ナノバブル水素水フコイダンへのコメント

ナノバブル水素水フコイダンに近しい人が嵌まりつつあって下手すると必要な治療が遅れかねないという悲鳴が聞こえてきたのでコメントしておく。

製品例としては、http://www.ecotex-j.co.jp/productinfo.htmlのアスミーテという商品がある。フコイダンを薦めているところは例えば「代替医療を考える会」のこのあたり

まず、水の方から見てみよう。

ナノバブル水素水フコイダン50000の組成は、

フコイダン:50,000 mg
ビタミンC:10,000 mg
溶存水素水量:1ppm(製造時)

とある。

水素を強調しているが、室温1気圧の水素の溶解度は、ppmで表すと1.6ppm。他社の水素水も、高濃度と称しているものが1.2ppmだったりするから、つまりは飽和もしていない水素濃度のものが水素水と称して市販されているということになる。

トップページには、メチレンブルーを水素水に加えた場合の、他社製品との比較写真が出ている。青くなったものは「還元力」が失われているという話で、「還元剤としての水素が最初から入っていないか、抜けてしまう事が分かります」と主張している。しかし、この実験は水素が抜けたかどうかを反映していないのではないか。メチレンブルーの発色がみられなかったナノバブル水素水フコイダン50000にはビタミンCが含まれている。ビタミンCは抗酸化作用を持つことで知られているし、水素のように時間が経つと抜けていったりはしない。この実験では、ビタミンCがメチレンブルーの発色を妨げた可能性が高い。もしこの実験で水素が抜けたかどうかを確認するなら、他社の水にも同じ濃度になるようにビタミンCを加えた上で試験をしないと、水素の量の違いについて結論は出せない。

水素が超微細気泡化することにより水の中から抜けにくくなり、また、イオン化することによって気泡同士が反発し合い結びつかなくなるため、その大きさを維持するイオン化ナノバブル製法を採用しています。

とあるが、気泡の内部は水素ガスのはずである。水素分子イオンというものは放電管の中などには存在するが、通常の環境では安定に存在することはない。一体何をイオン化しているのかが謎である。

ナノバブル技術により、ナノバブル水素水フコイダン50000(通称:フコイダン水素水)は、他社水素水製品と比べ、たっぷりと水素が溶け込んでいます。

既に書いたが、他社の水素水で水素濃度が1ppmを越えるものが普通に販売されているので、他社製品に比べて水素が多いとはいえないのではないか。

また、溶存した水素が長時間持つ事の証拠として、ORP値のグラフが示されている。しかし、この製品には抗酸化作用を持つビタミンCが含まれているので、ORPの値はビタミンCの影響で下がっている可能性がある。同じ濃度のビタミンC水溶液のORPも一緒に掲載しておくべきだろう。また、ビタミンCを含んでいるのに、「科学的な添加物などを全く含まず」(化学的、の間違いと思われるが原文ママ)とはどういう意味なのか、わけがわからない。

抽出されたフコイダンを大量に含んだ独自製法のナノバブル水素水フコイダン50000であれば、容易に摂取することができます。

とある。フコイダンが体内に吸収されたことはどうやって測定したのだろうか。

もう少し詳しい説明を見てみる。

水素は、活性酸素を除去する働きがあると言われています。

普段私たちの体は、ストレスに晒されたり有害なミネラルなどの物質が体内に入ってくると活性酸素が発生します。この活性酸素は体の老化、サビの原因であり、様々な病気、体調不良の原因とも言われ、この活性酸素を減らす事が老化予防、病気予防になると言われているのです。

水素は抗酸化作用物質であり、酸化された細胞等を還元(元の状態にする)させる、つまり、体内の病気の元である活性酸素と結びついて安全で無害な水に変化し体内から放出させてくれると言われています。

見て分かるとおり、全て「言われています」と伝聞ばかりである。つまり、この水素水の効果については、自社で確認をしていないし、する気も無いし、効果があるとはっきり述べられるだけの証拠も持っていないにもかかわらず販売しているということになる。

フコイダンの説明は、多糖類であることや発見の経緯を書いている。しかし、効果がある、という根拠に結びつきそうなのは

2002年にはフランスの科学者による研究で、F-フコイダンがウサギの細胞の過形成を抑制することが明らかとなり 、また、2005年に慶應義塾大学教授・木崎昌弘博士らの研究により、フコイダンが人間の悪性リンパ腫の細胞にアポトーシスを起こさせることが発見され、注目されました。

の部分である。この部分を注意深く読むと、どこにも、実際のヒトの悪性リンパ腫に対して治療効果があったとか、臨床試験の結果が出たとは書かれていない。もし、臨床試験で認められた治療効果があれば、それは、企業にとってもっとも売り文句になるはずである。それが無いのだから、ここに書かれた効果は細胞培養の実験でのみ確認されたものだと読み取るべきである。そうすると、「簡単な練習問題」で紹介したフローチャートを適用するなら、フコイダンはステップ2で右側に分岐する。つまり、フコイダンの抗がん作用というのは、「人間にあてはまるとは限らないので、話半分に聞いておく」程度の扱いをすれば十分なのであって、とても、病院での治療の代わりに使えるようなものではない。

なお、この会社のフコイダンを紹介している資料の中にはまともな論文は1つも無く、いわゆる健康本のみである。これらの資料は何冊出ていても効果の証明には何の意味もない。すべて、フローチャートのステップ1を通過できず、「それ以上考慮しない」情報である。もちろん、医薬品でもないフコイダンについて、癌に効果があると誤認させるような、効果効能を謳った販売は違法である。

前置きの部分が非常にしっくりきた

 小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句「ネット弁慶が街中に現れた理由」の、冒頭部分。

心を痛めている。

 ……という書き出しを読んだ瞬間に

「なんだこの偽善者は」

 と身構えるタイプの読者がいる。

 ながらく原稿を書く仕事をしてきて、最近、つくづく感じるのは、若い読者のなかに、情緒的な言い回しを嫌う人々が増えていることだ。

 彼らが嫌う物言いは、「心を痛める」だけではない。
 「寄り添う」「向き合う」「気遣う」「ふれあい」「おもいやり」「きずな」といったあたりの、手ぬるい印象のやまとことばは、おおむね評判が良くない。かえって反発を招く。

 彼らの気持ちは、私にも、半分ぐらいまでは理解できる。

 この国のマスメディアでは、論争的な問題を語るに当たって、あえて情緒的な言葉を使うことで対立点を曖昧にするみたいなレトリックを駆使する人々が高い地位を占めることになっている。彼らは、論点を心情の次元に分解することで、あらゆる問題を日曜版に移動させようとしている。

 若い読者は、そういう姿勢の背後にある卑怯さを見逃さない。
 リテラシーとも読解力とも違う、不思議な能力だ。

 この手の言い回しは、どう書かれていてもやっぱり上滑りしているようにしか見えないのですよ。議論すべきことを曖昧にする卑怯さというのは、相手にするとストレスが溜まるものです。何でもかんでも情緒で決着つけようとするヤツばっかりだった嫌な思い出というのは、私の場合、学校教育と一体のものになっています。
 「手ぬるい」言い回しの何が嫌かというと、言ってる側が真意をぼかしているためそれを推測するために余計な労力を使わないといけないからなんですね。禁止するとか止めろということを論理的に伝えられないので、敢えてぼかして相手に察しさせようとする傲慢さか、きれいごとで誤魔化そうとするずるさしか感じないのです。
 それを正面から指摘すると、人の気持ちがわからない、と非難されるわけです。私からみれば、伝える努力を怠っているのは貴方でしょう、としか言えない。
 こういう表現に隠された卑怯さを見抜く若者が増えてきたというのであれば、私にとってはかなり希望が持てる話です。