コメント欄に書いたのだが、まとめのためにエントリーを上げておく。現行法の範囲内で考える。
高校は義務教育ではなく、公立高校では授業料を受益者が一部負担するという制度で運営されている。
高校と(あるいは地方自治体と)の契約は、高校生本人だけでは無理で、法定代理人(親権者がなる)が必要。
授業料が不払いという事実があった。
【ケース1】
親が、「高校なんかもう行かなくていい」あるいは「支払わないために除籍になってもいい」という考えの持ち主であるために授業料を払っていない場合。
督促が嫌なら退学させるという手段を親はいつでも取ることができる。これを第三者が止めることはできない。
授業料の督促の少額訴訟をされたところで、未払い分を払った後の支払拒否=退学、で終わる。さかのぼって退学ができれば、そうするだろう。とことん払わず、登学停止でもかまわず、そのうち行われるであろう除籍を待つ、という方針を親がとったとしても、結果は変わらない。
道義的にはともかく、これを法的に止める手段はない。「ツケを回す」も何も、現行法では親にそうすることを許している。
保護者と親が別人で、親権者に対抗して保護者が居るという状況なら可能だが、法的には親権者が反対している限り、親の反対を押し切って高校に進学することは法的には不可能である。親権者である親が別の例えば親戚の人を保護者と認めて、高校に進学するという形であれば、幾らでもあるが、親が保護者も認めないから法律で争ってというのは、親権の否定になる。現行法では、例えば家庭放棄だとか児童虐待といった刑事罰の対象になるような事実がない限り親権を否定することはできない。高校に行きたがる子どもを進学させないといっただけでは、刑事罰の対象にはならない。客観的に子供が親を許せないといった場合であっても、第三者が親権を取り上げることは出来ない。(酔うぞさんのコメントのまとめ)
感情論では、高校に行きたがる子どもを行かせないというのは虐待にあたるという話になるかもしれないが、法的には刑事罰相当でないと虐待とは判断されない。
現行法の範囲を超えて少し考察すると、部分的に親権を制限する制度を作れるか、という問題となる。
このことについては、別エントリーのコメントの法匪さんの指摘の通りである。「教育に関わる自由を、親からの子供の自由だと把握して、親から取り上げてでも子供に公教育を課すことを教育の自由の保障だと考える」という立場を日本ではとっていないので、まずこの部分を変えることになる。そしてこの立場を取るのであれば、今度は「(近代法というものの建前上一人前の主体ではありえない)子供自身に対して公教育内容の公権的決定などを通じて国家介入が行われるという事態」を容認しなければならなくなる。後の方を受け入れないなら前の方を受け入れることはできない。
すると、「親がアホのツケを子どもに回すな」が具体的に意味するところは、「親の親権を制限してでも子供に公教育を課す(このための国家権力の介入は認める)制度を作れ」という主張となる。
介入とまではいかないが、もうちょっと子どもを援助しても良いのではないかという方針でいくならば、「親がアホのツケを子どもに回すな」は、「子供が高校に通うことを希望しているのに親が反対して金を出さない場合には、授業料の支払を免除せよ」という主張となる。
【ケース2】
親が、経済的に支払は可能であるにもかかわらず、隙あらばズルをしたいという考え、あるいは単なるずぼらで授業料を払っておらず、しかし子どもに高校を卒業させたいと思っている場合。
この場合は、少額訴訟までいけば払うことが予想されるし、強制執行しても問題はない。「登学停止」「除籍」を予告しての厳しい督促があったら払うかもしれない。「卒業証書を渡さないぞ」をくっつけた程度の督促で現実には支払われた(元の新聞記事の件はこのカテゴリーに属するものであったと推察できる)。
すると、これらの督促手段をとった場合、「親がアホのツケが子どもに回」ったとして、子どもにとっての具体的な「ツケ」の内容とは、「プレッシャーをかけた請求が行われていることを子ども自身が知って、一時的に不安を感じたり嫌な思いをする」ということだけに止まる。この程度の不利益であれば「親がアホのツケを子どもに回すな」という理由で第三者が積極的に非難するほどのものではない。
なお、子どもが「登学停止」「除籍」でもよいから払わない、と考えて、実際にそこに至らせる親はケース1として考えることになる。
【ケース3】
経済的に困難で払えない場合。
既に指摘があったように、現状では殆どが授業料免除の対象になっていると考えられる。公立高校での授業料免除の対象は10%程度になることもあり、相当に手当てがなされている。
経済的理由で退学するケースが現実にはあるが、各家庭がそれぞれの事情のもとにその結論を出した場合、子どもの希望に添うものでなかったとしても「親のアホさに子を巻き込む」と第三者が非難するのは不適切だろう。
このように考えると、私が当初賛成した手段「授業料を完納しないと卒業証書を渡さない」は、「親のアホさに子を巻き込む」ということを引き起こしていないし、引き起こしようもない。
もちろん、「プレッシャーをかけた請求が行われていることを子ども自身が知って、一時的に不安を感じたり嫌な思いをする」だけでも、「親のアホさに子を巻き込」んだという判断をする人が居るかも知れないが、この部分の判断がそんなにはっきり決まるとは私には思えない。契約は守らないといけない、ということをプレッシャー付き督促を通して体験して知ることが、高校生くらいの年齢の子どもにとって、悪いことであるとは思えない。
「親のアホさに子を巻き込む」ことが起きると考えて私を批判している人達は、多分幻を批判している。
【追記】
「親のアホさに子を巻き込む」という批判は、プレッシャー付き督促(所謂悪質な取り立てとはほど遠い程度)が行われていることを子供に知らせることの可否についての立場の違いの表明でしかない。
そうではなくて、授業料が滞納されることによる具体的な被害の発生まで含めての議論だというのであれば、次の2つのうちいずれかの意味だと考えることになる。
「親がアホのツケを子どもに回すな」というスローガンめいた主張を具体的な制度にまで落とし込むと、
(1)親の親権を制限してでも子供に公教育を課す(このための国家権力の介入は認める)制度を作れ
あるいは、
(2)子供が高校に通うことを希望しているのに親が反対して金を出さない場合には、授業料の支払を免除せよ
となる。
「親がアホのツケを子どもに回すな」という理由で私の意見に対する反対意見を述べているつもりになっている人たちが、本当にしなければならないことは、(1)や(2)を実現するための論を立てるということである。主張している人達がそのことに気付いているかどうかは不明だが。
(1)は、教育の強制に対する国家権力の介入を認めるか、つまり、各個人の教育の自由の侵害を認めるかという部分で合意されないかぎり、制度として作るのは無理だろう。教育の自由が欲しいと考えている人達の主張とは両立することがないからである。
【追記2009/03/12】
酔うぞさん他のコメントにより、社会の側が親権を一部制限して教育を強制する、というのが即ち義務教育だと気付いたので追記。つまり、(1)を実現するとしたら、高校教育の義務教育化という考え方にいきつくことになる。
(2)は、実行したらモラルハザードを引き起こし、受益者の部分負担で運営するという公立高校の制度そのものが崩壊する。この方針でいきたいなら、最初から公立高校の授業料は無料とし高校を義務教育にせよという主張をするしかない。
スローガンは具体的な制度にまで落として考えないと、感情論になるだけで、議論の精度は上がりそうにない。
【追記】
元の新聞記事は、「(滞納者に対して規則で定められている登学の停止や除籍の可能性を伝えて督促するのならかまわないし、払わなければ警告通りに実行してもよく、また少額訴訟による回収でも構わないが、規則にない)卒業証書を出さないという回収の仕方は(規則に無いため恣意的な)嫌がらせになるから不適切」と読むべきだということになる。つまり、校長は、主観的には規則や法に定められた内容よりも穏当な督促をしたつもりであったかもしれないが、客観的には嫌がらせになってしまう可能性があるということになる。
【追記】
なお、法解釈の問題として、教育基本法や児童の権利に関する条約のような一般的条文から、校長が具体的にどのような行動をとるべきかという具体的行為規範を導けない。本件の校長の行為が規則違反であったとしても、それが教育基本法に違反するという解釈は、通常の法解釈の常識からは出てこない。この点についても、法匪さんの指摘に同意する。一般的条文がただちに具体的な請求の根拠になるという主張がトンデモ法解釈だという見解について、私も同意見である。
【さらに追記】
昨今の景気の悪化で、貧困の広がるスピードが想定よりも早すぎるために援助が追いつかなくて授業料未納になるケースについては、援助の枠を増やすように行政に求めるという方法で解決する問題だろう。未納を現場の温情的措置で見逃した場合、その分は結局税金で補填することになるが、それは形を変えた補助である。現場で恣意的にこれをやると、今度は、補助の基準が一律ではなくなるという別の不公平が発生する。それならば、最初から、必要な人に援助が届くように基準を決めて対応する方が良い。払えないものを払えというのは無理だし、個人の努力では挽回できないほどの格差を放置するのはよろしくない。経済的事情に応じて教育費を援助するというのは、セイフティネットの一つの在り方だろう。