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信じる自由は内心の自由

Posted on 11月 18th, 2008 in 倉庫 by apj

 TAKESANさんのところのエントリー経由。lifecrack – Blogの「ニセ科学を信じることを許してはならないか?」について。

「ニセ科学を信じること」や「ニセ科学を信じることや、ニセ科学を信じている人を『まぁ、害がないなら良いんじゃないの』と許容すること」それらは許してはならないことなのでしょうか?

 向こうにもコメントを残して来たのだけど、こちらでもまとめておく。
 ニセ科学の害は、ニセブランド品の害と同種のものだし、向こうの例に出ている偽札の害とも同種のものである。つまり、他人に「流通させる」(結果として影響を及ぼすことまで含む)のがまずいのである(刑法の通貨偽造の話とはちょっと違うが、それはそれとして大雑把に言えばだけど)。
 だから、「信じる」が、あくまでも個人の内心のみにとどまっている限り、害が発生したとしても他人には及ばない。また、内心のみにとどまっているのであれば、第三者からは、その人がニセ科学を信じているかどうかがわからないため、批判の対象になることは考えがたい。
 しかし、信じているニセ科学の内容に基づいて何らかのアクションを起こせば、他人に被害をもたらす可能性が常にある。他人に話せば「流通」させたことになる。例えば怪しい治療法を優先して病気を悪化させれば、一番苦しむのは本人だとしても、周囲にだって影響は及ぶだろう。そして、アクションを起こせば、その人がニセ科学を受け入れているということを、第三者から認識することが可能になる。
 このように考えると、「ニセ科学を信じている(ことが第三者からわかる)」場合には、程度の差はあるとしても「害がない」とはならないだろうということがわかる。
 第三者の視点から見た場合、上に引用した言明はそもそも成り立たないのではないだろうか。

理解しないという対応

Posted on 11月 17th, 2008 in 倉庫 by apj

 狐の王国の「似非科学対策としての「なんちゃって理解」を実現できないか」を読んで。

 実は、昨日の講演の最後で、「理解しないで済ませる」というのを話してきた。
 大抵のインチキ宣伝は、「ニセ科学で分かりやすく説明→ものすごい効果があって大変お得」や「ニセ科学で分かりやすく説明→今すぐ買わないととっても損(今のままだと病気になる、などという脅しがセットになっていたり)」という形をとっている。これに対抗するには、「みんな(向こう三軒両隣とか親戚筋とか職場の仲間とかマイミクさんとか)が使い始めて評価が決まるまで、半年か1年待て」が有効である。
 ダイエット法だとこんな具合だった。大評判になった朝バナナダイエットや納豆ダイエットは、1ヶ月くらいで終息した。健康被害を出した白インゲン豆ダイエットは、すぐに飛びつかずに様子見していれば、誰かが中って危険なものだとわかったはずだ。健康雑誌に出てきたあまたの健康食品で、長期に渡って生き残ったものはごくまれである。
 ニセ科学で来ようが科学で来ようが、慌てて飛びつかなくても消費者はほとんど損をしない。ってか慌てて飛びついて損をする場合の方が多い。だから、ややこしい科学もニセ科学も理屈はともかくとして、みんながどうするか、半年から1年様子を見ようよ、というのが、考えたり理解したりしなくても済む対応である。商品が本物なら、半年1年経てば、良いものになったり値段が下がったりして一層お買い得になる。危険を煽るだけのニセ物なら、待っていれば勝手に消えていくから買わなくても済む。
 早い話が、他人を実験台にして使用実績を見て判断しよう、ということである。流行が始まったばかりの時は、飛びつく人が多いかもしれないが、そういう人は、本物でなければいずれ飽きてしまう。半年後1年後にすっかり忘れているようなら、理屈はともかくその商品は大したことがなかったという結論が出る。
 消費者の全員がこの戦略をとると、何だか、合成の誤謬になりそうだ。しかし、世の中の「慌て者」がゼロになることはないだろうから、最初のテストは慌て者に任せて、残りの人はみんなでのんびり様子見するというのはそんなに無理な話ではない。これで100%ニセを却下できるというわけではないが、それなりのフィルタリングは可能ではないか。
 科学を勉強してニセ科学を見抜くことの費用対効果を感じられない人や、科学が権威ぶってて気にくわないという人には、プロの科学者としては、この「ぐうたら戦略」をとることを薦める。

 本当は、このテスト役はプロの科学者が務めるはずだったんだけど、わかりやすいニセ科学の方が良いという人や、ニセ科学の方を商売に使いたいという人や、無意味に科学を敵視する人が増えてくると、そんならうまいことお互いにテストし合う方法を考えようや、という解決策だって考慮に入れておかないと、苦労ばっかり増えそうな気がする。

ヴィトンのバッグに置き換えろ

Posted on 11月 17th, 2008 in 倉庫 by apj

 chnpkさんの「科学とニセ科学の違いってそんなに重要か?」「宗教と科学と疑似科学とニセ科学について」に言及。

宗教も科学も、人間にあたかも世の中に客観的な真理があるかのように思わせる手段に過ぎない。

 科学には客観性があるけど、自然の「近似」であって「真理」ではない。それも、大勢の人が莫大な手間と資源をつぎ込んでどうにかこうにか今の精度にまで持ってきた近似。

私の認識では巷に溢れかえる擬似科学批判は単なる科学信仰に過ぎない。

 そりゃ、認識が甘い。他の人はともかく、私の場合は対悪徳商法の面がかなりある。 

非<環境>であるところの不確実で未決定な<世界>の中にあって、我々は、<世界>を確定させる客観的な事実であったり、秩序を欲する。それが神や科学ではないか。

 科学はあくまでも「近似」だから、もっと確かなものが欲しいと思った人が神の方へ行くのだろう。 さて、本題。「科学」を「ヴィトンのバッグ」に置き換えて考えると、議論のどこが変かがよく分かる。後半三分の1あたりでやってみる。

我々のあるべき振る舞いとしては、個別の情報について科学的な検証を行うことではなくて、むしろ科学的な無知に開き直ったうえで信用に値する人物や権威を道徳によるなり利害によるなりして見極め、そこから生じる情報を自身の利害に基づいて利用することを選択する以外にはありえないのではないか。そして、そうした態度を選択した場合において、科学と疑似科学の間の科学的な区分は、まったく重要性を持たない。これこそが、前回のタイトルに込めた意味であって、科学と疑似科学(と宗教)の区別に固執する意味が「わからん」と述べた趣旨である。

 個別のバッグが正規なヴイトンの工場を出たかどうかなんて、店頭で見て買うだけの我々にはわからないから、売っている百貨店のネームバリューとか、既に購入した信頼できる友人の口コミによって見極め、バッグを買うかどうかを選択する以外にありえないのではないか、ってことだな。確かに、バッグを買うにはそうするしかない。だからといって、「正規品のヴィトンのバッグとニセヴィトンのバッグのブランド品としての区分は全く重要性を持たない」とは、普通は思わないんじゃないの。「知らぬが仏」って言うけどさぁ……。

しかしよく考えればすぐ分かることだが、この一見すると完全に見える「ニセ科学批判」は、「悪意」という道徳的区別を準用しているに過ぎない。ここでも脱魔術化による魔術的な負担を魔術的に免除しているわけだ。

 ニセ科学の批判なんて、ニセヴィトンのバッグを売るなと言うのと変わらないわけだから、「ここでも脱魔術化による魔術的な負担を魔術的に免除している」なんてわけのわからない話じゃないでしょ。

この「ニセ科学」という概念の存在自体を、科学の危うさを示すものとして捉えることが可能だ。これが私の「疑似科学批判に対する批判」における2つ目のポイント、即ち科学に対する過剰な絶対視の傾向とその危険性である。

 ニセブランド品というカテゴリーの存在自体を、ブランド品の危うさを示すものとして捉えることが可能だ、と書き直せば、えらくナンセンスな話になる。ニセブランド品を批判することの背後に、正規のブランド品に対する過剰な絶対視の傾向があるかとか、危険性があるかとか、ちょっと考えてみればそんなのは違うというのはすぐにわかるだろう。別に普段からブランド信仰してなくたって、「たまにはちょっと高いけどブランド品を買うか、丈夫で長持ちとか使い勝手がよいということで定評があるしなぁ、でも、できれば少しくらいは割引があるといいなあ」などと思ってショッピングに出かけた先で、見た目ブランド品だけどパチモンである確率は結構高いよ、なんてことになってたら私は嫌だ。

上のニセ科学という言葉の定義が示唆する危うさとは、つまり科学的基準と道徳的基準の混同である。ニセ科学という恰も科学的な用語が、実のところは悪意という道徳的な基準に過ぎないと言う構図は、まさにそれ自身がニセ科学的ですらある。このニセ科学というパラドクスは、ニセ科学の対立概念が科学であるかのような錯覚を引き起こすことで、人々に科学を善と捉えることを可能とさせる。

 ニセヴィトンのバッグを作って売りさばくのは倫理的に悪だけど、正規のヴィトンのバッグを売っているという事実は別に善とは結びつかない、ごく普通の商行為に過ぎない。「ニセ○○」はニセだから悪なのである。○○がヴィトンのバッグだろうと科学だろうと。 じゃあ、何で倫理的に悪なのかというと、これには2つの面がある。
 1つは、他人の努力にただ乗りするという点。ブランド品も科学も、これまでに人の努力によって良くしてきたものだ。ブランド品のバッグであれば、耐久性やデザインなどで他社とは違った価値を生み出した。科学は、先に書いたように自然の近似に過ぎないが、それでも、近似の精度を上げるために大勢の人が努力してきた。その結果として、ブランド品は品質に定評があり、科学は近似の精度に定評がある状態になっている。ニセブランド品を作って売ったり、ニセ科学を広めたりする行為は、他人の努力によって築き上げられた信頼や定評といったものを、そうではない粗悪なものも同じだと広く誤解させることで、横からズルをしてかすめ取る行為に他ならない。
 もう1つは、判断のコストを上げるという点。ブランド品を買いに行ったらパチモンが出回っているような状態では、消費者が各自で多大な手間をかけて調べないと、本物を買えない。しかし、人は、あらゆることに十分な手間をかけられるわけではない。ブランド品=精度のよい近似である科学、で判断することができれば、社会全体として判断のコストを下げ、かつ、正しい判断をすることができる。ニセ物の横行を放置しておくというのは、判断のコストを広く一般に押しつけることになる。

こうして生まれるのが科学信者であって、彼らは非科学的なものやそれを信じるものを批判し、<科学的に>啓蒙する行為のなかに善を見出す。当然、上で述べたように我々が出来ることといえば信じることくらいなので、<科学>を信じることも可能なわけだが、それを絶対視し、妄信することにはあまり賛成できない。それは、この<世界>において太古の昔から絶えることのない宗教戦争や、文明化の旗印のもとで公然と行われた植民地主義と大差ない行いだからだ。

 科学者だって、ヴィトンのバッグを買いに行く時は目利きじゃない。自分がヴィトンのバッグを買いに行った時に「パチモンが横行してますが何か?」って状態になってたら、分かる奴ちょっと来て何とかしろ、と思うのが普通だろう。私としては、安心してヴィトンのバッグを買い物できる社会に住みたい。だから、私の方も、安心して科学の内容を正しく知ってもらうために、ニセ科学はニセ科学だとはっきり区別して、パチモンを広めるなと言いまくることにする。ま、今回はヴィトンのバッグを例にしたけど、他の「商品」、例えば経済学とか政治学について知りたいと思った時に、ニセが大流行している状態が放置されているのはやっぱり困るので、そっちはそっちで分かる人が何とかしてくださいよ、それが相互扶助の精神ですよってことで。

 ニセ科学の判定についてどういう基準を立てるかということについては、旧blogのエントリー「ニセ科学の定義と判定について考える」が消えてしまっていたので、編集して再度公開した。
ニセ科学の定義と判定について考える
ニセ科学の定義と判定について考える(つづき)

山辺町立鳥海小学校・中中学校で講演

Posted on 11月 16th, 2008 in 倉庫 by apj

 山形県内の山辺町立鳥海小学校・中中学校で講演で、科学リテラシーについて講演。
 山の上の方にある小さな学校で、体育館をはさんで小学校と中学校の校舎が隣接している。理科室、音楽室、技術室、家庭科室、運動場などは小中で共同利用。1学年の人数が3人とか4人なので、小学校の教室は、1,2年生、3,4年生、5,6年生に分けて3つしかない。
 毎年、近くの田を借りて田植えをして餅米を作っていて、今日はその収穫祭のイベントだった。講演は、学校近くの公民館で午後からなのだが、校長先生に、収穫祭にも参加しては、と誘っていただいたので、午前中から見せていただいた。
 私が行った時は、PTAや地元のおじさんおばさんたちが学校に集まり、湯を沸かして米を蒸し、餅つき作業に入るところだった。何でも、今年は草が大量に生えて、草取りが大変だったそうで……。体育館に集合して、餅と雑煮をいただいた。餅は、小豆あんをまぶしたものと、納豆をまぶしたものと、ずんだの粉をまぶしたものが出た。他所では大豆のきなこを使うところが、山形ではずんだの粉になっていた。また、納豆と混ぜた餅を食べたのは生まれて初めてだったが、よく合っていて美味しいので驚いた。
 生徒さんたちはみんな楽しそうだし、地域の人達が協力的で、学内外が一体となって教育に関わっていることがわかった。街の大きな学校ではなかなか難しい部分が実現している。
 春からずっと稲を育てる努力をしてこられたところ、私は結果としておいしいところだけ参加したようで少々恐縮なのですが……ごちそうさまでした>皆様。

 講演内容は、水からの伝言とゲーム脳について、教育現場に入り込むニセ科学の例として話をした。その後、科学はなぜ必要か、といったことを簡単にまとめた。小学校1年生から中学校3年生までと、保護者や先生方が対象なので、普段よりゆっくり話をしたり、スライドにふりがなをつけたりといった対応をした。でも、小学校低学年には難しい話だろうなぁ^^;)。

 先生から、「道徳の説明で、”蜘蛛の糸”を例にしたり、”ウソをついたり悪いことをすると地獄に行くよ”と言ったりするのは、科学的に立証されていないからいけないのか?」という質問が出たので、「例え話であるとはっきりわかるのなら問題がない」と答えた。「蜘蛛の糸」で起きたことが科学的に立証されたからあの話は正しいとか、地獄に行くことが測定してわかったからウソをついてはいけない、などと言えばたとえ話の範囲を逸脱してニセ科学になってしまうが、常識的に考えて、科学と誤認するような内容でなければ、ニセ科学として問題になることはない。また、「水からの伝言」は「科学的に立証されていない」というものではなく、大した根拠もなしに「通常の科学を広範囲に全否定する内容」だから客観的にまずい。一方、たとえ話がたとえ話である限り、科学を広範囲に否定する効果は通常は発生しないから、その意味でも問題はないので、あとは、内容が道徳として適切かということだけ考えればよい。

ホンダにはお世話になってるのでね

Posted on 11月 14th, 2008 in 倉庫 by apj

 大阪のひき逃げ事件について、産経msnの記事がひどい件。

大阪ひき逃げ 押収車は黒のワゴンタイプ 20代従業員の所在不明
2008.11.4 23:40
このニュースのトピックス:交通事故
 大阪市北区梅田の交差点で堺市東区の会社員、鈴木源太郎さん(30)が車にはねられ、約3キロ引きずられて死亡したひき逃げ事件で、曽根崎署捜査本部が大阪市此花区内が発見、押収したのは黒いワゴンタイプの車だったことが4日、わかった。
 車は同区の建築会社社長の所有で、普段は複数の従業員が使用していたが、うち20代の従業員が発生当日の10月21日から出社せず、所在不明になっていることが判明。捜査本部はこの従業員が事情を知っている可能性もあるとみて行方を捜している。
 また、この従業員は発生から数日後、「会社を辞めます」などと書かれた手紙を同社に郵送していたこともわかった。
 捜査本部は、これまでの調べや目撃証言などから、鈴木さんの遺体が見つかった福島区吉野を起点に、逃走方向とみられる同区や此花区で「黒いワゴン車」を1台ずつ調べる「車あたり」を実施。今月1日、建築会社が借りている此花区内の駐車場で不審な車が止めてあるのを発見した。
 車の底部には人を引きずった際に付くような傷など不審な点があり、捜査本部は車の任意提出を受け、車内や外装、傷などを検証。車は事件後も同社で使用されていたとみられ、駐車場には普段通りに止められていたといい、慎重に捜査している。
 これまでの調べで、犯行車両の可能性のある黒いワゴン車が、遺体発見現場から南西の此花区内の複数の防犯ビデオに写っていたことがわかっている。今回押収された車両は、当初言われていた「ホンダ・オデッセイ」とはメーカーが異なるが、よく似たタイプだという。

 防犯カメラの悪い画質の画像しか証拠が無かった間は「ホンダ・オデッセイ」と特定企業と特定車種を堂々と報道しまくったくせに、押収済みという、ばっちり車種もメーカーも特定出来る状態になって、トヨタのイプサムとわかったら、「メーカーが異なるが、よく似たタイプ」ってごまかすのは一体どういうこと?しかも、「似てただけ」の「ホンダ・オデッセイ」はもう一回書いてネガティブキャンペーンしてるし。ホンダには濡れ衣をいくら着せてもいいけど、トヨタの悪口は言いませんっていう意思表示と受け取ってOK?

近畿大の鮪

Posted on 11月 13th, 2008 in 倉庫 by apj

 近畿大で溶液化学シンポジウムに参加。
 懇親会も今日なのだが、去年の予告通り、近畿大学が養殖した鮪の刺身が出た。卵からふ化させて養殖している。今朝養殖場から届いたとかで、始まった時にはすでに解体されていたが、頭と尾も飾ってあった。珍しいので、尾や頭を触りまくって遊んでいたら、手がすっかり生臭くなってしまった。

「科学では解明でき(てい)ないこともある」に慎重になってほしい

Posted on 11月 11th, 2008 in 倉庫 by apj

 日曜日のニセ科学フォーラムで田崎さんの話をきいて、今日、共通教育で学生にも話をして、さらにこのへんのコメントを見て。
 「科学では解明でき(てい)ないこともある」という主張をすることについて、慎重でなくてはならないのではないか。
 
 文字通りに読めば、単なる事実を述べたに過ぎない。およそほとんどの科学者も科学者でない人も同意するに違いない。問題は同意の中身に大きな違いがあるということである。違いの一方の端あたりで、この主張はしばしば、トンデモな説や明らかに間違った説を主張する人達が使っている。このため、不用意に「科学では解明でき(てい)ないこともある」を主題にして議論すると、斜め上の方向に利用される可能性が高い。
 『「科学では解明でき(てい)ないこともある」は、あなたにとって都合が良いが科学とは相容れない何かについて正当性を持たせるためには利用できません』と、但し書きを付けるくらいでちょうどよいのではなかろうか。あるいは、『「科学では説明でき(てい)ないこともある」けどあなたの主張は科学自体を広範囲に否定するものだから、説明できないってレベルじゃないし』というのでもかまわない。

 既存の科学を根拠無しに否定する内容が、「科学では解明でき(てい)ないこともある」というごまかしを使って、既存の科学と併存することが許されるかのようなフリをしているのであれば、やっぱり面と向かって違うと言うしかないだろうし。たとえば水伝とか。

ニセ科学フォーラム

Posted on 11月 9th, 2008 in 倉庫 by apj

 学習院大学で開催されたニセ科学フォーラムに行ってきた。今回は講演仕事が降ってこなかったのでのんびり他の人の発表をきかせてもらった。一応実行委員になっているので、最後の質疑応答の開始の時に、5分ほどもらって近況報告。
 田崎さんの、理科教育で教えられる科学観についての問題提起は参考になった。

 久しぶりに小内先生にもお会いできた。朝バナナダイエットで太っちゃった患者さんの話には,気の毒と思いつつも笑ってしまった。酵素云々は別にしても、朝バナナ1本食べるだけで昼と夜はこれまで通りなら1日の摂取カロリーが減るから痩せる……はずが、朝バナナを5本食べて、バナナでダイエットできるのだからと安心して昼と夜もここぞとばかりに食べたら太った……ってそりゃそうだろう。
 
 その後、懇親会に出席。

 日本医大の太田成男教授が参加なさってて、懇親会始まった直後から直談判になった。水ヲチ板の方は見ていないが、水素水をどう考えているのかと訊かれた(ウチのサイトで批判しているという話くらいは伝わっていた模様)。
 研究途中の論文を使って、健康にいいというイメージで水素水を売る業者が続出しているので何とかしてほしい、と言ってみた。そうしたら、「業者のそういった宣伝を防ぐのは無理」という返事だった。それで、動物実験の段階だからまだ健康グッズとして売るようなものではないことを、先生のホームページではっきり言ってください、と頼んだ。
 太田教授は、あまりにヒドイ水素水宣伝には内容証明でクレームを送ったり、「実験医学」という雑誌に、その手の宣伝と研究は関係ないと書いたりしているということだった。これは、私も今日ご本人から聞いて初めて知った。しかし、太田教授がそのような対応をとっていることは、ネット検索でも出てこないために、今のままではわけわからん業者の宣伝を容認しているように見えてしまっていることも確かである。また、今、健康への効果を信じて水素水を買う人は、きっと、朝バナナダイエットに飛びついたり、納豆ダイエットにとびついたりするような人と重なっているはずで、そういう人が「実験医学」を読んで正しく判断するということは、およそ想像しがたい。
 動物実験の結果がそのままヒトに使えないことは当たり前だし、研究段階の医学をどう使うかは説明するまでもない、というのが太田教授の認識のようであった。しかし、今日の講演で小内先生が指摘したように、試験管内の実験や動物実験だけでヒトに効果があるように装う健康・ダイエットグッズはニセ科学の定番である。つまり、太田教授の考えている常識は正しいし、私も同意するのだけど、健康グッズに振り回される人達とそこにつけ込もうとする業者には、全く共有されていない。
 水素水研究の本家から、健康グッズとして水素水を売りまくって良い状態ではないのでもうちょっと研究が進むのを待つように、という情報を発信してもらうだけでも、随分違うはずである。そのへんのことを伝えてみた。ウェブで書いても効果があるの?と、なかなか理解してもらえなかったのだけど……。
 確かに、ウェブで書いたって悪意のある業者を止めることはできない。しかし、きちんと説明責任を果たしていたかどうかは、後から研究者の評価に効いてくる。本当に使える治療法を開発しているのに、インチキ業者に荷担したと思われたのでは、研究者にとっても良いことではない。もし、研究の段階がどのあたりでエビデンスとしてはどう扱うべきか、ということが、研究者本人からわかりやすく提示されたならば、水素水の議論が出てきたときに、その文書を示してそこから説明できる。誰でも引用できるようになっていれば、情報を知った人が次々に伝えていったり、個別に相談された時に解説したりといった形で、正しい情報が広まる足場になるはずである。
 仮に私が太田教授と同じ立場になったら、論文が新聞記事になったら、ほぼ同時にblogでも研究室webサイトででも、ヒトの健康にいいという宣伝の根拠になるようなものではない、と釘を刺すと思う。しかし、ご自身でクレームを出す状態になっていても、ウェブ書いて効果があるのかと疑問を持っておられたことから、太田教授は、ネットでの情報発信や情報の伝達については不慣れというか十分な実感を持っておられないのかな、という印象を受けた。

で、ちょいと私信。温泉カワセミさん、一緒に議論ありがとうございました。

来年のダイアリー

Posted on 11月 8th, 2008 in 倉庫 by apj

 職場で使うデスクダイアリーとして、「能率ダイアリー ベルノB5バーチカル」を購入。
 ついでに、NOTE&DIARY Style Book vol.3も購入。こちらは、手帳とノートを紹介したムック本。

 普段のスケジュールは、iCalとPalmでやってるから、仕事の方で込み入った情報をメモするのに、デスクダイアリーを用意した。
 昔は、日付入りの「当用日記」をプライベートに使っていたのだけど、今はプライベートな日記はパソコンに向かってDiary++Xを使って書くから、手書きしなくなった。
 女性手帳という名の家計簿兼用型手帳を支出の記録として使っていたこともあったが、購入したものの記録もパソコンで管理するようになって、紙媒体からは撤退。

 手書きメモ帳としてはMOLESKINのハードカバーポケットタイプの方眼のものを使っている。こちらは、ほとんどが訴訟記録と、何か購入したときの振込の記録になっている。本格的に使い始めたのが、中西応援団をやってた時に傍聴席でひたすらメモをとるのに使いやすかったというのがきっかけで、その後も、主に裁判所で使っている。

 ムック本を見ていると、アイデアを書き留めるという使い方をしているのが紹介されていた。私の場合、アイデアは手帳じゃなくて実験ノートに書くものになってるから、手帳で代用するスタイルにはなりそうにない。

「元素周期」買った

Posted on 11月 7th, 2008 in 倉庫 by apj

 既にあちこちで話題になっているけど、「元素周期 萌えて覚える化学の基本」スタジオハートデラックス・満田深雪(PHP研究所、978-4-569-70278-0)を生協で購入。昨日見た時は2冊入荷していたけど、今日の昼行ってみたら1冊になっていた。

 実は、と学会の会員番号は原子番号に対応づけられている。私は110番なので「ダームスタチウム」だから、名乗る時は「110番 ダームスタチウム天羽です」となる。なお、入会を誘われた時の、某会員の方からの言葉は「元素記号欲しいと思いませんか?」だった。どうもこの本、会員必携の書に見える。

 しかし、バナジウムの利用例が「バナジウムウォーター」だってのはどんなもんかと……。
リンだとマッチ、アルミニウムだと1円玉、とか、他のはまあ怪しくはないのに。