以前に書いた、「粘着ヘタレ判定基準」の方に、hirさんがあまりにぴったりな参考文献(?)を紹介してくださったので、使えそうだから引用しておく。
【追記】
このエントリーは、「SSFSさんが境界例の患者である」と主張しているのではなく、「SSFSさんのマイナスイオンについての議論が、境界例の患者とのやりとりとして書かれている例と酷似した展開になる」ということを指摘するために書いた。つまり、展開が似ているのであれば、対処方法としても似たものが使えるのではないか、という話である。
「境界例の治療方法6」だそうで。
投影性同一視という防衛機制は、境界例の患者がよく使う防衛機制です。これはどういう防衛機制かというと、分かりやすい表現で言えば、他人を利用した自己愛や、他人を利用した自己嫌悪ということになります。つまり、他人を鏡のように使うのです。そして、他人という鏡に映った自分に向かって、自己愛的な賞賛を投げかけたり、あるいは逆に鏡に映る自分の醜い姿に向かって、激しい嫌悪感を剥き出しにしたりするのです。表面的には相手を賞賛したり、憎しみを露にしたりしているように見えるのですが、実際には相手の人は患者を映す鏡として利用されているだけなのです。
なぜこんなことをするのかというと、たとえば自己愛を映し出す場合で言えば、自我が貧弱なために自分で自分を愛することができないからなのです。自分に向き合おうとすると、どうしても見たくもない都合の悪い感情と向き合わざるを得なくなりますので、そういう不愉快な事態を避けるために、他人という鏡に自分を映し出して、そこに自己愛を注ぐのです。つまり、極端な言い方をすれば、他人の人格や個性などはどうでも良くて、あくまでも自分の延長としての存在としてしか他人を理解しないのです。
単に都合の悪い自分を見たくないだけなら、きっと、「お前は身勝手だ」「人間としてどうよ」ってな、分かりやすい言葉になるはずのところ、「マイナスイオン」というニセ科学がからむと、「マイナスイオンの定義が曖昧な上に効果も確認されていない」という事実と向き合わないという方向に進む、と。
たとえば、スタッフに向かって「お前は、自分勝手で自己中心的だ」という非難を浴びせたとします。患者の人柄をよく知っている人からみれば、「自分勝手で自己中心的なのは、他でもない自分自身のことではないか」ということになるのですが、患者自身はそういう自分のいやな部分を見ようとはせずに、そのいやな部分を他人に押しつけるのです。そして、いやな部分を押しつけた他人に向かって「お前は、自分勝手だ」と言って非難するのです。このように自分のことを棚に上げて、他人を非難することで、自分の中にある嫌悪すべき部分と直面することを避けているのです。つまり、自分自身と向き合う代わりに、他人という鏡と向き合って、他人を攻撃するのです。ですから、患者が、「お前は、×××だ!」と言ったとき、「お前は」という部分を「私は」に置き換えてみれば、言っていることがそっくりそのまま患者自身にぴったりと当てはまることがあるのです。しかし、患者は「私は、自分勝手だ!」とは言いません。その代わりに「お前は、自分勝手だ!」「お前は、自分のことしか考えていないじゃないか!」と言って、周囲の人たちを非難するのです。
マイナスイオンの効果について、しきりに立証責任を相手にかぶせようとする、と。
では、なぜこのような防衛機制が発生するのかと言いますと、患者には自分というものがないからなのです。自分というものがないので、葛藤を自分だけで抱えることができないのです。加えて、患者は精神的な「分離-個体化」に失敗しているため、自分と他人とを区別する境界が非常にあいまいです。ですから、本来なら自分の中にとどまっている葛藤が、自他の境界があいまいなために、自分の境界の中にとどまっていることができずに、そのまま周囲の人間関係の中へと流出してしまうのです。そして、患者の心の中の混乱が、そのまま周囲の人たちの混乱として表現されることになるのです。そして、周囲の人たちは、患者から色々な役割を押しつけられて、気づかないうちに患者の葛藤の代役を演じさせられることになるのです。そして、こういう形を取ることで、患者自身は自分の見たくもないいやな部分を全部他人に押しつけることが出来ますので、本人としては「善人」のままでいることができるのです。つまり、自分はあくまでも善人であり、悪いのはすべて悪役を割り振った他人のせいなんだということになるのです。
既に、自分=マイナスイオン?そりゃー無いわ実体が無いわ……。
こういった、自分のことを棚に上げて他人を非難するパターンを、他にもいくつか挙げてみましょう。私の存在を無視するようなことをするな。
→ 自分自身が他人を無視するようなことを平気でしている。
お前はマトモじゃない。狂っている。常識というものを知らない。
→ 自分自身が狂っていて常識というものを知らない。
お前は卑怯で陰険なやつだ。
→ 自分自身が卑怯で陰険なことをしている。
なんで私の言うことが信用できないんだ。
→ 自分自身が他人を信用していない。
お前は私を支配しようとしている。
→ 自分自身が他人を支配しようとしている。
お前は欠点だらけだ。
→ 自分自身が欠点だらけ。
お前のようなやつは、誰からも相手にされないぞ。
→ 自分自身が誰からも相手にされない。
お前は態度がでかい。生意気だ。
→ 自分自身が生意気で、でかい態度を取っている。
「お前が言うな」ってヤツですよね。確かにぴったり当てはまる……。ここに書かれている例は一般的な言葉なので大変分かりやすいが、これにマイナスイオンがかぶって、科学における証明手続きの部分で使われると、確かに、大先生が出来上がりそうではある。
一般的な用語の範囲(つまり引用した例のようなもの)でやっていればわかりやすかったところ、大先生は、何故か、他人に自己を投影するかわりに、マイナスイオンに自己を投影したってことか。すると、普通の口げんかになる(リンク先の例でいうと『「お前は、自分勝手だ」と言われたら、「自分勝手なのは、お前の方じゃないか。自分のことを棚に上げて、なんだ!」と言い返したくなったりします。』)はずのところが、全部科学っぽい論争に化けることになったと。ややこしいな。
まあ、病院のスタッフと患者なら、治療するにはどうするかという話になるのだろうけれど、マイナスイオンの誤解を広める側と広まるのを防ぐ側という関係だと、治療の役割なんか担う立場でもないし、徹底的に反論するしかないし、まあ、悪役振られてもギャラリーに伝わればそれでいいし。