lets_skepticさんの「ニセ科学批判の背景にある思想」について、こちらにも言及されているのでコメントしておく。向こうのコメント欄に書くには長くなった……。
私が、ニセ科学を批判するときに実害批判寄りになっているのは、実際の商品の宣伝に使われている内容を対象にしたことが私にとっての批判の入り口であったからに過ぎない。最初は、ニセ科学の蔓延を問題にしていたのではなく、浄水器や活水器のインチキ説明の蔓延を問題にしていたし、今でもこの部分は続いている。
「知識は正しい方が良い」という規範はもちろん受け入れていて、だからこそ、正しい知識を普及させる目的で「水商売ウォッチング」を作った(し、そのように書いてもいる)。
「知識は正しい方が良い」を、道徳的に善あるいは倫理的に正しいと考える立場を貫くこともできる。ところが、企業の利益に関わる批判とぶつかったときに、道徳的あるいは倫理的な立場を主張すると、おそらく議論はかみ合わない。利益を主張しての反論に対応するためには「知識は正しい方が良い」を、企業が主張する利益と比較可能な利益を用いて議論できるようにしておく必要がある。そこで、「間違った知識の蔓延は社会的損失をもたらす」という主張をすることになり、例えば、消費者が欺されるとか、企業の研究開発が歪んだ結果本当に良い製品の開発機会を失うとか、間違った知識で効果を主張して被害発生で訴えられたら企業は多分敗訴するとか、お役所が研究費配分を間違うことによる損失といった個別の具体的な主張にまで落とし込むことになる。
菊地さんと私の批判スタンスの違いは、私が、現実の商品宣伝を批判の対象にしたことで、企業の利益と直接関わることになってしまった部分にあると思う。このため、企業から仕掛けられる訴訟を常に意識しながら批判をすることになった。
lets_skepticさんが指摘したように「嘘つくな」という要求は、意識して出している。これは、この主張がわかりやすいからである。おそらく裁判官にとって。
もう一つは、ネットの普及に伴う大学からの情報発信をいかにして守るか、が、ほぼ自動的に私が取り組むべきテーマの1つになってしまったことである。これについても(科学のとは違う意味での)実験が必要で、実際に、これまでいろいろ訴訟を手がけたりしてきて、現在も進行中である。法でどこまで守れるか、どんな方法なら守れるか、を実践とともに出して行くというのが、私が求めていることの1つである。
こんなことを考えていたら、別の話が聞こえてきた。
既に企業が開発費を投じた装置の効果について、某大学の先生が検証実験をしようとしたところ、企業から訴訟をちらつかせて大学もろとも脅されているという話である。検証実験で正しいとわかれば、より技術の裏付けができるはずのところ、いきなり脅しというのは、やはりどこかでズルをしているのだろうと考えざるをえない。
別に、ニセ科学批判をしていなくたって、金が絡めば現実はこんなものなのである。
※なお、この場合の対処方法としては、脅した事実について動かぬ証拠を確保することが最優先、その後速やかにその事実を第三者にわかる形で公表する、というのが、邪魔されないための対抗策だろう。つまり、脅しはきかないことを相手に意思表示して分からせるというのが、安全を確保する方法になる。
私達がやっている訴訟の方法が、大学での研究に対する不当な圧力に対抗するための何らかの参考になるなら、それも、私が目指すものの1つである。単に、研究者が訴訟を怖がらなくなるというだけでも、一応は成功である。