どうもこちらに書いた方がコメントをもらえそうなので……。ニセ科学まとめに書いた文書のうち「ニセ科学と社会規範」をこちらに転載しておく。
判定ガイドラインの前文に入れるべきかどうかは考慮中。この部分だけでも、常識的なことを書こうとするとこの程度にはなるので……。
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ニセ科学と社会規範
社会規範とは何か
社会規範には、法規範、道徳規範、宗教規範、慣習規範がある(「サイエンス・オブ・ロー事始め」)。法規範は社会において強制力を伴う。「道徳規範は、個人の倫理観や道徳観が社会一般に共通するものに高められ、自然に社会規範として定着してくるもの」「宗教規範は、ある宗教上の教義が特定の信者に地してだけでなく一定の社会や地域に普及し、これが社会規範として尊重されるもの」「慣習規範は、社会のなかで長年にわたり繰り返し守られてきたことが社会的ルールとして意識され、遵守されるもの」とされている。
社会規範とは、法規範も含めた、社会生活を送る上で守った方がスムーズにいくルールで、破ると一定のペナルティ(強制力のあるものから、クレームをつけられるといった強制力のないものまで)を科されるものである。
社会規範は自然科学の法則ではなく、人と人との間で決めるものである。社会規範に違反する行為が存在するから規範が無意味だ、ということにはならない。殺人事件があるから人を殺してはいけないという社会規範を弱くしましょうとか、詐欺を行う人が現実に存在するから他人を騙す行為を少しは正当化しましょう、ということにはならない。観測事実によって法則を書き換えてきた自然科学とはルールの在り方が異なっている。
ニセ科学を問題とする場合の社会規範
ニセ科学の「ニセ」の部分を問題とする理由の1つに、「人を騙してはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範の存在がある。もう少しくだけた言い方をするなら「嘘をついてはいけない」といったものになるだろう。
このことについて、道徳を押しつけるといった見当外れの意見が出てくるが、それは社会規範の意味を知らない、あるいは現状を把握していないことから生じている。
「人を騙してはいけない(嘘をついてはいけない)」は法規範に含まれている
「人を騙してはいけない」という内容が法規範に含まれていることは、個別の条文からわかる。いくつか実例を挙げておく。
○刑法246条(詐欺)
「人を欺いて財物を交付させた者は」と規定されている。騙す行為すべてが詐欺行為となるわけではなく、人を錯誤に陥れて処分を導くものに限られる。不作為によるものも含まれる。
○刑法233条
業務妨害罪の要件として「虚偽の風説を流布し」と規定されている。
○刑法230条の2、名誉毀損については民法の不法行為責任を問う場合も同様の基準による。
名誉毀損罪の免責条件として「公共の利害に関する事実に係り、かつその目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、事実であることの証明があったときは、これを罰しない」と定めている。条件を限って、真実性・真実相当性を判断して免責する、ということであり、嘘をついていた場合には免責されることはない。
○刑法169条、171条
法律により宣誓した場合の虚偽の陳述、虚偽の鑑定や通訳・翻訳をすると刑事罰の対象になる。
○民法94条
「相手方と通じてした虚偽の意思表示は無効とする」と定めている。契約成立は意思表示の合致であり、契約は守らなければならないというのが原則だが、例外として虚偽表示の場合は無効であるとした。さらに、善意の第三者には対抗できない、として無効の範囲を制限している。
○民法96条
「詐欺または脅迫による意思表示は取り消すことができる」と定めた。こちらも、契約は守らなければならないという原則に変更を加えるものであるが、善意の第三者に対抗できないとすることで、変更の範囲を制限している。
○民事訴訟法2条
「当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を通以降しなければならない」と規定している。訴訟法上の要件を具備するように故意に事実状態を作り出したり妨害したりしてはいけない、というものが含まれている。
○不当景品類及び不当表示防止法4条
不当な表示の禁止。実際よりも優良であると消費者を誤認させる表示を禁止し、2項では、表示の「合理的な根拠」を持つことを前提とした(根拠を示せなかった場合には優良と誤認させる表示をしたとみなされる)。
○特定商取引に関する法律6条、6条の2
不実告知の禁止。不実告知を行ったかどうか判断する際に、告知内容の「合理的な根拠」を事業者が示せなかったら、不実告知をしたとみなされる。
刑事系にも民事系にも、「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という規範を具体的に盛り込んだ条文があることがわかる。
裁判所で争われる場合、法が含んでいる「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」といった規範が道徳あるいは社会慣習に合わないという理由で、法の適用が問題になったりすることは起きていない。従って、法規制の延長上にあることがらについては、法的ペナルティが科されない場合であっても守った方がよいこと、としてこれらの規範を位置づけるのは、強制でも押しつけでもない。既に我々の社会はこの立場をとっていると考えるしかない。
法と道徳の関係、その他の規範との関係
現在受け入れられている考え方は、「法は道徳の一部である」というものである。これには2通りのとらえ方がある。一つは、法は社会秩序の維持のために強制しなければならない最小限度の道徳規範であり、それ以外に道徳のみで規律するものが広がっているというもの、もう一つは、法と道徳が交錯しており、交錯した部分が道徳的基盤に根ざした法(刑法など)、交錯していない部分はそれぞれ道徳のみ、法のみが問題となるとする考え方である。日本での現在の通説は後の方である。
【補足】
道徳が法を含むとしてしまった場合に生じる問題。例えば、戦前の尊属殺重罰規定は、親孝行せよという社会道徳が背景にあった。昭和29年福岡高裁判決のケースは、親の側からの激しい暴力と性的虐待が続いた挙げ句に起きた尊属殺人事件で、社会道徳を適用すると加害者に対して非人間的な結果をもたらす。
普通に考えて、法規範と道徳規範と宗教規範と慣習規範が相互に逆のことを主張するというのは、原則として有り得ない。たとえば、社会規範と正面から衝突する特定宗教の教義は、社会で受け容れられることが無いばかりか、制裁の対象になる(多くのカルト宗教が引き起こした事件など)。例外としては、異なる道徳規範のどちを優先するかという問題が生じた場合に、矛盾が生じることはある。また、社会の変化に規範の変化が追いついていない場合には不合理な結果になったり、一時的に矛盾したりすることが起こりうる。
社会規範の存在を想定してよい場合
「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範と重なった法規範が効力を発揮するのは、社会的評価の変動を引き起こしたり(名誉毀損)、財産的被害を発生させたりする場合である。刑法の詐欺罪を構成するところまでいかなくても、不実証広告を行って消費者に物を売りつけたりしたら、行政処分の対象になる。
世の中に存在する「ニセ科学」の多くは、財産的被害を発生させる。実際、既に排除命令や行政処分の対象になったものとほとんど変わらない、あるいは相当似通ったやり方で商品宣伝をするケースが後を絶たない。商売に使われるニセ科学は、違法なものと重なっていたり、既に違法とされたものの周辺にあるといえる。であるならば、法の適用の場合と同様に「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範が適用されることを前提として、ニセ科学をこの社会で問題にしてもかまわない。
他に考えられる規範としては、「公共財であっても財産的被害を発生させてはいけない」「他人に危険を及ぼしてはいけない」「本人の努力で対応不可能なことを理由として社会的差別をしてはいけない」といったあたりが考えられる。このあたりまでは条文も判例もある。
これらの規範に違反することが併せて問題となっている場合に、「科学が科学以外のことまで正当化するのはけしからん」等と反論するのはナンセンスである。科学以外のこと、即ち社会規範は、科学者が決めたのでもニセ科学を問題とする人達が決めたものでもなくて、我々の社会が決めたものである。科学者を含めニセ科学を問題とする側は、単にその規範を受け入れているに過ぎない。
現実のニセ科学について検討する
上記の社会規範の存在を前提として非難に値するニセ科学とは、その内容が、実際に違法なものの周辺にあるとか、違法な行為を手助けする、あるいは他人に損害をもたらすといったものになる。そこで、これまでにニセ科学として話題になったものを列挙し、社会規範という面から検討してみる。
リストとして、少し古いが、「妄想科學日報」の「覚えておきたい、ニセ科学リスト」(2007/11/28)を参考にさせていただくことにする。陰謀系と精神世界系は、ニセ科学というよりも、非合理として問題にすべき部分が多いので省いた。
被害発生の態様として、「財産被害型・不当表示型」、「権利侵害型」、「公益侵害型」に分けてみることにする。「財産被害型・不当表示型」は、法規制の対象となっているものに最も近い。「公益侵害型」は、特定個人ではなく社会に広く損害をもたらすもの、「権利侵害型」は差別と直接結びついているものであり、「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」とは異なる社会規範に抵触する。
○ ホメオパシー:「財産被害型・不当表示型」(役立たずのレメディーを売りつける)、「公益侵害型」(感染症への効果を主張することで社会に被害を発生させる可能性がある。)
○予防接種有害論:「財産被害型・不当表示型」(説を受け入れた個人を危険にさらす)、「公益侵害型」(感染症への効果を主張することで社会に被害を発生させる可能性がある。)
○千島学説:「財産被害型・不当表示型」(ガン治療に効くとの主張が行われており、説を受け入れた個人を危険にさらす)
○経皮毒:「財産被害型・不当表示型」(シャンプーを売りつけるインチキ宣伝のネタ)
デトックス:「財産被害型・不当表示型」(健康グッズを売りつけたり施術で金を巻き上げたりするためのネタ)
○白金ナノコロイド:「財産被害型・不当表示型」(治験が終われば治療薬としての地位を獲得するかもしれないが、十分な調査の前に健康グッズとして売るのは被害発生の可能性がある)
○血液さらさら:「財産被害型・不当表示型」(不安を煽ることで、マイナスイオングッズを始めとするインチキ健康グッズを売りつけるための宣伝手段)
○血液クレンジング療法:「財産被害型・不当表示型」(オゾン療法で金を巻き上げるための理屈。血液えのダメージや感染症のリスクがあり得る。)
○ゲルマニウム:「財産被害型・不当表示型」(健康グッズとして売りつけるためのインチキ宣伝文句)
○癌克服術:「財産被害型・不当表示型」(信じた人が、治療を遅らせたりすると命の危険がある)
○ミラクルエンザイム:「財産被害型・不当表示型」(インチキ療法を広めるためのネタ)
○ゲーム脳:「公益侵害型」(第三者が広める場合は「不確かなことを言いふらす」行為になるが、提唱者がやったことは、社会の中の制度として維持している研究成果の出し方等の部分を壊すという、別の規範に触れる行為である)
○水からの伝言:「財産被害型・不当表示型」(浄水器・活水器のインチキ評価法)
○波動:「財産被害型・不当表示型」(健康な情報を転写する等々、インチキ商材を支える理屈)
○マイナスイオン:「財産被害型・不当表示型」(インチキ健康グッズ販売)
○機能水:「財産被害型・不当表示型」(機能水研究財団のような、まっとうな企業努力をしている集団もあるが、これを謳うインチキもまだまだ多い)
○トルマリン:「財産被害型・不当表示型」(健康グッズとして売りつけるためのインチキ宣伝文句のネタ)
○ランドリーリング:「財産被害型・不当表示型」(効果に根拠のないグッズ)
○燃費改善:「財産被害型・不当表示型」(買った人にとって)、「公益侵害型」(トータルで見て環境負荷増大。環境負荷を上げる行為自体が悪いわけではないが、環境にやさしいといううたい文句と逆では詐欺だろう)
○EM菌:「公益侵害型」(むしろ環境負荷を増やす)
○オーディオ:「財産被害型・不当表示型」(買った人にとって)
○永久機関:「財産被害型・不当表示型」(投資詐欺御用達)
○相対性理論は間違っている:
○血液型と性格の相関:「権利侵害型」(就職差別等を引き起こしている。生物学的特徴で差別をしてはいけないというのは、科学とは関係のない規範である。)
○ID論:
○フリーエネルギー:「財産被害型・不当表示型」(投資詐欺御用達)
○スカラー波:
○七田式右脳開発トレーニング:「財産被害型・不当表示型」(天才を生むかのような宣伝は誇大広告だろう)
○ドーマン法:「財産被害型・不当表示型」(根拠に乏しい医療行為)
○キルリアン写真:「財産被害型・不当表示型」(水評価でもインチキ評価法として登場)
宗教が絡む「ID論」、本を売る商売以外とは直接結びつかない「相対論は間違っている」、カルトの道具と化した「スカラー波」以外のニセ科学の多くは、商売のためのものであり「不当表示型」に分類できる。他のいくつかは、特定個人ではなく社会にも損害を与えるため「公益侵害型」の面も持っている。「血液型と性格の関係」がちょっと異質で、本人の努力で対応できない要因を理由とする社会的差別を禁じている規範に直接違反する内容である。
「ゲーム脳」は、大学や研究者が社会に対して情報発信する時には研究としてある程度確立したものが出てくる、という、社会が前提にしている制度を壊す行為を研究者が行ったという問題がある。
【注】「ID論」や「相対性理論は間違っている」は、これまでのところ、ニセ科学として問題になるよりも、むしろ、従来の「疑似科学」の括りで問題とされてきた。こうして並べてみると、結果として、法規範に馴染みやすいものがニセ科学として問題となり、法規範から遠いものが疑似科学として取り上げられているように見える。
違反の程度とペナルティのバランス
ニセ科学を問題にするという行為そのものが法的裏付けを伴うわけではないから、問題にするといっても、ウェブ等で批判的にとりあげるとか、場合によってはマスコミ等を通して批判的な内容を述べるといった対応に止まることになる。違法とされた場合のペナルティとしては強制力を伴った何らかの処分が行われるところ、未だ違法とされないものについては、いろんな人からクレームをつけられる、という程度の軽いペナルティになる。
ニセ科学の中には、後日違法とされるものも含まれている場合がある。この場合は、先にニセであることを指摘することで被害発生を減らせる可能性がある。
また、法が総ての違反を引っかけているわけでもない。あるニセ科学宣伝に対して行政処分等が行われた場合、ほとんど類似の宣伝や、似ているが違法のハードルを越えるに至っていない宣伝に対して、批判するという軽いやり方で注意喚起を行うのは、規範に対する違反の程度ともバランスがとれている。
社会規範の部分を押しつけであるとすることの意味
社会規範にこれらの特定の規範が含まれていることを問題としたり、規範を押しつけるということを問題とするのなら、同時に法規範の一部も否定する立場を取っていることになる。このことを自覚すべきである。
慣習規範の性質から、ある規範が長年繰り返し守られなくなると、規範としての力は段々無くなっていくと考えるしかない。社会で規範として受け入れられていないものを法で強制するというのは無理があるから、行き着く先は、法規範まで含めてその規範が無くなるということになる。だから、本気でこれら2つの規範を将来には無くすべきだと考えているのならば、今、道徳を押しつけるなという立場で否定することはその考えと矛盾しないだろう。しかし、そこまでの覚悟がないのにうわべやその場の気分で否定だけするのは、やはり思慮不足というものだろうし、無意味に社会を混乱させると非難されても仕方がない。
また、規範が抵触するものは別の規範である。従って、ニセ科学を問題とする行為が社会規範の存在を前提にしているからといって、「科学以上のことを正当化するな」などと主張することは失当である。このような主張は、規範としての体をなしていないので、上で取り上げたいくつかの規範にぶつけて、何を正しいとするかという価値に関する考察を行うためには、全く利用できない。批判の態度批判をする場合も、単に個人的に気に入らないというレベルの話ではなくて、きちんと基準となる規範を立てて議論しない限り意味がない。
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