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豚インフルエンザにホメオパシーは効果無し

Posted on 4月 29th, 2009 in 倉庫 by apj

 ホメオパシー体験談紹介より。

まず免疫を低下させるワクチンを接種しないこと、急性の発熱症状などを薬剤で抑圧しないことが大切です。
YOBOキットから、インフルエンザに合うレメディー、インフルエンザイナム、オスシロシコナイナム、ユーパトリューム、ジェルセミュームなどで予防プログラムを実行すること、Rx Chroni-inf、ウィンターセット、サポートHaiなども、万一に備え用意されておくとよいでしょう。
またインフルエンザの特効薬になるのではないかと昨年秋に沖縄の新聞や週刊誌で取り上げられ話題になった沖縄の栴檀(センダン)から作られたレメディーがあります。豚インフルへの効果のほどは、わかりませんが、ご希望の方は、ホメオパシージャパンまでご注文ください。

 ホメオパシーの効果は「気のせい」であって、豚インフルエンザだけではなく、他のインフルエンザにも感染症にも効果はない。ホメオパシーに頼るのは、「何もしない」を選んだのと同じことである。

 「まず免疫を低下させるワクチンを接種しないこと、急性の発熱症状などを薬剤で抑圧しないことが大切です。」というのは、「何もしないほうが望ましい」という「デマ」を広めていることに他ならず、公衆衛生にとって大きな問題がある。

 それ以前に、効果があるかないか分からないと自分で言っておきながら売りつけようとしているあたりが、商道徳としてどうなんだ、とも思うが……。

 ともかく、感染症対策にはこれまで十分な蓄積があって、ホメオパシーはその中には含まれていない。微生物学の標準的な教科書を見たって、微生物に影響を及ぼす方法としてホメオパシーは全く登場していない。

○豚インフルエンザについての信頼できる情報はCDCのサイトを参照。
○日本語での信頼できる情報は、厚生労働省のトップページを参照。

 これまでの報道の様子からみて、今後、マスコミの報道が危険を煽る方向にいくかもしれないし、センセーショナルな内容ばっかりが選ばれて報道されるかもしれないので、上記2つを確認する方が良さそう。

【追記】
 効果無し、どころじゃなかった。New York Timesの記事

But one important factor may be the eclectic approach to health care in Mexico, where large numbers of people self-prescribe antibiotics, take only homeopathic medicine, or seek out mysterious vitamin injections. For many, only when all else fails do they go to a doctor, who may or may not be well prepared.

 メキシコで新型インフルエンザの死者が増えている理由の1つとして、ホメオパシーに頼って治療が遅れたことが示唆されている。

「教育的配慮」を叩き潰せ

Posted on 4月 29th, 2009 in 倉庫 by apj

 ちょっと参考になる記事が出てきたので。

教育現場の指導に指針 体罰めぐる最高裁判決
4月28日11時59分配信 産経新聞
 男子児童の胸元をつかんで叱る行為を体罰にあたらないとした28日の最高裁判決は、教員が萎縮(いしゅく)するあまり、厳しい生徒指導をためらう傾向がある教育現場の実情に配慮した判断といえ、影響を与えそうだ。

 授業中に騒いだ児童を廊下に立たせるといった指導は体罰や人権侵害だと批判され、授業中にメールをしていた生徒から携帯電話を取り上げただけで保護者らから抗議を受けることもあるという。こうした状況から、“モンスターペアレント”という言葉すら生まれた。

 学校教育法11条には「児童に懲戒を加えることはできる。ただし、体罰を加えることはできない」とある。しかし、「ただし書き」の「体罰」の基準は不明確だった。基本的な考え方は、昭和23年の法務庁長官回答にさかのぼる。体罰を「懲戒の内容が身体的性質のものである場合」と定義。「身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、けるの類)が該当することはいうまでもないが、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒もまたこれに該当する」としていた。

 政府の教育再生会議は平成19年1月、体罰の基準見直しを求め、これに呼応して文部科学省は同年2月、肉体的苦痛を与えるものでない限り放課後の居残り指導や授業中の教室内での起立命令を体罰としない、と全国の都道府県教委などに通知した。しかし、基本的には昭和23年の枠を出ていない。

 もちろん最高裁判決は「殴る、ける」や「肉体的苦痛」を容認したものではなく、体罰の定義も示していない。しかし、許される行為を明示し、体罰か否かを判断する要素として「目的、態様、継続時間」を挙げたことは、指導に戸惑う教育現場にひとつの指針を与えるものになりそうだ。

 生徒側が教育現場で実社会並の権利主張をするのなら、ペナルティの与え方も実社会並にしないとバランスが取れない。大人の社会で同じことをすれば、民事なり刑事なりの事件になるようなことでも、これまでは、教育的配慮の名の下に教師が叱って済ませてきたのではないか。生徒側が権利主張でもって教師の与える罰を排除するなら、あとは、問題を起こした生徒をどんどん通報して警察の手に委ねるしかなくなる。教育的配慮を理由に甘い措置をせよと言うのは、学校を無法地帯にせよと言っているのと同じことになるだろう。実社会並、つまり学外の基準を適用することにしても、家庭裁判所があったり少年法があったりするので、社会の側の配慮は既に存在する。

 体罰に関する回答があったのが昭和23年で、最近になって体罰を法的問題とするようになってきたということは、法に現場を合わせようとし始めたということではないか。それならば、他の部分も全部合わせないと一貫性を欠く。

 最高裁が教師の叱り方を決める時代になったのだから、ペナルティを与える場合に「教育的配慮」で教師を縛るのはもはや時代後れではないか。教師が従うのは「法」のみでいいし、そうでなければ身を守れない。教育現場での徹底的な権利主張は、教育現場を徹底的に法で規律せよという主張に他ならないのだから。

※いじめの問題にしても、学校側が口頭で注意するとか当事者を引き離す(可能なら)という措置をした後は、どんどん当事者に証拠開示して、後は当事者で損害賠償請求でも何でもやってくれ(学校側は知っていることを全部述べる)、とした方が、学校も余計な責任を問われなくてすっきりするかもしれない。これまでは、その手の事件を不祥事と考えて隠したがっているように見えるが、隠すと却って危険だろう。また、下手に調査をしたら、今度は生徒に対する配慮を欠いたと苦情を言われかねない。

【追記】
 酔うぞさんのコメントによると、今回のケースは、
(1)学校の業務が停滞する、猛烈なクレーム
(2)教師に対する刑事告発
とセットだったという話である。コメント欄にも書いたが、私の主張は、(1)については業務妨害を理由に刑事や民事の手続を親に対してとれ、ということで、(2)については誣告を理由に逆告訴してついでに民事で損害賠償もとれ、ということ。こういうことをためらわずにやらなければならない時代になっているし、また、そうすることに対して教育現場だからという理由で横やりを入れるのはまずい、ということも同時に主張していかなければならないんだろうなぁ、と考えている。

目の前にあるのはな~に?

Posted on 4月 28th, 2009 in 倉庫 by apj

 学生実験の季節。

学生「(教科書を開いて)スクロースの旋光度ってこの値でいいんですか」
私「アタシゃスクロースじゃないからその値でいいかどうかなんぞ知らん。で、キミの目の前にあるのは旋光計であそこにあるのは自由に使える実験用スクロースだ」

 ……まあ、一度測定してみて教科書通りの値になるかどうかをチェックすれば、実験操作が適切かとか装置がちゃんと動いてるかとかもチェックできるよ、と。

他人を騙してはいけないという規範

Posted on 4月 24th, 2009 in 倉庫 by apj

 ニセ科学の定義の中に、人を騙してはいけない、という規範が含まれているということは既に書いた。
一方で、SFなどのフィクションも読者を騙すし、うまく騙したことが良く評価されることもある。また、善意でつく嘘というのもあったりする。このあたりを整理してみる。

 なぜ「人を騙してはいけない」を規範にするべきかというと、人は万能ではないので、必ず誰かの行為を信頼して暮らしていて、それで社会が回っているからである。
 八百屋や魚屋で買い物をする時は、商品の札と商品が一致していて、値段相応のものを売っていることを信用して買う。もし、八百屋や魚屋が騙し放題だということになったら、買う前に商品をいちいち消費者がチェックしないと安心して買えないということになる。野菜の新鮮さ程度だったら葉っぱの様子を見れば素人でもわかるが、怪しいルートで購入したものでこっそり使用禁止になった農薬が使われてて残留してます、なんてことになったら、見つけ出すには高価な分析装置とそのための知識が要る。魚の新鮮さは魚の目などを見ればわかるが、産地偽装をされていたら、仕入れ元までたどらないと説明通りの品かどうかがわからない。
 人は騙してもいい、騙される方が悪いのだということになったら、各個人で、いちいち真偽を確認しなければならなくなって、判断のためのコストが跳ね上がることになる。それを怠ると、不当に財布の中身を奪われることになる。こんなことにならないためには、「人を騙してはいけない」という規範にみんなが従った方が良いだろう。

 もちろん、人のすることだから、ついうっかり騙してしまった、ということは起こる。この場合でも、人を騙してはいけない、という規範が機能していれば、無料で野菜を取り替えるとか、次から間違った札を貼らないように気を付けるといった対応がなされるだろう。決して、「騙したっていいじゃないの、細かいこと言うなよ」とはならない。

 こう考えると、SFの擬似科学が人を騙すのと、ニセ科学が人を騙すのは、全く別だということがわかる。SFの擬似科学に騙された場合には、騙される人が了解済みだというだけではなく、騙された結果他人の行為に対する信頼が壊れて真偽の判断のためのコストが上がるということは起きない。アイドルだって、姿形その他で観客を騙して楽しませているが、このことによって、真偽の判断のためのコストの上昇は起きたりはしない。一方、ニセ科学は、他人の行為に対する信頼を壊す原因となる。

 「人を騙してはいけない」という規範の意味は、人を騙すことによって、他人の行為への信頼を前提にして回っている社会を壊すからまずいという意味である。逆に言うと、他人の行為への信頼を壊さない嘘に対してまで、杓子定規に「人を騙してはいけない」という規範を適用する必要はないだろう。たとえば、善意から出た個人間の嘘なんてのは、社会規範の問題というよりも文学で取り扱う主題である。

 じゃあ、なぜ「ニセ科学」という括りを設けたのかというと、他の騙しについては既に別の括りで名前がつけられ社会的対応がなされていたけど、科学を騙った嘘についてはたまたま残っていたからではないか。産地偽装、消費期限偽装、耐震強度偽装等々と呼ぶよりはやや広い括りで、しかしこれらと並記される位置に、「ニセ科学」があるのだろう。

七田眞氏逝去

Posted on 4月 23rd, 2009 in 倉庫 by apj

http://blog.livedoor.jp/shichida1112/archives/1253907.html

 お元気そうな印象があったので、ちょっと驚いた。七田式は今後どういう展開になるのだろう。
後継者は居るだろうか……。
 4月17日のエントリーが最終ということなのか。

社会規範の部分でひっかかっただけでは

Posted on 4月 23rd, 2009 in 倉庫 by apj

 「こんな説明ではいかが?」へのコメント。

 また、「ニセ科学批判」が、ニセ科学を批判する事を目的とするならば、「ニセ科学批判批判に対する対処」はその範疇に無いはずである。
 しかし、ニセ科学に対する態度と同様(もしくはそれ以上に)皆鋭敏に反応する。その有様が他者に与える印象の問題は先に述べたものと同様である。

 ニセ科学の定義の中に「科学を装う」が入っていて、これは「ウソをついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」といった社会規範を含んでいる。ニセ科学を問題にするということは、他の多くの人達が「ウソでもまあいいのでは」「不確かに対して細かいこと言うなよ」と、ニセ科学を抵抗なく受け容れているときに「いや、それはやっぱり問題だ」と言わなければならないということである。であるならば、ニセ科学を問題とする人達は、そうでない人達よりも「ウソをついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」といった社会規範に対して敏感、あるいは規範を重んじる事が多いのだろうと考えられる。
 「ニセ科学批判批判」は、批判対象が具体的でなかったり、実際にニセ科学を問題にしている特定の人にあてはまらない内容を含んでいたりすることがほとんどだったので、特に、「ウソをついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という社会規範に触れていることが目に付きやすかったというだけの話じゃないだろうか。

 「ニセ科学批判批判」をするのなら、最低でもニセ科学の定義は知っていないとできないし、知っていれば定義の中に「ウソをついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」という規範が含まれていることもわかるはずである。これらの規範を重んじている人達について論じる際に、これらの規範に触れる或いはこれらの規範を軽視する内容を書いて公表したら、内容について糺されるのは当然の帰結だろう。これまで見た限り「ニセ科学批判批判」は、批判対象にしている人達が尊重しているであろう社会規範を最初から無視するという態度に出ている。熟慮の上でその社会規範に反対の立場をとった、というのではなくて、ただ単に考慮していないように見える。

 なお、「批判の仕方が他人からどう見えるか」という論点を取り上げる人はこれまでにもたくさんいた。しかし、ニセ科学蔓延の原因の1つが規範意識の低下であることまで考えれば、「ニセ科学を問題にするときは他人の視線を考慮せよ」と主張するということは、情報伝達の技術の問題として論じたのでなければ、「社会規範を重んじるよりも、その場の空気を重視すべきである」と主張しているのだということになる。世間の「空気」が「不確かでもまあいいか」であることは、ニセ科学が広く流通していることから明らかである。そして、ネットでの議論の殆どは、空気を重視することも大事な顔見知りの間でなされたものではない。「ニセ科学批判批判」で、他人の視線を気にせよと言った人は、純粋に表現技術の問題として議論したのでない限り、「社会規範よりもその場の雰囲気が大事」という価値観の持ち主であったと考えざるを得ない。このことを自覚してもらいたい。

 もし、「社会規範よりもその場の雰囲気が大事」という自らの価値観を正面から認めず、心の奥底に隠したままで、「ニセ科学批判」なるものを想定し、自己正当化のために「ニセ科学批判批判」をしているのだとしたら、意識的であろうと無意識的であろうと、醜悪だと思う。ニセ科学の定義が含んでいる社会規範は既にある程度明らかになっているのだから、「ニセ科学批判批判」をすると自称するのなら、まずはその背景となっている価値観を明らかにされたい。

【追記2009/05/02】
 このエントリーは後日、一部撤回するかも。
 社会規範の側が「騙してもかまわない」となっても、ニセ科学の定義で引っ掛かるものに違いはないだろうということをPseuDoctorさんが指摘しておられて、私もその通りだと思ったので。
 近日中にニセ科学まとめでも書こうかと思っているので、その時に反映させるつもり。

二十七?それとも三十三?

Posted on 4月 23rd, 2009 in 倉庫 by apj

 日本海新聞の記事より。

琴桜像の顔に下着 市長が発見、カンカン 倉吉
2009年04月21日
 鳥取県倉吉市東仲町の琴桜赤瓦観光駐車場に建立されている、同市名誉市民で第五十三代横綱琴桜関(前佐渡ケ嶽親方)の銅像の顔に女性用下着がかぶせられているのを二十日、長谷川稔市長が発見した。銅像は市の観光の顔と言える場所にあり、二十六日には琴桜関を顕彰する桜杯争奪相撲選手権大会(桜ずもう)も予定されていることから、長谷川市長は「市の誇りをばかにされた」とカンカンだ。

 銅像は琴桜関の不知火型土俵入り姿で、高さは約二・二メートル、台座も含めると三・七メートルにもなる。佐渡ケ嶽親方時代の一九九九年四月に市民有志らの手で建てられた。

 登庁途中の長谷川市長が二十日午前八時二十分ごろ、像に下着がかぶせられているのを見つけた。十九日午後五時半ごろに近くの観光案内所の職員が前を通った際は異常に気付いておらず、十九日夜から二十日朝にかけての犯行とみられる。

 二十六日に桜ずもうの開催を控えたタイミングでの悪質ないたずらに、長谷川市長は「いたずらの範囲を超えている。許されないこと」と激怒している。

 通報を受けた倉吉署では軽犯罪法に当たるとみて調べるとともに、市などと連携して再発を防止することにしている。

 画像はこれ。
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 軽犯罪法第一条は、

第一条
 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
一 人が住んでおらず、且つ、看守していない邸宅、建物又は船舶の内に正当な理由がなくてひそんでいた者
二 正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者
三 正当な理由がなくて合かぎ、のみ、ガラス切りその他他人の邸宅又は建物に侵入するのに使用されるような器具を隠して携帯していた者
四 生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの
五 公共の会堂、劇場、飲食店、ダンスホールその他公共の娯楽場において、入場者に対して、又は汽車、電車、乗合自動車、船舶、飛行機その他公共の乗物の中で乗客に対して著しく粗野又は乱暴な言動で迷惑をかけた者
六 正当な理由がなくて他人の標灯又は街路その他公衆の通行し、若しくは集合する場所に設けられた灯火を消した者
七 みだりに船又はいかだを水路に放置し、その他水路の交通を妨げるような行為をした者
八 風水害、地震、火事、交通事故、犯罪の発生その他の変事に際し、正当な理由がなく、現場に出入するについて公務員若しくはこれを援助する者の指示に従うことを拒み、又は公務員から援助を求められたのにかかわらずこれに応じなかつた者
九 相当の注意をしないで、建物、森林その他燃えるような物の附近で火をたき、又はガソリンその他引火し易い物の附近で火気を用いた者
十 相当の注意をしないで、銃砲又は火薬類、ボイラーその他の爆発する物を使用し、又はもてあそんだ者
十一 相当の注意をしないで、他人の身体又は物件に害を及ぼす虞のある場所に物を投げ、注ぎ、又は発射した者
十二 人畜に害を加える性癖のあることの明らかな犬その他の鳥獣類を正当な理由がなくて解放し、又はその監守を怠つてこれを逃がした者
十三 公共の場所において多数の人に対して著しく粗野若しくは乱暴な言動で迷惑をかけ、又は威勢を示して汽車、電車、乗合自動車、船舶その他の公共の乗物、演劇その他の催し若しくは割当物資の配給を待ち、若しくはこれらの乗物若しくは催しの切符を買い、若しくは割当物資の配給に関する証票を得るため待つている公衆の列に割り込み、若しくはその列を乱した者
十四 公務員の制止をきかずに、人声、楽器、ラジオなどの音を異常に大きく出して静穏を害し近隣に迷惑をかけた者
十五 官公職、位階勲等、学位その他法令により定められた称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称し、又は資格がないのにかかわらず、法令により定められた制服若しくは勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作つた物を用いた者
十六 虚構の犯罪又は災害の事実を公務員に申し出た者
十七 質入又は古物の売買若しくは交換に関する帳簿に、法令により記載すべき氏名、住居、職業その他の事項につき虚偽の申立をして不実の記載をさせた者
十八 自己の占有する場所内に、老幼、不具若しくは傷病のため扶助を必要とする者又は人の死体若しくは死胎のあることを知りながら、速やかにこれを公務員に申し出なかつた者
十九 正当な理由がなくて変死体又は死胎の現場を変えた者
二十 公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり、ももその他身体の一部をみだりに露出した者
二十一 削除
二十二 こじきをし、又はこじきをさせた者
二十三 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者
二十四 公私の儀式に対して悪戯などでこれを妨害した者
二十五 川、みぞその他の水路の流通を妨げるような行為をした者
二十六 街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者
二十七 公共の利益に反してみだりにごみ、鳥獣の死体その他の汚物又は廃物を棄てた者
二十八 他人の進路に立ちふさがつて、若しくはその身辺に群がつて立ち退こうとせず、又は不安若しくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとつた者
二十九 他人の身体に対して害を加えることを共謀した者の誰かがその共謀に係る行為の予備行為をした場合における共謀者
三十 人畜に対して犬その他の動物をけしかけ、又は馬若しくは牛を驚かせて逃げ走らせた者
三十一 他人の業務に対して悪戯などでこれを妨害した者
三十二 入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなくて入つた者
三十三 みだりに他人の家屋その他の工作物にはり札をし、若しくは他人の看板、禁札その他の標示物を取り除き、又はこれらの工作物若しくは標示物を汚した者
三十四 公衆に対して物を販売し、若しくは頒布し、又は役務を提供するにあたり、人を欺き、又は誤解させるような事実を挙げて広告をした者

 女性用下着を銅像にかぶせたことを「公共の利益に反してみだりにごみを捨てた」と解釈するのか。それとも、「はり札」と解釈するのか。この場合はどっちなんだろう?

「ニセ科学」と「ニセ科学批判」の違い

Posted on 4月 22nd, 2009 in 倉庫 by apj

 Judgement さんの「UNDERSTAND」に書かれた問いへの、私なりの答えを書いておく。

「ニセ科学批判」という事があって、それに従ってそれがされているのではなく、『「ニセ科学」の概念を知った人が、個々人のポリシーで活動しているにすぎない』と言いたいんだと理解したのだけど、どうでしょう?

 私はそのように理解している。ただ、相互の議論や情報交換はあるし、他人の論じ方を見て取り入れる、といったことがなされたりもしている。「これは自分が構築した論だから他人は無断で使うな」などとケチなことを言い出す人は居ないようである。

 そういう意味では、私が以前やった「カイロプラクティック批判」も“集まりが悪かっただけ”で、同じ枠に入れられるものなのかな?

 科学を装うが科学でない部分への言及があれば、「ニセ科学」を問題にした人、という枠には入るだろう。

 「ニセ科学批判」なんてものは実体が無いものだから、ニセ科学批判批判とかにも気を取られず(まぁ、たしなめるぐらいはするけど)、めいめい自分で考える「ニセ科学対策」を実施してればいいんじゃない、という話であれば、私としても魅力を感じる。

 魅力のところは個人の判断なので何とも言えないが、めいめい自分で考えつつ、情報交換もしつつ、できることをするしかないんじゃないか、とは思っている。

 うーん、『「ニセ科学批判」という括り』を否定的に捉えるその理屈の上で、『「ニセ科学」という括り』を肯定できるのだろうか、と考えるとモヤモヤする。

 個別の「ニセ科学」だって、別に「ニセ科学としてみんなでやっていこう」としてやっているのではないでしょ。
 動機も、目的も、様態も様々な営利・非営利活動などの中から、ある条件に当てはまるものを便宜上「ニセ科学」と“括って”扱っているんじゃないのかな?
 そして、例えば「水伝」等個別のものとして語られる事も当然あるけれど、「ニセ科学というもの」という括りの上でも「議論や考察の対象」にしていたりしますよね。

 逆に言えば、自分が「ニセ科学」という括りを活用するのと、「ニセ科学批判批判者」が「ニセ科学批判」という括りを活用するのでは、何がどう違うのだろう?

 「ニセ科学」の意味は、最初にきくちさんが「科学を装うが科学ではない」と端的に述べた。これだけだと、何かの判定基準に使うには精度が悪いと思ったので、私は、旧blogでもう少し精度を高めることを考えた。それが、「ニセ科学の定義と判定について考える」である。最初の方に、ニセ科学批判という言葉を使っている。これを書いた時は、個別のニセ科学を批判することについて、「科学的な議論なのかそれとも科学じゃない議論を混ぜているのか」「科学でないことまで批判にまぜるのはどうなんだ」といった混乱があったので、「ニセ科学」の定義が、異なる二つのやり方でニセ科学かどうかを判定する構造になっているということをはっきりさせておく必要があった。

 「ニセ科学」という言葉が知られるにつれて、メタな「ニセ科学批判批判」があちこちで出てきた。私もあちこちのblogで議論に参加した。このときの議論の共通点は「ニセ科学批判批判が対象にしているのは、誰の何に対する批判のどの部分かをまず示せ」というものであった。これをきちんと実行しなければ「ニセ科学批判批判」は何を言いたいのかわからない状態にとどまるし、実行した途端、メタな「ニセ科学批判批判」は個別の批判の問題点の指摘に変わってしまう。つまり、個別の「水伝批判批判」「マイナスイオン批判批判」等々でしかなくなる。
 ネットの議論を全部見たわけではないのだけど、「ニセ科学批判批判」側が、「ニセ科学批判」の有効な定義を出せたかというと、今に至るまで出せていないというのが私の理解である。「ニセ科学」に対して何らかの批判をすること、という、同語反復なら誰にでも言えるので、これを越えた内容を含んだ定義があるかどうかを問題にしている。
 では、「ニセ科学批判」側が「ニセ科学批判」を定義できたかというと、それも無かったというのが私の理解である。「ニセ科学批判」側も、「ニセ科学」を批判すること、という同語反復以上のものを出せていない。

【追記】
 実体があるのは、あくまでも、個別のニセ科学に対する個別の議論であって、「ニセ科学批判」ではない。

 一方、「ニセ科学」は違う。これまで批判の対象となってきた非合理である「擬似科学」「病的科学」「オカルト」「非科学」「陰謀論」等々と、重なる部分があるにしても、これらとは区別された新しい括り方である。「擬似科学」が比較的近いが、「擬似科学」には、「積極的に科学を装う(それも多くは他人を欺す目的で)」という意味合いが十分に含まれていない上に、科学哲学の論争がくっついている。「ニセ科学」はもう少し実用的な定義になっているし、科学哲学の枠組み内だけでは終わらない、社会規範まで含んだ内容になっている。

 新しい言葉で何かを表すことに意味があるのは、その言葉で表されたものが従来にないものを含んでいるとか、その言葉で表すことでものごとの整理がついて理解しやすくなったりする場合である。「ニセ科学」は、これまでに批判されてきた非合理のカテゴリーを新たに定めるという意味がある。

 しかし、「ニセ科学批判」には、今に至るまで新しい意味が見いだせていない。具体性を欠いた「ニセ科学批判批判」があちこちで行われ、その議論の結果何かの理解が深まるということも無かった。
 これだけなら、「ニセ科学批判批判」側の勘違いに対して、個別に突っ込みを入れていれば済んだ。

 ところが、mzsmsさんの「擬似科学批判・批判」が出てきて、TAKESANさんのところで「不明確」というエントリーとして取り上げられ、Judgementさんの「イノセント」につながっていった。
 正直なところ、私も、自分の所でコメントしたしTAKESANさんのところにも少し書きにいったのだけど、書きながら何かがおかしいという引っかかりを感じていた。
 mzsmsさんの方にも整理できていない部分があった。科学哲学としての「擬似科学」を話題にするつもりなら、「ネット上で見かける」とやったのはちょっと危ないし、kikulogを例に出したら「それは違う」と言われても仕方がない。それでも、mzsmsさんがセクショナリズムだと言ったとき、私はそういうとらえ方も有りだろうと思った。言葉のネガティブイメージに引きずられて議論が難しくなることがあるにしても。

 もし、mzsmsさんが、「「ニセ科学」の定義はセクショナリズムだ」と書いていたら、議論の展開は随分と違ったものになっただろうし、得るものもあっただろうと思う。しかし、はてブあたりで出回っているキーワードは「ニセ科学批判」であり「ニセ科学批判批判」であり、「批判」の数が違うものだったりする。「ニセ科学」の定義の方は、私が出して、その後コメント欄で皆さんが補足したものでとりあえず足りているらしく、さらにブラッシュアップしようという話はなかなか出てこない。

 まとめると、
(1)「ニセ科学批判批判」を自称する人達は、「ニセ科学批判」について、同語反復以上の定義ができていない。
(2)「ニセ科学」を問題だと思う人達も、「ニセ科学批判」について、同語反復以上の定義ができていない。
(3)「ニセ科学批判」という言葉で括ることで、何か新しいものが出てきたわけでも、何かの理解が進んだわけでもない。
(4)「ニセ科学批判批判」に対しては、毎回毎回「とりあげているニセ科学批判とは、誰の何に対する批判のことなのか」という確認が必要だった。
(5)「ニセ科学批判がセクショナリズムだ」という問題のとらえ方をするのなら、「ニセ科学批判」が同語反復でしかない以上、もともとの「ニセ科学」の定義がセクショナリズムと呼べるものを含んでいると考えるしかなく、ニセ科学の定義に関する議論として展開されるべきであった。ニセ科学への対策に直接役立たなかったとしても、定義の人文科学方面からの意味づけというのは、あって良いものである。しかしmzsmsさんの問題提起と、「ニセ科学」を問題にしてきた人達の反論の両方が「ニセ科学批判」という括りに引きずられてしまって、これまでのメタな「ニセ科学批判批判」への反論と同じパターンで展開してしまった。
ということになる。

 これだけ揃うと、「ニセ科学批判」には最初から実体がなかった、と考えた方が妥当だという結論になる。(1)から(4)がここ3年くらい蓄積されてきたことで、(5)が先日の話だけど。
【追記】
 実体があるのは、「ニセ科学」の定義にあてはまる個別の事例であり、その個別の事例に対する個別の議論である。

 「ニセ科学批判」に実体がない(【追記】実体があるのは個別の議論の方である)ということをはっきりさせなければならないと私が考えた理由は、「ニセ科学」の定義の性質の問題として議論されるべきことまで、「ニセ科学批判」対「ニセ科学批判批判」という議論に引き込まれてしまうという弊害が出てきたからである。

【トラックバックのための追記】
疑似科学批判批判批判批判、を読んでいて思ったあまり関係のない感想へのコメントとしてトラックバックさせていただく。

「みだらな言葉」の中身が気になる

Posted on 4月 22nd, 2009 in 倉庫 by apj

 Yahoo経由産経新聞の記事より。

空港トイレに交際CAの写真張り逮捕
4月20日16時40分配信 産経新聞

 元交際相手だった女性の顔の画像と、ほかの女性の裸画像を合成して作った中傷ビラを、羽田空港のトイレに張ったとして、警視庁捜査1課は20日、名誉棄損の疑いで、海上自衛隊横須賀基地所属の2等海尉、高村壮史容疑者(31)=神奈川県横須賀市=を逮捕した。同課によると、高村容疑者は「彼女と別れた後も気にかかり、腹いせでやった」と容疑を認めている。

 同課の調べによると、高村容疑者は元交際相手で、埼玉県内に住む30代の女性会社員を別れ話のもつれから逆恨みし、1月上旬、羽田空港第1旅客ターミナルビル2階にある男子トイレの個室内に、女性の顔の画像と別の女性の裸の画像を合成するなどして作った中傷ビラを張りつけ、女性の名誉を棄損した疑いがもたれている。

 同課によると、ビラの大きさはA3版で、女性を傷つけるみだらな言葉も書かれていた。防犯カメラの映像などから、高村容疑者を特定した。

 同課はほかの数カ所で同様のビラ計十数枚が張られていることを確認しており、高村容疑者との関連を調べている。

 コラージュの出来と「みだらな言葉」が何であったのかが気になる。といっても、下世話な興味があるわけではない。
・誰が見てもコラージュとわかるものだったのか、ほとんどの人が本モノのヌード、と思うような出来だったのか
・コラージュとすぐにわからない写真なら、写真公開だけで名誉毀損のハードルを越えるのか。コラージュとすぐにわかるものだったらどうなのか。
・みだらな言葉が書かれていたとあるが、言葉の内容だけでも名誉毀損になるようなものだったのか

 コラージュで名誉毀損、というのがどんなふうに成立するのかとか、どういう主張で争われるのかに興味がある。

【愚痴】全弾命中(泣)

Posted on 4月 21st, 2009 in 倉庫 by apj

 昨日の夕方。普段より早い帰宅途中で、信号待ちをしていたら、電線にとまっていた鳥がフンを落とした。電線が入り組んでて姿がよく見えなかったのだが、結構でかい鳥(カラスかなぁ)だったみたいで。私の右腕から右足にかけて白っぽいのが大量にべっとり(泣)。
 情けないったらありゃしない。家に帰って上着やらズボンやらをせっせと洗濯するハメに。

 ここ5年以上自転車通勤してるけど、何ちゅうクリーンヒット[:つかれた顔:] 。

 ちょうど冬用のジャケットから春用の上着に替える時期だったとはいえ、背中にしょってるノートパソコン運搬対応のデイパックのベルトにも一部くっついて、拭いても臭うし。

 デイパックも6年くらい使って古びてきたのでそろそろ次のを買おうかと思っていた私の気持ちは、思いっきり後押しされますた。