2010/09/28 「ムペンバ現象(湯と水凍結逆転現象)のサイエンス 2010」
概要
日時 20010年09月28日(火)16:00-17:30
場所 東京エレクトロンホール宮城 A会場:会議室601
主催 ムペンバ現象研究会 世話役:高橋修平
プログラム
司会:前野紀一
進行:小南靖弘、高橋修平
- 趣旨およびこれまでの経緯 前野紀一
- 昨年度集会の報告 高橋修平
- 実験経過報告およびその後情報
- ディスカッション
1.趣旨およびこれまでの経緯
前野先生より、次のような話があった。
- 2008年7月9日のためしてガッテンで「ムペンバ効果(湯が水よりも早く凍る)」が紹介された。
- ネットでは……J-CASTニュースなどで採り上げられる。
- 8月1日でもまだ検索ランキング10位。
- 新聞記事などで採り上げられる。
- 大槻さんの批判が週刊新潮の記事になる。
- 2008年日本雪氷学会(東京)にて、特別研究集会「ムペンバ効果のサイエンス」開催。
- 2009年日本雪氷学会(札幌)にて、「ムペンバ現象(湯と水凍結逆転現象)のサイエンス」開催。
小西、小南、佐藤、高橋らによる4つの実験結果の報告。
前野による最近の情報の報告。 - 実験の結果、逆転現象自体が明確に起きたとは言い難く、逆転の可能性についての議論も十分ではなかったので、2010年企画セッションを開催した。
凍結逆転の原因についての要素と問題点(当日配付資料にも掲載された)
- 凍結の定義:全面凍結か表面凍結か、凍結開始か終わりか
- 過冷却:お湯の冷却速度が大きいのか
- 蒸発(潜熱):お湯の方が蒸発熱が大きい
- 対流(顕熱):上からの冷却と下からの冷却
- 放射(放射熱):同上
- 伝導(底からの伝導熱):下から冷却するときの特性
- 溶存気体:沸騰水は溶存気体が少ない?
- 溶質:水の種類によるか?
- 偶発的な要素(霜による冷却速度の違い、溶質のムラ…)
- その他
プログラム
司会:高橋修平
- 趣旨説明 前野紀一(5分)
- 昨年度研究集会の報告:昨年プログラム(2009年10月01日,札幌) 高橋修平(10分)
- 実験経過報告 小西啓之、小南康弘、佐藤篤司、高橋修平(計40分)
- その後の情報 前野紀一ほか
- 現象解明の考察・意見交換 (計35分)
- その他
趣旨説明
会場では、セッションの趣旨を説明したA4のプリントが配布された。昨年の「ためしてガッテン」に始まって、話題となっていく経緯が書かれていた。
今回のセッションが「ムペンバ現象」となっているのは、プリントによると、
本来「〜効果」は、「ある物理過程が原因となって結果(効果)が出現する」場合に使われ、「ペルチェ」効果のように発見者の名前が使われることも多いが、今の場合、発見者はムペンバというわけではなく、物理過程も明らかになっていない現段階では”ムペンバ効果”と呼ぶのは適当ではなく、「湯と水凍結逆転現象」あるいは世の中に喚起を引き起こすことになった再発見者に敬意を表して「ムペンバ現象」と呼ぶのが適当として、本セッションの名称となった。
とのことである。
2.昨年度研究集会の報告
昨年の集会で、湯の温度が水の温度を追い越して低い温度になることの原因について、次のような項目が挙げられた。
- 凍結の定義:全面凍結か表面凍結か凍結開始か終わりか。
- 過冷却:お湯の過冷却温度が大きいのかもしれない。
- 蒸発(潜熱):お湯の方が蒸発熱が大きい。
- 対流(顕熱):上からの冷却と下からの冷却の違い。
- 放射(放射熱):同上
- 伝導(底からの伝導熱):下から冷却するときの特性。
- 溶存気体:沸騰水は溶存気体が少ない。
- 溶質:凍結の際への影響
3.実験経過報告およびその後情報
佐藤・大宮らによる報告
昨年の続き(再報告)。
温度センサー(おんどとり、T&D社)は二個使用(水深1cmと水深3.5cm)。100ccのパイレックスビーカー使用。測定誤差平均±0.3℃。水道水を使用。
断熱材の中にビーカーを設置し上からのみ、-20℃の環境で冷やす。対流のない条件で実験。初期水温は14℃〜76℃。
14℃、40℃、58℃、71℃の4種類の温度から冷却した。
180分くらいで70℃の水が他の水の温度よりも下がった(水深1cm)。
14℃の水は-0.2℃で一定時間変化がなかった。過冷却かもれいないが、使っているセンサーの精度から過冷却になっているかどうかがわからない。また、過冷却なら凍結が始まれば0℃に戻るはずだがそうなっていない。
水深1cmで温度の逆転がみられた。高い温度でスタートしたものが氷点を短時間で通過し早く凍結するという現象が4例でみられた(RUN9:63℃、RUN10:71℃、RUN11:63℃、RUN12:63℃)。ただし凍結の定義を、温度-0.3℃未満になったこと、とした場合。
【コメント】
温度逆転は1℃程度でしかない(前野)。
全てが温度測定の誤差で片付けられるものでもなさそう。
(質問)もとの実験はアイスクリームなのになぜ水や湯でやってるのか。温かいアイスクリームの素でやれば、過冷却になって一気に凍るのでは?(回答)アイスクリームでも凍る現象は(中に含まれている)水によるもの。物理学として単純な系から調べている。
小西による報告
昨年の実験は大きいフリーザー(-20℃)を用いて、100ccのガラス容器を用いて、個々の容器を断熱材で隔離して行った。
今年は小さいフリーザー(TWINBIRD-SC-DF25、-10℃〜-18℃調整可)で、アルミ容器(100cc)を使い、個々の容器はアルミ鍋に入れて、底からの熱伝導を良くして実験した。アルミ容器のサイズは、口径55mm、底径45mm、高さ45mm、重量10.0g、水は65〜85cc。フリーザー内は33x22xh30cm、アルミ鍋は径18cm深さ12cmで、この中にアルミ容器を並べて入れた。温度は容器の底の部分で測定した。
昨年は「湯と水ダイヤグラム」の45℃の線を越えるものは無かった。
今年はフリーザーが小さいので、湯の温度が水に伝わることで、水の温度が下がるのを防ぐという状態になっている。また、全体に熱伝導で冷えやすい条件である。
実験は123回やって、温度逆転は7回起きた。この123回は実験条件を振っているので、統計としては扱えない。条件によっては5回に1回や4回に1回の割合で温度逆転が見られることがあった。
水温4℃くらいのところで温度逆転が起きたり、7℃から8℃で温度逆転が起きたりした。
温度逆転が起きたときとそうでない時で、水の温度が下がる速度にそれほど大きな違いはないし、ゆっくり冷えているわけではない。湯の温度変化の方もあまり変わらなかった。
今回は、湯を早く冷やす条件、つまり熱伝導が良くて口径が大きい容器を用い、底からの熱伝導も大きい形状のものを用いた。湯の温度は45℃以上で、蒸発量は湯1.0gに対し水0.5gだった。対流有り、フリーザーの温度も上がる。これらのうち、何が温度逆転に必要な条件かがまだはっきりしない。
高橋・椋本による報告
最初のムペンバ氏の実験のグラフ(1969)では、温度差が大きい。
今回は1度に4つのビーカーを用いた。ビーカーは(ガラスだと割れるので)プラスチックのものを用いた。断熱材はスポンジとスタイロフォームを使用し、湯の容器を迅速に入れられるようにした。熱電対は3点に設置し、湯の初期温度は熱湯と水を混ぜて調整した。
水は、純水(蒸留水、イオン交換水)、ペットボトル水を用いた。初期温度は70℃から15℃。
上からの冷却では容器に蓋をせず、スタイロフォームの下に断熱材を置いた。下からの冷却では蓋をして蒸発が起きないようにし、スタイロフォームの下に金属板を置いた。この2通りの冷却方法による結果を比較した。
熱電対は上(水面から3mm下)中(中央)下(底から3mm上)の3箇所に入れ、中に設置した熱電対が-5℃になったときを凍結時間の目安とした。
また、冷却曲線で、0℃になるまでの時間をt0、過冷却の時間をt1、0℃から-5℃になるまでの時間(t1を含む)をt2とした。
温度や水の種類、冷却方法などを変えて25回測定した。
水の種類は凍結逆転とは関係なかった。常温で一昼夜放置した水と実験直前に撹拌した水で、凍結逆転とは関係が無かった。凍結逆転が起きたのは下方冷却の場合だった。上からの冷却では逆転は起きなかった。
過冷却が大きい方が逆転が起きるのではないか。上からの冷却では、4℃以上では対流があるが4℃以下では成層する。下からの冷却では4℃以下で対流が起きる。
「アシモフの雑学コレクション」という本の中の「寒さ」という項目に、ムペンバ現象の記載がある。
【コメント】
凍る時間の定義がこれまでとは違って、凍る時間の定義がこれまでとは違って、過冷却および0℃平衡状態を経過してビーカー中央温度が-5℃になる時間である。
(質問)アイスクリームの方が過冷却が起こりやすいのではないか。(回答)(ムペンバらの)論文では水である。
糖などが溶けていると過冷却になりやすい。
Auerbach, Am. J. Phys. 63(10) 882-885 1995は、ムペンバ効果は過冷却だという論文だが、これを受け入れるのは危険ではないか。(前野)
冷却曲線が4℃の所で足踏みする。
前野によるコメント及び最近の情報の報告
水が冷えるメカニズムは、蒸発によって熱が奪われ、伝導(上下左右)、対流によっても冷える。対流は非常に複雑。
冷却源としては、蒸発速度(温度、水蒸気圧、風速など)、温度境界層、乱流境界層。水中では、熱伝導が起きるが、水面、壁面での伝導、均一でない状態での熱伝導など。対流では、対流セルのタイプ、大きさ、層流か乱流か、流れが生じるきっかけなど。様々な要素がある。
確認実験をしただけでは本質は見えない。冷却メカニズムを1つに絞るのが大事ではないか。
これまでに行われた単一冷却メカニズムの研究について調査した。
室内実験
- 蒸発のみ
前野紀一:「湯と水くらべ」のサイエンス、雪氷、70(6)、593-599、2008 - 伝導+対流
Maciejewki: Evidence of a convective instability allowing warm water to freeze in less time than cold water., J. Heat Transfer, 118, 65-72, 1996
理論実験
- 蒸発のみ
Kell : The freezing of hot and cold water., Am. J. Phys. 37, 564-565, 1969
Vynnycky : The cooling of a water droplet and the Mpemba effect., 21st Int. Symp. Transport Phenomena, 2-5 November, 2010. Kaohsiung City, Taiwan
Vynnycky & Mitchell : Evaporative cooling and the Mpemba effect., Heat and Mass Transfer,. On-line First, 7 July, 2010 - 伝導+対流
Vynnycky & Kimura : Towards a natural-convection model for the Mpemba effect., 19th Int. Symp. transport Phenomena.17-20, August, 2008, Raykjavik, Iceland.
Maciejwekiの実験では、冷却は3方からの伝導のみ。縦軸を0℃に達するまでの時間、横軸は無次元のレイリー数(温度差に対応)でプロット。レイリー数が10の6乗くらいで2つに分かれる。層流か乱流かで熱伝導のしかたが違うのではないか。
Vynnyckyの水滴が凍る理論計算(21st Int. Symp. Transport Phenomena、蒸発+伝導+対流)では、初期温度によって、表面が0℃になるまでの時間に極大値が出る。しかしこの極大は小さいので実験で確認するのは難しいだろう。
蒸発のみとりいれたもの(Heat and Mass Transfer)は、ムペンバの実験と同じ年にKellが計算した論文と条件は同じ。周囲の相対湿度(真空か飽和水蒸気か)を変えて計算し、Kellの計算結果と良く一致した。
【コメント】
(質問)これらの研究をしているのはムペンバ現象を肯定する人達なのか?(回答)肯定する人達である。
(質問)湯の温度が水の温度に近づくとそこから先、温度は追い越せないのではないか。(回答)中では流れがあるから追い越せる場合が出てくる。
論文にもあるように、水中が層流か乱流かで温度変化の仕方が違うというのが面白い。流れの観測がもっと必要なのではないか。(前野)
(質問)水滴が凍る計算機実験の水滴サイズは?(回答)計算では大きさが入ってこない。
(質問)ムペンバ現象は、大きな体積で起きる現象なのか?(回答)理論には大きさが入ってこない。蒸発が激しく起きると潜熱が奪われる。湯の方が蒸発は激しい。
大きさについては、起こりやすいサイズがありそうな気がするが……。対流を考えるには、レイリー数が入ってくるので容器の形も問題になるが、計算が大変なのでやっていない。
(質問)論文で2つに分かれるというのは、水の粘性で対流が発達しないとか、乱流が起こりやすいといった2つのパターンになるのか?できるだけ、精度のよい温度計を使い、乱流か層流かできるだけみてほしい。細かい時間変動が起きているのか。(回答)対流について、高橋の実験で事前に撹拌しているが差が出ていない。事前に静かにしておいた水でUSAのグループは実験しているが……。
(コメント)NHKのタイトル「はやく凍らせたければ湯をつかえ」というタイトルが違っているというのはちゃんと示してほしい。ムペンバさん、オズボーンさんが生きているので前野さんが会いたがっているが、サイエンスとしての議論はこの辺で打ち切るのがよいと思う。(前野回答)タイトルについては、うっかりあの形になった。ムペンバさんの住所と電話番号判明。タンザニア大使館経由で確認。なかなか電話も困難。オズボーンが教育的見地から実験した。オズボーンはキャンタベリーにいるので連絡はとれる。
4.全体の結論
この集まりは今年で打ち切る。
実験してみると偶発的にしか起きない。この実験事実を公表し、可能性についてもまとめる。
この研究会としての見解を出す。雪氷学会の見解だと大袈裟すぎるので……。
研究会に参加しての天羽の個人的コメント
私は、氷や凍結現象の専門家ではないので、この一連の研究会ではギャラリーに徹しさせてもらった。
様々な設備を備えた専門家の方々の実験結果を見た限り、「早く氷を作りたい時には湯を凍らせる」というのが、「日常生活の知恵」としては使えなさそうである。この研究会が、ためしてガッテンの放映内容を訂正するコメントを出すということには全面的に賛成する。
実験は、グループごとに分かれて、熱伝導を容器のどの部分から行うか、冷凍庫内で相互に温度が伝わるかどうか、といった条件を振って行われた。にも関わらず、「大抵において湯の方が先に凍る」という条件を見いだすことができなかった。湯の温度の方が先に下がるという「逆転現象」がみられたものもあったが、逆転したときの温度差が大きいとか、湯の冷却速度が目立って早い、というほどのものでもなかった。結局、ムペンバ&オズボーンの報告のような、顕著な効果を見ることはできなかった。湯と水凍結過程における「逆転現象」そのものは、科学の研究テーマとしては興味深いが、早く氷を作るノウハウとして役立つようなものではなさそうである。
次に、研究集会を今回で終わりにするということにも賛成する。
ムペンバ現象そのものは興味深いし、アシモフの本でも採り上げられるなど、「何かある」と思わせる情報はあちこちに散らばっている。しかし、条件を振って確かめようとすると出てこない。まだ何かを見落としているのか、それとも、顕著な逆転がみられたことが偶然に左右されているのか、直ぐには結論が出せない。ただ、普通に思いつくような実験条件のヴァリエーションで出てこないことはわかってきた。前野先生の文献調査によれば、計算機実験などからのアプローチが行われているが、熱伝導の問題をきちんと解くのは難しく、まだまだ研究途上である。このような状況において、他にもっと優先順位の高いテーマを抱えている専門家の方々のリソースをムペンバ現象のために投入し続けるのは、無駄の方が多いと思われる。
科学の発展、つまり自然現象の解明は、その時代の実験技術や知識に基づいて行われる。ある分野や、特定のテーマの研究だけが突出するということはあり得ないし、不可能である。ムペンバ現象の場合は、層流や乱流の効果まで含めた液体の熱伝導の計算機実験の進歩と、そこからフィードバックされる実験条件、実験条件を振った結果を再度計算機実験にフィードバックする、といったことの繰り返しで、この先の理解が進んでいくのだろう。一連の研究会では、実験条件を振った結果が報告された。この先は、水中の流れを伴う熱伝導の計算機実験の新たな結果と、それを踏まえた実験装置の製作と条件の設定によって、さらに理解が進むと考えられる。しかし、どちらも急に進歩するものではない。次にムペンバ現象の理解が進むとしたら、特にムペンバ現象を対象として行われたのではないような熱伝導の現象の解明が進んだことがきっかけになるのかもしれない。ムペンバ現象については、慌てて肯定する必要も否定する必要もなく、将来理解を進めるあたらしい手掛かりが得られるまでの間、一旦棚上げにしておくのが良い。
まあ、科学というのは、時期が来て条件がいろいろ整うまでちっとも進まなかったり、そのくせ時期が来ると直接関係無いところまで道連れにして進んじゃったりするものなので、地道にできることをしつつ自分のテーマをつっつきながら、それでも楽観的にいこう、という感じではある。
あと、うかつにテレビがセンセーショナルに不確かなネタを出しちゃうと、後始末が大変だというのが、横で見てて思ったことだったり。ネットでは盛り上がった後さっさと沈静化したようだけど、決着つけようとすると研究集会が3回も必要になったりして、まだその時期じゃなさそうだということがわかっただけだったりとか。