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雪男

Posted on 10月 21st, 2008 in 未分類 by apj

 Yahoo経由毎日新聞より。

<雪男>日本の登山家ら「足跡の撮影成功」と報告 ネパール
10月21日21時13分配信 毎日新聞

 【カトマンズ、ビナヤ・グルアチャリャ】日本の登山家らで作る捜索隊「イエティ・プロジェクト・ジャパン」が、ヒマラヤ山中で雪男(イエティ)の足跡を複数発見し、写真撮影に成功したと21日、カトマンズ市内で報告した。

 捜索隊によると、足跡は9月26日、ネパール北部ダウラギリ山の標高4400メートル付近の山中で発見され、全長18~20センチ。隊員の八木原国明さんは「人間であれば靴を履いていないと寒さに耐えられない。足跡は雪男の存在を示す証拠だ」としており、帰国後に写真を詳しく検証するという。イエティは全身が毛で覆われた猿のような生物とされるが、存在は証明されていない。

 雪男騒動の原因を作ってしまったという話なら、随分昔にきいたことがある。かなりうろ覚えなんだけど。ニセコでペンションをやってる新谷さんという方(冒険家)によると、ヒマラヤの方のどっかの山で新谷さんの隊が4000メートルあたりを登っていたら、1000メートル上にメスナーの隊が居たそうで。有名な登山家が来ているというので、新谷さんの隊のシェルパがわざわざ登って覗きに行ったのが、雪男と見間違われたというのが真相だという話。まさかそんな高度で1000メートル下から見物に来る人が居るなんて普通は考えないから、すっかり本物を見たと思い込んだらしい。下山してから、雪男に会うためまた山に登るとかのたまったらしいけど、居るわきゃない、と……^^;)。そこのペンションに泊まって、夜、オーナーの茶話会にちゃんと出ると、いろんな話を聞かせてもらえるので、この話を聞いた人は他にもたくさんいるんじゃないかな。
 とりあえず、今回の捜索隊も、上下1000メートルに別の隊がいなかったかどうかくらいは調べた方がよさそうな。

天下り学長と司法権の限界

Posted on 10月 21st, 2008 in 未分類 by apj

 どう考えたらいいかまだわからないのだけど、ふと思いついた問題。

 司法権の限界として「部分社会」論というのがある。団体が持っている内部規律に司法権は及ばないのが判例の流れになっている。が、教科書に出てくるのは、大学の単位認定とか地方議員の出席停止処分とか政党除名処分といった例で、民間企業の例は見かけない(この部分は調査が必要)。

 例えば、ウチの大学の場合、学内の得票数2位(1位とは結構差があった)の元文科省のヘッドが学長になった。法人化後は、選挙では学長候補者を選べるだけで、そのうちの誰に決定するかは教員が決められないから、こういうことが起きる。このことの是非はともかくとして、手続き上、内部の組織の自律性が以前に比べて保たれなくなったことは確かではないか。すると、自律性の尊重を前提にした従来の部分社会論をそのままにした場合、一部の人の思惑で勝手なことが行われていても、それが内部の問題に留まる限り、救済の道が閉ざされるということが起こりうるのではないか。構成メンバーの意思が反映されづらくなるという形で自律性が減った分だけ、部分社会論を適用する範囲を狭くし、その分だけ司法権の及ぶ範囲を広げないと、バランスがとれないのではなかろうか、というのが私の持っている問題意識である。

 比較のための基準としては、ワンマンな私企業の社長が社内で引き起こしたトラブルについて、どのあたりまでなら司法権が及ばないとされるのか、という例を集めれば見えてくるのかもしれない。

※問題意識、なので、調べた結果ちっとも問題じゃなかったということになるかもしれないし、見当外れかもしれないけど、個人的にはちょっと引っ掛かったのでメモしておくことにする。

バーチカル

Posted on 10月 20th, 2008 in 未分類 by apj

 文房具を買ったついでに、BUN2というステーショナリーフリーマガジンをもらってきた。季節柄、手帳の特集だが、「人気のバーチカル」という小見出しがあって、バーチカルタイプの定着率が高くなっているとか。バーチカルとは、スケジュールの時間軸が縦方向になっていて、見開きで一週間の予定が確認できるもの。
 実は、いまからかれこれ20年以上前、大学に入った年に買った手帳がバーチカルタイプの(今は無き)「コンサイスダイアリー」だった。名前の通り、三省堂が出していた。その後、三省堂が手帳を出さなくなったので、他の手帳のバーチカルタイプを1年使った後、能率手帳エクセルのバーチカルタイプに移行、その後PDAを使い始めたため数年ほどは紙の手帳を使わなくなった。一昨年あたりから、仕事のメモをするためにデスクタイプのダイアリーを使い始めたが、やっぱりバーチカルタイプを選んでいる。
 大学に入る直前、「別冊太陽」という雑誌が2年連続で手帳の本というのを出して、いろんな会社の手帳の紹介やユーザーの取材をしていた。当時の流行は、システム手帳が流行り始めたころで、定番はいわゆる能率手帳タイプ(見開き左側に時間軸が横で1週間の予定、右半分はメモ)だった。輸入品を除けば、バーチカルタイプは数少なかった。コンサイスダイアリーは、小型で珍しいバーチカルタイプとして別冊太陽で紹介されていたので、入学の時だったか入試で上京した時だったかに入手した。それがバーチカルタイプとの付き合いの始まりになった。
 最近では……代理人弁護士の絵里タンのシステム手帳のスケジュールがバーチカルタイプだったので、何か同志を一人見つけた気分になった。
 今年もバーチカルのデスクタイプを1冊購入する予定。

 その別冊太陽だが、高校の頃に買った号のとあるページでコーハ(硬派)な大学生とナンパな大学生が登場していろいろ手帳について語っていた。そのナンパ学生の名前が何と吉岡平。アイドルの追っかけをやって写真をとって……という話が出ていて、その時は忘れていたのだが、10年ほどして読み返してみて、もしかしたらあの作家の吉岡平のデビュー前か、と後で気付いた。

質問と議論の技術

Posted on 10月 20th, 2008 in 未分類 by apj

 日本共産党の志位委員長の衆院質問の画像がネットに上がっていた。派遣労働者の使い捨て問題を追及する質問。
 個別具体的な内容に踏み込んだ議論の説得力は圧倒的だという良い見本である。何を論じるにしても、理念とお題目だけではだめで、現実の方が重いということか。久しぶりに、いい追求っぷりを堪能した。議論はこうありたい。

 明後日は私も法廷で尋問される。地に足をつけた弁論をしたい。

そこでダメなら一体どこで使えと……?

Posted on 10月 17th, 2008 in 未分類 by apj

 北海道新聞の記事より。

財務省会見場に「日の丸」を掲揚(10/17 13:56)
 財務省は十七日、中川昭一財務・金融担当相の閣議後会見を機に会見場に日の丸を掲揚し、会見を主催する財務省の記者クラブ・財政研究会(北海道新聞社など国内外の新聞、放送、通信各社が所属)の一部の記者が「国民の中には違和感を持つ人もいる」などと抗議した。会見自体に大きな混乱はなかった。中川財務相は「世界に発信する場という認識で国旗掲揚は当然だ」と述べた。

 財務省は国旗国歌法に従った措置であると事前に説明。財政研究会は九月末から対応を協議したがまとまらず、賛成、反対、態度保留などの意見を添えて「慎重に判断を」と財務省に求めていた。中央省庁では既に、首相官邸、外務省などで会見場に日の丸を掲揚している。

 国旗・国歌法が成立した一九九九年、当時農林水産相だった中川氏は農水省の会見室に国旗を持ち込み、記者クラブとの間で問題になったことがある。

 何で、記者クラブが、日本国の行政府のトップが会見する場に国旗を出すことを問題にするのか、いくら考えてもわからない。むしろあって当たり前じゃないかと。アメリカだと、大統領の演説や、演台に立っての政治家の演説をしている脇に、星条旗はごく当たり前にあるのでは。政府機関が国旗を出すのが問題って、一体どういう意味なのか。

 欧米のメディアだって取材はするだろうし、彼等に黄色人種の見分けはつかないだろうから、国旗がわかるところに出ていた方がどこの国の話か見ただけで判別できて便利だろう。「この会見は……後ろの赤い国旗があるから中国高官の会見だな、このビデオは……バックの国旗が韓国だから韓国政府の発表だな。このニュースは……どこにも国旗が見えないから日本発だな」ってなことになったらかなりイヤ。

#放医研は敷地内に国旗が揚がってたと記憶している。ウチの大学は……意識したことがないからわからないけど、揚がってても違和感がないなぁ。「国立」大学法人だし。財務省とか経済産業省はどうだろう。裁判所は……今度行ったら見てこよう。まあ、お役所も裁判所も国の機関だし、「国営ですが何か?」な場所には国旗が揚がっていても何の不思議もない。

日本液体清澄化技術工業会で講演

Posted on 10月 16th, 2008 in 未分類 by apj

 本日、富士箱根ランドで開催された日本液体清澄化技術工業会で、「水に関する誤解 ニセ科学への対応」というタイトルで講演してきた。講演の機会をくださった工業会の皆様、ありがとうございました。

 明日は通常通り出勤のため、本日中に山形に戻らなければならないので、夜行バスの中からモバイルでつないで書き込んでいる。熱海から富士箱根ランド方面へのバスは、夕方4時を過ぎると無くなり、「夕方まで居るなら泊まって温泉にでも入って行け」と言わんばかりの時刻表が掲載されていた。

 時間もおしていたので十分な議論ができなかったので、何かありましたらメールください。対応いたします。

典型的にダメな議論が出たので、典型的に反論しておく

Posted on 10月 15th, 2008 in 未分類 by apj

 『「わかる」ことと「わからない」こと』で見かけた話題について私も書いておく。

 フナイオープンワールドを取材した方のblogより。

科学的根拠が権力になることにヘキヘキしている私などは、日本物理学会やマスコミに総反撃されている「水からの伝言」の著者江本勝さんには同情してしまう。

 科学的根拠が権力になったことなどない。権力の側が科学的根拠を謳ったことはあったかもしれないし、検証の「程度」を無視して都合の良いように使おうとしたことならあったかもしれない。
 科学(とりあえず自然科学に限定)は、自然を記述するものなので、むしろ、記述した結果が権力者の意に沿わないということの方がずっと起こりうることである。

「水は言葉がわかるという事実を私は言ってるだけ。このファンタスティクな事実を通して、水の大切さ、言葉の大切さを世界に広めている言ってみれば、アーティスト。なぜかを考えるのが、学者でしょ」と憤懣やるかたない表情で話した。

 江本氏自身が、著書の中で、水を凍らせて写真を撮るといろんな形の結晶ができるので、水のイメージに合うものを選んでいる、と述べている。だから、水は言葉がわかるというのは江本氏の思い込みに過ぎない。この場合、ファンタスティクなのは「事実」ではなく、江本氏がこしらえあげた「創作」の方である。 江本氏のやっていることは「創作」としてもデキが悪いというかむしろ手抜きだろうというのが私の意見である。「水が言葉を理解する」という世界をフィクションの中で作ったとしたら、もっといろんな「お話」が書けるはずだ。犯罪捜査のやり方からインタビューの仕方、人と人とのコミュニケーションのあり方まで世界の全てが変わる。放送禁止用語を決めるのに水が使われ、文芸賞の選考は選考委員の席の他に水の席が設けられ、検察官は水結晶の写真を付けた起訴状を裁判所に持ち込むはずだ。広辞苑の次の改訂では、すべての言葉に水の結晶写真が附されるに違いない。まあ、ディテールを書き込んでファンタジーの世界を作るのであれば、それなりにいろんなことが書けるはずである。そのシミュレーションをさぼって、世界を書くことを手抜きしておいて、一体どこがアーティストやねん。

 なお、学者は、他人の「創作」を事実にすりかえて検証することは仕事ではない。当たり前のことだが。

テレビも公平さを欠いた報道で、波動=エセ科学という魔女狩に加担している。この世には、わからないこともまだまだたくさんあるのだ。

 批判派と一緒にテレビに出ることから逃げているのは江本氏の方である。この間放映されたミヤネ屋でも、江本氏の方が逃げた。 実は、だいぶ前に、韓国のテレビ局が取材を試みて、江本氏と、批判派として私を出したいと電話してきたことがあったけど、その時も江本氏は逃げて、話は立ち消えたんじゃなかったかな。
 自説を主張する場を用意してもらったのに勝手に逃げたのだから、江本氏を支持するにしても、一方的な批判というのは間違い。批判するならふがいない教祖を批判すべき。

ところで、本の読み聞かせをしているボランテイアの知人が、「水からの伝言」を学校で読みたいといったら、教師にやんわり断られたそうだ。彼女は、とてもよい本なのにと残念がっていた。江本さんの話では、大分県である教師がこの本を読んだら、教育委員会から「だめ」だというお達しがきたそうである。まさか、小田原市の教育委員会がそのような動きをしているとは思えないが。「水からの伝言」は科学書ではない。世界に通用するすぐれた読み物であり、教育書だと思う。

 教師も教育委員会もグッジョブ。 「水からの伝言」は科学としてダメなだけではなく、道徳としてはさらにダメである。ちょっと前のエントリーにも書いたけど、水からの伝言を受け入れるというのなら、友達の名前を水に見せて付き合うかどうかを決めることができるということになる。水伝では、結晶がうまくできないような言葉を発することがいけないというのだから、うまく結晶にならなかった友達の名前を声に出して呼んではいけないことになる。それは、使ってはいけない単語だと水に判定されたのだから。
 水からの伝言を受け入れてしまったら、友達の名前を水に見せて結晶の出来具合で付き合うかどうか決める、ということを止めさせることはできない。一方、常識的な教育としては、「誰とでもまずは仲良くしなさい」と教えるのだから、これでは全く駄目である。

そろそろ、目に見えないものを信じる時代がきているのに。

 きてません(きっぱり)。自分の目に見えるものだけ信じるのは個人の自由だけど、勝手に一般化してもらっては困るし、他人にそれを薦められても困る。 実際、物質は原子からできている、という考え方が確立してくる過程において、目に見えないものをどう認識するかということは徹底的に考えられている。だから、目に見えないものでも実験の手順を踏むことで認識する、ということであれば、そんな時代は「そろそろくる」のではなく、とっくの昔に終わっている。 目に見えない上に、実験でも確認できないものを信じたいというのは勝手だけど、そんなあやふやなものを信じることを他人に勧められても困る。

 サンガの森の「魔女狩り!」はもっと違う。

 科学的根拠というひとつの「権力」がマスコミも取り込んでの「魔女狩り」を行っているかのような図。

 この際だからもう一回繰り返しておく。科学的根拠を抜きにしても、「水からの伝言」は、道徳としても全くダメだし、文芸としても手抜きで粗悪な作品だから、子供に勧める理由が無い。 なお、魔女狩りで最近面白い話を聞いた。刑事裁判で証拠を積み上げて有罪を立証しようという発想が出てきたのは、もともと魔女裁判から来ているという話である。「黒山羊使ってサバトをやった」というのが容疑の内容であったとして、黒山羊を法廷に連れてきても「サバトをやってました」という証言はとれないから、有罪にするには別途証拠を用意しなければならなくなったのだそうで。

この稚拙な「科学的根拠」というものが、一体どれだけの価値や効力があるというのだろう・・・?

 科学の知識無しで生活してみてから言ってもらいたい。身の回りの品すべて、科学の知識に基づかずに準備できるものだけにして暮らしてみて、なお同じことが言えるのであれば、その主張を認める。

小指の先ほども解明していない、この世界の成り立ち。小指の先ほどの「科学的根拠」をふりかざして、数値にあらわれない、見えない世界を全て切って捨てようとするその主旨にまだまだ先は遠いのか・・・とちょっとげんなり。

 先に「科学を騙った」のは「水からの伝言」の方である。ついでに言うなら、「水からの伝言」の方が、既に実験でも確立された科学の内容を否定するものになっている。だから、次のように書き直してお返しする。
  小指の先ほども(知識を得る努力を怠ったために)理解していない、この世界の成り立ち。
  小指の先ほどの「科学の詐称」をふりかざして
  すでに実験で確立された、見えている世界を切って捨てようとするのは
  全く無意味です。

 とにかく、科学的根拠を振りかざされるのが嫌ならば、最初から科学を騙るな。

酒の断り方:冗談が本当になったような……

Posted on 10月 14th, 2008 in 未分類 by apj

 Yahooニュースの記事より。

アルコール、飲むほどに脳が縮小=米研究
10月14日12時15分配信 ロイター

 [ワシントン 13日 ロイター] アルコールを飲めば飲むほど脳が縮小するという研究結果が13日、明らかになった。米マサチューセッツ州のウェルズリー大学のキャロル・アン・ポール氏が率いる研究チームが、神経学の専門誌「Archives of Neurology」で発表した。
 研究チームでは、適量のアルコールにより加齢によって進む脳容積の減少を食い止めることが可能かを検証しようとしたが、結果は不可能だったという。
 同研究によると、生涯にわたって酒を飲まなかった人々が最も脳容積の減少が少なかった。続いて、過去に飲酒していたが今は飲まない人々、現在適度な飲酒をする人々、現在大量に飲酒する人々の順で、脳容量の減少の割合が少なかった。
 これまで、多くの研究によって適度の飲酒は心臓に良いとされてきた。

 これまで、酒を断る時に「体に悪い」と言うと「少量の酒は体に良い」と言う人が必ず居た。ところが、「頭に悪い」と言って断った場合は、何故か「少量の酒は頭に良い」と主張する人は一人もいなかった。非常に不思議であった。それが研究で裏付けられたような……。

ディプロマ・ミルを笑えない事態

Posted on 10月 13th, 2008 in 未分類 by apj

 ダイヤモンド・オンラインの記事より。

学力不問の青田買い競争 私大推薦入学の呆れた実態
2008年10月10日(金)09:15

「一部の大学が推薦・AO(アドミッションズ・オフィス)入試に名を借り、学力不問で多数の学生を受け入れている現状は妥当か」

 9月22日に開催された政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎・慶應義塾塾長)で、こんな問題が俎上に載せられた。

 現状では、各大学は定員の半数までは推薦入学者の受け入れが認められている。実際に昨年度の私立大学入学者数48万人のうち、推薦入学が20万人、志望者の個性や適性を総合的に評価するAO入試が4万人。私立大学生の半数は、驚いたことに入学試験を受けていないのだ。

 しかもこの数字は、私大全体の数字である。問題になった「一部の大学」ではどうなっているのか。「定員割れが深刻な底辺校ともなると、入学意思だけ示せば即合格。やりたい放題だ」と呆れた内実を解説するのは、ある大学関係者。

 人気のない大学は、一般入試では受験者すら集められないので、早くから青田買いに走る。一般入試は2月からしか実施できないが、推薦入試は11月から、AO入試に至っては11年中選考可能だ。いまや夏から秋にかけてが入試のピークなのだという。

 受験勉強の通過儀礼を経験しない「青田買い学生」は、とかく学力が低い。それゆえ、「英文科の授業で和訳されたシェークスピアを教材に使う」「物理や数学を学んでいないのに入学できる工学部で、大量の中退者が生まれている」などという事態があちこちで生じている。

 ある底辺校の学長は正直にこう言う。「うちの法学部は、司法試験に合格させるのではなく、新聞を理解できるようになるのが目標」。

 冗談のような現実である。「教育再生」の道のりは果てしなく遠い。

(『週刊ダイヤモンド』編集部 千野信浩)

 新聞を理解できるレベルで法学部卒と認定するというのは、どう考えても無理が有りすぎる。文部科学省は、大学設置の方ではきちんと基準を作ってディプロマ・ミルの排除に成功したけれど、そのかわり、できた大学の単位認定のレベルの方がディプロマ・ミルと大差ない状態になったというオチか。

【ノーベル賞】小林の本は増刷予定です

Posted on 10月 13th, 2008 in 未分類 by apj

 MLに流れてきた情報。
 amazon.co.jpのマーケットプレイスで、初版本を理由に高値がついている

小林誠著『消えた反物質―素粒子物理が解く宇宙進化の謎 』ブルーバックス

は絶版ではないが、品切れであり、あと10日くらいで増刷されて書店に並ぶはず。
初版を集めたいというマニア以外は、待っていれば定価で買って読むことができる。

※物理では、本当に偉い先生を弟子筋以外の人が呼ぶときは敬称無しになったりします^^;)。専門用語化・学術用語化するというか(例:湯川、朝永)。なので、タイトルでは敬意をこめて敬称無しにしました。