緒に握手してもらった。「当分この手を洗えない……」とアイドル扱いになってたことは内緒w。オウム真理教の被害者救済をやった弁護士だということは知っていたが、その時はそれ以外の活動いついては知らなかった。
それはともかく、水関係でマルチ商法の会社を相手に訴えたり訴えられたりだという話をしたら、宇都宮先生に「悪徳商法の批判をやっているのなら、悪徳業者から訴状が来るのは勲章」と言われてしまった。
今回、本を読んでみて、世間で大被害を出して話題になった消費者被害の救済を他にも数多く手がけてこられたことがわかった。また、消費者庁の設置のための活動も続けておられたことがわかった。訴状が来るのが勲章だという意味も、よくわかった。