向こうのblogにはトラックバックもコメントもできない状態なので、こっちで書いておく。博士の問題について。
元々の元村さんの問題提起は「低品質な博士量産している」ってことなので、「じゃあ、全てを国際標準に合わせましょうや。」という意味で、「博士=芸人」と書いたわけです。
この部分で既に私の理解と違っている。私は「余剰博士」とあるのを見て、現在起きている博士の極端な就職難を指摘していると読んだ。つまり、普通に仕事ができる人まで、報われないグループに簡単に入ってしまう制度になってしまっているということである。
こんな状態がなぜ生じたかというと、ポスドク増やせという政府(と多分産業界)の意向が後押しして、大学も乗っかって、博士過程の定員を増やしまくったからである。博士進学が自己責任だといっても、上から「重点化」の掛け声がかかれば、そりゃ「これまでの徒弟制度的なものとは違うものになった」と思う人が出てきたって仕方がない。学校教育法だって、「高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い」となっている。うかつに進学した院生の読みが甘かった面があるとしても、それを言うならお役所からしてが人材の受給バランスを完全に読み間違えているのだから、院生やポスドクばかりを責められない。
その結果、博士の数が急に増えて、就職難になった。特に日本では、新卒の方が就職しやすいから、うっかりポスドクをやると中途採用の対象になるため、職探しが難しくなる。
元村さんの指摘は、就職難による「報われないイメージ」→「博士課程が最初から優秀な人材に敬遠される」→「博士の品質低下」というものである。従って、
田舎大学で、入学試験を温くしないと院生が集まらないのは仕方ないとしても、院生の育て方まで温くして、国際的に通用するわけないやん。
というのは失当である。記事のロジックとは全く結びつかない。
また、この記述は事実に反する。入学試験をユルユルにして博士課程の院生を集めてエライことになったのを私が目撃したのは、東大の院在学中のことだった。社会人入学する人を対象に博士課程の入試の科目負担を減らしたら、外部の大学の修士からストレートで上がってくる人達に利用されまくった。
こちらは修士課程の話だが、田舎大学の部類にはいる(かもしれない)私の所属している大学の学科では「入学試験をきちんとやろうとすると、ネームバリューで勝っている旧帝大の試験ユルユル作戦に学生が取られてしまう」ことが話題になっていたりする。比較する専攻にもよるが、学科試験の負担はウチの方が高かったりするわけで。
さて、博士が芸人やアスリートと同じだろうというのは、一般論としては私も賛成する。ただ、これを、今問題になっている「余剰博士」(=就職難で今現在困っている博士持ちの人々、元村さんが取り上げた人達)に適用することには反対する。余剰は、人材の受給の見通しを間違えた政策によって作り出されたものだからである。芸人やアスリート養成とは逆のやり方で人を育てますと煽っておいて、いざ学位をとってみたら「芸人やアスリートと同じ扱いだから」というのはやっぱり違うだろう。世界標準でない養成政策をとってしまった以上は、世界標準にはない何らかのセーフティーネットを用意するのが適切なはずである。芸人でもアスリートでもない、一般の労働者の雇用問題と同じに捉えて解決策を用意しないとまずいという意味である。これを「甘やかす」とは言わないと思うぞ。
そんな、あんたらのご都合現実なんか知らんがな。
院生足りなくて食っていけないのなら、中国でも朝鮮でも、ベトナムでも、インドでもいいから、自分でスカウトしてくればどうですか?
それが嫌なら、修士で企業の研究所入れて、またすぐ博士課程に内地留学させてくれるような企業に学生を送り込む努力をすればどうですか?
学生は自分からやってくるものと思ってませんか?
で、このボケまくったコメントは一体何なのか?私がいつ、学生が来ないとか院生が足りないとか書いたんだ?どういう妄想を抱いてるんだか(【追記】学位を取得した元院生が食えないのが問題だって話をしているときに、院生が足りなくて食っていけないって、一体どういう発想をすればこんな話が出てくるんだ?)
。 私は以前から、博士課程の定員は絞れと主張している。また、定員を増やすのであれば、例えば「企業が中途採用で博士をたくさん採用→アカデミックの人材まで足りなくなる→定員増」といったニーズに基づいて行うべきだとも主張している。
ついでに言うと、私も就職難に遭ったクチで惨状はよく知っているから、大学の利害に反することを承知の上で、後輩やら学生やらには博士進学を薦めていない。「しくじって人生棒に振る覚悟があるなら進学すればいい、そうでないなら修士卒でフレッシュマンで就職すべき」と言い続けている。どうしても博士課程、という人には、「その先まともな人生を送りたいなら、博士2年の後半から3年前半にかけて修了見込みの段階でフレッシュマンで就職すべき」とアドバイスしている。まあ、これが当てはまらないような、実力があって幸運な人も中には居るだろうが、そういう人には多分滅多に遭遇しないだろうから、このアドバイスが大抵の場合は適切だろうと考えている。何人かに言ったが、聞き入れてもらえたことは一度もない。
なお、修士については、理工系では就職の時にプラス評価されることの方が多いし行き先の幅も広がるので、経済的余裕があれば進学してみては、と薦めている。
欧米の大学院で学位とられた方には当たり前なのですが、出来ない子には「お前は向かないから辞めろ。」ってのが標準なんです。
「大人なんだから、自分のケツは自分で拭け。」ってのを何故貫いてはいけないのかねえ?甘いなあ。
「どうしても博士に行きます」という学生が居たとして、「絶対こいつ向いてない」と教員が判断したとする。それをどこまで伝えられると思っているのだろう。大学院にも教員にも「どうしても進学したい」院生を止める手段なんか無い。標準を貫こうとしたら、ハラスメントで訴えられかねない。まあ、一言二言は言ったとしても、それで聞き入れてもらえなければ、院生として受け入れるしかないだろう(試験に通れば、という前提だが、恣意的に落とすことはできないし、研究でやっていけることと試験の点数が必ずしも相関しないのは既に昔の国研で経験済み)。「甘いから」言わないんじゃない。所属組織の利害に明白に反する上に、自分が訴訟のリスクを背負ってまで忠告するようなお人好しってかアホが居ないというだけの話だ。
また、上から「芸人やアスリートじゃない博士養成をするから実行せよ」と言われたら、個人的に不本意であっても従うしかない。それが営業方針なら、その通り動くのが務めである。人数を増やせばいいとどこぞの「エライ人」が思っている間は、下っ端にはどうしようもない。
なお、「報われないイメージ→優秀な人が逃げる」が成り立ったとして、次を支える人材が不足して困るのは大学だけではないか。もともと博士を採用する気がない経団連関連企業には影響が無い(というかこれまで採用してきた修士卒に優秀な人の割合が増えるなら喜ぶべきこと)はずだから、悲観する立場じゃない。既に博士を大量採用している一部メーカーについては、重点化以前から採用していたし、修士卒に優秀なのが多いとわかればそれに応じて採用と人材育成計画を変えてくるだろう。大学は……、どう考えても少子化の影響で構造不況業種であり、今後は縮小に向かうしかないだろうから、よほど大量に人材が逃げまくらない限り、そうそう困るところまでは行かない気もするが……。
【追記】どこのサイトだったか「博士進学は自殺行為、進学を薦めるのは自殺幇助」って書いてた人が居たけど、制度の歪みが集中してしまっている今の状況を見る限り私はこちらに同意するしかない。社会の側の採用や人事の現状が変わらないのに博士課程進学を薦めるのは、悪徳商法か詐欺の類ではないかと。芸人やアスリートを目指したとしても、ここまでは言われないだろうと思うと、ちょっと情けないんだけども。