「冨永研究室非公式案内」について
阪大VBL 天羽 優子
「非公式」とした運営上の理由
「冨永研究室非公式案内」の公開開始は1999年2月6日である。公開当初から、「水商売ウォッチング」という企画を始めていた。同時に、最低限の冨永研究室の紹介を掲載していた。水に関するもう少し学術的なまとめである、「水のクラスター 伝搬する誤解」は、資料などの準備が必要だったため、公開は1999年5月31日になった。水関連もそうでないものも、順次、企画と内容を追加しつつ今に至っている。サーバーの管理そのものも私が行っている。
公開当時は、お茶大の全学のウェブページができつつある状態で、研究室ごとのページについてはまだまとまった動きがなく、興味を持った学生・院生有志が、それぞれの研究室で自発的に作っていた。理学部ページの一応の形はあったが、人間文化研究科については、項目はあるが中身はまだで、準備段階だったと記憶している。
このような状況であったので、そもそも大学の公式ページの1つであるとは名乗れなかった。大学のどの組織に認可されれば公式になるのかさえ不明な状態だったからだ。これが、「非公式」と銘打った形式上の理由である。もし、大学公認あるいは公式ページと名乗っていたなら、大学側から勝手なことをするなと叱られた可能性が高いと考えている。
大学の公式ページと言わなかったのは前述の理由だが、冨永研公式ページにしなかったのは、公式ページにした場合に発生する管理業務を避けるためである。
研究室の公式ページであれば、学生・院生達がウェブページを作れる環境を用意する必要が出てくる。学生・院生がウェブページを作って公開したいと言い出したら、対応しなければならない。ウェブページを公開したいがやり方がわからないから相談に乗ってくれと言われたら、その教育もしなければならない。学生や院生が、研究室公式ページでうっかり違法行為することがないように、情報リテラシーの教育もしなければならないだろう。このようなことが、ソフト的な管理業務として発生する。
ハード的な管理業務は、次のようなものだろう。まず、学生および院生のアカウントを作って、各人のホームディレクトリの下にウェブのコンテンツを置けるようにサーバーの設定を行う。さらに、アクセスカウンタなどを実現するcgiが使用できる環境を整える必要がある。しかし、cgiは動作環境の設定を間違えると、セキュリティホールになりうるし、不用意に作られたcgiもまたセキュリティホールになりうる。だから、管理業務として、変なcgiが使われていないことをチェックしなければならない。さらに、アカウントの利用状況も監視する必要がある。もし、サーバーがクラック(不正侵入)を受けて、踏み台にされた挙げ句にどこか他の組織のコンピュータに被害を与えるのに使われた場合、その管理責任を問われる。さらに、安定運用のためのバックアップやアクセスログの管理などが日常的に必要になる。
私は、冨永教授の共同研究者で、冨永研の設備を使って研究業績を出している。そこで得た研究の情報や知識を公開することは、研究者の社会貢献として非常に大事だと考えているが、上記のような管理業務までをボランティアでするつもりはない。学生や院生に対してプロバイダ的な環境を提供するというサービスは、それが大学にとって本当に必要ならば、給料をもらっている職員が行うか、予算と人を付けて行うものだと考えている。非公式ページということにしておけば、学生・院生のための環境を私が準備する義務はないから、上記のような管理作業を行わなくてすむことになる。
従って、私がrootであるサーバーで作ったウェブサイトは、「非公式」である。冨永教授がrootであるサーバーで作ったウェブサイトは、「公式」となり、そちらでは学生・院生のための環境が準備されるであろう。研究室の誰かに、学生用のページ作成環境はないのかときかれて、非公式であることを理由に、「受益者負担で自分でサーバーを上げるか、冨永教授に頼んで公式ページを作ってもらうかしてほしい」と答えた覚えがある。
今のところ、公式サイトができる様子はなく、非公式案内がそのまま存続している。現実問題として、上記の管理業務を冨永教授が自分でこなすということは難しいだろうと思われる。今、冨永教授がrootのコンピュータは、研究室のメールサーバになっているが、私が見た限りではその設定をするのがやっとという状態である。今でも冨永教授はきわめて多忙であり、ウェブサーバの管理業務のために本業の研究や教育がおろそかになっては非常に困る。
以上の状況をふまえると、冨永研究室の現状では、研究の内容と知識の社会還元を柱として情報公開を行うのであれば、「非公式」ページという形をとる以外に方法がないと考えている。
トラブル対策としての「非公式」
冨永研究室は水・液体の研究をしており、私も同じテーマで論博を取得した。水の研究はただちに特許などの儲けにはつながらないので、正確な知識を広めることで何とか社会貢献したいというのは、ウェブページを作ったときから考えていたことである。ところが、世の中を見渡すと、変な水の話が企業の宣伝によって流布している。それを批判した場合、長い目で見て社会貢献になっても、企業から業務妨害を理由に文句が来ることは十分に予想していた。
私の方には、思想・良心の自由がまずあって(これは常に保証される)、それに基づく言論・表現の自由がある。この中には、どういうポリシーなり方針で水商売ウォッチングを書くか、ということも含まれる。言論と表現の自由はかなり広く認められているが、いくつかの理由で制限される。具体的には、名誉毀損・信用毀損・侮辱・プライバシーの侵害・著作権法への抵触・わいせつ物の公開の制限(公序良俗に反する場合)などがある。企業との関係では、業務妨害になるかどうか、ということが問題になる。業務妨害の構成要件は、虚偽・偽計・威力の3つである。このあたりは、民事も刑事も基準は同じである。
どこかの会社が宣伝で誤りを振りまいていたとする。それに対して批判をすると、確かに商売には差し障るだろう。しかし、商売に差し障るからといって、誤りに対する批判を全く許さないというのも、また不合理な話になる。また、売るためなら何をしてもいいのか?というと、それはやっぱり通用しないだろう。結局、どこまでの批判ならいいか、という線を引くのは、グレーゾーンがあるとはいえ、バランスのいいところを狙って決めるしかない。私は、成分の評価という方法で会社が装置の宣伝・販売をする道を残した上で、理論の部分についてのみ批判するというあたりで、バランスをとることを考えた。これが、水商売ウォッチングを始めたときから狙っていた着地点である。
それでも、営業をする権利と、正しい知識を広める公益性との利益衡量になるから、折り合いが付かなかった場合、私の不法行為責任が問われると予想した。この場合、「非公式」としておくことで、被告は私であることを示すことができると考えた。最悪でも、巻き込む範囲は冨永教授までで、大学当局が当事者にならなくても済むのではないか。
法に触れることが明白な場合は、大学が言論と表現の規制を行ってもかまわないだろう。問題は、適法か違法かを裁判所で決めるべき場合にまで、大学が規制をかけたときに生じる。規制の基準は一律に適用するほかはないから、将来にわたって、情報公開に大きな枷をはめることになり、大学にとって非常にマイナスになることが懸念される。私が被告となって言論と表現の自由を理由として争うならば、大学は余計な規制をせず、ただ判決が出るのをを待っていればいい。大学は、事前に全ての研究室のウェブページをチェックするのは作業量と人手からいって非現実的であることと、さしあたり適法行為を制限する根拠がないことを主張すれば、当事者にならずに済むはずである。何が違法かを決めるのは議会の仕事で、法律の適用をするのは司法の仕事だ。どちらも大学の仕事ではない。
「非公式」と書いたことの別の意味は、表現の内容が原因で訴えられた場合に、被告になるのは書いた本人である私だということを、はっきりさせるということである。
これまでの活動など
「非公式」とはいえ、問題が起きた場合は、おそらく冨永教授までは責任が問われるので、ウェブページを公開してからずっと、冨永教授とはこまめに連絡をとって対応してきた。まず、クレームがついた場合は必ず最初に冨永教授に報告し、大学経由で連絡がくることに備えてもらっている。また、企業その他からの問い合わせ・相談があった場合、研究室を訪問したいということになれば、冨永教授に連絡し、同席してもらうようにしてきた。これについては、情報公開による社会貢献の重要性を冨永教授が認め、納得して一緒に動いていただいている。また、メールでの問い合わせや、やりとりについては、コピーを冨永教授に送って、反響の報告としている。
以下、法人からの問い合わせと「冨永研究室非公式案内」の利用について、代表的なものについてまとめる。
- 三洋電機空調(株)より。加湿器の開発に関連し、マイナスイオンと水クラスターについて、霧を作るとマイナスイオンが発生するのは本当かという問い合わせを受けた。分子線クラスターの実験結果より、水破砕のみではイオンは生じないことを説明した。
- 磁気活水器の販売代理店より。製造元が科技庁で賞をもらったので遠赤外線の効果を宣伝から外せないとのこと。遠赤外線を発生する塗料は水が流れるパイプの外側に塗布しており、性能が上がったという測定結果があるという話だった。遠赤外線が金属を通るかのような記述をするとまずいので、例えば、「遠赤外線を発生するとされる塗料をここに塗ると当社比で性能が何%アップ」、というふうに、正確に宣伝文句を書いてはどうかと提案した。
- 株式会社オルガノ(産業用超純水製造装置メーカー)の技術者の方より。「水のクラスター 伝搬する誤解」の内容を全面的に支持するというメールをいただいた。
- TV番組「特命リサーチX」の製作会社より。5角形の水の話とフンザ王国の長寿の水とではどちらが企画として適切かという相談を受けた。水の研究の現状や、巷の話の問題点も含めて説明した。
- ナショナル(九州、浄水器メーカー)のエンジニアより。過去に水クラスターの話を信用してNMRの分光器に数億円を投じたが、結局役立たなかったという話をうかがった。当ページの愛読者になってくれた。
- 日本セルポ株式会社(磁気活水器メーカー)。当初より、水クラスターの話は間違いであることに気付いて、不純物に対する磁気の効果であることを宣伝パンフレットに書いている。「冨永研究室非公式案内」は、社内の勉強用と、販売代理店に対する教育用資料として使用している旨連絡をうけた。
- 関東にある某社。事前の連絡無しに磁気活水器を研究室に送ってきた。冨永教授が電話で確認したところ、「宣伝方法についてアドバイスを・・・」ということだったらしい。当方では製品テストは行っていない旨伝えて、送り返した。水の成分を調べてそれを根拠に販売するといいという話は、多分冨永教授がしたはず。
- 日本電子(JEOL、NMR分光器の国内メーカー、お茶大のNMR装置もここの製品)のエンジニアより。「水のクラスターについての相談等がかれこれ10年以上にわたり途切れることなく持ち込まれ、辟易しております。」というメールをいただいた。今後このような相談を受けたときに、当ホームページを紹介してかまわないかときかれたので、承諾した。
これ以外にも、アルカリイオン水の説明をどこまで信じたらいいかという問い合わせや、情報を記憶する水というフレコミで数十万円とられたが実際にそんなことが起きるのか、といった一般の方からの問い合わせをいただいている。
プロホームアドバンスとの交渉の現状
- 「akutoku」という名前が含まれたURLに当ページの内容があることについて。いきさつを説明して、プロホームアドバンスに対する悪意は全くないことを了解していただいた。(今年の初めに別の会社から脅しのメールを受け取って、暴力的なものを感じたので、防衛のために私がいろんなところで、「コピー及びミラー全面OK」とやった。そのとき誰かが作ったミラーサイトが残ったもので、更新日が2001年1月17日になっている。当該ミラーについては、作成したという連絡が私宛にもどこからもきていないことを、メールのログで確認した。)
- 問題のミラーは「悪徳商法マニアックス」というサイトの管理者が作ったものである可能性があるので、作成者の確認と、もし作成者であるなら、情報が古くなったので消去するか更新するかしてくれるように、メールで問い合わせ中。今のところ返事は受け取っていない。
- 一時期、やりとりに混乱を生じたことは、プロホームアドバンス側も認めた。メールやウェブの取り扱いに不慣れであったことを認めた上で、以後正確にいろんなことを記述する旨メールで連絡をいただいた。それで、プロホームアドバンスがお茶大や悪徳商法マニアックスに送ったメールの内容について、私の認識と合わない部分に関する批判を当ページで公開していたのを取りやめた。
- ここ最近のウイルス騒ぎで、社内のコンピュータ保守の対策に追われているので、この件については少し待ってほしいという連絡がプロホームアドバンスからあった。それで、Windows環境のウイルスについての情報がよくまとまっている「中村正三郎のHot Corner」を読むように勧めたところ、お礼のメールをいただいた。
プロホームアドバンスから最初に連絡があった、古いコメントに対する削除要求には、私は即座に応じている。その後は、普通に水クラスターについて情報交換していたのであり、そのやりとりはウェブページ上でも公開している。そもそも問題が生じるような関係ではなかったと認識している。大学宛にクレームがくることになったのは、「akutoku」という言葉がURLに含まれたページをプロホームアドバンスが見つけ、私が故意に古いコメントを残すつもりだと誤解されたことが主な原因である。その後、文書のみによるやりとりにプロホームアドバンス側が不慣れであったために、やりとりしたメールの内容と私が対応して更新したウェブページの内容が食い違い、それに対して私がまた突っ込むという繰り返しとなった。さらに、プロホームアドバンスが悪徳商法マニアックスに送ったメールも公開されており、そこに書かれている状況説明が私の認識と食い違うということも起き、さらに混乱した。
現在、無用の食い違いが生じたことをお互いに認識するところに至っており、収拾のため双方で対処しているところである。
※この文書は、2001年12月末の広報委員会に、冨永教授によって資料として提出されたときいています。また、これを提出してからの対応は、広報委員会の判断を待って行うことになりました。