御堂岡啓昭が亡くなった件

 御堂岡啓昭氏がが亡くなったことが公表されました。御堂岡氏がやっていたお店のウェブサイトhttp:azi.toで告知されています。
 御堂岡氏の名前で検索すれば、彼がどんな悪行を積んできたかはすぐに出てきます。
 私の友人である、悪徳商法マニアックス管理人のbeyond君も、御堂岡氏から酷い嫌がらせをされたので訴訟して勝訴判決をもらいました。しかし、御堂岡氏は賠償金を払わずばっくれたままでした。熊本でお店をやるくらいには金があるのに賠償金を踏み倒したままお亡くなりになりました。
 嫌がらせの具体的な内容については、「御堂岡啓昭、死んだってよ」にさらっとまとめてあります。
 御堂岡氏の常套手段は、掲示板に何千件も嫌がらせの投稿をする、直談判のために理由もないのに出かけていって長時間粘る、個人情報をバラ撒き続ける(ターゲットの住所とかだけじゃなくて実家の住所までばらまいて親族全部トラブルに巻き込もうとする)、といったものでした。
 以前、御堂岡氏は、私にマイミク申請を送ってきたことがあります。興味も関心も違うので、とお断りしてマイミクにはしませんでした(当たり前だ)。beyond君に執拗な嫌がらせをしておいて、その友人にマイミク申請して受け入れられると思っていたのだとしたら、どんな脳内お花畑だって話ですわ。ターゲットの周辺は全員警戒してて当たり前です。
 なお、この時は、心配してくれた別の友人がわざわざ電話をくれて、御堂岡がどんな人か語ってくれました。「事件を解決するといって紛争介入するが(有資格者でもなくその能力もないので)当事者に嫌がらせをすることしかできずに紛争をこじらせて収拾つかなくさせる、つまりは有名なネットゴロ」ってな内容でした。
 Twitterの方は、メインのアカウントでは御堂岡氏を早々にブロックしたのですが、サブ垢(ちっとも使ってない)air-apjを作った途端に御堂岡氏からフォローされました。一体何の嫌がらせかと。勿論アカウントごと放置しておきました。
 ところで、beyond君の方には変なジンクスがあります。彼に執拗な嫌がらせした人ってなぜか不幸になったり早死にしたりするというものです。とはいっても御堂岡元気じゃん、と思っていたのですが今回早死にの仲間入りしたようです。なお、beyond君本人によると、

田中三郎→敗訴判決1ヵ月後に死亡
I氏→告訴した4年後に急死
O氏→嫌がらせ電話の1年後に逮捕
御堂岡→敗訴判決から5年後に急死
脅迫年賀状 NEW!

だそうです。まあ、ただのジンクスなので、因果関係も相関関係もありません。私も上記事実を述べるか、ジンクスとしてしか話題にしていません。もし、このジンクスから「嫌がらせしたから早死にした」といった因果関係を言い出す人がいたらそいつはホンモノの馬鹿ですのでご注意ください。「水道水の塩素消毒をしたらガンが増えた」以下のインチキ話です。
 ついでに、御堂岡氏のケースについて「故人の悪口を言うな」などと主張する人は、故人が抱えて死んだ賠償金を肩代わりしてから発言すべきです。お店をやるだけ金があるのに5年も賠償金を踏み倒したまま死んだのだから、そりゃお悔やみの前にあれこれ言われるのは当然でしょう。御堂岡氏が反原発に関わる以前から嫌がらせされっぱなしだった方も、何人もいらっしゃるようですし。

 この話から得られる唯一の教訓は「賠償金は生きてる間に支払わせろ」です。そうはいってもbeyond君ですら御堂岡に踏み倒されてるわけで、そのへんは法の不備が原因ではないかと思います。民事執行法の財産調査や差し押さえがもっと便利に使いやすく強力になれば、取りっぱぐれは減るはずです。執行法が使いにくかったら、せっかく勝訴判決をもらっても絵に描いた餅ですので、もうすこし取りやすくする方向で金融機関にも協力させるような改正を望みます。

 賠償金踏み倒しが1件だけとも思えないので、あと何人居るかわからない債権者達のために、御堂岡死亡の話はとりあえずここでもネタにして公開しておきます。御堂岡氏にどれだけの財産があるか知りませんが、相続のタイミングが次の回収のタイミングでしょうから。

情報と知識が足りない時に安全側に振るには?

 朝日新聞デジタルの記事「(記者有論)エセ科学 見分けるための七つの基準 高橋真理子 2014年1月8日05時00分」への補足とコメント。

 「こうすれば放射能を除去できる」と、手軽な方法を売り込む人たちがいる。たとえ科学の常識からかけ離れた方法でも、「これまでの科学ではできなかったことです」と説明されれば、「新発見かも」と思うのが人情だろう。

 しかし、キュリー夫人をはじめ多くの先人の努力で積み上げられた知識からあまりにかけ離れた方法では、除去はほとんどできまい。お金や労力の無駄になるだけなのに、と心を痛めてきた。

 「人情だろう」という部分がキーポイント。これまでできなかったようなことが簡単にできる、すばらしい結果がすぐ手に入る、と、人の欲望を刺激する言説に注意、といったところか。楽をして結果を手に入れたいという感情を揺さぶられる話だと騙されやすくなる。

 売り込む人たちは、たいてい科学用語を使う。セシウムはもちろん、イオンやプラズマ、波動や光合成細菌などなど。発明者に立派な肩書がついていることも多い。

 たとえ科学用語を使おうと、たとえ立派な肩書を持つ人の発明だろうと、筋道の通らない主張は科学ではない。普通は「エセ科学」と呼ぶ。しかし、両者を見分けるのは案外難しい。エセ科学がなくならない理由である。

 十分な時間をかけて情報収集して判断できるなら間違えることを減らせるだろう。「十分な時間をかけて」には、知識が足りなければ教科書を読み直して……といったことまで含まれる。しかし大抵の人にとって、ある言説がエセ科学かどうかを判断するのにそんな手間はかけられない。不勉強のままでいることを肯定するつもりはないが、かといって、あまりにハードルが高い判断方法は実用的ではない。

 昨年11月下旬、アジアの科学報道の充実を目標に世界科学ジャーナリスト連盟が始めた事業「スクープアジア」の東京会合が開かれた。30人ほどが参加した会議で途上国の記者が「迷信をいかになくすかが課題だ」というのを聞き、「日本でも似た問題を抱えている」と思ったものだ。

 迷信やらエセ科学やらの種類は文化的背景によって違ってくるので、多分国ごとくらいの単位で考える必要がある。例えば創造論はキリスト教圏のUSAでは社会問題になっているが宗教的背景の異なる日本では問題になるほどの勢力ではない。

 解決策は簡単には見つからない。だが、インドネシアの環境ジャーナリストが帰国後に面白い表を送ってくれた。科学とエセ科学の対比表だ。

 「新しい証拠があれば喜んで考えを変える⇔考えを変えない」「同僚(同じ分野の研究者)同士で情け容赦のない評価をする⇔同僚同士の評価はなし」「すべての新発見を考慮に入れる⇔都合の良い発見だけ選ぶ」「批判を歓迎⇔批判を陰謀とみなす」「証明可能な結果⇔再現性がない」「限定された有用性を主張⇔幅広い有用性を主張」「正確な測定⇔おおよその測定」

 むろん、「科学」⇔「エセ科学」の順に書いてある。

 「科学とは何か」と専門家に問えば、「反証可能なもの」というような答えが返ってくる。これでは訳がわからない。対比表を使うと、科学の中身に詳しくなくても、目の前の主張がエセ科学かどうか判断できそうだ。

 たとえば「何にでも効く」は「幅広い有用性を主張」に当たる。項目のすべてについて判定できなくても、いくつか当てはまればエセ科学の可能性大だ。「だまされないための七つの判定基準」、使ってみていただけませんか。

 インドネシアのジャーナリストはそれなりに科学あるいは科学哲学に詳しいからこのような項目を取り上げたのだろう。高橋氏もエセ科学の問題に興味があるから、対比表を使うことを薦めているのだろう。この対比表は、高橋氏のように、エセ科学の問題に感度の高い人にとってはおそらく有効だ。

 実はこの対比表と同じような内容を私も基盤教育の講義で学生に教えている。だからいわんとすることは非常によくわかる。教えた結果はというと、(学生のコメントを読んだ限りでは)多分それなりに効果があって将来学生達が活用してくれそうではある。教えている相手は(いわゆる難関ではないけれど)山形大学には合格できる程度には知識を持っている人である。その人達に、半期15回かけて物質は原子から出来ているというあたりから話を始めて、正しい科学のトピックをまず教え、関連するニセ科学を提示し何がおかしいかといったことをいくつか例示し、ポリウォータ−、常温核融合、パンヴェニストの実験の顛末とホメオパシーの話までやった上で、最後のまとめとして教えている。ここまでやれば、それなりに実感を持って何に注意すべきかを理解してくれるだろうと思う。

 高橋氏も書いているとおり、この対比表は科学の定義でもエセ科学の定義でもなく「だまされないための判定基準」である。これで科学と科学でないものを定義するのは無理だし、科学哲学方面からクレームがくるだろう。しかし、科学や科学哲学の専門家でない人が必要としているのは、手軽にそこそこ使える判定基準である。ぶっちゃけ、科学とは何か、などという定義はどうでもいい。科学っぽい言説で優良誤認と不実告知のオンパレードのような商品を買わずに済めばそれで良いのである。元々知識は足りないのだから、100%の精度で判断できなくても仕方無いが、大部分のエセを却下できればかなり助かる。だから、この対比表に従って判断した場合に、それなりの精度でエセ科学を却下できるならニーズにも合っていて有用ということになる。

 しかし残念ながらこの対比表は科学を専門としない人にとっては難しすぎるだろう。ニセ科学の問題に直面している人は半期15回の講義を聴く余裕など無いのが普通だ。さらに、それそれの項目の確認の手順が具体的にどういうものになるかを考えれば、実はかなり手間がかかることがわかる。

○「新しい証拠があれば喜んで考えを変える⇔考えを変えない」
 「あなたは新しい証拠があれば喜んで考えを変えますか」とインタビューでもするのだろうか。「はい」という答えを信じて良いのか。
 「学校で勉強していたときはこんなことは不可能と思っていたが証拠が出たので考えを変えた」と、実は間違った実験に基づいてトンデモ説を主張しだした人は、喜んで考えを変える人になってしまう。一方、科学の本流は意外と保守的で、新しい証拠が少し出たくらいだと「現状の枠組みで説明できないかもうちょっと粘ってみるわ」という人など普通に居る。そういう粘り方をすることでより理解が深まることもあるから別にかまわないのだけれど、判定基準の適用をするとエセ科学に分類されそうだ。
○「同僚(同じ分野の研究者)同士で情け容赦のない評価をする⇔同僚同士の評価はなし」
 同僚同士の評価が行われていることをどこで確認するのだろう。論文を書くときに共著者が居る場合はおかしなことを言えばそこでまずツッコミが入るし、学会発表や論文投稿でも批判にさらされる。非専門家が科学者の同僚同士の批判を目の当たりにするには、学会の会場で話をきいていなければならなくなる。そして学会の会場に行っても、本当に筋のいい発表だと、質問は出るが批判が出ずに「面白い成果ですね」となったりする。情け容赦のない批判を目撃できるかどうかは運次第である。まあ、研究室内で師匠とガチバトルのことも珍しくはないけど、それが外部の人の目にふれるかというと、ねえ……。
 査読のある論文誌の場合は、査読者が容赦なく批判してくれるので、査読有りの論文誌に問題の主張が出ているかどうか、というのは1つのチェックポイントになる。題名と著者名と発表した雑誌と要約くらいはネットで無料で検索できる。しかし科学の成果は大抵英語で発表されるので、どんな用語で検索するかという部分で素人にとっては既にハードルが高い。その上、最近はオープンアクセスジャーナルの質の悪い論文誌まで入りみだれていて、どれが信用できるかは専門家にきかないとわからなかったりする。
○「すべての新発見を考慮に入れる⇔都合の良い発見だけ選ぶ」
 全ての新発見を考慮に入れているかどうかを判定するには、何が発見されているかを、全てとはいわないまでも広範囲に知っていなければならない。そうでなければ、相手の主張が、都合のよい発見だけ選んでいるのかどうかわからないだろう。
 困ったことに、科学の本流でも過渡期のテーマだと全ての新発見を考慮できる枠組みがまだ無い場合がある。とりあえず説明できるところまでやって後から拡張を考えよう、ということもある。
 ということでこの基準も予備知識と内容の理解を要求するものである。
○「批判を歓迎⇔批判を陰謀とみなす」
 これは予備知識無しに使えるかもしれない。自分の説が認められないのは権威の○○が邪魔してるからだとか、学会の陰謀だとか御用学者の工作だといった類のことを言い出す人は、エセ科学の側の人と判定して説を却下してもおそらく損はしない。
○「証明可能な結果⇔再現性がない」
 予備知識と同事に長いタイムスパンを要求する基準である。生命化学の実験で再現性が無いものがいろいろ見つかって論文撤回騒動になったり、臨床試験がごにょごにょな状態が話題になっている。疫学調査だと、再現性の確認が何年も後になって別グループがやったりする。長い時間が経てば再現性のない結果は捨てられていくのでこの基準は正しい。短い時間で再現性があるかどうかを知るには、即追試をするしかない。そんなことができるのは同じ分野の専門家だけである。素人には使えない基準である。
 なお、「水からの伝言」騒動の時、提唱者の江本氏は自著の中で言葉のイメージにあった結晶写真を選んでいると堂々と書いていたのに再現性のある実験だと勘違いした人が続出したのだから、再現性の判断を大勢が正しくするということは望み薄である。
○「限定された有用性を主張⇔幅広い有用性を主張」
 これも予備知識無しに使える。健康食品系のエセ科学はこれをチェックするだけで相当却下できる。
○「正確な測定⇔おおよその測定」
 測定が正確かどうかを判断するには、正確な測定がどういうものかを知ってなければならない。どれかの分野で測定の経験を積んだ人でないと判断が難しいだろう。素人向けではない。
 理科教育では演示実験という自然を理解するための実験をする。大抵の人が経験する実験だが、これは教育目的の実験で、精度をそんなに気にしなくてもわりとはっきり結果が出るように作られている。演示実験は未知のことがらを確定させる実験とは違う。しかし、大勢の人にとって「学校で習う正統派の実験」とは演示実験のことである。

 それなりの時間をかけて科学の知識のある人が科学とエセ科学の観察を積み重ねれば、科学とエセ科学の対比表にいきつくのはわかる。が、対比表をエセ科学の判断基準として誰でも使える手続きに落とし込もうとした途端にハードルが跳ね上がる。ある程度は英語で情報収集ができ、必要とあれば専門家に取材できるジャーナリストになら使いこなせるだろう。ある分野の技術者が隣接分野について調べることになった場合も何とかなるだろう。でも素人向けではない。
 もっと簡単にするならこんな感じかなあ。
○理科の教科書の範囲で起きることが禁止されている法則に反する主張(エネルギー保存則に反する、化学反応で元素転換など)は却下。
○効果の具体例が、関連のない数多くのものである場合に却下。
 例:糖尿病にもアトピーにもガンにも効く、など。
○提唱者が、誰かの工作や弾圧によって自説が認められないと主張しているなら却下。
○病気になるとか、危険だとか、このままだと大変損をする、といったことをことさら強調する場合は却下。
○うまく見える話はやってくるがうまい話は来ない。
○特許、学会発表、医者や大学教授の名前を出す、有名な施設や研究機関で使われていることを強調していたら却下。
など。
 これですり抜けるものはあるだろうし、まともなものを捨てることもたまにはあるだろうけど、テキはわかりやすくするため情報量を落として宣伝していて、細かい科学以外の部分でインパクトを狙って来ることが多いから、むしろそちらに注目して捨てた方が楽かもしれない。

高校までの理科って大事 その2

 東洋経済オンラインにこんな記事が出ていました。こちらは新年早々です。ツィッターでリンクが呟かれていたので気づきました。
 全体を見た方が良いと考えましたので、敢えて全文引用します。

福島原発から、トリチウム汚染水が消える日
安倍首相、A社の新技術で「水地獄」から抜け出せ!
原田 武夫 :原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役 2014年01月07日

「原田さん、ついにやることになりました。2014年になりますが、1月14日にあの有名国立大学で我々の技術を試験してくれることが決まりました」

汚染水問題解決の可能性がある技術とは?

昨年12月半ば。神奈川県にあるヴェンチャー企業に勤める馴染みの副社長氏から、私のもとにメールが飛び込んで来た。その瞬間、私は感激の余り不覚にも独り涙ぐんでしまった。

「そうか、ついに『その日』がやって来たか・・・」

なぜ私が感極まったのか。―――その理由は、このヴェンチャー企業が長年にわたって開発してきた最新技術にある。非常に簡単に言うと、この技術が投入されることによって我が国、いや世界全体が苦しんでいる「福島第一原発から漏出し続けているトリチウム汚染水」という前代未聞の大問題がものの見事に解決してしまう可能性が急浮上するのである。

「まさか。そんなことができるわけがない。並み居る我が国屈指の公的研究機関や大学、あるいは国内外の有名メーカーたちが寄ってたかって取り組んでも、これまでのところ解決できていないではないか」

読者からはすぐにそんな声が聞こえてきそうだ。それもそのはず、大手メディアは「福島第一原発からまたトリチウム汚染水が大量漏出」といった報道を連日のように繰り返してきている。何も手の打ちようがないように思えてしまう。しかし、である。実は政界・官界のトップクラスだけがすでに知っている、究極の解決法があるのだ。それがこのA社の開発している技術なのである。

さて、そこでまず気になるのはこの技術の中身である。生まれたての技術、しかも我が国と世界の命運を握っている技術であるので十分に秘密を守りながら、あえてざっくりとその概要を書くとこうなる:

●特殊加工した炉の中に、オリジナルの溶媒を入れる。そしてその中に気体や液体を入れて、特定の温度で熱する。技術的にはこれだけ、である。無論、その運用には熟練した技が必要だ

●A社の実験施設においては、これまで繰り返し「重水(D2O)」をこの炉の中に入れ、試験を行ってきた。その結果、気体として水素などが出てくることが判明した

●さらにこの炉の中にトリチウム水(T2O)を入れると、水素ガスが出て来ることが判明している。すなわち完全無害化されることになるのだ

2011年3月11日に発生し、多くの人々の命を奪った東日本大震災。それによって被災した福島第一原子力発電所は放射性物質を飛散させ、世界中をパニックに陥れた。その後、事態は沈静化したかのように見えるが、実際には「ストロンチウム」「セシウム」そして「トリチウム」といった放射性物質が通称「フクイチ」からは毎日出続けている。

汚染水が、水素ガス化で完全に無害化される

それらのいずれもが重大な問題なのではあるが、原子力の専門家たちに言わせると「本当に問題なのはトリチウム」なのだという。なぜならばストロンチウムやセシウムについては、ほぼ100パーセント除去する技術が、我が国においてもあるからだ。

この点について詳細を聞いた私に対して、とある国立大学で研究を続ける、この分野の第一人者でもある教授は「除去のための費用は純粋に国産の技術でやる限り、全くかさまない。なぜならばそのために必要なのは例えて言うと『猫のトイレ用の砂』の様なものであり、10キロ数百円くらいの安さだからだ。それなのに、政府はわざわざそのための機材を米国から高いカネを払って購入し、四苦八苦している。専門家の目から見ると全くもって笑止としか言いようがない」と言い切った。

しかしこの有名教授の目から見ても、次々と出て来るトリチウム水は問題なのだという。なぜならば既存の技術ではそこからトリチウムを完全に取り除くことができないからだ。「それではどうすれば良いのですか」と私が聞いたのに対し、教授氏はこともなげにこうつぶやいた。―――「取れないものは仕方がないじゃないですか。薄めて海に流すだけです。早くやらないと福島、いや日本中が汚染水タンクだらけになってしまいますよ」

だが、繰り返しになるがA社の技術は質的に違うのである。なぜならばトリチウム汚染水を完全無害化し、水素ガス化してしまうからだ。無論、細かなことを言えば「水素ガスに酸素が交われば爆発するのではないか」といった難癖をつけることもできる。だが、そもそも水素ガスそのものは無害なのだ。豊かな漁業資源に恵まれる福島県の沖合に半永久的に垂れ流され、それらの漁業資源が失われてしまい、多くの人々が苦しむことになるように仕向けるのと、どちらが「正解」なのだろうか。

通常ならあり得ないことが、目の前で起こっていた

実のところ、私はこのA社のことを3年ほど前から知っている。当時、近しくしていた国土交通省OBからこんなことを言われたのだ。

「水を通すと炉で様々な物質ができてしまうと言っている、風変りなヴェンチャー企業がある。資金繰りに困っているようだ。何とか助けてもらえないだろうか」
「一体、どんな研究者たちが開発しているのだろうか」

そう思った私は急ぎ、神奈川南部にあるA社に向かった。すると何のことはない、(社長や副社長には大変失礼だが)「掘っ立て小屋」のような場所で、熱心に実験を繰り返す民間技術者たちの姿を目の当りにしたのである。「こんな方々がそんな技術を・・・」私は絶句した。

それ以上に現場で驚いたのが、この技術からこの世に生み出される物質の数々である。“我が子”である試験炉を愛おしそうに見つめる社長の方を向いて、右腕である副社長が「それでは入れますよ」と一声かけながらバルブを少しずつ開いていく。しばらくすると温めた炉を抜けて出て来る物質の性質を、傍らに設置された質量計で見ることができる。

「あ、これ見てください、原田さん。普通に考えると、地球上では存在し得ない物質が出て来ていますよ」

地球上では変わらないはずの元素が、明らかにそこでは「変性」していたのである。そして理論的には宇宙空間のどこかでしか存在し得ない物質が、私たちの目の前に出現していた。私は思わず「元素転換ですね、これは!」と叫んでしまった。

全てのイノヴェーションは「常識を打ち破ったところ」から始まる。A社のこの技術の場合は正しくそうである。だが、そのために実験を始めて10年近くの間、社長そして右腕である副社長が研究の傍ら、ありとあらゆる公的研究機関や有名大学の研究室でこの技術の有意さについて声を枯らしながら訴えても、権力とアカデミズムの住人たちは、これを一切無視してきたのだという。

「理論的にそんなことはあり得ません」

「実験している最中に別の物質が混入したのではないですか。確認しましたか?」

「まぁ、イギリスの有名雑誌『ネイチャー』にでも掲載されれば別ですけれどね。そうしたら本気で見てあげても良いですよ」

社長と副社長の付き添いで同行する私は、彼らが二人をこんな言葉で罵るのを何度となく目の当りにしてきた。何とかその場をとりなそうとする副社長の傍らで、社長は苦笑いをしながら深い憂いのある目を見せている。その眼差しはこんな風に言っているようだった。――「ブルータスよ、お前もか」

折しも、2008年のリーマン・ショック後、A社はたちまち資金繰りに窮することになる。何度となく繰り返し訪れる危機の中で、結果何も助けることのできない私と会った社長と副社長は、場末の居酒屋にて湯で割った芋焼酎で顔を赤らめながら、こういったものである。

「原田さん、私たちはね、金儲けがしたいわけじゃないんだよ。ただ、こんなすごい技術が他でもない我が国で生まれたっていうことを皆に知ってもらいたいだけなんだよ。俺たちはこのニッポンという国がたまらなく好きだから。これを使えば極めて安価に発電もできるし、レアメタルだってできる。『平成バブル不況』で20年も痛めつけられた我が国が起死回生の挽回をはかる絶好の道具にして欲しい、ただそれだけなんだ。何とかしたい、本当に何とかしたいんだ」

資金繰りがいよいよ「最後の危機」へと迫る中、降って湧いた実験結果が「重水の分解」だった。そしてトリチウム水を入れると水素ガスが出て来た。これを使えばあの「フクイチ」は解決に向けて大きな一歩を踏み出すことになるではないか。――そう考えた社長と副社長は再び「要路」(=重要な人々)の間を、駆けずり回ってきたというわけなのである。

14日の実験結果で、「日本」や「世界」が驚く

そしてついに「公的認証」の第一歩としての実験が今月14日に行われるのだ。実験室での生真面目な表情が戸外では崩れ、笑顔を絶やさない副社長は電子メールで私にこう言い切った。

「もちろん、自信はあります。14日の結果、楽しみに待っていて下さい」

我が国が本当に“成長戦略”を求めるのであれば、この技術を用いるしかない。その結果、砂上の楼閣のような仮説で象牙の塔を塗り固めてきたアカデミズムの住人たちが、何人も「討死」するのは間違いない。だが、そうした尊い犠牲の向こう側に我が国が「資源がないから従属外交をする国」から「資源がないなら創り出してしまうため、真に独立した国」へと脱皮する道のりがくっきりと見え始めるのである。安倍晋三総理大臣よ、これを決断しないで誰が「日本国総理大臣」を名乗ることができようか。

 私の研究所の公式メールマガジンでも取り上げてきているとおり、我が国には独立行政法人科学技術振興機構が推し進める「元素戦略」が国策としてはある。だがそこで中心に据えられている技術は「『元素』そのものを錬金するのではなく、『製品に必要な希少元素の特定の「機能」を別の元素で置き換える』という意味での錬金術」(中山智弘『元素戦略』(ダイヤモンド社))である。

アカデミズムに暮らす碩学たちを顧慮すれば、“政治的”に言うとこれが限界なのだろう。だが、どうやら「現実」は、明らかにその先をすでに示し始めているようなのだ。2014年1月14日。この日を境に「フクイチ」が変わり、東京電力、さらには我が国、そして世界が変わる。その歴史的な瞬間は、もう間もなくである。

1月18日(東京)、26日(大阪)に行う恒例の年頭講演会(「2014年 年頭記念講演会」、参加無料)のお申し込みはこちらまで。

 いやこれはどう見てもアカンやつだろう。

 まず、筆者の「水素」の書き方がえらく曖昧というか、重水素とトリチウムが水素の同位体だということを認識していないようである。水素H、重水素D、トリチウムTは全て水素の同位体で化学的性質は同じである。だから、これら3つを含んだ水(普通の水=軽水、重水、トリチウムの水)のどれを分解してもH2、D2、T2、あるいはHDとかHTとかDTのような気体が出ることになるが、これらはどれも「水素」だから、「水素が出てくる」と言っても(文脈からすると紛らわしいかもしれないが)正しい。もし、A社がそのように説明したのであれば、A社の装置は放射能除去とは何の関係もない。それを、トリチウムをHに変えると筆者が理解したのなら、筆者の壮大な誤解ということになる。しかし、「地球上では変わらないはずの元素が、明らかにそこでは「変性」していたのである。」とあるので、A社は実際にTをHに変える話を筆者にしたと思われる。この場合、そんな話を真に受けている時点で筆者とA社のインテリジェンスを疑うほかなくなる。

※やや専門的な話になるが、液体の水の中のHは交換している。H2OとD2Oをまぜると、液体の水の分子はH2OとD2OとHDOが元の濃度比を反映して一定割合でできる。T2Oが加わっても同様。電気分解すると出てくるガスもH,D,Tのうちから2つをえらんで作った水素分子となる。

 核反応のエネルギーは化学反応のエネルギーに比べておよそ6桁大きい。だから、化学反応のプロセスをどう工夫したとしても核反応には手出しできない。人為的な元素転換は、加速器を使うか、原子炉を利用する以外の方法で成功した例はない。
 実のところをいえば、人為的な元素転換はみんなやってみたかった。そこそこの技術でできれば応用も広がるのは誰だって思いつくことである。でもって、世界中で長い時間をかけていろんな挑戦してきた結果が全て討ち死にで、その屍累々の上に今の科学の枠組みが作られている。
 だから「砂上の楼閣のような仮説で象牙の塔を塗り固めてきた」という評価は完全に間違っている。専門家が元素転換の話を相手にしなかったのは、砂上の楼閣どころか、実現できないことを実現しようとして過去にどれだけの犠牲を払って核反応と化学反応の知識を積み重ねてきたのかをよく知っていたというだけのことである。数多くの観察事実によって支えられている場合は、科学の枠組みは強固なのである。まず確実にA社は屍を1つ増やすだけに終わる。
 ところで、科学の中でも強固な部分とそうでない部分がある。
 あんまり強固でない方の代表は分子生物学で、頻繁に定説が書き変わったり新しい発見が付け加わったりしている。強固な方の筆頭はエネルギー保存則とエントロピー増大の法則で、どうやってもこれを破れないことを散々失敗して確認する羽目になったというのが科学の歴史でもあった。都合の良いエネルギー取り出し装置を作ろうと夢見て失敗した積み重ねが、この2つの法則が正しいことを裏付けている。結局のところ、自然がエネルギーの取り出しについて制限をかけているということがはっきりしたのである。
 分子生物学の発見は生化学の反応の範囲内つまりは化学反応の範囲内で起きていて、かつ、自然が課している制限には抵触していない。起きてもかまわないことの範囲だから、いろんなことが起こりうるし実際見つかっている。一言で科学の法則といっても、起こりうる現象に制限をかけている部分と、制限の範囲内の話では、その強固さがかなり違うのである。
 強固さの順番でいうと、エネルギー保存則やエントロピー増大の法則、量子論の不確定性関係、光速度一定の法則(特殊相対論)あたりが最も強固で、化学反応で核反応に手出しできない(だから化学反応で元素転換は不可能)というのはこれらに次ぐ位置付けになる。
 そんなわけで、学生に講義するときは「絶対にできないことをやろうとして人生を棒に振らないために知識を身に付けろ」と言っている。専門家だってろくでもないアイデアを考えたりするが、その中で、強固な法則に反するものは真っ先に捨てる。起こりそうにないことをばっさり捨てる知識があるのが専門家で、どれも同じに見えるのは素人ということである。
 A社は純粋に世の中に役立つことを目指しているのかもしれない。しかし、これまでに、いろんな会社によって強固な方の法則のいくつかを破る画期的な発明という触れ込みで投資詐欺の商材が登場したことは何度もあった。強固な方の法則を破るような技術や商品を的確に見抜けなければ詐欺にひっかかることになるし、そういう技術をヨイショする記事を出したら、投資詐欺の被害者を増やす可能性がある。記事を書く側も載せる側も選別眼が必要である。

 ということで、大人になってから、明らかにおかしな会社の紹介記事を書いたり、それを載せたり、その記事を信じたりしないためにも、高校までの理科の知識は大人になってもちゃんと身に付けていてください。もうじきセンター試験で、大学入試も始まりますが、受験勉強で身に付けた知識は受験が終わったら用済みじゃないんですよ。

【追記】
 コメントしたつもりがうまく反映されないので、本文に追記しておく。

 REVIさんから、予想通りの典型的なコメントをいただいた。

「天動説というパラダイムはガリレオにより覆され、ニュートンのパラダイムはアインシュタインに覆された。同様にエネルギー保存や光速度一定というパラダイムも覆されないとも限らない」

 天動説と地動説の場合は、どちらを使った方が星の動きをより記述しやすいかという話であって、地動説によって天動説が示す運動が起きないといった制限をかけるものではなかった。観測した星の動きに対し、どちらのモデルで説明するかという問題だった。
 アインシュタインは光速度一定を提案したが、これは電磁気学とニュートン力学のすりあわせが必要になったため。アインシュタインの理論はニュートン力学の内容を覆したわけではなく、運動の速度が光速度に近い場合の拡張を正しく行っただけなので、運動が遅い場合はニュートン力学で今でも充分良い近似になっている。
 過去に覆った例としてとりあげられたものは、記述の枠組みの選択や元の理論の拡張に過ぎないので、例としては不適切ではないか。どちらも、多数の実験に支えられることによって見えてきた、自然が課している禁止事項らしきものに挑戦して覆したという話ではない。
 私が「強固な」と書いた理由は、あることが起きることを禁止する法則というのは、仮に破れていることが将来見つかるとしても、相当極端な条件で、かつ、今確立している内容を拡張する形になり、実験で支えられている部分は相変わらず良い近似になっていて変更されずに使われるだろうと予想しているからである。
 パラダイムという言葉でもって、禁止事項への挑戦とそうでないものの違いをわざとに曖昧にすることは、自分にも禁止事項を覆す発見をするチャンスがあると勘違いする犠牲者を増やすだけではないかと思う。

高校までの理科って大事

 東洋経済オンラインにこんな記事が出ていました。出てからだいぶ経っています。ツィッターでリンクが呟かれていたので気づきました。
 全体を見た方が良いと考えましたので、敢えて全文引用します。

シェール革命という高貴なウソを信じる日本
インテリジェンスのプロ、原田武夫氏が大胆分析
原田 武夫 :原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役 2013年04月04日

先日、杜の都・仙台に出張したときの話だ。繁華街・国分町の片隅で設けた会食に出席された地元財界幹部の一人の方が、上気した面持ちで私に向かってこう語りかけてきた。

「原田さん、『シェール革命』ってやつはすごいね。何せこれからアメリカでは無尽蔵に採掘できて、しかも温暖化効果ガスの排出量が圧倒的に少ないっていうのだから、エネルギーの未来は、もうこれで決まりなのではないですか」

シェール革命に納得できず

同席していたわが国アカデミズムの重鎮の一人も、続いて口を開いた。「確かにそうですね。仮にアメリカがシェール革命を推し進めるとなると、今、東北大学を中心に取り組んでいる地域経済活性化のための次世代移動体研究プロジェクトがこのままでは失速してしまう危険性があるのです。なぜならばその柱のひとつである電気自動車(EV)は、現状では原子力発電が安定的に継続することを前提としていますから」

私からすれば、いずれも人生の大先輩である。普段ならば黙ってうなずくだけで、特に何も申し上げなかったはずだ。しかしこのときだけは違った。どうにもこうにも納得するわけにはいかなかったからである。「申し訳ありませんが、『シェール革命』は本当に起きるのでしょうか。私は正直言ってかなり懐疑的です」。居住まいを正して私はそう切り返した。

私の著書最新刊『「日本バブル」の正体~なぜ世界のマネーは日本に向かうのか』(4月4日刊行)でも詳しく書き、かつその新刊記念講演会(リンクはこちら)でもじっくりお話しすることなのであるが、「シェール革命」と聞くとどうしても納得がいかないことがいくつかあるのだ。思いつくままに書くならば次のとおりとなる。

◎鳴り物入りで始まった「シェール革命」だが、特にシェールガスはパイプラインがなければアメリカは輸出することができない。その肝心のパイプラインがまったく整っていないのが現状である以上、シェールガスがアメリカから世界、とりわけわが国に向かって噴き出してくるのは“今”ではなく、“将来”である。今から大騒ぎすべき話ではない。

◎つまり「シェール革命」が最盛期を迎えるまでにはまだ時間があるのだが、その間、ほかの国々が指をくわえて待っているとは考えづらい。ナイジェリアなどほかの産出国は温暖化効果ガスこそ大量に出るものの、従来型の天然ガスや原油のダンピング(廉売)を一斉に始めるはずだ。そうなった場合、採掘に費用がかかるため高めの価格設定しかできないシェールガス/シェールオイルにまで触手が伸ばされるのかは甚だ疑問である。

◎ さらには「シェール革命」と言いつつ、アメリカ自身が次世代移動体として電気自動車や水素燃料電池車の開発を加速させているのが大いに気になる。実際、オバマ政権はこの方向に具体的な形で歩み出しており、3月15日にイリノイ州で行った演説で同大統領はこれら「ガソリンを使わない自動車」の実用化のため、今後10年間で20億ドルほどを拠出すると表明したばかりなのである。「シェール革命一本であくまでも行く」という気合いは微塵も感じられないのだ。

「高貴な嘘(noble lie)」という言葉がある。「リーダーたるもの、全体利益の実現のためには時にウソをつかなくてはならないこともある」といった意味合いだ。アメリカはこれまで何度となく「高貴な嘘」でわが国、そして国際社会を翻弄してきた。2003年に行われたイラクに対する武力行使の際、「イラクで大量破壊兵器を見つけた」と国連安保理の場で生真面目な軍人・パウエル国務長官(当時)を使って一大プレゼンテーションを行わせたのがその典型例だろう(その内容はその後、同国務長官自身が吐露したように「真っ赤なウソ」であったことが明らかとなる)

よもや「あのアメリカがここまで正々堂々とウソをつくとは」と思うかもしれないが、それが国際場裏における現実なのだ。そして現状を見るかぎり、誰でも気づくことのできる上記のような「疑問」を踏まえれば、私には「シェール革命」が手の込んだ「高貴な嘘」に思えて仕方がないのである。

アメリカの深謀遠慮とは?

「なぜそこまで手の込んだことをアメリカはするのか。シェール革命でいちばん儲けられるのは自分なのであるから、ウソなどつく必要ないのではないか」。読者からそんな反論が聞こえてきそうだ。しかし大変失礼ながら、そう思われた読者の方は人気漫画「北斗の拳」ではないが、“お前はもう死んでいる”のである。なぜならばまさにここにこそ、アメリカの深謀遠慮が潜んでいるからである。考えられるシナリオはいくつかある。

まずいちばん単純に「シェール革命」が本当に推し進められる場合を想定しよう。実のところシェールガス/シェールオイルの鉱床は確認されているだけでもアメリカ以外の世界各地に存在している。中国や中南米などであるが、問題は現状の天然ガスや原油の価格では低すぎて採算がとれない点にある。したがってこのシナリオにおいて関係各国はいずれも、石油・天然ガスが最も産出されている中東地域が「有事」となり、そこでの生産が不可能となることを強く期待することになる。イスラエルによる対シリア攻撃をきっかけとしたイランとの本格的な戦闘開始、そして「中東大戦争」への発展がその先には見えてくる。

現状では今年秋にもありうる展開であるが、そうなった場合、世界中の株式マーケットは全面安だ。マネーは逃げ場所を求めて日本円に殺到、強烈な「円高」となるわけである。オイルショックに見舞われた世界は、アメリカに「シェール革命」の推進を要請するはずだ。一方、サウジアラビアやイスラエルは戦乱で勝ち残るため、アメリカ製兵器を続々と購入し続けるに違いない。アメリカにとっては一挙両得というわけなのである。

だがここで困るのが中東地域以外の産油国、特にロシアである。通常の天然ガスや石油をめぐる最大のプレーヤーであるロシアは「シェール革命」に反対すべく、中東開戦を阻止し続けようとする可能性が高い。その結果、このシナリオは頓挫してしまう危険性をはらむ。

問題はアメリカにとっても、「そんなことは先刻お見通し」であるはずだという点なのだ。つまりこのとき、アメリカの真意は「シェール」にはない。そしてそうであるとき、アメリカは実のところ周囲をアッと驚かせる次世代エネルギー技術をすでに開発しているはずでもあるのだ。しかしそれをあえて出さずに「シェール革命」なる用語を“捏造”し、しかも天然ガスを今や世界中で買い漁っているわが国にこうささやきかけているのである。

「パイプライン設置のために投資をしてくれたらば、最優先でシェールガス/シェールオイルを特別に分けてあげてもいい。福島第一原発事故の余波で貴国は大変でしょう」

これに“日米同盟”という美辞麗句がつけられれば、わが国要人たちがこれに抗することはまずない。進んで資金提供し、巨大プロジェクトの完成を今や遅しと待つことになるはずだ。むろん、アメリカも日本側協力者に鼻薬をかがせることを忘れないはずだ。たとえば時代はさかのぼって第2次世界大戦後の1950年代、アメリカ国防総省の支援により設立された「日本開発会社」は、いくつかの復興のための巨大インフラプロジェクトに関与していたことが史料から明らかになっている。

しかしそのための資金としてアメリカ国防総省から捻出された資金は、戦後最大の政治プロデューサー「児玉誉士夫」を経由して、わが国政財界の闇へと消えて行ったのである(有馬哲夫『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』(文春新書)参照)。「インフラ開発に日本を絡ませたときには駄賃がいる」。そうアメリカ側は伝統的に認識しているはずなのであって、わが国からパイプライン建設にマネーが流れれば流れるほど、その一部がわが国へと還流され、再びわが国政財界の闇に消えることは大いにありうる、と歴史家ならば断言するはずだ。むろん、私や読者の皆さんのような庶民の知らないところで。

それでは私たち日本人は、ただひたすら手をこまぬいて見ていなければならないのか。またそもそもアメリカはこの場合、いわば「捨て駒」となるシェール革命ではなく、実際のところ何を追求しているというのであろうか。

次世代の「本命」はシェールではなく、水素

簡単に書くならば、まず前者についてひとつの「光」を先日、わが国の神奈川県・寒川にあるとあるヴェンチャー企業Q社で私は目の当たりにした。シェールガスといっても炭酸ガスは出てくる。ところがこの企業が開発した技術ではこれを「炭酸化ナトリウム」と「水素ガス」へと分離できるのである。つまり「排ガスから燃料ができる」わけで、驚愕の技術なのだ。アメリカがシェール革命を推し進めれば進めるほど、その後ろについてこれを売ることで、わが国は巨利を得ることができる代物なのである。こうした革新的な技術を私たちは大切に育て、全面開花させなければならない。

一方、後者について言うならば、アメリカにとっては実のところ宿敵であるイギリスの態度を見れば答えはすぐ出てくる。上記の拙著でも書いたことだが、イギリスは2015年までに水素エネルギーによる燃料電池車の完全商用化を公的に宣言している。そう、時代は「水素」なのであって、シェールであろうが何であろうが、化石燃料ではもはやないのである。

しかしそれを真正面から追求すると、アメリカはイギリスから何をされるかわからない。それをアメリカが最も恐れているであろうことは、中東の石油利権を争ってきたのが、ほかならぬ米英両大国であったことを思い起こせばすぐわかるのである。だからこそ「シェール革命だ」とアメリカは騒ぎ、「高貴な嘘」をついていると考えると合点が行く。

わが国にとって今必要なのはバカの壁に入ることなく、老練な米欧各国が国際場裏で公然とつく「高貴な嘘」をあらかじめ見破り、私利私欲を捨てて人知れず備えるべく全国民を指導するリーダーなのである。今夏行われる参議院選挙の本当の争点は、実のところ「この一点」なのである。そのことを私たち有権者は忘れてはならない。*5月(奈良)と6月(東京)に、原田氏の新刊記念講演会を行う予定です。くわしくはぜひ、こちらをご覧下さい。

 この著者、炭酸ガスCO2を分解して、炭酸化ナトリウム(って何?)と水素(H)ができるという話を疑わずに信じた上に、革新的な技術だと評価している。つまり、COしか無いところからNaHができるという話を信じている。化学反応をやっている限り元素が生成することは無いというのが化学の基本原理で、これを覆す実験事実は無い。そりゃ革新的だろうね、触れ込みだけは(棒)。
 「高貴な嘘」を疑うのはいいが、ただの間違いや妄想を真に受けてどうするんだと。
 エネルギー問題というが、使える形でエネルギーを取り出すには化学反応に頼る(バイオマスなども生化学の反応を利用するから化学反応の範疇)か、原子力に頼る以外の方法はない。そのエネルギーだってとどのつまりはインフレーションとビッグバンの後の残り物をちまちまかき集めているだけであって(太陽の核融合はその前の超新星爆発の残り物、その前の星形成やら核融合やらは宇宙創生の時のエネルギーの残り物)、有史以来、エネルギーが新たに作り出されたことなどない。
 原子力が逆風のまっただ中だし技術的にも未解決問題が多いから化学反応のシェールやら水素やらを推すというのはわかるが、肝心の化学反応で、元素が勝手に生成するという話を疑いもせず受け入れる人の言うことは全く信用できない。元素が勝手に生成するという前提でエネルギー問題を論じれば、どんな楽観的な結論だって出てくる。ただし全ては夢物語で終わるだろうが。この著者に限ったことではないが、エネルギー問題を議論する前に、高校の化学を復習すべきだろう。

 試験が終わったら理科は忘れてもいいなどと思っているとこういうアホな話に引っかかることになる。大人になってからこういう恥ずかしい内容を書いて満天下に晒さないためにも、「革新的な技術」を主張する変な会社に騙されないためにも、高校までの理科の内容はしっかり身に付けておくべきなんですよ。