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余剰博士問題:分かりやすい説明

Posted on 10月 25th, 2007 in 未分類 by apj

5号館のつぶやきさんのところに、通りすがりさんが大変分かりやすい説明を投稿されていたので引用させていただく。なお、投稿は2つに別れていたが、読みやすくするため1つにまとめさせていただいた。

例えば100人の博士取得者とします,アカポスの求人が30人分あります.倍率の期待値は3.3倍になります.果たしてそうでしょうか?

この制度を始めて1年目は
1年目(求職者)新卒100人 PD0人 →アカポス30人,PD70人
アカポス就職率(30/100): 30%
2年目(求職者)新卒100人 PD70人→アカポス30人,PD140人
アカポス就職率(30/170) 17.6%
3年目(求職者)新卒100人 PD140人→アカポス30人,PD210人
アカポス就職率(30/240) 12.5%
....
6年目(求職者)新卒100人,PD350人→アカポス30人,PD420
アカポス就職率(30/450) 6.6%
....
9年目(求職者)新卒100人,PD560人→アカポス30人,PD630
アカポス就職率(30/660) 4.5%

27歳で学位取得した人が33歳までポスドクを続けるとすると,毎年6.6%,36歳まで続けるとすると,毎年4.5%しか,アカポスに就けない計算です.これが現状なのです.

公募(倍率は数十倍,時には100倍を超える)に,1年間,出し続け,漸く15-20人に1人がアカポスに就く計算です.
(ここでのアカポスは,旧帝大とかではなく,地方の小さな私大や短大,国立,全てのポストを含めた確率です.)

それを9年間続けると,期待値として,3人に1人がアカポスに就く状況なのです.9年間,何十回も公募に出し,落とされ,を繰り返し,不安定な身分で仕事を続けます.(精神的におかしくなる人もいます.)

その後は,任期付アカポス(契約職員と同じ)か,ベンチャー系の中小企業か,失業です.誰がこんな道を選ぶのでしょう?世間並みの人生設計がある暮らしが出来ないのです.

新聞社が運営するサイトにも,ポスドクの妻が書いた,生活不安の相談が複数出ています.科学の振興を本気で考えるなら、贅沢でなくとも人並みの生活が出来ることが必須です。

なお,上記の計算は,博士課程定員の3割程度のアカポス求人があると仮定し計算しました。現状は、博士課程の定員の2割以下です。一方、博士取得時に初めから企業を目指す人もおり、若干修正の余地はあります.それでも,かなり実感に近い筈です.

 現実には、40歳近いポスドクも居るから、この試算の数字よりもさらに状況は悪いかもしれない。いずれにしても、博士号を取得した人100人のうち4人程度しか大学や研究所には就職できない状態を続けるわけで、その時残りの96人は、修士号をとって企業に就職したのと比べるとかなり不利なままになる。収入を得始めるのが何年か遅れるだけでも、生涯賃金としてその分を取り返すのは大変である。それでも、早めに就職活動してうまく企業に入った人はそこそこ食べていけるが、タイミングを誤ると日本の企業の採用慣行が邪魔をして、ワーキングプアへまっしぐらとなる。
 身につけた専門を活かして食べていける人の割合が4%というと、近いのが法科大学院以前の司法試験の合格率である。平成16年度で3.4%だという数字が出ていた。弁護士の方も司法試験合格者数が急に増えたので、来年あたりから問題が表面化しそうだが、少なくとも法科大学院になる前の司法試験合格者であれば、ほぼ間違いなく法曹になれ(多くは弁護士)、弁護士の収入は一般的に見て日本の上位層であった。また、記念受験する人が混じっているという話もあったから、実質の競争倍率はこれよりも低かったかもしれない。
 現状の博士後期課程というのは、
・専門を活かして食べていける可能性は昔の司法試験合格者並み
・運良く「合格」しても、収入は昔の弁護士とは比較にならないほど低い(半分以下)
ということになる。若者が頑張る対象としては、大学院重点化後に博士を取得して研究者を目指すよりは、司法試験合格を目指して努力するほうがよっぽどマシだったということになる。まあ、弁護士の方も、合格者数急増で近々問題が発生しそうではあるので、これから選ぶ道としてはよく考えた方がいいかもしれないが。

 いずれにしても、これから博士後期課程に進学しても「研究でやっていける可能性は(毎年)4%、就職は博士前期に比べてよくて同程度か、大抵は圧倒的に不利」という未来が待っている。上記の通りすがりさんの試算のようなこと、つまり「毎年の博士取得者の2割程度はポストがある」といったことを指導教員が言ったとしたら、それは何も分かっていないか、意図的に学生を破滅に導くために騙しているかのどちらかだと思うべきである。

【追記】
 大「脳」洋航海記さんのところで、「ドクター・ポスドク問題その後(6):そもそもポスドクの口すら足りない」というエントリが出た。上記のモデルで考えた場合、PDの人数は年々増え続けるが、PDを雇う予算の方には限りがあるから、今度はPD内で「有給」「無給」に分かれることになり、同様の計算によって「PDの有給率」も年々下がる、ということになる。実際すでにそうなりつつあるというのが大「脳」洋航海記さんの指摘である。
 PDのポスト不足について、5号館のつぶやきさんのところでも「ポスドク問題が新しいフェーズに」という新エントリが上がった。
【さらに追記】
 合格率4%だと、旧司法試験よりもむしろ弁理士試験の合格率に近い。司法試験は制度改革でロースクールに行かないと難しくなってしまったが、弁理士試験には制限は無かったはずである。

再チャレンジw

Posted on 10月 23rd, 2007 in 未分類 by apj

 まだ詳細が決まらないから宣伝できないのだが、安倍元首相の肝いり再チャレンジプロジェクトをウチの大学も引き当ててしまった。社会人や中高年齢の人に修士課程に来てもらって一緒に勉強や研究をしようというものだが、予算やら何やらの配分額が確定するのが12月だとかで、それから宣伝して募集して、来年4月入学の人が来てくれるのかと心配していた。
 ところが、生物の先生によると「熊撃ちの人が、どれくらいなら熊をとってもいいか研究したい、と言ってるので来るかも」「熊の調査してくれって言われてるんだけども……」。後でウチの学科の亀田先生にきいたら、「山形じゃ熊と人が遭遇して襲われたりしている。だから、熊の出没を予測するための研究にも予算が配分されている。カモシカも増えて大変なのでどうすれば被害を受けずに共存できるか悩ましい」
 えーと、もしマタギが数人入学してきて「熊の研究を……」と言ったとして、一体学内の誰が教えるのだ?ってかどう見ても、その指導にあたった教員が、逆に、マタギから熊について教わることになりそうな気が。
 社会人の再チャレンジ支援ではなくて、「教員をマタギにするための再チャレンジ教育」だったというオチになりそうな予感(笑)。

#エントリは半分冗談だが、再チャレンジコースの設置は本当で、きちんと対応するため打ち合わせの最中である。

フィンガーチョコレート

Posted on 10月 22nd, 2007 in 未分類 by apj

 以前、フィンガーチョコレートを暫く見かけないと思って調べたら製造中止になっていた。類似品はMary'sのテーブルチョコレートという多少割高な品しか無い状態が続いていたのだが、今日、大学近くのファミリーマートのボクのおやつシリーズにフィンガーチョコレートが出ているのと見つけてまとめて衝動買い。
 オリジナルは、ミルクチョコレートじゃなくてビターチョコレートだったと思うが、まあ満足できる品だった。

精進料理じゃないのね^^;)

Posted on 10月 21st, 2007 in 未分類 by apj

 Yahooニュース経由、フジサンケイビジネスアイの記事より。

癒やしスポットお寺が人気!?
10月21日8時32分配信 フジサンケイ ビジネスアイ

 ■プチ修業、カフェ、僧衣ファッションショーなど斬新な取り組み

 お寺を若い世代の癒やしの場にしようと、斬新な取り組みが盛んになってきた。日帰りの座禅や写経体験講座の参加者は増え続け、お寺に併設したカフェが人気だ。12月には築地本願寺(東京都中央区)で、複数の宗派の僧侶が集まり、僧衣のファッションショーも開催される。

 ≪敷居を低く≫

 浄土真宗本願寺派(西本願寺)東京別院である築地本願寺で12月15日に行われるのは、日蓮宗をはじめとした各宗派の共同企画「TOKYO BOUZ COLLECTION(東京ボーズコレクション)」。宗派の垣根を越えた初の試みとなる。

 僧衣たちが、それぞれの宗派の僧衣を身にまとってファッションショーを繰り広げる。袈裟や法衣は、宗派によって色や形、模様は多種多様。それらが一堂に会する。

 また、ダンスとラップを組み合わせた法話会、1、2時間ほどで座禅、写経、写仏を行う“プチ修行体験”、永六輔さんらの講話なども開催する予定。浄土真宗には“修行”という概念がないため、日蓮宗の僧侶が取り仕切るが、築地本願寺で修行が行われるのも、従来では考えられないことだそうだ。

 無料で参加でき、「文化祭のようなノリで行う」(主催する東京ボーズコレクション実行委員会)という。

 築地本願寺は、12月末までの期間限定で「カフェ・ド・シンラン」を親鸞聖人像横に開いている。健康で環境に配慮したライフスタイル「ロハス」を提唱する月刊誌「ソトコト」編集部が企画・運営。築地本願寺が境内駐車場の一角を貸し、実現した。

 カフェメニューのほか夕方からはライトアップされた本堂を眺めつつお酒を飲み、築地市場の旬の魚などを使った料理が楽しめる。

 ソトコト編集部が築地本願寺に今春、カフェ計画を提案。京都の西本願寺に同意を取り付けるなど、半年がかりで準備を進めた。営業は午前11時半から午後11時まで。日曜祝日は休み。

 この27日には「カフェ・ド・シンラン」で“仏像ガール”こと、廣瀬郁実さんのトークショーも行われる。廣瀬さんは「いっきゅー」の愛称で活躍する、20代の仏像コラムニスト。「仏像をポップに伝えていきたい」という、わかりやすい解説が好評だ。

 ≪企業と連携≫

 高野山金剛峯寺(和歌山県高野町)が南海電鉄と組み、東京・青山で9月中旬に6日間限定で開いていた「高野山カフェ」もたくさんの人でにぎわった。名物の高野豆腐などの健康食材を使った「精進ランチ」などを提供し、写経や瞑想、法話の体験講座も行える。

 若い女性をターゲットにした全7回の体験講座は、いずれも初体験者らで満員。「心を無にすることができた」「文字に集中する体験ができた」と人気だった。

 “お寺カフェ”としては、東京・神谷町の光明寺境内の「神谷町オープンテラス」が先駆け。お寺を地域の憩いの場にしようと、2005年5月に始まった。普段は参詣者の休憩場所として開放し、特定の曜日に住職がお茶やコーヒー、和菓子などを出す。料金は、さい銭箱に「お気持ち」を入れるのが作法だ。

 リラクゼーションの場としても人気がでてきた寺院に、旅行会社も動き出した。

 はとバス(東京都大田区)は、東京と神奈川にある有名寺院をめぐる「四大本山めぐり 巡礼の旅」ツアーの販売を始めた。鶴見総持寺(横浜市鶴見区)、高尾山薬王院(東京都八王子市)、芝・増上寺(同港区)、池上本門寺(同大田区)の4つのコースがあり、僧侶指導のもと座禅や写経なども体験できる。

 20~30代の女性が自己を見つめるためや、団塊世代の新たな趣味として、座禅や写経体験で寺を訪れることが、数年前から静かなブームになっているが、“癒やしスポット”として、ますます人気が高まりそうだ。

 「本堂を眺めつつお酒を飲み、築地市場の旬の魚などを使った料理が楽しめる。」って、生臭まっしぐらではないのかと^^;)。いいのかなぁ……。
 まあしかし、平安時代あたりだと、若くて人気のある僧侶の説法を聴きに行くのが、今でいうなら芸能人のコンサートに行くノリだったという話もあるわけで、ある意味原点回帰なのか……?

「日本沈没」ならぬ……

Posted on 10月 20th, 2007 in 未分類 by apj

 日本爆発、ネタだった。講談社ノベルスの「死都日本」石黒耀著。九州南部が大噴火して壊滅して、日本中が灰に覆われる話。

風邪の咳が長引く体質だったのだが……

Posted on 10月 19th, 2007 in 未分類 by apj

 今回も例によって軽い風邪の後1ヶ月以上咳が止まらなくなって、病院で抗生物質と咳止めをもらってきて1週間飲んだが効果無し。今日から向こう2週間は喘息の治療に切り替わった。飲み薬と吸入する薬の2種類をもらった。
 高校生の頃から、風邪をひいて咽から気管支のあたりの炎症で咳が出始めると、必ず右側の気管支のあたりに痰がからんでしつこく治らないクセがあったのだが、あんまり長引かせることを続けていると咳喘息に移行することがあるらしい……。今回もおかしいのは右側だけで、どうせ風邪に効く薬なんか無いし、暖かくしてちゃんと食べて寝るしかないんじゃないの、と呑気に考えていたら、既に風邪では無かったという罠。ということで、皆様には、風邪の後の咳が長引くようなら早めに治療することをおすすめしたい。
 まあ、職業柄、他人にうつる病気じゃなきゃ一応はオッケーなんだな。例えば、結核とかにかかって学生の前でしゃべって感染を広げちゃったなんてのはシャレにならんし、ヘタすりゃ損害賠償モノだけど。

#風邪が長引いた……と思っていたらマイコプラズマ肺炎だった、ってケースもあるらしいです。いずれにしても早めに手当した方がよさげ。

Journlerを使ってみる

Posted on 10月 19th, 2007 in 未分類 by apj

 昨日せっかく書いたエントリーが消えてしまったので、下書きをローカルに保存するため、Journlerというソフトを試してみることにした。
 ところが、職場のMacの1つでは、Couldn't contact Spell Checkerという警告が延々出て終了することもできなくなった。ネットを探して、/System/Library/Services/AppleSpell.service/Contents/MacOS/AppleSpellを別のマシンからコピーして上書きしてリスタートで動いたという情報があったのでやってみたけど結果は変わらず。結局、起動した直後にPreferencesメニューから、””記号の対応などスペルチェックにひっかかりそうなものを全部Offにすることで対応した。

教育の価値はずっと後にならないとわからない

Posted on 10月 18th, 2007 in 未分類 by apj

(消失したエントリーを、渋研Xの亀さんが手元のRSSリーダーからサルベージしておくってくださったので再掲。ありがとうございましたm(_ _)m)

 久しぶりに高校の時に親しくしていただいた先生に電話をした。近況報告の後で、高校の時の教育が役立っているという話をした。
 私が通っていた高校(滋賀県立虎姫高等学校)は、私が在学していた頃は、理系文系問わずに可能な限り広く知識を詰め込む方式だった。だから、理系だったにもかかわらず社会科は全科目履修(当時は現代社会、日本史、世界史、地理)したし、理科も4科目のうち物理・化学は全部、生物・地学は全内容の半分程度は履修した(当時は、理科I+理科4科目)。
 で、卒業して20年近くたって、法哲学やら法社会学といった法学基礎という分野の本を読むことになって、社会科フル履修がもろに効いていることがわかった。細かい年号やら人名やらは忘れていても、大体の流れは記憶に残っているわけで……。高校の範囲の思想史やら世界史やらをやってなかったら、ローマ法から続く法の歴史をたどるのはかなり敷居が高かっただろう。
 話をした先生は社会科の先生つまり文系コースを過ごした方だが、やっぱり虎姫高校出身で、カリキュラムには無かった微積分を教わった。入試には役立たないがこういう考え方があることも知っておいた方がいいだろうということで授業が行われたとのことだった。その後使うことは無かったが、別の世界があるということを知ったとおっしゃっていた。
 何でも、虎姫高校には伝統的に「○全」という考え方があったとのことで、とにかく広く教養を叩き込むべきだという一種の思想が共有されていたらしい。何だか旧制高校みたいなイメージだなぁ。
 まあ、在学当時はサボリだったから、社会科は面倒な暗記科目だとしか思っていなかったが、今頃になって、自分の専門外の分野に手出しするときの基礎体力(基礎学力と呼ぶべきかもしれないが、あえて体力といいたい)になっていることを実感してしまった。サボリの私にも有効なんだから、マジメな人だったらもっと有効に違いない。
 
 ゆとりにして科目選択制にして未履修の部分を増やすというのは、生徒をスポイルする結果にしかなっていなないのではないか。ただ単に生徒の将来の可能性を奪い去っているだけではないか。目先の大学入試だけどうにかすればいい、といったことでは教育の価値など測れない。大学に入ったら、一応は共通教育があるが、アラカルト方式でどうしても内容が偏るし、4年間は専門に特化したことを学ぶから、他のことをする余裕はない。その後、専門だけでは手に負えなくなって、何か新しいことを身に付けようとしたときには、高校の教育内容のあたりに戻ることになる。このとき、高校の履修内容が少なくて、中学まで戻らなければならないということになったら、対応するのがかなり難しくなる。
 高校の教育で自由度が広がったことを知るのは、おそらく卒業して10年以上経ってから、つまり社会に出て仕事をして、大学でやったことだけでもまだ足りないということになってからで、そこまでいかないと自分の受けた教育の価値はわからないし評価もできない。

 ということで、虎姫高校には、今後も可能な限り理系文系問わずに広い範囲を教えるようにしてもらいたいし、大学合格率なんかただの途中経過に過ぎないというスタンスでいてもらいたい。平気で未履修をかます高校が増えているのだから、目先の結果にこだわらずに教養を叩き込むことに意味がある、という価値観を維持することそのものの重要性は以前より増していると思う。

【追記】
 ここしばらく、時々サーバが激重になってます。思ったよりもblogのスクリプトの負荷が大きかったらしいし、他にもいろいろ増えたので、サーバ増強を計画中です。当面の対策として、全くつながらなくなるよりはマシということで、定期的にhttpdを上げ直していますが、tb書き込みによるファイル書き換えとぶつかったりすると、たまに中身が消えることもあるようです。

アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件

Posted on 10月 17th, 2007 in 未分類 by apj

 だいぶ前にTV放映があったアニメ「最遊記」。確か、あの世界観では、「魔術と科学を一緒にすることはタブー」ということになっていたのだが、これがなかなか意味深長ではないかと。
 ガンが治るなどと、科学の領域に踏み込みながら信者を勧誘するような「宗教」が、大抵はカルトで被害者を出していることを考えると、やっぱり実際タブーなんだよなぁ、と思ったりするわけで。
(宗教=魔術、と言いたいわけではないです、念のため。比喩的表現です。)

 むしろ、科学にすり寄ってくる宗教はロクなもんじゃない、という判断基準を立てる方がいいのかもしれない。

 宗教独自の価値判断の体系を立てるにあたって、科学なんかに頼らなければならないというのは、思想的に脆弱であることの証左である。

博士課程に進学する前に読むべき本

Posted on 10月 16th, 2007 in 未分類 by apj

 『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場としての大学院」』水月昭道著(光文社新書)978-4-334-03423-8
 大学院重点化後の博士取得者がどういう環境に置かれたかを正面から捉えて議論している本。
 ポスドクまで到達する人を一人育てるのに投入された税金は1億円で、研究者数と研究レベルの確保をするはずが、増えたのは博士号を持ったワーキングプアだった。大学は規模縮小に向かい、旧国研も人員削減、企業側は元々博士号取得者を採用するつもりが無かったという話。結局、18歳人口が減る分の埋め合わせを兼ねて、たまたまバブル崩壊後の不況で就職難になった世代を政策的に大学院に誘導したのだろうと著者は論じている。
 博士卒の失業率は、著者によると医歯薬系を除くと50%程度(分野による差はある)である。博士号取得の後、死亡・不明の者は9.2%、つまり10人に1人は社会との接点無くどこかに消えている。

 所属組織の利害には反することを承知の上で、私は、研究者になりたいという学生には、大学や独立行政法人の研究所に関する限り、当分の間はその見込みがほとんど無いことを正直に告げている。もしどうしても博士課程に行きたいならば止めはしないが、博士2年の春頃から修了見込みで就職活動して中途採用にならないようにフレッシュマンとして企業に就職すべきである。給料の上では、修士と同じ扱いの会社もあったりするが、それでもまともな生活をすることができるだろう。ポスドクは、その先がほとんど無いから、人生を棒に振る覚悟があるか、働かなくても食べていける収入源を確保している人でない限り薦めない。この間も若い人に「若い間は薄給で任期付きで仕事をしながらチャンスを待つという気分でいることができても、その状態では、結婚はまず無理(収入が不安定な上に勤務地が短期で変わる可能性あり)、社会保障からもはじき出される可能性が高いし、数年して同級生に妻子が居てマイホームでも持とうかという状態を横目で見ながら、それでも研究に打ち込む貧乏暮らし人生に自分が満足していられるかをよく考えてから進学を決めるように」と言ったばっかりだったりする。とにかく、博士取得後任期制でないポストを得たのが何割かを見ろ、任期付きになってる人達は全て失業者予備軍とカウントせよ、あと、就職していても人材派遣会社に就職した人は別扱いにすべきで、そうやって出した失業率を見て、それでもあなたはその道を選ぶか?というのが、これから進路を決めていく若い人に真面目に考えて欲しいことである。
 但し、博士前期課程までなら企業もキャリアとして見てくれるので、就職のチャンスを拡げたいという目的があるなら博士前期課程を終えた段階で企業に就職するとよい。うまく従業員を育ててくれる大手に就職してきちんと仕事をすれば、入社数年後に社会人大学院生として博士課程に入り、博士号を取得後また企業の研究開発の現場で働くこともできる。そういう優秀な人を私は何人も知っている……というか博士課程を過ごした研究室に何人もいて、いろいろ助けていただいた。
 既に公務員として働いている卒業生が博士前期進学について相談に来た時は、休職にするか職場の研修の制度を使うなどして、必ずもとの職場に戻れる状態での在学を薦め、その場合は卒業した学科ではなく他の学部を使うことも考えてはどうかとアドバイスした。再チャレンジというのは掛け声だけで(ってか掛け声かけてた張本人が総理を途中で投げ出したという皮肉な状態だが)、実際にはレールを外れると戻ることが著しく困難なので、敢えて負け組転落の可能性が高い道を薦めることはできなかった。相談者の期待には反したかもしれないが……。
 勤めている会社を辞めての博士進学は、本人がいつでも起業できるだけのノウハウと営業能力を持っている場合に限り、やっても大丈夫だろう。そうでないなら博士取得後に苦労するのが目に見えているので、やめておいた方がよい。

 なお、大学教員のうち、大学院重点化前に博士号を取得して就職した人の意見は、博士進学の是非に関することについては考慮するべきではない。その人達が進学した頃と今とでは状況が様変わりしている。昔なら、コネや力のある研究室に入れば、何とか就職先を世話してもらえたかもしれないが、今は人員削減で、人を紹介できる先もほとんどなくなっている。昔は博士課程進学の段階で選別がかかっていたから、ほとんどの人が数年のポスドクの後で常勤のポストを得ることができた(一部の分野でオーバードクターが問題になっていた、それにも関わらず重点化をやった人の正気を疑う)。そんなのどかな頃の感覚で進学を薦められても、それを受け入れたら、今の若い人達には破滅への道が待っているだけである。

 博士号の文化的価値、学問的価値は昔から変わらずにあると思うが、経済的価値とあまりにも乖離してしまっているのが現状なので、手放しに一方の価値だけを重視するのは危険である。

【追記】
 本の中では、工学系はそんなに就職難でもないようなことが出ていたが、実際は工学系も(そしてもちろん理学系も)屍累々である。
 また、講義のある日だけ短時間出勤してくるのが大学教員の勤務実態のようなことが書かれていたが、少なくとも理工系の教員にそんな人は居ない。民間より多少フレックスだが残業の嵐なのは同じだし、年休をじゅうぶん取っている人も見かけないし、代休の取得も定められた期間内に済ませるのは困難だったりする。