電子レンジの加熱を巡っていろいろと考えてみる(途中)
電子レンジの加熱の原理
今わかっている電子レンジの加熱の原理は,およそ次のようなものである。
電子レンジの加熱に使う電磁波の周波数は,日本では2.45GHzを使うことになっており,波長が約12cmの電磁波である。
調理では,電子レンジが直接加熱できるものは食品中の水分である。これ以外にも,濃度の高いアルコールや一部の食器を直接加熱できる。
水を始めとする材料に外から電場をかけると,全体として電荷の偏りが生じる。これを分極という。電磁波の電場は,時間とともに強弱と向きを変えるので,分極が電磁波によって揺さぶられることになる。この揺さぶりについていけないと,そこで電磁波のエネルギーを吸収してしまい,最終的には熱になって,温度が上がることになる。
水分子は酸素1個と水素2個からできていて,電気的に中性だが,酸素が電子を引きつけやすい性質があるため,電子が偏ってしまうことにより,酸素側が負の電荷,水素側が正の電荷を持つ。液体の水は,このような水分子の集まりである。もともと分子の電荷が偏っているので,酸素は別の水分子の水素を,水素はさらに別の水分子の酸素と引き合いやすく,水素をお互いに共有し合うような形で水素結合を作る。水素結合は,共有結合に比べて弱いので,10のマイナス13乗秒程度の短い時間で,できたり壊れたりを繰り返している。液体の水では,お互いに水素結合でつながったネットワークを作りつつも,水素結合が至るところで組み変わり,水分子の入れ替わりも起きている。
ここに電場をかけると,水分子は,水素結合ネットワークを作りつつ,かつランダムに動きつつも,全体として少しだけ電場の方を向くようになる。このことによって,液体の水にマクロな電気的偏りができる。これを分極という。この電場が12.5GHzで変動したとする。分極には,この変化に全くついていけないもの,中途半端に遅れてついていくもの,完全に追随できるものがある。全くついていけないものと,完全に追随できるものは電磁波のエネルギーを吸収することはない。中途半端に遅れてついていく成分が電磁波のエネルギーを吸収することになる。この吸収が最終的に熱になって全体の温度上昇をもたらす。
光の吸収プロファイルから見た電子レンジ加熱
水の電磁波の吸収を,波長の長い方(振動数の低い方)からみていくと,マイクロ波領域の数百MHzぐらいから25 GHzぐらいまでは急激に増加し,いわゆる遠赤外線・THz領域にかけては,多少の変動があるもののほとんど一定の吸収を示す。振動数にして30THzぐらいの赤外領域で0に近いところまで減少する。30THzぐらいに(1600cm-1の分子内変角振動の)吸収ピークが,105THz(3500cm-1)ぐらいに分子内伸縮振動の吸収ピークが出る。
マイクロ波領域から遠赤外領域にかけての,水の誘電損のグラフを示す。元のデータは,それぞれ,
J. B. Hasted et. al, Chemical Physics Letters 118(1985) 622-625 および,J. Barthel et. al, Chemical Physics Letters 165(1990) 369-373に掲載されていて,手動にて値を読み取った。なお,このページの水の誘電損や遠赤外吸収のデータはすべてこの2つの文献によるものである。
横軸が周波数の対数表示であることに注意。この誘電損に,角振動数ωを掛けたものが,電磁波の吸収プロファイルを与える。次のような形になる。縦軸の値については,吸収係数に比例した量であると理解してほしい。
図中に,電子レンジの加熱周波数を示した。吸収が最大になるところではなく,最大になるよりもずっと低い周波数のところであることがわかる。誘電損のピークで考えても,最大の25GHzではなく,低い方の裾野のところである。では,この吸収曲線が図の右側の方でどうなるかというと,測定技術上の問題で途中が抜けているが,下のグラフにつながっていく。
図で,赤色で示したのが,赤外線の吸収係数である(青色はラマン散乱の感受率)。こちらの図は測定装置の技術的限界により,500cm-1以下のデータが無い。しかし,およそ,マイクロ波領域から遠赤外線領域に向かって増加した吸収係数が,なめらかに赤外吸収につながっていき,減少するのが1000cm-1あたりであることがわかる。
水の基準振動は,変角振動(1600cm-1),対称伸縮振動,逆対称伸縮振動(2つとも3500cm-1付近の幅の広いピークに含まれる)の3つだけである。しかし,吸収スペクトルを測定すると,これよりももっと多くのピークが出ている。400〜800cm-1付近の幅の広いピークはlibrationとされ,2200cm-1のピークはlibrationと変角振動の結合音とされている。青色で示した180cm-1と40cm-1の成分は,誘電損の遠赤外領域の方に弱い成分として見えているものに対応し,それぞれ,水素結合を介した水分子の分子間伸縮振動と,分子間変角振動によるものであるとされている(実際にはこのあたりにはもっと振動モードがたくさんあるので,それらのうち,赤外やラマンで見やすいものだけが強調されて出てくる)。
電子レンジの加熱に寄与しているのは,25GHzにピークを持つ誘電損の成分(の低い方の裾野)である。
電子レンジの加熱の原理として,電磁波が水分子を振動させるという説明があったり,その振動に伴う分子摩擦によって熱が発生するといった説明を見かけることがあるが,いずれも間違っている。水分子の分子間振動は,25GHzの誘電損の高周波側の裾野のところに出てくるし,その他の分子内振動にいたっては,振動数の桁が違う。2.45GHzでいくらがんばっても,振動を励起することはできないのである。
光の吸収プロファイルをグラフを突き抜けてずっと右側に向かってたどっていくと,弱い吸収ピークが赤色の可視光の領域まで続く。水の基準振動の倍音や結合音によるものである。このため,水は,可視光の赤色に対して小さい吸収係数を持つ。小さいので,コップやビーカー程度の大きさの容器に水を入れても,水は透明に見えている。しかし,容器の大きさが1mぐらいになると,赤色の光が吸収される結果,水が青みをおびて見えることになる。空が青いのはレイリー散乱のせいであることはよく知られているが,水が青いのは(不純物が原因で青くなっているのでなければ)基準振動の倍音による赤色の光の吸収のせいである。また,この赤色の吸収が電子状態の変化に伴うものでないことは,差し渡しの長い容器に重水を入れて白色光を通しても青く見えないことから確認されている。重水の水素原子は倍の重さなので,基準振動がことごとく低振動側にずれている。振動数の低い基準振動から倍音や結合音を作っても,可視光の赤色には届かないため,透明に見える。
電子レンジでどんなものが加熱できるのか
加熱周波数である2.45GHzでそこそこの大きさの吸収係数を持っていれば,どんなものでも直接加熱できる。
たとえば,純エタノールや純プロパノールの誘電損のピークは加熱周波数の近くにあるので,純エタノールや純プロパノールを電子レンジで温めることも可能である。吸収係数が水に比べて小さいので,効率は悪いかもしれないし,加熱すると蒸発して燃えやすいので危険ではある。また,食器などの固体であっても,2.45GHzの電磁波に対する吸収係数を持っていれば,直接加熱することができる。
ところで,25GHzの誘電損は液体の水に特有のもので,氷になると,誘電損のピークがkHzオーダーまでシフトしてしまう。このため,電子レンジの周波数で氷を直接加熱することはできない。電子レンジによる食品の解凍は,ごくわずかに融けた水に電磁波を吸収させ,その部分の温度が上がり,するとまわりのの氷が融け,融けたところから電子レンジの加熱が可能になって……というふうに進んでいく。なので,冷凍食品を解凍したときに温度がムラになりやすいのである。これを防ぐには,時間をかけて,全体を融かしながら加熱するしかない。
解凍専用の電子レンジが作れないわけではない。まずレンジのサイズを部屋ぐらいに大きくした上で,氷の誘電損のピークあたりに合う周波数の電磁波を発生させて当てればよい。すると氷は溶けるだろうが,融けた途端に誘電損のピークが25GHzに移動してしまうため,解凍用の電磁波は水に全く吸収されず,温度は上がらない。結局,解凍された0℃ぐらいの食品ができあがるだけである。だったら,水に浸して解凍してから電子レンジに入れるか,普通の電子レンジを使ってちょっとずつ溶かしながら温度を上げるようにするのが現実的である。そんなわけで,解凍専用の電子レンジは作られていない。
分子振動の励起というのはあるのか
電子レンジとは全く関係が無いが,水分子や広く水素結合の性質そのものを研究するために実験が行われている。赤外のパルスレーザーを水に照射して振動モードを直接励起し,それにともなう吸収の変化を測定する実験である。H. J. Bakkerらのグループによる研究が有名。たとえば,J. Chem. Phys.116(2002)2592-2598など。水以外にもいろんな分子に対して振動緩和が測定されている。
それでもなお説明が難しい理由(大学院生向け)
電子レンジの加熱の原理について説明せよと言われたら、とりあえず今わかっている範囲で、上記のように説明する。実のところ、この説明はあまりすっきりしたものではない。