Feed

シャチハタで目の錯覚

Posted on 2月 11th, 2008 in 未分類 by apj

 シャチハタネーム9を随分前に買った。そろそろインクカートリッジを交換しようとして、以前買ったスペアカートリッジを開けてみたら、スタンプに最初からついてきたものと比べて何だか妙に大きい。黒いプラスチックのつまみに赤色の多孔質のロッドが刺さっていて、それをスタンプの中に挿すのだが、ロッドは長いように見えるしつまみも太すぎるように見えた。もっと小さいサイズのスタンプ用のインクは、明らかに小さすぎる。
 店にスタンプを持っていって、現物合わせしてインクを入れ替えたところ、前に買って持っていたもので合うことがわかった。つまり、最初に入っていたインクはお試し用だから、ほんの小さな黒いつまみに、短めのインクロッドが取り付けられていて、全体として小さく見えていた。一方、交換用は有料なので、つまみも大きくなり、ロッドも長めでたくさんインクを保持できるようになっていた。それが、目の錯覚で、どう見ても大きすぎるように見えてしまったということらしい。ちゃんと入れてみたらスタンプ内部に収まった。

誇大広告等の規制(経済産業省)

Posted on 2月 10th, 2008 in 未分類 by apj

 以前、不実証広告規制というエントリで、景品表示法4条2項適用のガイドラインについて紹介した。これは、公正取引委員会によるものであった(運用指針合理的な根拠)。
 同様のガイドラインが、経済産業省によっても出されている。「「特定商取引に関する法律第6条の2等の運用指針-不実勧誘・誇大広告等の規制に関する指針-」の公表について
(pdfファイル
 pdf版を読めばわかるが、具体的な内容は景表法の指針とほぼ同じである。
 「合理的な根拠」が満たすべき要件は、

1 提出資料が客観的に実証された内容のものであること
2 勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された性能、効果、利益等と提出資料によって実証された内容が適切に対応していること

 「客観的に実証されたもの」とは

1 試験・調査によって得られた結果
2 専門家、専門家団体若しくは専門機関の見解又は学術文献

となっている。さらに、

(1)試験・調査によって得られた結果
1 試験・調査によって得られた結果を勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠として提出する場合、当該試験・調査の方法は、勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された商品の性能、役務の効果、取引により得られる利益等に関連する学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法によって実施する必要がある。

<例>
・日用雑貨品の抗菌効果試験について、JIS(日本工業規格)に規定する試験方法によって実施したもの。
・自動車の燃費効率試験の実施方法について、10・15モード法によって実施したもの。
・繊維製品の防炎性能試験について、消防法に基づき指定を受けた検査機関によって実施したもの。

2 学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法が存在しない場合には、当該試験・調査は、社会通念上及び経験則上妥当と認められる方法で実施する必要がある。
社会通念上及び経験則上妥当と認められる方法が具体的にどのようなものかについては、勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容、商品・役務の特性、関連分野の専門家が妥当と判断するか否か等を総合的に勘案して判断する。

3 試験・調査を行った機関が商品の性能、役務の効果、取引により得られる利益等に関する勧誘・広告を行った販売業者等とは関係のない第三者(例えば、国公立の試験研究機関等の公的機関、中立的な立場で調査・研究を行う民間機関等)である場合には、一般的に、その試験・調査は、客観的なものであると考えられるが、上記1又は2の方法で実施されている限り、当該販売業者等(その関係機関を含む。)が行った試験・調査であっても、当該勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠として提出することは可能である。

4 なお、一部の商品の性能、役務の効果、取引により得られる利益等に関する勧誘・広告には、消費者等の体験談やモニターの意見等を勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠にしているとみられるものもあるが、これら消費者等の体験談やモニターの意見等の実例を収集した調査結果を勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠として提出する場合には、無作為抽出法で相当数のサンプルを選定し、作為が生じないように考慮して行うなど、統計的に客観性が十分に確保されている必要がある。

 専門家の意見については、

(2)専門家、専門家団体若しくは専門機関の見解又は学術文献
1 当該商品・役務又は勧誘に際して告げられた、若しくは広告において表示された性能、効果、利益等に関連する分野を専門として実務、研究、調査等を行う専門家、専門家団体若しくは専門機関(以下「専門家等」という。)による見解又は学術文献を勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠として提出する場合、その見解又は学術文献は、次のいずれかであれば、客観的に実証されたものと認められる。

i. 専門家等が、専門的知見に基づいて当該商品・役務の勧誘において告げられた、又は広告において表示された性能、効果、利益等について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの
ii. 専門家等が、当該商品・役務とは関わりなく、勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された性能、効果、利益等について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの

2 特定の専門家等による特異な見解である場合、又は画期的な性能、効果、利益等、新しい分野であって専門家等が存在しない場合等当該商品・役務又は勧誘に際して告げられた、若しくは広告において表示された性能、効果、利益等に関連する専門分野において一般的には認められていない場合には、その専門家等の見解又は学術文献は客観的に実証されたものとは認められない。
この場合、販売業者等は前記(1)の試験・調査によって、勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された性能、効果、利益等を客観的に実証する必要がある。

3 生薬の効果など、試験・調査によっては勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された性能、効果等を客観的に実証することは困難であるが、古来からの言い伝え等、長期に亘る多数の人々の経験則によって性能、効果等の存在が一般的に認められているものがあるが、このような経験則を勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠として提出する場合においても、専門家等の見解又は学術文献によってその存在が確認されている必要がある。

 幻影随想さんのところで、少し前に「科学というモノサシ」というエントリーが上がった。

そして疑似科学批判は、彼らにとって、
・よく分からんモノサシを問答無用で押しつけられた揚句
・そのモノサシによって自分の信じたものを否定され、
・さらには自分のモノサシ(価値判断基準)まで否定された
に等しい暴挙なのである。
だからこそ彼らは、疑似科学批判者が「科学という絶対的モノサシ」を押し付けてくると感じるのである。

「疑似科学批判批判」とは、
突如「科学のモノサシ」を押しつけられ、自らのモノサシが否定されたと感じた彼らの、

「比較対象間違ってませんか!?あなたの物差しはそれですか!?」
「絶望した!科学のモノサシに絶望した!」
という彼らなりの異議申し立てであり、悲鳴なのである。

 「消費者」で有り続けるのならば、科学というモノサシを拒絶するという選択肢は有りだろう。それは個人の自由である。
 しかし、「事業者」になった場合は、「科学のモノサシ」を受け入れないという態度を取り続ければ、景表法4条2項にひっかかるし、さらに特定商取引法で規制される販売形態をとっていた場合は同時に特定商取引法6条の2にひっかかることになる。
 特定商取引法では連鎖販売取引(いわゆるMLM、マルチ商法)も規制されており、マルチのメンバーは事業者として扱われる。ところが、メンバー勧誘の時に「事業者である」ことが必ずしもきちんと説明されるとは限らない。「友人知人に勧めてあげて」「使いながら知り合いにも使ってもらいましょう」などと、事業者であることを意図的に隠すことで、参加のハードルを下げる形で勧誘が行われることがある。これで商品宣伝にニセ科学が含まれていたら、法規制にひっかかかる可能性が跳ね上がる。
 ニセ科学のうちの一部である「製品宣伝に登場するニセ科学」について、「科学のモノサシ」を拒絶した場合の実際の効果が、消費者と事業者では大きく異なるということは、共通認識として持っておいた方がよい。

平成17(行ウ)547 東京地裁判決

Posted on 2月 9th, 2008 in 未分類 by apj

 裁判所判例Watchより。判決全文より引用してみる。情報開示請求で総務省が訴えられた件。
 まず、原告の主張。

原告は,平成17年8月1日,情報公開法4条1項の規定に基づき,総務大臣に対し,請求する行政文書の名称等を「電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされたり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる理由がわかる文書」として,当該文書の開示請求をした(以下当該文書を「本件文書,当該開示請求を「本件開示請求」という(乙1))。

 次に、被告(=総務省)の主張。

 本件文書は,電波によって直接的に,人の思考が字や映像にされ,又は,人が指を指す,手を上げる,若しくはその人には分からないはずの他人の居場所を訪れることがあるという前提で,そのような現象が起こる理由について明らかにする文書であると考えられる。
 しかしながら,電波によって上記のような現象が引き起こされるとは想定されていないことから,総務省においては,当該現象に関する調査,研究等は実施していない。
 また,総務省において,このような現象が起こる理由を明らかにする行政文書の有無につき,事務室及び書庫の探索を行ったほか,関係部署にこれを保有していないか照会したところ,そのような文書は存在しないことが確認された。

 ……調べたのかよorz。仕事とはいえ大変だな>総務省の中の人。
 でもって、裁判所の判断。

社会通念上「電波により頭の中の考えが字や映像になったり,指をさされ,たり,右,左手を上げたり,いる場所がわからないのに人がくる」という現象が客観的に存在するものとは認められず,当該現象に関する調査及び研究が総務省その他の関係機関において実施されているものとは容易に想定し難いから,当該現象が生じる理由について説明した文書が存在する蓋然性もまた,極めて低いものといわざるを得ない。このことと,上記のような総務大臣の説明及び総務省内の関係部署からの回答の状況とを併せ考慮すれば,本件不開示決定が行われた当時において,本件文書は不存在であったものと認められる。したがって,文書不存在を理由として本件文書の開示をしないこととした本件不開示決定は適法である。

 いや、実に常識的な判決だと思うぞ>裁判所。
 昔、研究室の教授宛にまさにこういう手紙が来たことがある。既にあちこちの大学に手紙を出しまくった後らしく、手紙は手書きのもののコピーで十数ページ、「○○大学の□□先生に問い合わせたら△△という回答であった。」といった内容が後半に列挙されていた。手紙の目的は、「このような電波で人をコントロールする方法について心当たりはないか」という問い合わせだった。教授から手紙を渡されて「よきにはからえ」と言われてしまったので、当時博士課程の院生だった私と友人でとにかく手紙を全部読んで、「大変申し訳ありませんが当研究室ではそのような技術の存在に心当たりはありません」という丁重なお返事を作文したのだった。

 いや~しかし、この手の話は、大学に来るだけかと思ったら、とうとう裁判所にまで到達していたのか……。

「トンデモ」を人格否定に使わないで

Posted on 2月 8th, 2008 in 未分類 by apj

 ちょっとネットでもリアルでもばたばたしていたらコメントするのに出遅れてしまった。「擬似科学を批判する人は謙虚であれ」を読んで。

 それでも、自分はときどき、疑似科学批判を得意げにおこなう人たちに気持ち悪さを感じる。たとえば、疑似科学を信じている人たちを、「トンデモさん」と呼ぶ人がいる。こりゃ、あかんやろ。「トンデモさん」というとき、疑似科学批判者は、批判対象の全人格を否定してしまっている。つまり、「科学のモノサシ」に則ってあくまで事実認識をたしなめるだけではなく、彼の生き様そのものを批判してしまっている。そこには、「知的で優秀な俺様が無知なおまえを啓蒙してやるぜ」という態度が見え透いている。

 擬似科学批判の問題として扱うようりも、むしろ、単に「トンデモさん」の使い方を間違えているということを言わなければならない。
 「トンデモ」は鑑賞し愛でる対象であって批判する対象ではない。だから、批判しなきゃいけないときに「トンデモ」と表現してはいけない。
 擬似科学やニセ科学の全てが「トンデモ」ではない。擬似科学やニセ科学の一部が「トンデモ」になることはある。逆に「トンデモ」の対象は別に科学とは限らないし、そもそも学問と関連するという制限すらない。フィクションであるマンガや小説でも、表現内容があまりにぶっ飛んでいて、作者の意図を越えて別の意味で楽しめればトンデモ本と呼ぶ。「トンデモ」と呼ぶ時には、(間違っているけど)人間の想像力・空想力・妄想力は無限だなぁ、とか、「その発想は無かった」という、むしろある種の人間の奥深さのようなものを見ているように思う。
 具体的に言うと、活水器のニセ科学説明は普通はニセ科学であってトンデモではない。ところが最近、セールストークにSDI計画が登場するものが見つかり、これはニセ科学批判の対象ではなくトンデモだろうと判断することになった。

 ことさらに人格を否定するような擬似科学批判のあり方はまずいだろうという主張には同意する。ただ、「トンデモ」を擬似科学批判の文脈で使う人が居るのであれば、「トンデモ」の使用法を間違えるなということを指摘しておきたい。

【追記】
 素直に読めばわかるように、このエントリーの内容は、「ニセ科学批判批判」である。つまり「ニセ科学批判」を行うにあたって、「トンデモ」という用語を本来の意味で使ってくださいという内容なので。

消しゴム買った

Posted on 2月 7th, 2008 in 未分類 by apj

 文房具が好きなので、消しゴムを衝動買いした。
!!$img1!!
買ってはみたんだが、さてどうしたものかと。左側はPowerBook G4 Titanium 15inch。

クレームの実際

Posted on 2月 6th, 2008 in 未分類 by apj

 J-CASTニュースで取り上げられたので、以下に引用しておく。言及したい部分を赤字にさせていただいた。
(【追記】J-CASTの方でもリンクを追加していただいたようです。ご指摘ありがとうございました>検査員様。)

月100万PVの人気個人ブログ 教授同士の名誉棄損論争が勃発
2008/2/ 5
上武大大学院教授の池田信夫さんがブログで、コメント投稿者の実名を割り出し「間抜け」「(ネット)イナゴ」と罵倒したことを巡って、名誉棄損論争が勃発している。論争には、関係者がほとんど実名で登場しており、ネットでは、実名であっても認識の差を克服することの難しさを浮き彫りにした。

「イナゴ」「間抜け」などと罵倒

名誉毀損論争が勃発した池田信夫さんのブログ
名誉棄損論争の発端は、池田信夫さんが自らのブログの2007年11月13日付日記のコメント欄で、投稿者を罵ったことだった。池田さんは日記で、文部科学省の次世代スーパーコンピューターを批判的に取り上げたが、「はてな」ID名でコメントを寄せた西日本の大学の助教授の実名を割り出して「(ネット)イナゴ」と書いた。そして、「自分のコメントを否定するサイトにリンクを張った」と指摘して、このことについて「間抜け」とも発言した。

この助教授は、池田さんにコメントや自らのブログで反論したが、さらに助教授のブログを閲覧していた山形大准教授の天羽優子さんが、この問題を同大サイトにあるブログ「事象の地平線」で取り上げた。その11月18日付日記で、池田さんのコメントを「証拠保全」のためにと取り上げ、「『間抜け』『イナゴ』は、人に対するものなので、名誉毀損は成立しうるんじゃないかな」と言及したのだ。

この日記は、その後、池田さんの目に留まり、08年1月29日、「根拠もなく、このような記事を掲載すること自体が名誉毀損」とし、記事を削除しなければ山形大に通報すると書いたメールを天羽さんに送った。ところが、天羽さんは、池田さんのメールに回答せず、「事象の地平線」の同日付日記上にこのメールをそのまま公開。その理由として、池田さんが大学通報までほのめかしたことなどから私信性がないことを日記の中で挙げた。山形大との関係については、「当事者は大学ではなく私」と主張した。

池田さんは、同じ日、日記の中でメール公開行為を批判した。そして、山形大の結城章夫学長あてに、山形大のサイトで根拠なく「名誉毀損」の中傷をし、私信を無断で公開したことにどう考えるか、という公開質問状をアップ。学長あてに同じ内容のメールも送った。

池田さんと天羽さんの論争は、大学も巻き込む騒動になって、池田さんのブログなどにはコメントが殺到する事態になっている。

話し合いの必要については否定的
一連の論争では、ほぼ実名に近い形でネットのやり取りが公開されている。しかし、互いに相手が名誉毀損に当たる誹謗・中傷をしたと主張して収まらないのだ。

山形大の天羽優子さんは、J-CASTニュースの取材に対し、

「実名が出て、感情的になっていますね。ほとんど論争らしい論争がなく、ブログでの個人攻撃に終わっています。誹謗・中傷はなくならないですね」
と答えた。一方、上武大の池田信夫さんも、こう漏らした。

「コメント欄にgooIDのログインを導入したら、すごい効果があって、ノイズがなくなりました。でも、実名でも、誹謗・中傷はなくなりません。確信犯は、自分が正しいと思ってやっていますから」
ブログやメールでのやり取りは、実名だと、冷静に一歩引いてコミュニケーションしにくいのかもしれない。2人の論争も、収束の気配がなく、平行線をたどったままになっている。

そもそも、今回の論争でお互いに面識がないことが、憶測や疑念を生んでいる可能性がある。「最初は、(池田さんが)アクセスの多いブロガーか、評論家だと思い、大学の先生とは知りませんでした」と天羽さん。とすると、ネット上で解決が難しい以上、お互いに話し合いなどはできないのか。

しかし、2人とも、話し合いに否定的だ。天羽さんは、「会わなくてはならない理由があるのですか。その予定は今のところありません。ネットの文章で尽きている気がします。こういうパターンで文章を書く人は、何を言ってもダメだと思います」と答えた。池田さんも、「山形大のドメインで他人の悪口を言ったり、メールをブログで公開したり、常識ではありえませんよね。常識がない人と話しても意味がないと思います。だから、今のところ会う気はありません」と素っ気ない。

この論争について、ITジャーナリストの佐々木俊尚さんは、

「背景には、『実名』をどのようなものとして捉えるのか、という部分に認識の差があることがあります。2人の場合は、池田さんが天羽さんを山形大とひと括りにしているのに対し、天羽さんは個人の立場を強調しています。大学という属性が責任を追うかどうかの認識が論争を極端にしたのではないかと思います
と分析する。実名でも、肩書きなどの属性が入ってくると、議論をこじらすということのようだ。また、佐々木さんによると、「失う属性なんかない」と考えている人たちは、実名でも誹謗・中傷をためらわないという。

話し合いによる解決については、佐々木さんは否定的だ。「面談する必要は、まったくないと思っています。そもそも池田さんと天羽さんが議論を決着させる必要があるのでしょうか?大切なのは、2人が論争していることが多くの人の目に触れて、そこから議論が多くの人の間で展開していくことだと思っています」

ちなみに、池田さんのブログは、率直な議論が関心を呼んでか、ブログとしては異例の月間100万ページビューも閲覧されるほどになっている。

 佐々木さんのコメントについて、私の方から状況を説明しておきたい。
 これまでに私が受け取ったクレームの種類は、大体次の通りである。

[a]脅迫タイプ:威圧的あるいは脅迫的なメールを送って、しょっぱなから訴えるぞと言ったり、大学あるいは周囲を巻き込んだり、これから巻き込むぞという姿勢を見せる。クレームが受け入れられないと「暴れる」のがこのタイプ。
[b]ビリーバータイプ:客観的には間違っている内容を主張。認められるまで延々主張し続けることがある。
[c]愉快犯タイプ:荒らすこと自体が目的。
[d]通常タイプ:事実確認がとれる形で、私の所に直接送られてくる。普通に対応し、私の方から簡単にお礼を述べて終わる。

 実のところ、タイプ[a]に分類されるクレームは少ない。ウェブに書いたものについての、質問やクレームを合わせると、これまでに延べ1800通程度のメールを受け取っている。複数回のやりとりを考えると、この半分としても900通程度。そのうち、タイプ[a]のクレームを思い出せる限り列挙すると、池田氏によるものも含め、全部で11件ある。

【クレームのリスト】
[a]日本システム企画株式会社:クレーム第一号。NMRを利用したと称する活水器を製造販売。クレームの内容は、訴えてやるという代表者じきじきのお手紙。今でも「当社の電磁波は金属を通過します」と言い張っている。
[a]スター管理サービス:2001年頃だったか。直接電話でクレーム。弁護士に相談してるとか何とか。遠赤外線の不思議な効果を信じてるっぽかった。
[a]株式会社プロホームアドバンス:お茶大の方のコンテンツが阪大に移転する原因になったクレーム。返品があったと主張。冨永教授ともども覚悟を決めて、本当に因果関係のある損害なら賠償するつもりで損害の立証を求めたところ、何も証拠が出てこなかった。取締役に内容証明を送るまで、担当者としかやりとりできなかったのが不思議。
[a][b](個人):氷のIce Ihの結晶構造が違うと延々メールで書き送ってきた。たまりかねて「勉強しろ」と言ったら「勉強は嫌いです」orz。お茶の水大にもメールが来たので、「授業料ももらってないのに教えなきゃいけないっておかしいでしょ」と冨永教授が事務に行って説明、事務官爆笑。
[a]飛騨の中の人(個人):マイナスイオン関連。ブラウザで普通に見れないサイトを連絡してきて、見れないことを指摘したら逆ギレ。変態助教授とか書きまくった上に嫌がらせのメールが20通以上に掲示板荒らしの3連コンボ。私に書面で現金20万円を要求したので、本名と住所が判明した。さすがに呆れて告訴と提訴を両方やった。名誉毀損で罰金刑確定。ウェブだけではなく大学にクレームを送った分についても名誉毀損が認められ、敗訴したのに損害賠償を払おうとしない。どうやら、払わなくて良いと素で信じてるっぽい。
[a]元祖・闇サイト管理人「奥平明男」:クレーム当時は前科10犯、多分今は11犯。自称探偵。公開された殺人予告に言及したらしつこいクレームをつけてきた。現在、beyondさんに提訴されている。
[a]セルミ医療器の関係者?:マイナスイオン装置に対する行政処分を紹介した記事にクレーム。不法行為であると主張したがその後は応答無し。
[a][c]ふま(通称):説明の要らない粘着荒らし。一見理由があるようなことを書くが、一貫性は全くなく、混乱させることのみが目的のかまって君。当blogでは原則削除で対応(他所でも似たような対応がなされている)。apj_yamagataというメールアドレスを作ってクレームを送り、そこでは「山形」と名乗った。
[a][b]吉岡英介氏:最初がメール、2年ほどおいて「水は変わる」という自費出版本を出し、丸々一冊を費やして私に対する中傷をしまくり、その後2年近くにわたってウェブでも同様のことをやった。関係していたビジネスが公取の排除命令を喰らったことの逆恨みらしい。お茶の水大だけ訴えたので、現在訴訟参加して係争中。私も名誉毀損で吉岡氏を別途提訴。【←進行中】
[a][b]マグローブ株式会社(上森三郎、吉岡英介):掲示板投稿の内容を業務妨害であるとして削除要求。技術的議論であると判断し、かつ、大学だけを訴えてきた前歴を考慮し、私の方から先に債務不存在確認の訴えを提起。【←進行中】
[a]池田信夫氏:あらきけいすけ氏に対する名誉毀損ぽい表現に言及したら脅しめいたクレーム。公開したら、今度は私に対する人格攻撃を展開中。【←最新】

 少ないサンプル数を以て何かを語るのは危険であることは承知の上で議論を続ける。

 まず、池田氏以前に、タイプ[a]で私の所にクレームを付けた人の主張がまともだったためしがないというのが、私がこれまでに経験したことである。まともでない、の意味は、内容自体が客観的に誤りであることを立証できるとか、そもそも違法なことをしたのを指摘したら逆ギレしたというものである。事実関係をきちんと調べたら、まず間違いなくクレームの方が間違い、とされるだろうというものである。
 なお、池田氏以前に、タイプ[a]クレーム10件のうち3件が法的処理に移行している。これも、割合としては高いのではないか。

 どうやら、「内容を検討されたら決して受け入れられることが無いから、内容の検討を面倒がるであろう組織の方に出すことで、うやむやのうちに受け入れさせよう」とか、「組織にクレームを出せば、組織が事なかれ主義な対応をしてくれて、内容を検討しないままに受け入れられるに違いない」などという期待が、タイプ[a]のクレームを出す側にあるとしか思えないのである。

 次に、肩書について考える。
 大学教授だからまともか、というと必ずしもそうは言えない。怪しい商品にお墨付きを与えている「教授」だっているわけで、私は学生に向かって「教授が推薦していても信用するな。むしろまともな産学連携では、守秘義務が絡むので宣伝に研究者は出てこないもの」などと教えている。いやまあ「それを言うオマエだって准教授だろ」というツッコミは覚悟の上だし、大学生くらいになるとこの程度の矛盾は適切に消化してくれるだろうと期待している(私の言うことは信用せずに裏をとる、という学生さんが居るならば大変歓迎すべきことだが、これは今回の話題とは別の話である)。

 知っている範囲で実例を挙げると、次のようなものになる。
 赤外線で水の水素結合が変わると主張しているが、データを見ると測定が間違ったんだろ、な論文を出していたり、去年まで「溶液に声をかけると核反応が起きる」などと主張していたのは、両方とも旧帝大の先生である。健康食品のインチキ宣伝に名前を貸してクビになった京都大の教授も居た。環境ホルモン濫訴事件の原告も京都大教授で、シンポジウム当日の発言を曲解した批判を公表したと言って名誉毀損で提訴したのに、当日の録音テープが出てきて、「言ったつもりだったが言ってない(だから違う受け取られ方をしてもむしろ当たり前)」などということになり、結局原告が敗訴した。私はこの裁判の被告側応援団をやっていたから、状況はよく分かっている。業者に宣伝で使われている、トルマリンについての間違った報文を出すことに尽力したのは、中村輝太郎元東大教授だった(師匠の冨永教授の元上司)。量子力学無しで物理学は構築できると頑固に「新体系物理学」を唱えているのは飯田元東大教授である(師匠の冨永教授の元指導教官)。人工心臓の権威で、私にとっては雲の上で光り輝いている先生だった渥美和彦元東大教授は、定年後は名誉教授のまま代替医療の方に行き、再び御名前を拝見したのは、「気」の研究が出ている雑誌の中であった。

 これでは、肩書きよりも当人の行動や主張の内容の方を見ないと何とも言えない。ある時期まで、きわめてまっとうな科学の成果を上げていた人が、途中で違う世界に旅立っていくことは、そんなに珍しくなかったりする。

 以前、あらきけいすけの雑記帳を見に行った理由は、あらきさんが以前にお茶大裁判のことを取り上げていたからである。少しコメントさせていたき、その後もたまに見に行っていた。とある日見たら、わけのわからない理由で他所で中傷されていて、あらきさんは中傷した相手と争うつもりらしいということがわかった。じゃあ証拠保全しておくか、と「間抜け」発言に言及した。つまり手製の魚拓というわけである。その時に初めて池田氏の名前を知った。だから、私にとって池田氏とは「他人を平気で”間抜け”呼ばわりする人物」以上でも以下でもなかった。この認識でいたところにタイプ[a]のメールが来たから、まずは、理由のないクレームつまり「威迫」として扱うことになった。一般論として大学の名前や教授の肩書きがあっても、ちっとも信頼できないことがあるというのは経験済みであった。

 勿論、n件のまともでないタイプ[a]のクレームがあったからといって、n+1件目がまともでないとは言えない。そこで、上に書いたことをふまえて、池田氏のクレームがどうであったかを検討する。
 まず、
1. 大学を巻き込むという予告が最初にあった事実(このエントリ参照)。
2. 当事者が私である旨明記したにも関わらず、学長を巻き込もうとした事実(J-CASTの取材、池田氏のblogより)
3. 削除要求のメールの内容に虚偽が含まれていた事実。(1.で示したエントリー中に具体的記載)
4. 池田氏はもっぱら私に対する個人攻撃を行っている事実(個人的に魚拓を作り、どの部分か指摘した人→clausemitzさんbeyondさん石田剛さん(この前後にも関連エントリが前後にある。))

 1. と2. から、大学を巻き込もうとする池田氏の故意は明白である。さらに、そもそも削除理由に虚偽が含まれている以上、要求に従う必要が無いことは3. から明らかである。削除が受け入れられなければ、4. のような形で個人攻撃を行ったことは、これもまた証拠より明らかである。

 以上の事実より、池田氏による今回のクレームは、歴代のタイプ[a]型クレームに分類しても差し支えないと考える。

イグ・ノーベルが来そうなネタ

Posted on 2月 5th, 2008 in 未分類 by apj

 Technobahnの記事より。

遺伝子操作で涙のでないタマネギを製作、ニュージーランド人研究者

【Technobahn 2008/2/4 11:23】ジーン・サイレンシング(遺伝子抑制)という手法を用いることで、ニュージーランド人研究者が切っても涙がでないタマネギの製作に成功していたことが1日、研究機関の発表により明らかとなった。

 この研究を行ったのはニュージーランド作物食糧研究所(New Zealand Crop & Food Institute)のコリン・イーディー(Colin Eady)研究員を中心とする研究グループ。

 タマネギが切った際に涙が出るのは、これまでアリイナーゼという酵素の働きと考えられてきた。しかし、2002年にハウス食品がアリイナーゼが働いた次のステップで働くLF合成酵素(LFS)という新しい酵素を発見。このLFSを働かないようにすれば、涙の出ないタマネギを製作することも可能になるという判ったため、ニュージーランド作物食糧研究所では、遺伝子抑制法を使ってこのLFSを働かないようにするタマネギの研究を行ってきた。

 ハウス食品による研究成果は2002年に英科学雑誌「ネイチャー」に掲載され研究者の間で注目を集めていた。

 ニュージーランド作物食糧研究所では今後もこの切っても涙がでないタマネギの研究を進めるが、このタマネギが一般の食卓の上に上るまでにはまだ、10~15年の歳月は必要になるだろうとも述べている。

 水に浸して切るのでは、やっぱり面倒ってことなのか。

ふじ=ふま、なので削除

Posted on 2月 4th, 2008 in 未分類 by apj

 ちょっと前から「ふじ」というハンドル名で書き込んでいる人ですが、年始早々大串さんの所で多重ハンドルで議論を混乱させまくった人物であるとほぼ確定しました。
 少なくとも、向こうと同じ時期より、同一IPから繰り返し書き込まれています。
 よって、「ふじ」という名前で投稿されたものを削除します。

 また、これ以外にふまっぽいのもいくつか消します。コメントの引用元が無くなったり、一部の議論がつながらなくなったりしてしまいますが、当blogの方針ですのでご了承ください

 F臭漂うというのは、まったくもってその通りでした。
 今回はあたりさわりのないことを書き込んでいたようですが、「書き込みの頻度に比して内容が無意味で前後の議論が読めておらず、見当外れで脊髄反射的コメントが繰り返される」というF臭は消すことができなかったようです。

 リアル訴訟で忙しくて害虫駆除が遅れたわ……orz。

【追記】
 これはむしろ、池田信夫氏に連絡すべきかな。多分、私がメールを送ったところで聞く耳持たない(?)だろうから、池田氏と意思疎通できるどなたかに伝言をお願いしたい。
—-(以下伝言)
 年始早々オーマイニュースの大串記者のblogで大量のなりすまし投稿を行った人物が居て、書き込み元のIPは全て同一の220.41.0.53であった。この人物は、以前よりニセ科学の議論に異常な執着を示していて、何度アクセス禁止にしても性懲りもなく書き込みに来る、いわば蠅のようなもので、内容のない書き込みで議論を混乱させることのみを目的としている。
 ところで、この人物が当blogに、当該IPでの書き込みを最初に行ったのは、実は池田氏が削除要求した問題のエントリであった。もし、池田氏の今回のクレームが、220.41.0.53からの書き込み等をきっかけとして行われたのであれば、池田氏は見事に220.41.0.53の人物に担がれたことになる。おそらくこの人物は、池田氏のblogや関連blogにも書き込みを行っていると思われる。既に内容が無いことが特徴の書き込みが目撃されている。また、今回の騒ぎを取り上げた別の人のblogでもそれらしいものを見かけた。おそらく、池田氏が私の中傷を繰り返しているのを見て、220.41.0.53が密かにほくそ笑んでいるだろう。
 書き込み元のIPを確認できるのは、blog主や掲示板管理者に限られるので、今回の話題を取り上げてみて、内容の無い書き込みを見つけた方は、各自対応されたし。削除して無視が最も良いことは言うまでもない。誰かが反応してくれることだけがこの人物の喜びであるので、無視するのが一番である。
 なお、IPやハンドル名を変えてしつこく登場するが、日本語読解力が全く無いのと、書かれたものを完璧に無視したコメントをつけること、コピペやリンクのみの投稿をするので、少し観察していれば判別はできる。当blogでも、何人かの常連の方が「F臭」と表現し、怪しいと気付いておられた。対応は面倒だが、シロアリ駆除のつもりでやれば何とかなるだろう。
 既に、吉岡英介氏はこの人物の年始の自作自演を信じて私に対する批判記事を書いたが、論拠がすべて同一IPによるなりすましだったことが発覚し、恥を晒す結果になった。池田信夫氏が2人目でないことを、一応は祈っておくが……。
—-(伝言終わり)

ドライバーセット

Posted on 2月 3rd, 2008 in 未分類 by apj

 精密ドライバーセットを買ってあったのが届いた。5角(大)、5角(小)、Y型、星形、6角型、(ー)のセットを1つ。これに加えて携帯のアンテナ外し用の二股になってるのと、(+)(ー)が追加されたセットを1つ。通販でそれらしいのを選んで買ったため、特殊ドライバーはダブってしまった。まあ、2本あっても困るものじゃないし。
 PDAの内蔵の電池を交換しようと思ったら、ネジが特殊なやつだったので、ドライバーを捜すことになった。結局秋葉原のお店の通販を利用した。1セット2000円前後で売っている。

分け方やら対立の深刻さやら

Posted on 2月 2nd, 2008 in 未分類 by apj

 Genさんの、擬似科学批判者は「何を批判しているか」自覚せよ、というエントリー、及びその追記より。

科学者が疑似科学信仰者を批判するとき、二つの水準(レイヤー)が混在しています。

1.事実のみに関わる純科学的な批判
2.道徳的・政治的な批判

1の純科学的な批判については、科学の領域で、実証的に白黒つけることができる。つまり、事実について科学者が疑似科学信仰者を批判するときには、実証的データという(さしあたり)疑いようのない批判根拠が存在している。だから、感情的になる必要はありません。
 ところが、2の道徳的・政治的な批判については、白黒(批判が正当かどうか)をはっきりつけられる根拠が存在していない。この部分は、人文学的な「解釈」の領域です。あるいは、どちらの方が社会の支持をより集めることができるのかという、政治的パフォーマンス(言説バトル)の領域です。だから、感情的になりやすい。「疑似科学(を主張すること)によって多くの先人や現在科学に携わっている人々の人生が否定されてしまうこともある」(参照)と憤る気持ちや、「怪しげな話をして人を惑わしてはいかんのではないのか」「法的にも道徳的にもどうなの」(参照)と感じる気持ちはわかりますが、これらは科学そのもの(事実の領域)とは無関係であることを確認してください。

 擬似科学と書いておられるけれども、今のところ私が積極的に批判しているニセ科学についていえば、定義が「科学を装うが科学でない」である。すると、定義に当てはまるかどうかを考える段階で、「装う」の判定が入っているため、科学「のみ」では議論が閉じない。
 次に、道徳的・政治的な批判が現実に行われる場合の例としては、不実証広告規制で既に言及したような基準が使われることになっている。公正取引委員会による景品表示法4条2項の運用例だが、経済産業省による特定商取引法6条2項の運用例もほぼ同じ内容となっている。簡単にまとめると、法規制する場合には通常の意味での科学的実証をダイレクトに求める、という趣旨となっている。つまり、法の側が「科学のモノサシ」を求めるということになっている。
 人文学的な解釈の問題を論じるなら、たとえば景表法4条2項や特商法6条2項の運用基準が妥当かどうか、といったことになるのではないか。また、このような法律は、それこそ市井の普通の人達の間で頻発するトラブルを防ぐ目的で作られたわけだから、運用基準に基づいての市井の人によるニセ科学批判は、やはりそれなりの合理的意味を持つことになる。「自分たちが絶対に正しい」とまではいかないが、「社会で合意された内容」程度の正しさは担保されている。

自分の主張は、疑似科学批判側と疑似科学信仰者のあいだに芽生えている相互不信というかディスコミュニケーションを改善するために、「2.道徳的・政治的な批判」において、疑似科学批判者側が「自分たちは絶対に正しく、有能だ」と思う気持ちを封印して、より対話的な態度を取ろうではないか、ということでした。あるいは、「2.道徳的・政治的な批判」のトーンを下げることによって、「1.事実のみに関わる純科学的な批判」を通しやすくなるのではないか、ということでした。

 現実にはそんなものでは済まない。擬似科学を広める側の理由が、不実証広告でもって商品を売るためだったりすると、単に科学的批判を加えただけで「業務妨害」を主張して争ってくる。まあ、メシの種がかかっているから仕方がない面もある。でもって、景表法4条2項が適用されて排除命令が出ると、今度はそれを逆恨みして、自費出版本を作ってまで批判者に対する誹謗中傷を行い、2年にわたってウェブでも同様のことを行い、挙げ句に批判と関係のない言葉尻を捉えて大学だけを訴えてきたりする。おかげで批判した側(つまり私やらお茶の水大の冨永教授やら)が訴訟参加して裁判所で紛争の真っ最中、ということになっている。この状況で、ディスコミュニケーションが改善できるなどという主張をされると、一体それはどこの世界の話なのかと思ってしまう。