Feed

学長オフィスアワーが増えている件

Posted on 11月 6th, 2007 in 未分類 by apj

新学長になってから、「学長オフィスアワーは、本学がキラリと光る存在感のある国立大学として発展するために、学長が学生・教職員と直接対話し、本学の運営に資することを目的とするものです。」というふれこみで、2回目の案内がメールで回ってきた。まあ、時間にも受付人数にも限りがあるが(1回2時間、5件まで、予約制)、直接現場の声をきこうという姿勢はよく見える。一区切りついたら、どんなことが話し合われて、どのように運営に反映されたか、わかるように広報してもらえたらと思う。
 学生や院生と大学トップとの懇談会というのも、いろんな大学で企画されていたりするので、うまく回っていけば全体が良くなる方向にいくんじゃないかなぁ。
 まあ、大学の一番の問題は、無闇に予算削減をした上で書類書きに現場を縛り付けて疲弊させる結果をもたらしている、大学よりもっと上の方の政策にあると思うのだけど。

今ならむしろ……

Posted on 11月 5th, 2007 in 未分類 by apj

 朝日新聞の記事より。

宇宙人の信号「まず当局に通報」は時代遅れ 天文学者ら
2007年11月05日

 地球外文明が発する信号を見つけたら、まず「国家当局に通報する」との国際天文学連合(IAU)の規定は時代遅れで、見直すべきだとする提言をまとめる方針が4日、兵庫県立西はりま天文台で開かれた、国内の天文学者らの任意の集まりで決まった。宇宙人からの情報が一国家によって独占される恐れがあるからだという。

 IAUは91年、地球外生命体から送られたことが確実な電波などの信号を天文学者がキャッチしたら「発見者は関連する国家当局に通報。IAUを通じて国連事務総長に知らせる」としている。

 この日の地球外の知的生命体探査(SE(セ)TI(チ))に関する研究会には国内の天文学者や生物学者、企業関係者ら約70人が出席。国家当局とは具体的にどの機関にするのかなどを話し合ったが、「宇宙人がもっている可能性がある高度な文明に関する情報を一国家に独占させてしまうのは危険だ」といった意見が相次いだ。ワーキンググループを設置し、09年の世界天文年を目標に提言案をまとめることにした。

 誰かツッコミ入れろよって話がと学会の方で流れたら、既にと学会員の一人がこの会合に出て、「『宇宙人は既に地球に来ている』という嫌がらせのような講演をしてきた」と報告があった。
 通報するよりも、まずは2ちゃんねるにスレを立ててからblogにアップ、が正しいような気がするが。あとは宇宙論か天体物理あたりにいろいろプレプリントが投稿されないか、arXivを見張る、と。

千葉大理学部の同窓会に行ってきた

Posted on 11月 3rd, 2007 in 未分類 by apj

 午前中に上京して、千葉大学理学部の同窓会に行ってきた。今日は大学祭の日で、屋台がずらっと並んでいた。
 理学部全体の同窓会の後、学科別同窓会となった。
 全体の同窓会では、千葉大学の卒業生・教員・在学生と院生が参加できるSNS Curioを作ったのでこれから使っていこうということが主な話だった。が、今ひとつ目的がはっきりしない。Curioの入会申し込みページはhttp:www.chiba-u.ac.jp/sns.htm
 学科別同窓会は、南極に作っている超高エネルギー宇宙線検出装置についての話があったあと、適当につまみやらビールやらを配って懇談会となった。が、ここでアクシデントが……。
 ちょっと変わった色のジャーキーが混じっていて、食べた人がみんな「めちゃくちゃ固い」と言っていたので、終わり頃にゴミ袋をあさって入っていた袋をサルベージしてモノを確認してみたら、ささみジャーキーと書いてあって、袋の裏の説明を見ると、どこからどう読んでも
犬 用 の ジ ャ ー キ ー
でおましたorz。本当に(ry
 ウチのクラスだけの集まりだったら「誰だよこんなネタかましたヤツは?」って突っ込むだけだが、若い人から既に定年を迎えた世代までが混じっている場でさすがにこれをネタでやるとは思えない。がんばって囓っている人もいるわけで、さてどうやって指摘しようかと暫く迷った末、とりあえずその場は見なかったことにした。その後2次会に行き、適当に酒が入ったところで購入した人を特定した。なぜこんなことになったのかが謎だったので、購入時の状況をきくと、ジャーキーは、他のつまみとは別の場所にあったが、ペットボトルの飲料を買ったすぐ近くに置かれていて、近くにペット用品コーナーがあったわけでもなかったということだった。つまり微妙に人間の食料と間違えそうな場所にあったということで、店の人の配置にも多少は問題があったという結論で終わった。
 しかし、似たような話でツナ缶とネコ用のエサを間違えるケースがあると指摘したら、経験者だろうと邪推されたのはなぜだろう……。

ダイエット食品で肝障害

Posted on 11月 1st, 2007 in 未分類 by apj

 ハーバライフのダイエット食品で急性肝炎に。
講義ネタになるかどうかわからんが、論文になってるのでメモ。イスラエルとスイスでの事例。

Association between consumption of Herbalife nutritional supplements and acute hepatotoxicity
Elinav E et al.
Journal of Hepatology 47(2007)514-520

Herbal does not mean innocuous: Ten cases of severe hepatotoxicity associated with dietary supplements from Herbalife products
Alain M. Schoepfer et al.
Journal of Hepatology 47 (2007) 521-526

「水からの伝言」の話をしてみた

Posted on 10月 31st, 2007 in 未分類 by apj

 恒例の共通教育の科学リテラシーで、「水からの伝言」の話をしてみた。学生さんのコメントを見た限り、授業で訊いたと書いてきた人が居なかった。さすがに、学校でやるケースは減ってきているのだろうか。
 しかし、

タケコプターを科学的に説明すると、実際どのようなことが起こるのでしょうか。

は一体どうしたもんかと。私ゃ、柳田理科雄じゃないんだが……^^;)

弁護士なら当事者とそれ以外の区別くらいしてくれ

Posted on 10月 30th, 2007 in 未分類 by apj

 橋下徹のLawyer’s EYEより。

皆さんがタクシーに乗って,運転手に不快な思いをさせられたらどうします?銀行の受付窓口で不快な思いをさせられたら?こりゃひでーなーという広告を見たら?食品を買って何か異物が入っていたら?
まずは,そのタクシー会社や銀行,広告主,販売業者にクレームを入れるでしょ?
そしてそのタクシー会社,銀行,広告主,販売業者の対応もふざけてるなって思ったら?
そしたら,タクシー業界,銀行業界,広告主や販売業者が属する業界を監督する監督官庁(国・行政)に苦情を入れるでしょ?

 まあ、クレームをつけるかもしれないけど、それは私が当事者である場合、つまり、タクシーに乗ろうとした・乗った場合、その銀行を使った場合か、その食品を食べようとした場合に限られる。だから、どこぞのバラエティ番組で、「この間さあ、タクシーに乗ったら運転手の態度がとんでもなく横柄だった上に遠回りして普段の1.5倍も金をとられた、これはみんなでクレームつけなきゃね」などという発言を聞いたからといって、私がわざわざクレームをつけることはしない。blogで番組もろともネタにすることはあるかもしれないが。
 いずれにしてもクレームは問題の影響を直接受けた当事者がつけるのが基本であって、伝聞や風評に基づいてつけるものではない。
 橋下弁護士は、きちんと対処するつもりがあればクレームはつけられた側にとって役立つと考えているらしい。確かにこれは一般論としては正しい。まっとうな企業なら、ユーザーの(←ここ重要)クレームをサービス改善に役立てるだろう。しかし、ユーザー以外の無関係な人々による伝聞と風評に基づくクレームが殺到したとしても、サービス改善につながる情報などまず引き出せない。そういうクレームは、本来の業務の妨げにしかならない。
 さらに、具体的なサービスと広告をごっちゃにして議論しているのも乱暴すぎる。広告については、それを見て情報を受け取った人全てが当事者になるから、見た人は誰でも「広告の内容についてのクレーム」ならつけてもかまわない(広告に出ているサービスそのものに対するクレームではないことに注意)。しかし、個別のサービスへのクレームを正しくつけられるのは、そのサービスを利用した人だけだろう。
 さて、橋下弁護士は、直接の当事者でもない視聴者に、クレームどころか弁護士に対する懲戒請求をするように煽った結果、提訴されている。
 誰でもクレームをつけるはずだとか、クレームの受付場所がないといったことをいくら並べ立てても、当事者でない人に対して風評に基づく懲戒請求を出させるように誘導した事実は消えない。橋下弁護士のエントリは、当事者かそうでないかを敢えて無視し、一般論を持ち出して読者を煙に巻こうとしているだけのように見える。

これはひどい

Posted on 10月 29th, 2007 in 未分類 by apj

「でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相」福田ますみ著 新潮社
 2003年6月に、福岡の小学校で担任の教師が生徒に向かって「早く死ね、自分で死ね」などと暴言を吐いて体罰を繰り返したという事件があったと報道された。マスコミはこの教師を大バッシングし、医師はその子供がPTSDになったと診断し、550人もの弁護士が弁護団に名を連ねて教師と福岡市を提訴した。
 ところが、この騒動がすべて、子供の親の虚言癖によるでっちあげだったというもの。
 体罰は事実無根、PTSDを診断した医者は実はまともな診断をしていない、校長も教育委員会もまともな調査をしていない、マスコミの取材も不足していた。
 事態が悪化した原因は、
・モンスターペアレンツに比べて教師の立場が弱かった。
・マスコミのネタにされることを避けるため、事なかれ主義に走った校長が、ろくな調査もなしに言葉尻だけとらえて教師が悪いことにして無理矢理謝罪させた。
・親の行動が異常で、言ってもいないことを言ったといい、反対の意見を言う別の保護者に怒鳴り込んだりしていたので、みんなが避けていた。

 この事件から得られる教訓は次のようなものだろう。

・謝罪は事態を悪化させ、嫌がらせ訴訟の賠償金上乗せに利用されるだけ。
(謝罪が親の妄想を暴走させて巨額の賠償金を請求する訴訟に発展した)
同僚や上司の誘導尋問には引っ掛かるな。特に、その個人の判断や意見を認めないといった態度を取ったヤツは明白に敵。
(最初から親の前で謝罪させるというシナリオが校長によって作られていたが、まともな根拠が無かった。校長はそのシナリオ通りに行動することを教師に求めた。)
クレーマーを親と思うな。敵と思え。
(実際この事件では悪意満々だった)
事なかれ主義の管理職は敵よりタチが悪い。
(最初から教員を悪者にして親を納得させようとする意図が見えていた。)
教員が身を守るには、最初から出るところに出るという姿勢が大事。組織は守ってくれない。
(教育のことを考えて、謝罪で済むなら……と譲歩したことが後まで響いた)
マスコミ対策で組織に箝口令が敷かれた場合は、それに従ってはならない。組織に都合の良い情報だけが発信されて、個人に責任が押しつけられる。
(取材に対して、学校発の情報ではいじめがあったことにされた。)
個人で勝手なことをして、などと言う連中は、同僚だろうが上司だろうが足を引っ張るだけである。
(取材に対して教員個人が発言したら、学校の作ったストーリーと違うことを責められた)
処分があったら即座に提訴。
(処分が先にあったためか、一審判決で請求棄却を勝ち取れなかった。現在控訴中。もし、処分の方も争っていたら結果は違ったかもしれない、というのが感想。)

 極端なモンスターペアレンツを踏んでしまった場合は、この程度のことを考えていないと、多分身を守ることはできない。

 もう一つ別の教訓としては、正義(を信じるヤツ)ほどタチの悪いものはない、といったところか。

【追記】
 「万国の労働者よ,団結せよ」って有名なスローガンがあるが、これからは「全国の教師よ、法廷闘争せよ」をスローガンにした方が良くないか?
 amazonの書評には、現職教員で、同じような目にあったらしい人の書き込みもあった。教員志望の学生には必ず読んでもらいたい本である。

利用厳禁:懲戒請求テンプレート

Posted on 10月 28th, 2007 in 未分類 by apj

 モトケンさんのところで懲戒請求テンプレートサイトへのリンクがあったので貼っておく。「請求の理由」は次の通り。これは参考のために貼ったのであって、上記サイトの主張(最高裁判例を無視)を信じてはいけないし、上記サイトで公開されているテンプレートを使って懲戒請求を行ってはいけない。テンプレートは、法律文書としては箸にも棒にもかからない出来損ないである。

被調査人は、1999年4月14日山口県光市における母子殺害事件の差し戻し審第1回公判において、
見ず知らずの女性を殺害後強姦したことを「死者を復活させる儀式」、
赤ん坊を床にたたきつけたのは「ままごと遊び」、赤ん坊の首をひもでしめあげたのは「謝罪のつもりのちょうちょ結び」等
科学的にも常識的にも到底理解できないし理解したくもない
主張を並べ立ててまで被害者を侮辱し死者の尊厳を傷つけています。
また、この差し戻し審において地裁高裁等では被告自身が認めていた殺意を上記のような非科学的、
非人道的な主張を行ってまで否定しようとしておりますが、これらの行為は、意図的に裁判の遅延を試みているとしか思えません。
これらの行動によって、被調査人は、日本における裁判制度と弁護人制度への信頼を傷つけ続けています。
あのように不誠実で醜悪な主張及び行動を繰り返す人間が弁護士としてふさわしいとは思えません。
以上の理由により私は、被調査人が上記控訴審においてとっている行動が弁護士法56条に定める所属弁護士会の秩序または信用を害し、その他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行であると考えます。
よって弁護士法第57条、58条に基づき、請求の趣旨の通り求めます。

 まず、弁護の内容について。刑事弁護の弁護人は、被告人の主張に反することを主張するわけにはいかないのだから、被告人が行った「非人道的」主張に沿った弁護をしたとしても、弁護人を非難する理由にはならない。被告人のトンデモ主張を受け入れて弁護したからといって弁護人をいちいち懲戒していたのでは、刑事訴訟の手続きなど成り立たない。懲戒請求者が「科学的にも常識的にも到底理解できないし理解したくもない」と思ったとしても、そんなものは弁護人を懲戒する理由にはならない。この懲戒理由を主張することの方が、よっぽど、日本における裁判制度と弁護人制度への信頼を傷つけるものである。被告人が「不誠実で醜悪な主張」をしても、弁護人はそれに沿って弁護するのが、弁護人制度の信頼の維持にかなった行動である。
 次に、裁判手続きについて。差し戻された以上もう一度事実審を重ねるしかないので、その手続きの中で主張を行うのは、裁判所の訴訟指揮に従った上でのことである。そうである以上、「意図的に裁判の遅延を試み」たことにはならない。もし、「意図的に遅延を試み」たことが明らかであるならば、それを止めさせるように訴訟指揮を行うのは裁判所の仕事である。裁判所が「意図的に裁判の遅延を試み」たと判断せず、公判を続けているのであれば、その判断を尊重すべきである。裁判所が認めている公判手続きに対して、外から「意図的に裁判の遅延を試み」たなどというのは、言うだけならば言論と表現の自由の範囲だからかまわないとしても、せいぜい井戸端会議のネタにとどめておくべきことである。
 従って、この請求の理由には理由と呼べるような内容が含まれていないので、法的に有効なものとはいえない。「マスコミの報道を見た」程度しか事情を知らないままに、このテンプレートに基づいて懲戒請求した場合は、民事の不法行為責任を問われても仕方がないだろう。最高裁判例は、懲戒請求にあたって、「通常人が普通の注意を払えば、相当の根拠がないことが分かる程度」の調査・検討義務を尽くすことを求めている。る。
 常識的に考えて、弁護士(だけではなく誰でも)を懲戒せよと請求するのに、個別の事実関係を確認できる立場にもいないのに、マスコミの報道を根拠に他人が書いたテンプレート文書を気軽に使うというのは、どう見てもおかしい。
 弁護士に対する懲戒請求は誰でもできるが、誤爆すれば逆に提訴されるリスクも負う。一般人が訴訟に耐えられるだけの理由を提示して懲戒請求できるのは、実際問題として、懲戒請求したい弁護士に対する依頼人であった場合か、懲戒請求したい弁護士が紛争の相手方の代理人である場合に限られるだろう。懲戒に値する弁護士の非行とは、渡すべき賠償金を渡さず着服したとか、ろくに弁論に出ず必要な手続きをしなかったために敗訴したとか、刑事弁護の場合であれば被告人の主張を全く無視した弁護をした、といったものが考えられる。

 なお、自分の判断でこのテンプレートを見て懲戒請求をした人は、やったことについて責任を負うしかないのだが、今回は、懲戒請求した人の中に、橋下弁護士のテレビでの発言に煽られて出した人が混じっている(もしかしたら煽られた人の方がずっと多いのかもしれない)。その橋下弁護士は、弁護団から多数の懲戒請求を引き起こして業務を妨害したということで、不法行為を理由に提訴されている。注意すべきことは、現在、橋下弁護士の利害と懲戒請求をした人の利害が対立していることである。懲戒請求が橋下弁護士の発言と無関係に行われたのであれば、橋下弁護士のテレビでの発言の責任はそれだけ減り、その分、懲戒請求をした人の責任が増えることになる。つまり、橋下弁護士としては「請求は自分の発言と無関係」と主張して懲戒請求者各人に責任を負わせた方が利益になるし、懲戒請求した人々は(まだ提訴はされていないが、将来もし提訴されることになった場合には)「プロの弁護士が言うのだからとつい信じてしまった」と主張して橋下弁護士に責任を負わせた方が利益になる。

 民事の不法行為は、故意と過失を区別していないので、結果が発生すれば責任を問われうる。この部分は、故意の有無を問題にする刑法とは異なっている。

特に問題があるとは思えないが……

Posted on 10月 27th, 2007 in 未分類 by apj

 朝日新聞の記事より。

大卒研究職社員の資質「期待上回る」は1% 文科省調査
2007年10月27日12時33分

 研究職として採用した大卒・大学院卒社員の資質が「期待を上回る」と答えた企業はわずか1~2%台――文部科学省の「民間企業の研究活動に関する調査」で、こんな実態が明らかになった。「期待を下回る」は学士で約31%など、企業側は、基礎教育の不十分さや、独創性の不足に頭を痛めている。

 研究開発をしている資本金10億円以上の企業1791社を対象に今年2~3月に調査し、896社(50%)から有効回答を得た。

 研究者の資質を学歴別に尋ねたところ、「期待を上回る」は、学士が1.0%、修士課程修了者で1.4%、博士が2.6%、ポストドクター(任期付きの研究職などに就いている博士)が2.2%にとどまった。

 いずれも「ほぼ期待どおり」は60%前後。「期待を下回る」とした割合は、学歴・年齢が高いほど低く、修士では約26%、博士約15%、ポスドク約8%だった。

 期待を下回る理由は、学士では「基礎教育の内容・方法が不十分」が最も多く、修士や博士は「企業ニーズに無関心など企業研究者としての自覚に欠ける」が最多だった。ほかに「教科書や既成理論への偏重教育で独創性が育っていない」「隣接分野の教育が不十分」を挙げた企業も多かった。

 60%がほぼ期待通りだというなら、そう悪い数字とも思えない。期待を下回る、が学士で31%、修士で26%というのが多い気もするが、学士は研究向けに選別がかかってないから研究職向けの人材の割合が元々そんなに多くないだろう。
 修士で期待を下回るケースがそれほど減らないのは、いわゆる学歴ロンダリングに騙されているのではないだろうか。修士課程の定員が旧帝大系で増えたせいで、外部から入学する人が増えている。特に、大きな大学だと学内の付属研究施設のようなところが、対応する学部無しに大学院生を受け入れていることがある。内部進学する院生はどうしても学部から続けて同じところに所属したがるので、付属研究機関は希望者が少なくなりがちであるから、定員を満たすために、入試の難易度を下げていることが多い。例えば、私や私の先輩が修士課程に入学する頃は、学力試験として、英語・第二外国語・物理(専攻分野の試験で学部必修科目全域が範囲)・数学(これは大学院によるが旧帝系は必須)といった具合だった。今は、第二外国語は無いし、専攻分野の試験も選択あるいは小論文のようなもので無いに等しかったりするし、数学を課さないところも多い。昔なら、修士課程に入ろうという人は、その学年の学力上位層で、しかも試験の準備のためにさらに勉強していた。ところが今はそうではない。いろんな大学院の募集要項を見ればわかるように、十分な学力試験を行っていない専攻が有名大学でもたくさんある。
すると、難易度低めの大学で単位はとったが、もしまともな入試をされたら(やった内容が十分定着していないために)落ちる人達が、旧帝大系や大規模な大学の付属研究機関の大学院には入れる場合が出てくる(実際、私のところの専攻は専攻の専門分野の試験をまんべんなく行っているから、学力試験でウチを落ちた人が東北大に通るといったことが実際に起きている)。そういうところは研究室も大所帯だから、きめ細かい指導が行き届くとは限らない。結果として、最終学歴が規模の大きな大学の博士前期卒、学力の方は疑問符が付くという人材が出てくる場合がある。もちろん、自分で勉強して、力をつけてくる人もいる。しかし、博士前期課程の最終試験は、どこの大学でも、修士論文をまとめて口頭発表するというもので、学力試験を課すわけではないから、学力不足の人でもチェックをすり抜けて修了することができてしまう。
 採用時に最終学歴だけ見るのではなく、本人の学力をきちんと見ないと、採用したはいいが期待はずれということが起きても不思議ではない。簡単な専門知識のチェックとしては、例えば国家I種の公務員試験のそれぞれの専門分野の過去問のうち基礎的な問題を何問か解かせてみるというのはどうだろう。新規に問題を作る必要はないから社内で簡単にできるし、ヒントを与えながら面接して考え方を見るという形でもよい。分野が多少ずれていても、解決のためのストーリーの立て方を見れば、多分判定はできるのではないか。
 とりあえず、会社の人事の方には、採用の時には学部の学歴も併せて考慮するように注意を促したい。実はこんなのは今に始まったことではなく、私が博士課程を過ごした時期(つまり今から10年ちょっと前)の東大軽部研でもその兆候は既にあった(ただし博士課程の方でだが)。

 気になったのが「教科書や既成理論への偏重教育で独創性が育っていない」だが、「研究開発をしている資本金10億円以上の企業」ならまあまともな基準でモノを言っていると思ってよいのだろうか。独創性とトンデモを取り違えている企業は世の中にたくさんあるので、独創性=社長がブチ上げた夢のようなエネルギー、既成理論=熱力学の3つの法則、だったりしたら笑うしかないのだが。

学生の質問に答えるために……

Posted on 10月 26th, 2007 in 未分類 by apj

 マッカーリ&サイモンの「物理化学」の25.3節を見ていたら、

溶液の凝固点においては、固体の溶質と溶媒とが平衡状態にある。

と書いてあって何だか意味不明。原書の方を見たら、

At the freezing point of a solution, solid solvent is in equilibrium with the solvent in solution.

と書いてあった。つまり、「固体となった溶媒と、溶液中の(まだ液体の状態の)溶媒とが平衡状態にある」というのを間違って訳していた。
 沸点上昇も凝固点降下も、溶媒の方は異なった相の間で平衡状態になれるけど溶質は液体相にしか存在できない、という状態でのchemical potentialの釣り合いの式を書いて説明するから、訳の説明では何だかわからなくなる。