「事象の地平線」過去ログ倉庫
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2006/11/02
読売社説より
【修正】
酔うぞの遠めがね経由、読売の社説より。赤字部分は私がつけた。
自然現象は化学的なものだけが単独で起きるわけではない。物理現象とからんで起きるのが現実である。しかしそういう題材を出題しようとしたら、化学の範囲を超えているといって、化学会に批判される。自然現象を人工的に分断して考えさせようとしているのは一体誰なのか。
こういうことに化学会は学会をあげて取り組んでいるが、おそらく他の分野も縛られ具合は同様なのではないだろうか。
どうしてここまで高校教育の内容に大学入試が縛られなければならないのか、というのが、私個人としては非常に納得できないところである。私は、「受験勉強が無意味になるような問題」「事前に対策が立てられない問題」で本人の資質を見るのが一番いい大学入試問題だと考えている。たとえば、高校の範囲は逸脱してもいいかわりに、無闇な暗記は要求せず、考える手掛かりになるより進んだ(大学で使うような)教科書の一部を与えて読ませ、その理解をその場で問うといったことをすれば、事前の受験勉強は無意味になるだろう。大学に入ってからは、膨大な範囲について同様のことをしないと単位がとれないわけだから、大学の講義をフォローできるかどうかを見るには、むしろこのほうが良い。しかし、指導要領・教科書に取り上げられている物質と現象にガチガチに縛られているため、そういう出題ができる日が来るのは夢のまた夢である。実際には、範囲から逸脱すれば、その途端、マスコミと予備校の餌食にされてしまう。
大学には入学定員があって、それを充足しなければならない。難問過ぎて受験者が誰も手出しできなければ、問題で差がつかず、選抜できないわけだから試験は失敗となる。範囲を大幅に逸脱して誰もわからなくても同様。「選抜の役に立つ」ということが要求され、競争試験である限り、本来なら何を出したっていいはずだ。
ここまで書けばわかるはずだ。大学受験が高校のカリキュラムに影響を及ぼしているのではない。大学入試を、高校の指導要領が縛り付けているのだ。読売の社説とは、話は全く逆である。
[必修逃れ救済]「“騒動”で見えた高校教育の課題」高校教育が受験偏重になっているのは確かだろうが、それが大学のせいだと言われると、ちょっと待てといいたい。大学入試を規定しているのは、大学ではなく、現実には高校教育の内容である。このことを知る良い例が、日本化学会の学会誌「化学と工業」を見ることである。ここ数年、大学入試が終わった頃に「化学の大学入試問題を考える」という特集が組まれ、いろんな大学の出題が大学入試問題としてふさわしいかどうかが議論されている。その時に厳しく突っ込まれるのが「高校で学習する範囲の逸脱」「指導要領からの逸脱」である。さらに、「特定の教科書にしか出ていない内容」は不公平を生じるので望ましくなく、「多くの教科書が共通して取り上げている内容」が望ましいとされている。これでは、出せる問題の範囲もパターンもきわめて狭くなるのは、誰が考えたってわかることだ。にもかかわらず、うかつに過去の問題と似た問題を出したら批判される。
原則70回の補習で救う――。
全国540に上る公私立高校で、生徒が卒業に必要な科目を履修していなかった問題で、政府の救済策がまとまった。
履修漏れが2単位(50分の授業で70回分)を超える生徒でも、70回の補習とリポート提出などで単位取得を認める。2単位以内の生徒には、一部の補習免除など弾力運用を認める。卒業生の過去の履修漏れは不問に付す。
これらの救済策を検討する過程で、与党内からは、履修漏れの3年生の7割以上を占める2単位不足の生徒について、補習の負担を50回まで軽減すべきだとの主張も出ていた。
文部科学省は、学習指導要領の法的拘束性やルール維持にこだわった。「生徒に罪はない」という声に、なし崩し的妥協をすれば、自ら指導要領の拘束力を否定することにもつながりかねない。
受験を控えつつ、きちんと必修科目を履修してきた生徒たちにも不公平感を生む。譲れぬ最低ラインとして「70回」を強調した。「弾力運用」を認めたのは、救済の「スピード」を意識しつつ与党側との着地点を探った結果だろう。
これ以上、生徒たちの動揺、受験への不安感が募らないよう、関係者は十分に配慮してほしい。
今回の騒動は一体何だったのか。その検証作業が必要だ。
必修逃れは5年ほど前にも広島、兵庫などの高校で発覚した。文科省は各教委の担当者を集めた会議で口頭指導するだけで、全国調査などは行わなかった。
必修逃れは、多くの高校で「公然の秘密」として次年度に引き継がれ、教委には虚偽の履修届が提出されて来た。
その教委も「知らなかった」では済まされまい。必修逃れの高校の校長が後に教育長になったところもある。
規制緩和の一環として、教委の廃止論も出ていた。今回、必修逃れや「いじめ自殺」への対応のまずさが露呈したことで、教委の監督機能や問題対応能力を高めるための検討が「教育再生会議」で始められることになった。教委の役割を、根本から議論してほしい。
学習指導要領をどう見直すか。受験偏重の今の高校教育をどう改善するか。行政と現場に突きつけられた課題だ。
「大学入試が高校以下の教育内容を決めている」。そう言われるほど、「受験」をゴールとした教育の道筋が敷かれてしまっている。
そこに生じた「ひずみ」の一つが、今回の必修逃れだったと言えよう。
大学入試制度を見直すための、腰を据えた論議も必要だ。
(2006年11月2日1時55分 読売新聞)
自然現象は化学的なものだけが単独で起きるわけではない。物理現象とからんで起きるのが現実である。しかしそういう題材を出題しようとしたら、化学の範囲を超えているといって、化学会に批判される。自然現象を人工的に分断して考えさせようとしているのは一体誰なのか。
こういうことに化学会は学会をあげて取り組んでいるが、おそらく他の分野も縛られ具合は同様なのではないだろうか。
どうしてここまで高校教育の内容に大学入試が縛られなければならないのか、というのが、私個人としては非常に納得できないところである。私は、「受験勉強が無意味になるような問題」「事前に対策が立てられない問題」で本人の資質を見るのが一番いい大学入試問題だと考えている。たとえば、高校の範囲は逸脱してもいいかわりに、無闇な暗記は要求せず、考える手掛かりになるより進んだ(大学で使うような)教科書の一部を与えて読ませ、その理解をその場で問うといったことをすれば、事前の受験勉強は無意味になるだろう。大学に入ってからは、膨大な範囲について同様のことをしないと単位がとれないわけだから、大学の講義をフォローできるかどうかを見るには、むしろこのほうが良い。しかし、指導要領・教科書に取り上げられている物質と現象にガチガチに縛られているため、そういう出題ができる日が来るのは夢のまた夢である。実際には、範囲から逸脱すれば、その途端、マスコミと予備校の餌食にされてしまう。
大学には入学定員があって、それを充足しなければならない。難問過ぎて受験者が誰も手出しできなければ、問題で差がつかず、選抜できないわけだから試験は失敗となる。範囲を大幅に逸脱して誰もわからなくても同様。「選抜の役に立つ」ということが要求され、競争試験である限り、本来なら何を出したっていいはずだ。
ここまで書けばわかるはずだ。大学受験が高校のカリキュラムに影響を及ぼしているのではない。大学入試を、高校の指導要領が縛り付けているのだ。読売の社説とは、話は全く逆である。
カテゴリー:教育関係
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posted at 2006/11/02 17:22:15
lastupdate at 2006/11/02 17:26:31
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