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判決書公開

Posted on 3月 3rd, 2009 in 倉庫 by apj

 神戸の裁判の判決書を公開した。私の方から控訴する必要はないが、相手方の控訴はあり得るので、確定していないことを前提に読んでほしい。

 当事者参加の可否については、「第2 5」で

5 独立当事者参加の要件に関する当裁判所の判断(1) 本件論評が原告に対する名誉段損行為であるとすれば,不法行為責任(損害賠償義務及び本件文書削除義務の双方が含まれる。)を負うのは原則的に情報発信者側の参加人らであり,参加人らの原告に対する不浩行為責任が存在しないとなれば,必然的に被告の原告に対する不法行為責任も発生しない。 すなわち,原告の請求の当否を判断するためには,参加人らの不法行為責任の存否を判断する必要がある。
(2) ところで,参加人らの不法行為責任の存否を判断するためには,本件論評につき,後記平成9年最高裁判決のいう違法性又は責任阻却事由があるのかどうかを判断しなければならない。ところが,この点に関する被告による主張立証が極めて困難であることは,弁論の全趣旨に照らして明らかである。
(3) したがって,被告に応訴を委ねたままでは,その点に関する被告の主張立証が貧弱なものとなるおそれが強いが,その結果として,被告が本件訴訟で敗訴した場合,参加人らは,冨永サイトや天羽サイトでの表現活動の一部を物理的に制限されることになる。
 そうすると,参加人らを当事者として訴訟に参加させ,本件訴訟の審理の対象(判決主文における判断の対象)を拡張し,参加人らの不法行為責任の存否の問題を正面から取り上げることが必要であり,そうすることが民事訴訟法47条1項前段の趣旨に合致するというべきである。
(4) 以上のとおりであるから,参加人らは「訴訟の結果によって権利が害される」として,民事訴訟法47条1項前段により,当事者として本件訴訟に参加することができると解され,本判決では参加人らの請求の当否も判断すべきことになる。

 という判断になった。名誉毀損行為があった場合の責任は発信者である掲示板管理人や書き込んだ本人にあり、直ちに大学にあるわけではないという判断である。これで、参加の目的のかなりの部分は達成できたといえそう。
 共同不法行為というのがあるので、大学を完全に免責するのは不可能だけど、少なくとも、教員の表現について大学が常に全面的に責任を負うという話でもない。

 教員の所属組織である大学を訴えて、言論と表現を萎縮させようとしても、情報発信者である教員が当事者として攻撃防御できる可能性があることがわかった。

 ただ、吉岡氏のビジネスにまで踏み込んだ判決になったのがちょっと意外。もうちょっと文言の争いのレベルで判断して、「名誉を全く毀損しないとまでは言えないが、不法行為と呼べる程度でもない」あるいは絵里タンの主張の通りに「名誉が毀損されるとしても不特定のダウンの人々であり原告ではない」という判断をしても、主文の通りの判決は出せるはずである。吉岡氏のビジネスの姿勢についての判断まで出したかったから敢えて入り口で判断しなかったというふうにも見えるし、裁判所がマルチ商法に怒りを覚えているようにも見える。

 ある意味凄まじい判決なので、こんなん出して大丈夫かと逆に心配になってみたり。

 私の予想では、文言の争いで終わり、吉岡氏のビジネスには言及しないという判決を予想していたわけで……ただ、弁論では真実性や公益性まできちんと主張しておいたので、その部分が裁判所の判断に使われたことになる。逆に言うと、いくら文言の争いで終わりそうだよな、と思っても、とりあえず名誉毀損訴訟の枠組みに沿った内容を全部埋めた弁論をしないと危ないということでもある。本当に教訓その1というか何というか。

独り言

Posted on 3月 2nd, 2009 in 倉庫 by apj

 昔は、教育の場には、「教師と生徒・学生の関係」というのがあった。教師が聖職者とされていたり、一定の権威を持っていたりといった一時期のことを指したかったので「」付きにしてみた。その頃、先生は一応は尊敬されることになっていた。まあ、教師の陰口を言うのは生徒の特権(?)だったけど、一応形式的には敬うことになっていた。この約束事が何を守っていたかというと、生徒や学生がある程度失敗をしても外に出さず、教師と生徒のウェットな関係のもとで許すとか教育するという仕組みを守っていたんじゃないかなぁ。

 だから、生徒・学生の側が法治主義的な手段でもって教師と対等な位置に立つ意思を示したら、一応教師側には職業倫理があるとして、残るは対等な(契約に基づく)人対人の関係になってしまう。これは生徒・学生にとってむしろ過酷な面があるんだけど、法治主義的な手段で最大限権利を認めさせる成功例が出てきてしまったら、多分もう昔の関係に後戻りはできない。なにがしかの職業倫理を前提にするとしても、倫理の枠組みでは法治主義的なルールを逸脱することはできないから、何かコトが起きたときになあなあで何とかするという解はとれなくなる。むしろ、なあなあで納めることが違法な行為になってしまったりする。

 最初に、法治主義的発想で教師や学校に対して要求を通すことを思いついた人、実行した人は、確かに斬新な発想を持っていたと思う。だけど、それを実現したら最後、全てを法治主義的発想で処理する仕組みを作らない限り全体の整合性がとれないし、制度としても機能しない。最初に思いついた人が、来るべき未来をどこまで想像していたかは知らないが、これまでウェットな関係で調整していた教育の場を法治主義的ルールでもって調整する世界を望んだということなんだろう。仮にそいつがそんなことは想像もしていなくて、気持ちの上では望んでいなかったとしても、行動でもって示してしまったわけで。オモテにコトを出さず、人の善意(一般用語の意味で)とか甘えを許しつつ問題解決をする制度に、一部分だけ(コトによっては都合の良い時だけ)権利義務関係を持ち込むというのは、制度の崩壊を引き起こすし、モンスタークレーマーにエサを与えるだけになってしまうだろう。どうやっても両立しないんだよね。

 社会の側は司法制度改革をやって法化社会に舵を切ったし、その社会の側の基準で教育現場にも要求が突きつけられるのだから、教育をする側も一貫した法化社会的対応をする以外に方法は無い。まだ、その気持ちの切り替えができない人達が居るから横やりが入るのだろうけど、もう昔の考え方ではやっていけないということは早晩わかるのではないかなぁ。多分、今は過渡期で、暫くは混乱するし、双方で奇妙だと思うこともいろいろ出てくるのだろうけれど。

【追記】
 過渡期の混乱としては、どこかで会社法がらみの裁判で混乱するものが多発中というのを読んだ覚えが……。自営業をやってて、親が亡くなって子供が事業を継ぐことになったが、兄貴に商才が無くて弟に商才がある場合の話。昔だったら、街のご隠居さんが出てきて、兄貴の生活が困らないように弟が面倒を見るかわりに、商売は弟が継ぐ、といったなあなあ解決で済んでいたのが、最近は会社法の枠組みでもって地方裁判所に揉め事が持ち込まれる。でも背後にあるのは、むしろ家庭裁判所でケリを付けた方がよい種類の身内のごたごただから、結果として裁判所もわけがわからん、と……。

【追記】
 教師を尊敬しろとか教師に権威を認めろ、というのは、教師に対して「生徒に対してパターナリズムを発揮せよ」という要求の別の表現だったんじゃないかな。教師を尊敬の対象にしないことにし、権威も認めないことにしたら、パターナリズムを発揮していい根拠は法なり規則なりに求める以外に無くなる→結局法治主義的ルールで教育を縛るしかなくなる。
 教師の権威を否定したり尊敬をやめたりすることは、教師によるパターナリスティックな対応も拒否する、つまり保護なんか無しで自己責任でいく、ということの表明になっている。

教育的配慮が暴走すると規範をぶちこわしにする

Posted on 3月 1st, 2009 in 倉庫 by apj

【追記と注意】
 この件についての考察を進めた結果、このエントリーを書いた時とは異なった理解に至ったので、こちらを見て欲しい。

 卒業証書問題をchem@uさんのところが取り上げたので引用。私の問題意識とほとんど重なっていると思う。

「ムラ社会型の教育機関への縛り」とはこの場合、「未期限までに全額納入がない場合は、卒業証書をお渡しできません」という法治社会型の契約に基づく対応を取ろうとしても、筋の通らない苦情や抗議が起きて、教育機関が追い込まれるということ。
メディアがニュースに取り上げ、「教育者像」との違いについて謝罪させられ、教育委員会あたりが、「未納を理由に卒業証書の授与を拒むことはできない」と横槍を入れざるを得なくなる。

場当たり的な対応によって周知される「授業料払わなくても卒業できる」という事実、これが将来どんなことをもたらすか、そんな想像力もでないのでしょうか。

(中略)

教育的配慮 法治社会では不要(個別の教員が配慮する事はあっても、配慮するよう他者が教育者に求めるのは筋違い)
説得力 「サービス業」は無限大のサービスを提供するわけではない。
教育と金 そもそも政治の問題、現場に負担を押し付けるな。

 この対応がまずいのは、場当たり的な対応で契約を無視してもかまわないということを公然と社会に知らしめてしまった、という点。これがどれだけ反社会的な対応か、当事者も認識していないらしいので、問題としてはより深刻だと考える。

 法治社会の原則の1つとして「契約は守らねばならない」というのがある。これは、より一般的な「約束したことは守りましょう」という倫理的規範の一部分である。原則だから、当然「例外」もあるけど、例外とは、例えば契約の前提となった条件が途中で著しく変わってしまって当事者にとって想定していなかった極端な不公平が生じた、とか、そもそも契約の内容自体が最初から公序良俗に違反していた、というような場合であって、「教育的配慮」などというものは、契約には基本的に何の関係もない。

 期限までに授業料の納付が無ければ卒業証書を渡せません、というのは、契約を守ることが前提の社会では至極当然の対応であるし、社会規範にも一致している。

【追記と訂正】
 理由無く授業料が納付されなかった場合に校長がとれる手段として許されているのは、「登校の停止」あるいは「除籍」とのこと。中途半端に「卒業式には来てもよいが卒業証書を渡さない」はむしろダメで、「卒業式の当日に登校を停止」であればOKのはず。お役所の指導としては、「卒業諸処を渡さないのは(規則にないから)不適切だが、代わりに登校を停止するといった、明文に書かれた措置をきちんととれ」が正しいのだろう。
 いずれにしても、授業料を払わない人に何もせずそのまま卒業証書を渡す、というのが制度を壊す方に働くことは確かではないかと。

「教育的配慮」「児童を護る」といった、契約と関係のないものを持ち出して、横やりを入れることで、規範を無視してサービスを要求し、それを当然と思っていることがおかしいのである。場当たり的にルールを破ってもかまわないということを、ルールを守ることを教えるべき教育現場で示すのは、してはいけないことである。これでは、いくら「ルールは守りましょう」と唱えたって、説得力が皆無である。

 「教育的配慮があれば規範は無視でよい」「学生は護られるべきだから契約を破っても護られて当然」といった倫理観を持った学生を育ててしまうことの方が、致命的にまずいと思う。社会にそういう価値観が蔓延することの方を、私は憂慮する。それに、何だか将来のモンスタークレーマー予備軍を養成しているようにも見える。

卒業論文はそれなりの多数にとって必要

Posted on 3月 1st, 2009 in 倉庫 by apj

 むやみに「学問」を強調しないという前提での話だが。

修士論文の代わりに退学願を提出してきた」より。

単位卒業がないから,僕のいたところみたいに大学院に行っても授業は 出席だけで済んでしまう様に,授業の価値が下がります.だって,結局 論文がほぼ全てなんだから.就職予備校の気分なのに,出席するだけの授業なんて なんの為に学費払ってるのか分からないし.わけのわからない論文を書かされるのも 苦痛です.逆に,学の府として卒業したい人にとって,論文が書けないなんてあり得ないので 論文が卒業に必須なのは当たり前です.文章が書けない人間は残念ながら「学」に 残ることはできないのですから.その人にとっても出席だけで終わる様な 授業はそりゃ出る意味がありません.

だから,卒業に必要な単位数は学生で一律にしつつ,卒業論文は「必修」から 外せばよいのです.卒業論文は現状でもかなり大きな単位数(10単位とか)を 持っているので,それを取るならば授業での単位は必要最低限取得すればいいし, 逆に卒業論文を取らない人にとっては,授業を必死で受けないと卒業できない ことになります.

 文章が書けない人間は、残念ながら企業でも残ることはできないので、在学中に卒業論文を書く経験をすることに意味はある。但し、学問の業績として専門誌にのるような論文ということではなく、やったことをきちんとレポートにして他人に分かるように書き残せる、ということなのだけど。

 理系の学部の多くで必修とされている学生実験では、やるべき内容が書かれたテキストがあり、機材や試薬も全部揃った状態で実験をしてレポートを書く。レポートの書き方も、実験の目的、使用した試薬や装置、実験方法、結果、考察、といった一定のフォーマットが要求される。この場合は、説明の部分はほとんどテキスト通りに書けば仕上がるので、「型にはめる」効果はあっても、他人を意識して書くというところにはなかなか到達しづらい(それを知ってしまう学生もいるが、一部だろう)。

 卒業研究になると、テーマが個別に与えられ、必要なものが最初から揃っているわけでもないし、決まり切ったテキストがあるわけでもない。大抵は、指導教員や先輩に訊いたりしながら進めていく。
 卒業研究のテーマを出す側としては、4年生にとって敷居が高すぎず、即投稿論文になるほどのオリジナリティまでは要求しない(追試+αでもよい)が、1年でできて、本人が中身を理解できて、それなりのレポートが書けるようなテーマを毎年考えている。1年終わると、既製のテキスト通りでない手順と方法で何かをやった結果が学生の手元に残ることになる。そこで卒業論文を書くことになる。
 多くの学生にとって、既に分かりやすく説明してある本などが無い状態で自分が何をどうしたかについてまとまったものを書くという最初の訓練をするのが、卒業論文ということになる。そこで、私がいつも学生(実は博士前期の院生も含む)に言っていることは、「学部の勉強をしてきただけの今の3年生が、来年ここにきて、あなたの実験の追試をしようとしたときに、あなたが書いたものをみて、実験の意味がわかってちゃんと操作などができるように書け」ということである。推敲の時も、「学部の勉強しかしてなくて、これを読んで実験しろと言われたらあなたはできるか?何をどうしていいかわからないというのなら、それは説明が不足している」と言っている。
 学問的な意義とか価値とかにこだわる前に、他人が読んで使えるものでないと意味がない。オリジナリティ溢れるテーマを卒研でやらせる先生もいるかもしれないし、4年生で既にレベルの高い研究をやってしまう優秀な学生も居るかもしれない。しかし、多くの学生は極端に学問に秀でているわけではなく、普通に知識を身に付け、普通に企業に就職して、そこでやっていく。それに合わせた指導ということになると、泥臭いことでもいいから現場がわかるように、かっこよくなくてもいいから何も知らない人が後から来てたどれるように書け、ということになる。プロ向けの投稿論文では通常は省略されるコツやノウハウも、卒論や修論にはどんどん盛り込んでかまわない。

 会社に就職して技術系の仕事をすることになったら、どんな仕事をしてどんな結果になったかを残していくことになる。たとえ、自分が「こんなちゃちな簡単な仕事、他の出来る人達は当然わかっているはずだから残さなくてもいいだろう」と主観的に思ったとしても、レポートにして残さなければならない。会社では、部署が変わったりして、自分がやっていた仕事を全く別の人が続けることもある。その時に、使えるレポートをきちんと残してあって新しく来た人がそのレポートを元にして仕事を進めていけるようになっているか、ろくにまとめてなくて新しく来た人がまた同じ手間をかけないと状況が把握できなくなっているかで、前任者に対する会社の中の評価だって分かれる。学問的に価値のあるものでないとダメとか、レベルが高いものしか書きたくないといった、変なプライドはむしろ邪魔である。日々の仕事の区切りごとの、ちょっとずつ進んでいる部分を確実に残す方が、後の誰かの役に立つ。

 教員が4年生の研究内容を十分把握しているのは当たり前だから、教員に対しては省略した説明でも通じてしまう。しかし、それでは他の人には伝わらない。だから、4年生と大差ない知識を持っているはずの、これから卒研を始めようとする3年生を対象読者として、知っている範囲の知識やらコツやらを文章で伝達せよ、というのが、卒業論文の真の課題だと私は考えている。これができれば、会社に行って、どこかの部署で仕事をし、レポートを残し、社内の別の人に仕事を引き継ぐということもうまくできると思うからである。

 社会とのつながりに関する問題点としては、卒研や修士論文を仕上げる過程では、チームワークを教えづらいということがある。これは、大学や大学院の評価が、あくまでも学生個人に対する評価であり、研究テーマは1人1テーマで、基本的に個人で仕上げることが要求されるからである。大学は、単位認定の制度上、学生が個人で問題を解決するように仕向けているのだけど、社会では、他人の助けを借りてはいけないというルールはないということを心に留めておいてほしい。

ゴネ得を認めているだけのような……

Posted on 2月 28th, 2009 in 倉庫 by apj

【追記と注意】
 この件についての考察を進めた結果、このエントリーを書いた時とは異なった理解に至ったので、こちらを見て欲しい。

 Yahoo経由時事通信の記事より。

授業料未納「卒業証書渡さない」=県立高8校、家庭に通知-島根
2月27日20時11分配信 時事通信

 島根県の県立高校8校が「授業料を滞納している生徒には卒業証書を渡さない」と各家庭に通告していたことが27日、分かった。一部保護者から苦情が届き、県教委はすべての県立高校に対し、滞納を理由とする証書授与の見送りなどをしないよう通知した。
 県高校教育課によると、安来高校(安来市)では1月、すべての3年生約150人の家庭に「全額納入しない場合は卒業証書を渡せない」とする内容の文書を配布した。その後、全生徒が授業料を全額納入し、3月1日の卒業式では全員に卒業証書が渡される。同校は昨年1月にも同じような文書を配っていた。
 ほかの7校では、2004年度からこれまで計65人の家庭に対し口頭や文書で授業料を催促。このうち06年度に1人が卒業式当日に証書をもらえず、3月中に受け取っていた。滞納期間は長い場合で2年近くあったという。

 

 保護者からの苦情というが、授業料をきちんと支払えば問題は生じないはず。記事中の保護者は、金を払わずゴネた方が得という価値観を持っているように見えるし、それを行政が容認しているようにも見える。
 経済的理由で支払が困難なことがはっきりしているのであれば、奨学金を出すとか授業料免除の対象にするといった形で解決するべきであって、それでも滞納する場合には卒業証書を出さないという形にしないとまずい。
 県の状況が報道だけでははっきりしないのだが、もし、支援をさぼっておいて払わない人にも卒業証書を渡すというのであれば行政の怠慢だし、怠慢のまま済ませるために滞納していても卒業諸処を出せと現場に指示したのだとしたら、やっぱり間違っている。「払うものを払わなくても対価を受け取れる」ということを学習させる結果になりそうで、良いこととは思えない。

 本当に支援が必要な人にはサポートをする代わりに、ゴネ得は認めない、ということにしないと、モラルハザードが激しくなる一方なんじゃないかなぁ……。

何なんだこれは?

Posted on 2月 27th, 2009 in 倉庫 by apj

 毎日jpの記事より。

爆破予告:山口大工学部4年生を逮捕 威力業務妨害容疑

 山口大学に爆破予告電話をかけたとして山口県警宇部署は26日、同県宇部市開、同大工学部4年、下村貴士容疑者(23)を威力業務妨害容疑で逮捕した。「進学する大学院でまた勉強するのかと思うとストレスを感じた。ストレスを払うためにやった」と認めているという。

 逮捕容疑は、24日午前11時ごろから午後0時半にかけ携帯電話で「爆弾は5階、6階、7階だ」など4回にわたり電話し、職員に爆発物を探させて業務を妨害したとしている。

 山口大では事件翌日の25日から入試2次試験前期日程が始まり、工学部では職員らが校舎点検など警戒に追われた。【後藤俊介】

 勉強がストレスだというなら、大学院進学を考えるのがそもそも間違っていると思うのだが……。現4年生なら、就職活動の頃はサブプライムが発覚する前だから結構良かったはずだし、何で就職しなかったのだろう?何がしたかったのかさっぱりわからない。

神戸の一審はとりあえず勝訴、相手方の控訴待ち

Posted on 2月 26th, 2009 in 倉庫 by apj

 平成平成19年(ワ)第1493号の判決言い渡しが、今日の午後イチだったので、先ほど代理人事務所に問い合わせた。
 民事訴訟法252条と民事訴訟規則155条によると、判決の言い渡しは判決書の主文を朗読して行うことになっているので、主文だけが先にわかることになる。

 主文は次の通り。faxで流してもらったので、もしかしたら書き写しの際に紛れ込んだ誤字脱字があるかもしれないが、法廷で訊いていた人からもメールをもらい、ほぼ同じ内容だということが確認できた。

1 原告の被告に対する請求をいずれも棄却する。

2 原告と参加人天羽優子の間において、別紙1電子掲示板目録記載の電子掲示板に別紙1文書目録記載の文書を書き込んだことにつき、参加人天羽優子の原告に対する170万円の損害賠償債務が存在しないことを確認する。

3 原告と参加人冨永靖徳との間において、別紙1電子掲示板目録記載の別紙1文書目録を掲示したまま削除しないことに対する参加人冨永靖徳の原告に対する170万円の損害賠償債務が存在しないことを確認する。

4 訴訟費用及び参加費用はいずれも原告の負担とする。

 名誉毀損については心配していなかったが、当事者参加がどう判断されるかの方が気になる。「参加人」「参加費用」とあるところをみると、認められたと思って良いのだろうか……???
【追記】当事者参加の可否が主文に出ることは無いのだそうで、判決書の理由を読まないと何とも言えない。

 天羽、冨永とも、当初は両面参加ということで、被告のお茶の水大に対する請求も立てていたが、訴訟の流れを見ながら考えた結果、双方ともにお茶の水大に対する請求部分を結審の前に取り下げた。このため、原告との間でのみ判決がなされることになっている。民訴法47条の独立当事者参加では、一方当事者のみを相手方とする片面参加も認められている。

 判決書は、今日の夕方くらいに裁判所から郵便で送達されるので、明日中に絵里タンの事務所に届くかどうかが微妙。土日をはさむので、受け取るのが月曜日になるかもしれない。

 今後の手続きとしては、判決書が届いた翌日を1日目として、2週間が控訴できる期間となる。これは、当事者ごとにばらばらなので、相手が控訴を考えていた場合は、「相手方が判決書を受け取った翌日を1日目として2週間」が相手方にとっての控訴できる期間になる(つまり、郵便事情によって当事者の間で控訴できる日程に違いが生じる)。

 当事者参加が認められているのならば、私の方から控訴する必要はないので、相手方が控訴するかどうかを見て対応することになる。いずれにしても、判決書を受け取って読んでみて、不明な点があれば絵里タンに相談するつもり。もし、控訴が必要だという話になったら、二週間はとにかく目の回る忙しさになることが予想される。独立当事者参加を認めろ、という控訴が必要ならばやる気はあるので、いずれにしても判決書が届くのを待つしかない。

勧誘電話

Posted on 2月 24th, 2009 in 倉庫 by apj

 マンション勧誘の電話が今研究室にかかってきた。時刻23:06。
「先生、夜分遅くまでお仕事ご苦労様です」って言われても……。
で、名古屋のマンションを薦められてもだな……。
 マンションってキーワードが出た瞬間に電話を切ったが、最近の勧誘はこんな時間にまで電話するのか?

 明日は前期日程だし、こんな時間に携帯ではなく教員のオフィスに電話って、何か不測の事態でも発生したのかと、本気で焦った……。

レポート課題と採点基準

Posted on 2月 23rd, 2009 in 倉庫 by apj

 共通教育でやっている「科学リテラシー」の講義のレポート課題と採点基準。1年生向け、人文や教育系の人も、理工医農看護といった理系学部の人も一緒に受講する「一般」分類の科目。
 この講義ではテキストとして、松永和紀著「食卓の安全学」を使っている。

【レポート第1課題】
次の各項目について、テキストを要約せよ。

○2章まとめ
1.新聞記者が突っ込んだ記事を書くのが難しい理由
2.事実を伝えるのが難しい理由
3.リスクとハザードの混同
4.過激な報道が起きる理由
5.マスメディアが誤りを正さない理由
6.「ナンチャッテ学者」の問題

○3章まとめ
1.有名人のお墨付きかどうか
何があれば信用できるか?
2.体験談の信用度
3.動物実験の有無と扱い
4.記事広告
 プレスリリースも含まれる。
5.グラフのトリックの有無
 データの扱いは正しいか?
6.毒性について扱う場合
7.学会発表の取り扱い
8.論文発表について

【レポート第2課題】

 講義資料で取り上げた以外の、身近なニセ科学を1つ選び、
1.情報源(雑誌や新聞は記事のコピー、ウェブサイト印刷物、TVやラジオは放映日と番組と内容要約など)を添付し
2.どこがどうおかしいかについて
3.「食卓の安全学」に示された判定基準を適用して議論する
 勝手な思いこみによる議論ではなく、教科書の「食卓の安全学」に書かれた調べ方を適用して、具体的に判断の基準をあてはめながら書いてください。

○注意事項
※日本語の誤字脱字や多少のてにをはの間違いは採点対象としない。ただし、読んでも意味が全く通じないほど日本語が間違っていたら評価できないために大幅減点があり得る。
※ワープロでも手書きでも良いが、手書きの人は最低限他人が読める字で書くこと。自他共に認める悪筆の人には、むしろワープロの使用を勧める。
※講義資料以外の題材という縛りをかけているのは、講義資料を丸写ししたレポートが書かれるのを防ぐためなので、キーワードとして登場した程度のものにつき、具体的な資料をつけて、資料の中身を読み込んで当てはめをやる場合はOKとする。

 なお、これに先立ち、レポート第2課題製作見本として、2ページ程度の資料を添付し、あてはめを行ったものをプリントとして講義時間中に配布し、書き方を説明した。

【レポート採点基準】
○第1課題について 筆者の主張がわかる程度にまとまっていれば+50点を加算する。

○第2課題について
 採点項目を以下の5つとする。
1.情報源が添付されていること。
2.情報源に出された内容を、判定基準に具体的にあてはめていること。(適用して議論、を要求したので)
3.他の情報と比較検討する形で書いた場合は、批判的な情報・肯定的な情報ともに複数のソースにあたっていること。(Wikipediaしか見ない、批判派のサイトでも1つしか見ない、というのはダメ。)題材として取り上げた情報源1つについて、食卓の安全学の基準を具体的にあてはめて判定、という場合は、取り上げた題材1つでよい。限られた情報しかないという条件でどう判定するか、ということも大事なので。
4.引用と自分の意見の区別がついていること。
5.全体として矛盾が無いこと。

 第2課題の満点を50点とし、
(パターン1、言われたことにきちんと答えている場合)
☆1.ができている +10点
☆2.ができている +30点(当てはめがあれば、他に余計なことが書いてあってもそれは無視して評価、部分点を考慮するが、題材によっても差があるので、3つから4つ程度当てはめていればこの項目は満点でいいだろう)
☆5.ができている +10点
(パターン2、言われたことに完全に答えていない場合)
☆1.ができている +10点
☆2.の代わりに3.をやってしまった +10点 (ソースが単数の場合は5点)
  さらに4.ができている +5点
☆3.、4.が十分であった場合に限り、5.ができているかどうかを評価 +5点

番外:blogや他サイトの丸写しが発覚した場合は問答無用で不可(事前告知済み)。感想文しか書いてないとか、評論しか書いてなくて具体例を欠くものも不可。wikipediaを引っ張ってそのまま信じて書いているのもダメ。あくまでも、具体例に基準を当てはめるということを外してはいけない。

 第1課題でコケる人はほとんど居ない。コケる場合は、そもそも第1課題をまったくやっていない。150人前後の受講者がいると、そういう人が1人か2人は出てくる。
 第2課題は、むしろ文系の人の方が上手に書いてくれる感じ。中途半端に理系の知識があって、手持ちの知識で何とかしようとする方が、基準を満たせず得点が上がらない場合がある。また、資料の添付を忘れて減点という人も数人程度出てくる。

 選ばれる題材は、健康グッズや健康食品、通販の宣伝や雑誌コピーといったものが多くなっている。こういったものの方が書きやすい課題である。ここで、「ゲーム脳」を選んだりすると、当てはめの部分がすっきりしなくなりがちな上、批判本のまとめでは得点が上がらない基準となっているため、逆に難易度が上がってしまう。

 普段何気なく見ている科学っぽい宣伝にどれだけツッコミどころがあるかを発見してもらうことが課題の目的であり、かつ、ある程度形式的に当てはめていって、詳しい理科の知識が無くても「何かヤバそうだ」と感づいてもらえるようになることを目指しているので、こういう課題にしている。

 この講義を始めた頃は、レポート第1課題を出しておらず、製作例も提示していなかった。このため、出題意図と違うものが提出されることがそれなりにあった。そこで、まず、第1課題でチェックリスト製作をしてもらい、何をチェックすべきかを頭に入れた上で第2課題をやってもらうようにした。さらに、書き方をある程度型にはめるため、製作例を講義中に配るようにした。これで、ほとんどの人が、出題意図通りの形でレポートを仕上げられるようになった。

 多分、このレポートでちょっと面倒なのは「ネタ探し」である。大変だという人もいるし、積極的に探すことを楽しんでいるらしい人もいる。

 採点する側からすれば、半年に1回150人規模の集団に向かって「目に付いたネタを報告せよ」とやっているわけだから、どんなモノが世の中で目に付きやすい状態なのかを採点するだけで知ることができるというメリットがある。学生さんの方は欺されにくくなった(=将来の消費者被害にあう可能性を減らせる)上に単位を取得できるというメリットがあるわけで、まあ、ある種のwin-winの関係になっているかな、と。

無駄に真面目(?)な業者

Posted on 2月 22nd, 2009 in 倉庫 by apj

 Yomiuri Onlineの記事より。

岩盤浴タイルから放射線、製造の農業法人「ラジウム混ぜた」

 鹿児島労働局は21日、ラジウムを混ぜて作ったとされるタイルから規制値を超える放射線量を検出したとして、製造元の鹿児島県阿久根市の農業法人「ぼくしん舎」(牧尾英二社長)に、労働安全衛生法に基づき、作業を停止して従業員に健康診断を受けさせるよう命じた。

 今のところ環境への影響や健康被害の報告はないという。

 発表によると、法人が運営し、岩盤浴用のタイルを製造している阿久根市の作業場では、タイルの原料を入れた袋から最大毎時29・6マイクロ・シーベルト、同県霧島市で法人が建設している温浴施設では、岩盤浴用のタイルから最大毎時6・25マイクロ・シーベルトの放射線量を検出した。厚生労働省は放射線量の規制値を「3か月間の合計の値が1300マイクロ・シーベルト」と定めているが、最大でこの10倍と推測されるという。文部科学省は「人体に影響を及ぼす量ではない」としている。

 同労働局などが寄せられた情報に基づき、19、20日、両施設を立ち入り検査して分かった。同労働局の調査に、法人側は「ラジウムによる効能を高めるため、大阪の業者から購入したラジウムをタイルを作る際に混ぜていた」と話しているという。

 牧尾社長は読売新聞の取材に「(放射性物質への)知識不足で安全への認識が甘かった」と話している。

(2009年2月22日07時50分 読売新聞)

 「ラジウム温泉の素」とか「ラドン温泉の素」と称する健康器具・グッズは、昔から販売されている。ネーミングだけならいいのだけど、無駄に真面目な業者が頑張ると事件に発展する。