「福島で放射線のせいで鼻血」に特商法6条運用指針を適用して評価しよう

 鼻血の原因を福島県の放射能のせいにする言説について、どうも、効果のない健康食品やダイエット食品の宣伝と同じに扱えばすっきりしそうだと気づいたので簡単にまとめておく。
 これまでにわかっていることとしては、放射能が原因の鼻血つまり出血傾向がみられるのは骨髄死を起こす3〜6Gy被曝した時の急性症状としてであり、急性症状を起こさないような低い線量では(現在の福島はこちら)鼻血のような出血傾向がみられるという効果は見つかっていない、ということがある。人為的に短寿命のRIを患者さんの体内に入れた場合(核医学検査)でも、患者さん本人が検査の前後で放射線が原因の鼻血で困っているという話は皆無である。

 考えるための参考資料は、特定商取引に関する法律第6条の2等の運用指針。景品表示法の4条2項の運用指針もこれと同じ内容である。

 まず、福島県に行った人が鼻血を出した事実があれば、これは別に否定しない。福島県に行く人など大勢いるのだから、その中でたまたま鼻血を出す人が居ても全く不思議ではないし、花粉症の季節には数が増えるかもしれない。
 鼻血の原因が「福島県の放射能」にあるとする主張は、放射能の「効果効能」を謳っている言説の一つであると考えることができる。本人だけがその「効果効能」があると思い込んでいるなら自由だが、他人にその主張を振りまくことによって他人の判断を誤らせたり、しなくていい心配をさせる可能性がある。

 個人の経験を語ることによって他人の判断を左右するケースの典型例は、根拠のない健康食品やダイエット食品を他人に売りつける時の体験談を利用した広告である。宣伝と、鼻血の原因を福島の放射能であるとする言説は、体験によって効果効能を他人に伝えるという共通点がある。「使った、治った、効いた」が健康食品の「3た論法」であるのに対し、「福島に行った、鼻血が出た、放射能が効いた」が使われている。効果効能が見つかっていない健康食品やダイエット食品に効果効能があると主張するのと同じように、鼻血を出すという効果効能が見つかっていない低線量の放射線について鼻血を出す効果があるという主張が行われている。
 したがって、宣伝に対して求められている根拠と同じものを求めていけば、それなりに確からしいかどうかがわかるのではないだろうか。つまり、経産省のガイドラインに従って「合理的な根拠」をそなえているかどうかを確認すればよい。

 ガイドラインの7ページには、「合理的な根拠」の判断基準として、企業(つまり効果効能を謳う側)が提出する資料について、

①提出資料が客観的に実証された内容のものであること
②勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された性能、効果、利益等と提出資料によって実証された内容が適切に対応していること

が求められている。ここでいう「客観的に実証」とは、

① 試験・調査によって得られた結果
② 専門家、専門家団体若しくは専門機関の見解又は学術文献

である。
 放射能の効果効能については、商品販売ではないので、「合理的な根拠」の②はさしあたり考えなくても良い。①についてのみ考える。
 この基準によれば、体験談に基づく「鼻血の原因を福島の放射能に求める」主張は、全て却下するべきだということがわかる。
 試験・調査の方法についても制限があるので、詳しくは上記の参考資料を見ていただくとして、関連部分を抜粋すると、

①に関連する学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法によって実施する必要がある。
②学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法が存在しない場合には、当該試験・調査は、社会通念上及び経験則上妥当と認められる方法で実施する必要がある。
③…長期に亘る多数の人々の経験則によって性能、効果等の存在が一般的に認められているものがあるが、このような経験則を…根拠として提出する場合においても、専門家等の見解又は学術文献によってその存在が確認されている必要がある。

となっている。

 ダイエット食品やでも健康食品でも、使ってみて効果があったという人は存在する。そういう人が居るからといって、特定の「○○ダイエット」や健康食品に効果効能があるだろうということは言えない。なぜなら、比較すべき対照群がないために、本当にダイエット食品や健康食品が有効であったかどうかがわからないからである。
 鼻血も同じで、福島に行ったら鼻血が出たからといって、鼻血の原因が福島の放射能だということはいえない。鼻血を出す原因は他にもいろいろあるので、他の県との比較をしないとそもそも福島に原因があるかどうかもわからない。

 現状では、鼻血が出たことを福島の放射能に関連づける言説は、風評被害の原因になるなどという理由で強く批判されることがある。これは、純粋な科学の問題ではなく、言説が社会の中でどう位置付けられているかということによる。
 たとえば、「マイナスイオンは体に良い」という根拠のない言説が10年ほど前に大流行した。批判も相当あって、今では落ち着いてはいる。しかし、言説があまりに広がったため、もはや、体にいいとか、その他個別具体的な効果を言わなくても、ただ単に「マイナスイオン」と言うだけで「体に良い」イメージを相手に伝えることができてしまう。この状況が生じている時に、「マイナスイオン」を謳って商品を他人にすすめたら、騙す意図があるのだろうと疑われても仕方がない。
 特定のサプリメントについて上記の基準を満たす合理的な根拠無しに「がんに効く」という話が広まっている時に、「自分も癌だがこのサプリメントを使っていたら治った」という体験談を広めたら、それがその人にとって事実で、誰かに知らせることに何ら悪気が無かったとしても、「他人の判断を誤らせるようなことは言うな」と批判されることはあり得る。
 鼻血の原因を福島の放射能に求める言説もこれらと同じで、体験談によって他人の判断を誤らせることをさらに進めるから批判の対象となっている。

 引用した基準を満たす根拠が出てくるまでは、鼻血の原因を福島の放射能に求める言説は、臨床試験のない健康食品に効果効能があったと主張する体験談程度の話だとして扱うしかない。そういった体験談で商品を買ってしまう人も相当数居るので、鼻血の原因を福島の放射能に求める言説が無くなることはないだろう。ただ、その言説が体験談宣伝と同レベルだと指摘し続けることは、ついその気になってしまう人を減らすことには役立つはずである。

※運用指針は、心の準備ができていない消費者に不意打ちで販売する時の規制なのだけど、その内容の本質は「不確かなことを言って他人を惑わしてはいけない」というものなので、商品販売を伴わない言説の流通に対し、個々人がこの基準を流用して判断することは全くかまわないだろう。

わざとに行われた言い換えの例

 たとえば、私の発言について

牛乳☆たん@milktan2525 1:35
@Hideo_Ogura @apj apj氏に科学的態度を要求するのは無理です。その人は科学と疑似科学の区別もつかないと自分で言ってた人なので、おそらく健康食品のまっとうな商法と悪徳商法との区別もつかないでしょう。

といった主張がなされています。これ、私が主張したことではなく、他人の勝手な解釈によるものです。つまり私の発言ではないのです。実際に私がどう発言したかは、このあたりに記録が残っています
 もとは、「科学」と「非科学」の間に線は引けるかという問いに対し、「グレーゾーンが拡がっているため線引きはできない」と私が答えたものです。グレーゾーンがあるわけですから、1本の線は引けませんが、明らかに確からしいほぼまっ白から、明らかに科学ではない大体真っ黒なものまで幅があるわけで、真っ黒なものについては非科学と判定しても間違いではないわけです。既に白である内容に反するものであれば、科学非科学判定における黒、ではなくて、単なる間違いとする方が適切でしょう。
 まず、上記で引用した言説は、元々科学と非科学の話であったものが、科学と疑似科学についての発言であるとされています。この点で元の発言の趣旨とは違っています。私は、科学を装った言説については一貫して「ニセ科学」と呼んでおり、疑似科学とは区別しています。科学と疑似科学の線引きについて議論したことはありません。
 次に、程度の問題を無視するという種類のごまかしが行われています。グレーなところに1本の線を引けない、ということと、両端に近い黒と白の区別がつかないということは意味が全く違います。
 つまりこの言い換えは、「apj氏に科学的態度を要求するのは無理」と言うのに都合良く見せかけるために、私の本来の発言の趣旨をねじ曲げているものなのです。おそらく、本来の私の主張をそのまま書いたのでは、都合のよい主張つまり科学的な話の信用をわざとに落とすことができないからでしょう。
 勝手な解釈をもとに、言ってもいないことを本人が言ったように見せかけるというのは、不誠実です。
 なお、科学とそうでないものの間に線が引けるかというのは、科学哲学で以前から出されていた問いで、線引きできない、というのが一応のコンセンサスとなっています。このコンセンサスがあるからといって、科学的態度をとれないとか、科学的な態度や科学そのものがあてにならないかというとそんなことはありません。線引き問題については、科学の専門家に訊くよりも科学哲学の専門家に訊いた方が、現状の研究を踏まえた答えが得られるはずです。

 参考までに、「科学哲学の冒険」(戸田山和久著、NHKブックス)の83ページより、線引き問題について書かれている部分を引用しておきます。

科学と科学でないものとを区別する基準を探そうというのも、科学哲学の古くからの問題で、「線引き問題(demarcation problem)」と呼ばれている。線引き問題の現在のところの結論は、科学と非科学をすっぱり区別するただ一つの基準はなさそうだ、というものだ。だからといって、科学と非科学は結局区別できないんだということにはならない。いくつもの基準があり、それの総合点というか合わせ技で、やはり、現在まともな科学とみなされているものとそうでないものとの間には大きな隔たりがあるということが示される。この点については伊勢田哲治さんの『科学と疑似科学の哲学』(名古屋大学出版会、285ページ参照)が詳しい。

 線引きできない、というのを絵で表すならば、白から黒までグラデーション塗りした帯を想像すると良い。白黒の境界線を1本引くことはできないが、白い方の端と黒い方の端の色の違いは誰が見ても明らかである。これが、まともな科学とそうでないものを分けるのは「大きな隔たり」でしかない、ということの意味である。

【追記2014/05/08】
 伊勢田さんの「疑似科学と科学の哲学」も確認したので追記。この本に285ページは無いので、戸田山さんの本に書かれた参照ページは誤記ではないかと思われる。線引き問題について、おそらくここではないかと思われるのは252ページの
「2)線引き問題は何を問題にしているのか?」という節と257ページの「4)線を引かずに線引き問題を解決する」という節である。ここに挙げられている線引きの基準として使えるかもしれないもの一覧は次の通りである。

(a)ルースの線引き基準
(b)枚挙的帰納法
(c)仮説演繹法
(d)ヒューム流懐疑主義(奇蹟論までふくめて)
(e)反証主義(仮説自体の反証可能性)
(f)方法論的反証主義(反証された仮説に固執しないこと)
(g)蓄積的進歩
(h)俗流パラダイム論
(i)クーンの「通常科学」による線引き
(j)クーンの五項目の合理性基準
(k)リサーチプログラム論
(l)リサーチトラディション論
(m)強制的な基準(学会誌、査読制度など)
(n)科学的理論の使用
(o)強い再現性・操作性
(p)機械論的世界観の使用
(q)マートンの科学の四つの規範
(r)ファイヤアーベントのアナーキズム(なんでもあり)
(s)科学知識社会学
(t)特定理由の要件
(u)統計的検定法
(v)ラングミュアの病的科学の徴候リスト
(w)ベイズ主義

さらに、伊勢田氏は、

 確かに、科学であることの必要十分条件を与えるのは無理そうだ。ということは科学も疑似科学も区別できないということになるのだろうか?それはちょっと気の早い結論である。わたしが提案したいのは、「科学と疑似科学は区別できる、しかしそれは線引きという形での区別ではない」という考え方である。第5章で確率論的な「程度」思考の重要性を強調したが、「程度」思考を取り入れるということは,科学と疑似科学の間の区別を線引き問題としてとらえることを止める、ということでもある。

が、グレイゾーンが存在するからといって明確に科学的な分野や明確に非科学的な分野が存在する可能性を排除することにはならない。

と述べている。
 結局、伊勢田氏も、科学とそうでないものの判定は合わせ技でやるしかないという考えを示している。列挙された基準のいくつかと、分野ごとのクリティカルな要件を満たしていないといったことの合わせ技でもって判定するしかないというのが現状である。

ニセ科学に手を貸した方が儲かる

 朝日新聞デジタルの記事

プロポリス、がんに効く」 藤田名誉教授を書類送検
2014年3月10日14時04分
 薬効をうたって健康食品「プロポリス」の販売を手助けしたとして、神奈川県警は10日、東京医科歯科大学の藤田紘一郎・名誉教授(74)=東京都杉並区=を薬事法違反(無許可医薬品販売)の幇助(ほうじょ)の疑いで書類送検し、発表した。

 県警によると、藤田名誉教授は2009年6月~13年10月、「副作用なくがん細胞が自滅」などとプロポリスの効能を書いた原稿を作り、健康食品販売会社のシャブロンに送付。同社が薬事法に違反してプロポリスを販売するのを手助けした疑いがある。09年から4年間で1千万円以上の顧問料を受け取っていたという。

 調べに藤田名誉教授は「効能は自分では裏付けていないが、他人の研究を読んで原稿を書いた」と話しているという。この事件ではシャブロン社長の荻野珠理容疑者(48)が同法違反容疑で逮捕されている。

 藤田名誉教授は、寄生虫学、感染免疫学の専門。カイチュウ先生として知られ、「笑うカイチュウ」「清潔はビョーキだ」などの著書がある。

 ニセ科学を問題にしたところで、4年で1千万円も、誰も出してくれません。書類送検だとしても、罰金で1千万円てことはないでしょうから、儲けはほぼそのままキープですね。
 もっと身も蓋もないことを言うと、インチキ健食に手を貸すことについて社会のニーズはあるけれども(∵4年で1千万円もらえるから)、そういうことをしないでまっとうに過ごすことについては何のニーズもない(∵何の報酬ももらえないから)ってことでもあります。
 倫理を説くよりは、この手のインチキに手を貸した場合、関連収入を全部没収するしくみを作った方が、抑止には効果的でしょう。

医療機関に雑誌があっても信用ならない例

 毎日新聞の記事より。

薬事法違反容疑:「がんに効く」と無許可販売の社長逮捕
毎日新聞 2014年02月19日 18時38分

 ◇7万人に販売、28億7500万円を売り上げ

 医薬品販売業の許可を受けずに「がんに効く」と効能をうたって健康食品を販売したとして、神奈川県警生活経済課と南署は19日、東京都目黒区の健康食品メーカー「シャブロン」社長、荻野珠理(じゅり)容疑者(48)=東京都杉並区浜田山=を薬事法違反容疑で逮捕した。県警は、2005年10月〜13年12月末に全国の約7万人に販売し約28億7500万円を売り上げたとみている。

 逮捕容疑は許可を受けずに12年11月〜13年10月、横浜市や川崎市、東京都の38〜68歳の男女5人に「副作用なくがん細胞が自滅」などと効能・効果をうたい、健康食品「CBプロポリス粒」など4種類を医薬品として計26万9475円で販売したなどとしている。

 県警によると、「CBプロポリス粒」は1本(約300粒入り)1万5750円。購入者は60〜70代が中心で、多くが本人か家族ががん患者だった。健康被害は出ていないという。同社は、医療機関に置かれる無料健康雑誌に広告を出していた。【高木香奈】

 病院の待合室に行くと、病気や治療についてわかりやすく解説している冊子が置いてあったりしますが、今回は健康雑誌が狙われた例。病院に置いてある健康雑誌だから内容があてになるだろう、などと思っていると騙される。無料、ってことなので、病院側も気軽に置いてしまったのではないだろうか。

情報と知識が足りない時に安全側に振るには?

 朝日新聞デジタルの記事「(記者有論)エセ科学 見分けるための七つの基準 高橋真理子 2014年1月8日05時00分」への補足とコメント。

 「こうすれば放射能を除去できる」と、手軽な方法を売り込む人たちがいる。たとえ科学の常識からかけ離れた方法でも、「これまでの科学ではできなかったことです」と説明されれば、「新発見かも」と思うのが人情だろう。

 しかし、キュリー夫人をはじめ多くの先人の努力で積み上げられた知識からあまりにかけ離れた方法では、除去はほとんどできまい。お金や労力の無駄になるだけなのに、と心を痛めてきた。

 「人情だろう」という部分がキーポイント。これまでできなかったようなことが簡単にできる、すばらしい結果がすぐ手に入る、と、人の欲望を刺激する言説に注意、といったところか。楽をして結果を手に入れたいという感情を揺さぶられる話だと騙されやすくなる。

 売り込む人たちは、たいてい科学用語を使う。セシウムはもちろん、イオンやプラズマ、波動や光合成細菌などなど。発明者に立派な肩書がついていることも多い。

 たとえ科学用語を使おうと、たとえ立派な肩書を持つ人の発明だろうと、筋道の通らない主張は科学ではない。普通は「エセ科学」と呼ぶ。しかし、両者を見分けるのは案外難しい。エセ科学がなくならない理由である。

 十分な時間をかけて情報収集して判断できるなら間違えることを減らせるだろう。「十分な時間をかけて」には、知識が足りなければ教科書を読み直して……といったことまで含まれる。しかし大抵の人にとって、ある言説がエセ科学かどうかを判断するのにそんな手間はかけられない。不勉強のままでいることを肯定するつもりはないが、かといって、あまりにハードルが高い判断方法は実用的ではない。

 昨年11月下旬、アジアの科学報道の充実を目標に世界科学ジャーナリスト連盟が始めた事業「スクープアジア」の東京会合が開かれた。30人ほどが参加した会議で途上国の記者が「迷信をいかになくすかが課題だ」というのを聞き、「日本でも似た問題を抱えている」と思ったものだ。

 迷信やらエセ科学やらの種類は文化的背景によって違ってくるので、多分国ごとくらいの単位で考える必要がある。例えば創造論はキリスト教圏のUSAでは社会問題になっているが宗教的背景の異なる日本では問題になるほどの勢力ではない。

 解決策は簡単には見つからない。だが、インドネシアの環境ジャーナリストが帰国後に面白い表を送ってくれた。科学とエセ科学の対比表だ。

 「新しい証拠があれば喜んで考えを変える⇔考えを変えない」「同僚(同じ分野の研究者)同士で情け容赦のない評価をする⇔同僚同士の評価はなし」「すべての新発見を考慮に入れる⇔都合の良い発見だけ選ぶ」「批判を歓迎⇔批判を陰謀とみなす」「証明可能な結果⇔再現性がない」「限定された有用性を主張⇔幅広い有用性を主張」「正確な測定⇔おおよその測定」

 むろん、「科学」⇔「エセ科学」の順に書いてある。

 「科学とは何か」と専門家に問えば、「反証可能なもの」というような答えが返ってくる。これでは訳がわからない。対比表を使うと、科学の中身に詳しくなくても、目の前の主張がエセ科学かどうか判断できそうだ。

 たとえば「何にでも効く」は「幅広い有用性を主張」に当たる。項目のすべてについて判定できなくても、いくつか当てはまればエセ科学の可能性大だ。「だまされないための七つの判定基準」、使ってみていただけませんか。

 インドネシアのジャーナリストはそれなりに科学あるいは科学哲学に詳しいからこのような項目を取り上げたのだろう。高橋氏もエセ科学の問題に興味があるから、対比表を使うことを薦めているのだろう。この対比表は、高橋氏のように、エセ科学の問題に感度の高い人にとってはおそらく有効だ。

 実はこの対比表と同じような内容を私も基盤教育の講義で学生に教えている。だからいわんとすることは非常によくわかる。教えた結果はというと、(学生のコメントを読んだ限りでは)多分それなりに効果があって将来学生達が活用してくれそうではある。教えている相手は(いわゆる難関ではないけれど)山形大学には合格できる程度には知識を持っている人である。その人達に、半期15回かけて物質は原子から出来ているというあたりから話を始めて、正しい科学のトピックをまず教え、関連するニセ科学を提示し何がおかしいかといったことをいくつか例示し、ポリウォータ−、常温核融合、パンヴェニストの実験の顛末とホメオパシーの話までやった上で、最後のまとめとして教えている。ここまでやれば、それなりに実感を持って何に注意すべきかを理解してくれるだろうと思う。

 高橋氏も書いているとおり、この対比表は科学の定義でもエセ科学の定義でもなく「だまされないための判定基準」である。これで科学と科学でないものを定義するのは無理だし、科学哲学方面からクレームがくるだろう。しかし、科学や科学哲学の専門家でない人が必要としているのは、手軽にそこそこ使える判定基準である。ぶっちゃけ、科学とは何か、などという定義はどうでもいい。科学っぽい言説で優良誤認と不実告知のオンパレードのような商品を買わずに済めばそれで良いのである。元々知識は足りないのだから、100%の精度で判断できなくても仕方無いが、大部分のエセを却下できればかなり助かる。だから、この対比表に従って判断した場合に、それなりの精度でエセ科学を却下できるならニーズにも合っていて有用ということになる。

 しかし残念ながらこの対比表は科学を専門としない人にとっては難しすぎるだろう。ニセ科学の問題に直面している人は半期15回の講義を聴く余裕など無いのが普通だ。さらに、それそれの項目の確認の手順が具体的にどういうものになるかを考えれば、実はかなり手間がかかることがわかる。

○「新しい証拠があれば喜んで考えを変える⇔考えを変えない」
 「あなたは新しい証拠があれば喜んで考えを変えますか」とインタビューでもするのだろうか。「はい」という答えを信じて良いのか。
 「学校で勉強していたときはこんなことは不可能と思っていたが証拠が出たので考えを変えた」と、実は間違った実験に基づいてトンデモ説を主張しだした人は、喜んで考えを変える人になってしまう。一方、科学の本流は意外と保守的で、新しい証拠が少し出たくらいだと「現状の枠組みで説明できないかもうちょっと粘ってみるわ」という人など普通に居る。そういう粘り方をすることでより理解が深まることもあるから別にかまわないのだけれど、判定基準の適用をするとエセ科学に分類されそうだ。
○「同僚(同じ分野の研究者)同士で情け容赦のない評価をする⇔同僚同士の評価はなし」
 同僚同士の評価が行われていることをどこで確認するのだろう。論文を書くときに共著者が居る場合はおかしなことを言えばそこでまずツッコミが入るし、学会発表や論文投稿でも批判にさらされる。非専門家が科学者の同僚同士の批判を目の当たりにするには、学会の会場で話をきいていなければならなくなる。そして学会の会場に行っても、本当に筋のいい発表だと、質問は出るが批判が出ずに「面白い成果ですね」となったりする。情け容赦のない批判を目撃できるかどうかは運次第である。まあ、研究室内で師匠とガチバトルのことも珍しくはないけど、それが外部の人の目にふれるかというと、ねえ……。
 査読のある論文誌の場合は、査読者が容赦なく批判してくれるので、査読有りの論文誌に問題の主張が出ているかどうか、というのは1つのチェックポイントになる。題名と著者名と発表した雑誌と要約くらいはネットで無料で検索できる。しかし科学の成果は大抵英語で発表されるので、どんな用語で検索するかという部分で素人にとっては既にハードルが高い。その上、最近はオープンアクセスジャーナルの質の悪い論文誌まで入りみだれていて、どれが信用できるかは専門家にきかないとわからなかったりする。
○「すべての新発見を考慮に入れる⇔都合の良い発見だけ選ぶ」
 全ての新発見を考慮に入れているかどうかを判定するには、何が発見されているかを、全てとはいわないまでも広範囲に知っていなければならない。そうでなければ、相手の主張が、都合のよい発見だけ選んでいるのかどうかわからないだろう。
 困ったことに、科学の本流でも過渡期のテーマだと全ての新発見を考慮できる枠組みがまだ無い場合がある。とりあえず説明できるところまでやって後から拡張を考えよう、ということもある。
 ということでこの基準も予備知識と内容の理解を要求するものである。
○「批判を歓迎⇔批判を陰謀とみなす」
 これは予備知識無しに使えるかもしれない。自分の説が認められないのは権威の○○が邪魔してるからだとか、学会の陰謀だとか御用学者の工作だといった類のことを言い出す人は、エセ科学の側の人と判定して説を却下してもおそらく損はしない。
○「証明可能な結果⇔再現性がない」
 予備知識と同事に長いタイムスパンを要求する基準である。生命化学の実験で再現性が無いものがいろいろ見つかって論文撤回騒動になったり、臨床試験がごにょごにょな状態が話題になっている。疫学調査だと、再現性の確認が何年も後になって別グループがやったりする。長い時間が経てば再現性のない結果は捨てられていくのでこの基準は正しい。短い時間で再現性があるかどうかを知るには、即追試をするしかない。そんなことができるのは同じ分野の専門家だけである。素人には使えない基準である。
 なお、「水からの伝言」騒動の時、提唱者の江本氏は自著の中で言葉のイメージにあった結晶写真を選んでいると堂々と書いていたのに再現性のある実験だと勘違いした人が続出したのだから、再現性の判断を大勢が正しくするということは望み薄である。
○「限定された有用性を主張⇔幅広い有用性を主張」
 これも予備知識無しに使える。健康食品系のエセ科学はこれをチェックするだけで相当却下できる。
○「正確な測定⇔おおよその測定」
 測定が正確かどうかを判断するには、正確な測定がどういうものかを知ってなければならない。どれかの分野で測定の経験を積んだ人でないと判断が難しいだろう。素人向けではない。
 理科教育では演示実験という自然を理解するための実験をする。大抵の人が経験する実験だが、これは教育目的の実験で、精度をそんなに気にしなくてもわりとはっきり結果が出るように作られている。演示実験は未知のことがらを確定させる実験とは違う。しかし、大勢の人にとって「学校で習う正統派の実験」とは演示実験のことである。

 それなりの時間をかけて科学の知識のある人が科学とエセ科学の観察を積み重ねれば、科学とエセ科学の対比表にいきつくのはわかる。が、対比表をエセ科学の判断基準として誰でも使える手続きに落とし込もうとした途端にハードルが跳ね上がる。ある程度は英語で情報収集ができ、必要とあれば専門家に取材できるジャーナリストになら使いこなせるだろう。ある分野の技術者が隣接分野について調べることになった場合も何とかなるだろう。でも素人向けではない。
 もっと簡単にするならこんな感じかなあ。
○理科の教科書の範囲で起きることが禁止されている法則に反する主張(エネルギー保存則に反する、化学反応で元素転換など)は却下。
○効果の具体例が、関連のない数多くのものである場合に却下。
 例:糖尿病にもアトピーにもガンにも効く、など。
○提唱者が、誰かの工作や弾圧によって自説が認められないと主張しているなら却下。
○病気になるとか、危険だとか、このままだと大変損をする、といったことをことさら強調する場合は却下。
○うまく見える話はやってくるがうまい話は来ない。
○特許、学会発表、医者や大学教授の名前を出す、有名な施設や研究機関で使われていることを強調していたら却下。
など。
 これですり抜けるものはあるだろうし、まともなものを捨てることもたまにはあるだろうけど、テキはわかりやすくするため情報量を落として宣伝していて、細かい科学以外の部分でインパクトを狙って来ることが多いから、むしろそちらに注目して捨てた方が楽かもしれない。

高校までの理科って大事 その2

 東洋経済オンラインにこんな記事が出ていました。こちらは新年早々です。ツィッターでリンクが呟かれていたので気づきました。
 全体を見た方が良いと考えましたので、敢えて全文引用します。

福島原発から、トリチウム汚染水が消える日
安倍首相、A社の新技術で「水地獄」から抜け出せ!
原田 武夫 :原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役 2014年01月07日

「原田さん、ついにやることになりました。2014年になりますが、1月14日にあの有名国立大学で我々の技術を試験してくれることが決まりました」

汚染水問題解決の可能性がある技術とは?

昨年12月半ば。神奈川県にあるヴェンチャー企業に勤める馴染みの副社長氏から、私のもとにメールが飛び込んで来た。その瞬間、私は感激の余り不覚にも独り涙ぐんでしまった。

「そうか、ついに『その日』がやって来たか・・・」

なぜ私が感極まったのか。―――その理由は、このヴェンチャー企業が長年にわたって開発してきた最新技術にある。非常に簡単に言うと、この技術が投入されることによって我が国、いや世界全体が苦しんでいる「福島第一原発から漏出し続けているトリチウム汚染水」という前代未聞の大問題がものの見事に解決してしまう可能性が急浮上するのである。

「まさか。そんなことができるわけがない。並み居る我が国屈指の公的研究機関や大学、あるいは国内外の有名メーカーたちが寄ってたかって取り組んでも、これまでのところ解決できていないではないか」

読者からはすぐにそんな声が聞こえてきそうだ。それもそのはず、大手メディアは「福島第一原発からまたトリチウム汚染水が大量漏出」といった報道を連日のように繰り返してきている。何も手の打ちようがないように思えてしまう。しかし、である。実は政界・官界のトップクラスだけがすでに知っている、究極の解決法があるのだ。それがこのA社の開発している技術なのである。

さて、そこでまず気になるのはこの技術の中身である。生まれたての技術、しかも我が国と世界の命運を握っている技術であるので十分に秘密を守りながら、あえてざっくりとその概要を書くとこうなる:

●特殊加工した炉の中に、オリジナルの溶媒を入れる。そしてその中に気体や液体を入れて、特定の温度で熱する。技術的にはこれだけ、である。無論、その運用には熟練した技が必要だ

●A社の実験施設においては、これまで繰り返し「重水(D2O)」をこの炉の中に入れ、試験を行ってきた。その結果、気体として水素などが出てくることが判明した

●さらにこの炉の中にトリチウム水(T2O)を入れると、水素ガスが出て来ることが判明している。すなわち完全無害化されることになるのだ

2011年3月11日に発生し、多くの人々の命を奪った東日本大震災。それによって被災した福島第一原子力発電所は放射性物質を飛散させ、世界中をパニックに陥れた。その後、事態は沈静化したかのように見えるが、実際には「ストロンチウム」「セシウム」そして「トリチウム」といった放射性物質が通称「フクイチ」からは毎日出続けている。

汚染水が、水素ガス化で完全に無害化される

それらのいずれもが重大な問題なのではあるが、原子力の専門家たちに言わせると「本当に問題なのはトリチウム」なのだという。なぜならばストロンチウムやセシウムについては、ほぼ100パーセント除去する技術が、我が国においてもあるからだ。

この点について詳細を聞いた私に対して、とある国立大学で研究を続ける、この分野の第一人者でもある教授は「除去のための費用は純粋に国産の技術でやる限り、全くかさまない。なぜならばそのために必要なのは例えて言うと『猫のトイレ用の砂』の様なものであり、10キロ数百円くらいの安さだからだ。それなのに、政府はわざわざそのための機材を米国から高いカネを払って購入し、四苦八苦している。専門家の目から見ると全くもって笑止としか言いようがない」と言い切った。

しかしこの有名教授の目から見ても、次々と出て来るトリチウム水は問題なのだという。なぜならば既存の技術ではそこからトリチウムを完全に取り除くことができないからだ。「それではどうすれば良いのですか」と私が聞いたのに対し、教授氏はこともなげにこうつぶやいた。―――「取れないものは仕方がないじゃないですか。薄めて海に流すだけです。早くやらないと福島、いや日本中が汚染水タンクだらけになってしまいますよ」

だが、繰り返しになるがA社の技術は質的に違うのである。なぜならばトリチウム汚染水を完全無害化し、水素ガス化してしまうからだ。無論、細かなことを言えば「水素ガスに酸素が交われば爆発するのではないか」といった難癖をつけることもできる。だが、そもそも水素ガスそのものは無害なのだ。豊かな漁業資源に恵まれる福島県の沖合に半永久的に垂れ流され、それらの漁業資源が失われてしまい、多くの人々が苦しむことになるように仕向けるのと、どちらが「正解」なのだろうか。

通常ならあり得ないことが、目の前で起こっていた

実のところ、私はこのA社のことを3年ほど前から知っている。当時、近しくしていた国土交通省OBからこんなことを言われたのだ。

「水を通すと炉で様々な物質ができてしまうと言っている、風変りなヴェンチャー企業がある。資金繰りに困っているようだ。何とか助けてもらえないだろうか」
「一体、どんな研究者たちが開発しているのだろうか」

そう思った私は急ぎ、神奈川南部にあるA社に向かった。すると何のことはない、(社長や副社長には大変失礼だが)「掘っ立て小屋」のような場所で、熱心に実験を繰り返す民間技術者たちの姿を目の当りにしたのである。「こんな方々がそんな技術を・・・」私は絶句した。

それ以上に現場で驚いたのが、この技術からこの世に生み出される物質の数々である。“我が子”である試験炉を愛おしそうに見つめる社長の方を向いて、右腕である副社長が「それでは入れますよ」と一声かけながらバルブを少しずつ開いていく。しばらくすると温めた炉を抜けて出て来る物質の性質を、傍らに設置された質量計で見ることができる。

「あ、これ見てください、原田さん。普通に考えると、地球上では存在し得ない物質が出て来ていますよ」

地球上では変わらないはずの元素が、明らかにそこでは「変性」していたのである。そして理論的には宇宙空間のどこかでしか存在し得ない物質が、私たちの目の前に出現していた。私は思わず「元素転換ですね、これは!」と叫んでしまった。

全てのイノヴェーションは「常識を打ち破ったところ」から始まる。A社のこの技術の場合は正しくそうである。だが、そのために実験を始めて10年近くの間、社長そして右腕である副社長が研究の傍ら、ありとあらゆる公的研究機関や有名大学の研究室でこの技術の有意さについて声を枯らしながら訴えても、権力とアカデミズムの住人たちは、これを一切無視してきたのだという。

「理論的にそんなことはあり得ません」

「実験している最中に別の物質が混入したのではないですか。確認しましたか?」

「まぁ、イギリスの有名雑誌『ネイチャー』にでも掲載されれば別ですけれどね。そうしたら本気で見てあげても良いですよ」

社長と副社長の付き添いで同行する私は、彼らが二人をこんな言葉で罵るのを何度となく目の当りにしてきた。何とかその場をとりなそうとする副社長の傍らで、社長は苦笑いをしながら深い憂いのある目を見せている。その眼差しはこんな風に言っているようだった。――「ブルータスよ、お前もか」

折しも、2008年のリーマン・ショック後、A社はたちまち資金繰りに窮することになる。何度となく繰り返し訪れる危機の中で、結果何も助けることのできない私と会った社長と副社長は、場末の居酒屋にて湯で割った芋焼酎で顔を赤らめながら、こういったものである。

「原田さん、私たちはね、金儲けがしたいわけじゃないんだよ。ただ、こんなすごい技術が他でもない我が国で生まれたっていうことを皆に知ってもらいたいだけなんだよ。俺たちはこのニッポンという国がたまらなく好きだから。これを使えば極めて安価に発電もできるし、レアメタルだってできる。『平成バブル不況』で20年も痛めつけられた我が国が起死回生の挽回をはかる絶好の道具にして欲しい、ただそれだけなんだ。何とかしたい、本当に何とかしたいんだ」

資金繰りがいよいよ「最後の危機」へと迫る中、降って湧いた実験結果が「重水の分解」だった。そしてトリチウム水を入れると水素ガスが出て来た。これを使えばあの「フクイチ」は解決に向けて大きな一歩を踏み出すことになるではないか。――そう考えた社長と副社長は再び「要路」(=重要な人々)の間を、駆けずり回ってきたというわけなのである。

14日の実験結果で、「日本」や「世界」が驚く

そしてついに「公的認証」の第一歩としての実験が今月14日に行われるのだ。実験室での生真面目な表情が戸外では崩れ、笑顔を絶やさない副社長は電子メールで私にこう言い切った。

「もちろん、自信はあります。14日の結果、楽しみに待っていて下さい」

我が国が本当に“成長戦略”を求めるのであれば、この技術を用いるしかない。その結果、砂上の楼閣のような仮説で象牙の塔を塗り固めてきたアカデミズムの住人たちが、何人も「討死」するのは間違いない。だが、そうした尊い犠牲の向こう側に我が国が「資源がないから従属外交をする国」から「資源がないなら創り出してしまうため、真に独立した国」へと脱皮する道のりがくっきりと見え始めるのである。安倍晋三総理大臣よ、これを決断しないで誰が「日本国総理大臣」を名乗ることができようか。

 私の研究所の公式メールマガジンでも取り上げてきているとおり、我が国には独立行政法人科学技術振興機構が推し進める「元素戦略」が国策としてはある。だがそこで中心に据えられている技術は「『元素』そのものを錬金するのではなく、『製品に必要な希少元素の特定の「機能」を別の元素で置き換える』という意味での錬金術」(中山智弘『元素戦略』(ダイヤモンド社))である。

アカデミズムに暮らす碩学たちを顧慮すれば、“政治的”に言うとこれが限界なのだろう。だが、どうやら「現実」は、明らかにその先をすでに示し始めているようなのだ。2014年1月14日。この日を境に「フクイチ」が変わり、東京電力、さらには我が国、そして世界が変わる。その歴史的な瞬間は、もう間もなくである。

1月18日(東京)、26日(大阪)に行う恒例の年頭講演会(「2014年 年頭記念講演会」、参加無料)のお申し込みはこちらまで。

 いやこれはどう見てもアカンやつだろう。

 まず、筆者の「水素」の書き方がえらく曖昧というか、重水素とトリチウムが水素の同位体だということを認識していないようである。水素H、重水素D、トリチウムTは全て水素の同位体で化学的性質は同じである。だから、これら3つを含んだ水(普通の水=軽水、重水、トリチウムの水)のどれを分解してもH2、D2、T2、あるいはHDとかHTとかDTのような気体が出ることになるが、これらはどれも「水素」だから、「水素が出てくる」と言っても(文脈からすると紛らわしいかもしれないが)正しい。もし、A社がそのように説明したのであれば、A社の装置は放射能除去とは何の関係もない。それを、トリチウムをHに変えると筆者が理解したのなら、筆者の壮大な誤解ということになる。しかし、「地球上では変わらないはずの元素が、明らかにそこでは「変性」していたのである。」とあるので、A社は実際にTをHに変える話を筆者にしたと思われる。この場合、そんな話を真に受けている時点で筆者とA社のインテリジェンスを疑うほかなくなる。

※やや専門的な話になるが、液体の水の中のHは交換している。H2OとD2Oをまぜると、液体の水の分子はH2OとD2OとHDOが元の濃度比を反映して一定割合でできる。T2Oが加わっても同様。電気分解すると出てくるガスもH,D,Tのうちから2つをえらんで作った水素分子となる。

 核反応のエネルギーは化学反応のエネルギーに比べておよそ6桁大きい。だから、化学反応のプロセスをどう工夫したとしても核反応には手出しできない。人為的な元素転換は、加速器を使うか、原子炉を利用する以外の方法で成功した例はない。
 実のところをいえば、人為的な元素転換はみんなやってみたかった。そこそこの技術でできれば応用も広がるのは誰だって思いつくことである。でもって、世界中で長い時間をかけていろんな挑戦してきた結果が全て討ち死にで、その屍累々の上に今の科学の枠組みが作られている。
 だから「砂上の楼閣のような仮説で象牙の塔を塗り固めてきた」という評価は完全に間違っている。専門家が元素転換の話を相手にしなかったのは、砂上の楼閣どころか、実現できないことを実現しようとして過去にどれだけの犠牲を払って核反応と化学反応の知識を積み重ねてきたのかをよく知っていたというだけのことである。数多くの観察事実によって支えられている場合は、科学の枠組みは強固なのである。まず確実にA社は屍を1つ増やすだけに終わる。
 ところで、科学の中でも強固な部分とそうでない部分がある。
 あんまり強固でない方の代表は分子生物学で、頻繁に定説が書き変わったり新しい発見が付け加わったりしている。強固な方の筆頭はエネルギー保存則とエントロピー増大の法則で、どうやってもこれを破れないことを散々失敗して確認する羽目になったというのが科学の歴史でもあった。都合の良いエネルギー取り出し装置を作ろうと夢見て失敗した積み重ねが、この2つの法則が正しいことを裏付けている。結局のところ、自然がエネルギーの取り出しについて制限をかけているということがはっきりしたのである。
 分子生物学の発見は生化学の反応の範囲内つまりは化学反応の範囲内で起きていて、かつ、自然が課している制限には抵触していない。起きてもかまわないことの範囲だから、いろんなことが起こりうるし実際見つかっている。一言で科学の法則といっても、起こりうる現象に制限をかけている部分と、制限の範囲内の話では、その強固さがかなり違うのである。
 強固さの順番でいうと、エネルギー保存則やエントロピー増大の法則、量子論の不確定性関係、光速度一定の法則(特殊相対論)あたりが最も強固で、化学反応で核反応に手出しできない(だから化学反応で元素転換は不可能)というのはこれらに次ぐ位置付けになる。
 そんなわけで、学生に講義するときは「絶対にできないことをやろうとして人生を棒に振らないために知識を身に付けろ」と言っている。専門家だってろくでもないアイデアを考えたりするが、その中で、強固な法則に反するものは真っ先に捨てる。起こりそうにないことをばっさり捨てる知識があるのが専門家で、どれも同じに見えるのは素人ということである。
 A社は純粋に世の中に役立つことを目指しているのかもしれない。しかし、これまでに、いろんな会社によって強固な方の法則のいくつかを破る画期的な発明という触れ込みで投資詐欺の商材が登場したことは何度もあった。強固な方の法則を破るような技術や商品を的確に見抜けなければ詐欺にひっかかることになるし、そういう技術をヨイショする記事を出したら、投資詐欺の被害者を増やす可能性がある。記事を書く側も載せる側も選別眼が必要である。

 ということで、大人になってから、明らかにおかしな会社の紹介記事を書いたり、それを載せたり、その記事を信じたりしないためにも、高校までの理科の知識は大人になってもちゃんと身に付けていてください。もうじきセンター試験で、大学入試も始まりますが、受験勉強で身に付けた知識は受験が終わったら用済みじゃないんですよ。

【追記】
 コメントしたつもりがうまく反映されないので、本文に追記しておく。

 REVIさんから、予想通りの典型的なコメントをいただいた。

「天動説というパラダイムはガリレオにより覆され、ニュートンのパラダイムはアインシュタインに覆された。同様にエネルギー保存や光速度一定というパラダイムも覆されないとも限らない」

 天動説と地動説の場合は、どちらを使った方が星の動きをより記述しやすいかという話であって、地動説によって天動説が示す運動が起きないといった制限をかけるものではなかった。観測した星の動きに対し、どちらのモデルで説明するかという問題だった。
 アインシュタインは光速度一定を提案したが、これは電磁気学とニュートン力学のすりあわせが必要になったため。アインシュタインの理論はニュートン力学の内容を覆したわけではなく、運動の速度が光速度に近い場合の拡張を正しく行っただけなので、運動が遅い場合はニュートン力学で今でも充分良い近似になっている。
 過去に覆った例としてとりあげられたものは、記述の枠組みの選択や元の理論の拡張に過ぎないので、例としては不適切ではないか。どちらも、多数の実験に支えられることによって見えてきた、自然が課している禁止事項らしきものに挑戦して覆したという話ではない。
 私が「強固な」と書いた理由は、あることが起きることを禁止する法則というのは、仮に破れていることが将来見つかるとしても、相当極端な条件で、かつ、今確立している内容を拡張する形になり、実験で支えられている部分は相変わらず良い近似になっていて変更されずに使われるだろうと予想しているからである。
 パラダイムという言葉でもって、禁止事項への挑戦とそうでないものの違いをわざとに曖昧にすることは、自分にも禁止事項を覆す発見をするチャンスがあると勘違いする犠牲者を増やすだけではないかと思う。

高校までの理科って大事

 東洋経済オンラインにこんな記事が出ていました。出てからだいぶ経っています。ツィッターでリンクが呟かれていたので気づきました。
 全体を見た方が良いと考えましたので、敢えて全文引用します。

シェール革命という高貴なウソを信じる日本
インテリジェンスのプロ、原田武夫氏が大胆分析
原田 武夫 :原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役 2013年04月04日

先日、杜の都・仙台に出張したときの話だ。繁華街・国分町の片隅で設けた会食に出席された地元財界幹部の一人の方が、上気した面持ちで私に向かってこう語りかけてきた。

「原田さん、『シェール革命』ってやつはすごいね。何せこれからアメリカでは無尽蔵に採掘できて、しかも温暖化効果ガスの排出量が圧倒的に少ないっていうのだから、エネルギーの未来は、もうこれで決まりなのではないですか」

シェール革命に納得できず

同席していたわが国アカデミズムの重鎮の一人も、続いて口を開いた。「確かにそうですね。仮にアメリカがシェール革命を推し進めるとなると、今、東北大学を中心に取り組んでいる地域経済活性化のための次世代移動体研究プロジェクトがこのままでは失速してしまう危険性があるのです。なぜならばその柱のひとつである電気自動車(EV)は、現状では原子力発電が安定的に継続することを前提としていますから」

私からすれば、いずれも人生の大先輩である。普段ならば黙ってうなずくだけで、特に何も申し上げなかったはずだ。しかしこのときだけは違った。どうにもこうにも納得するわけにはいかなかったからである。「申し訳ありませんが、『シェール革命』は本当に起きるのでしょうか。私は正直言ってかなり懐疑的です」。居住まいを正して私はそう切り返した。

私の著書最新刊『「日本バブル」の正体~なぜ世界のマネーは日本に向かうのか』(4月4日刊行)でも詳しく書き、かつその新刊記念講演会(リンクはこちら)でもじっくりお話しすることなのであるが、「シェール革命」と聞くとどうしても納得がいかないことがいくつかあるのだ。思いつくままに書くならば次のとおりとなる。

◎鳴り物入りで始まった「シェール革命」だが、特にシェールガスはパイプラインがなければアメリカは輸出することができない。その肝心のパイプラインがまったく整っていないのが現状である以上、シェールガスがアメリカから世界、とりわけわが国に向かって噴き出してくるのは“今”ではなく、“将来”である。今から大騒ぎすべき話ではない。

◎つまり「シェール革命」が最盛期を迎えるまでにはまだ時間があるのだが、その間、ほかの国々が指をくわえて待っているとは考えづらい。ナイジェリアなどほかの産出国は温暖化効果ガスこそ大量に出るものの、従来型の天然ガスや原油のダンピング(廉売)を一斉に始めるはずだ。そうなった場合、採掘に費用がかかるため高めの価格設定しかできないシェールガス/シェールオイルにまで触手が伸ばされるのかは甚だ疑問である。

◎ さらには「シェール革命」と言いつつ、アメリカ自身が次世代移動体として電気自動車や水素燃料電池車の開発を加速させているのが大いに気になる。実際、オバマ政権はこの方向に具体的な形で歩み出しており、3月15日にイリノイ州で行った演説で同大統領はこれら「ガソリンを使わない自動車」の実用化のため、今後10年間で20億ドルほどを拠出すると表明したばかりなのである。「シェール革命一本であくまでも行く」という気合いは微塵も感じられないのだ。

「高貴な嘘(noble lie)」という言葉がある。「リーダーたるもの、全体利益の実現のためには時にウソをつかなくてはならないこともある」といった意味合いだ。アメリカはこれまで何度となく「高貴な嘘」でわが国、そして国際社会を翻弄してきた。2003年に行われたイラクに対する武力行使の際、「イラクで大量破壊兵器を見つけた」と国連安保理の場で生真面目な軍人・パウエル国務長官(当時)を使って一大プレゼンテーションを行わせたのがその典型例だろう(その内容はその後、同国務長官自身が吐露したように「真っ赤なウソ」であったことが明らかとなる)

よもや「あのアメリカがここまで正々堂々とウソをつくとは」と思うかもしれないが、それが国際場裏における現実なのだ。そして現状を見るかぎり、誰でも気づくことのできる上記のような「疑問」を踏まえれば、私には「シェール革命」が手の込んだ「高貴な嘘」に思えて仕方がないのである。

アメリカの深謀遠慮とは?

「なぜそこまで手の込んだことをアメリカはするのか。シェール革命でいちばん儲けられるのは自分なのであるから、ウソなどつく必要ないのではないか」。読者からそんな反論が聞こえてきそうだ。しかし大変失礼ながら、そう思われた読者の方は人気漫画「北斗の拳」ではないが、“お前はもう死んでいる”のである。なぜならばまさにここにこそ、アメリカの深謀遠慮が潜んでいるからである。考えられるシナリオはいくつかある。

まずいちばん単純に「シェール革命」が本当に推し進められる場合を想定しよう。実のところシェールガス/シェールオイルの鉱床は確認されているだけでもアメリカ以外の世界各地に存在している。中国や中南米などであるが、問題は現状の天然ガスや原油の価格では低すぎて採算がとれない点にある。したがってこのシナリオにおいて関係各国はいずれも、石油・天然ガスが最も産出されている中東地域が「有事」となり、そこでの生産が不可能となることを強く期待することになる。イスラエルによる対シリア攻撃をきっかけとしたイランとの本格的な戦闘開始、そして「中東大戦争」への発展がその先には見えてくる。

現状では今年秋にもありうる展開であるが、そうなった場合、世界中の株式マーケットは全面安だ。マネーは逃げ場所を求めて日本円に殺到、強烈な「円高」となるわけである。オイルショックに見舞われた世界は、アメリカに「シェール革命」の推進を要請するはずだ。一方、サウジアラビアやイスラエルは戦乱で勝ち残るため、アメリカ製兵器を続々と購入し続けるに違いない。アメリカにとっては一挙両得というわけなのである。

だがここで困るのが中東地域以外の産油国、特にロシアである。通常の天然ガスや石油をめぐる最大のプレーヤーであるロシアは「シェール革命」に反対すべく、中東開戦を阻止し続けようとする可能性が高い。その結果、このシナリオは頓挫してしまう危険性をはらむ。

問題はアメリカにとっても、「そんなことは先刻お見通し」であるはずだという点なのだ。つまりこのとき、アメリカの真意は「シェール」にはない。そしてそうであるとき、アメリカは実のところ周囲をアッと驚かせる次世代エネルギー技術をすでに開発しているはずでもあるのだ。しかしそれをあえて出さずに「シェール革命」なる用語を“捏造”し、しかも天然ガスを今や世界中で買い漁っているわが国にこうささやきかけているのである。

「パイプライン設置のために投資をしてくれたらば、最優先でシェールガス/シェールオイルを特別に分けてあげてもいい。福島第一原発事故の余波で貴国は大変でしょう」

これに“日米同盟”という美辞麗句がつけられれば、わが国要人たちがこれに抗することはまずない。進んで資金提供し、巨大プロジェクトの完成を今や遅しと待つことになるはずだ。むろん、アメリカも日本側協力者に鼻薬をかがせることを忘れないはずだ。たとえば時代はさかのぼって第2次世界大戦後の1950年代、アメリカ国防総省の支援により設立された「日本開発会社」は、いくつかの復興のための巨大インフラプロジェクトに関与していたことが史料から明らかになっている。

しかしそのための資金としてアメリカ国防総省から捻出された資金は、戦後最大の政治プロデューサー「児玉誉士夫」を経由して、わが国政財界の闇へと消えて行ったのである(有馬哲夫『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』(文春新書)参照)。「インフラ開発に日本を絡ませたときには駄賃がいる」。そうアメリカ側は伝統的に認識しているはずなのであって、わが国からパイプライン建設にマネーが流れれば流れるほど、その一部がわが国へと還流され、再びわが国政財界の闇に消えることは大いにありうる、と歴史家ならば断言するはずだ。むろん、私や読者の皆さんのような庶民の知らないところで。

それでは私たち日本人は、ただひたすら手をこまぬいて見ていなければならないのか。またそもそもアメリカはこの場合、いわば「捨て駒」となるシェール革命ではなく、実際のところ何を追求しているというのであろうか。

次世代の「本命」はシェールではなく、水素

簡単に書くならば、まず前者についてひとつの「光」を先日、わが国の神奈川県・寒川にあるとあるヴェンチャー企業Q社で私は目の当たりにした。シェールガスといっても炭酸ガスは出てくる。ところがこの企業が開発した技術ではこれを「炭酸化ナトリウム」と「水素ガス」へと分離できるのである。つまり「排ガスから燃料ができる」わけで、驚愕の技術なのだ。アメリカがシェール革命を推し進めれば進めるほど、その後ろについてこれを売ることで、わが国は巨利を得ることができる代物なのである。こうした革新的な技術を私たちは大切に育て、全面開花させなければならない。

一方、後者について言うならば、アメリカにとっては実のところ宿敵であるイギリスの態度を見れば答えはすぐ出てくる。上記の拙著でも書いたことだが、イギリスは2015年までに水素エネルギーによる燃料電池車の完全商用化を公的に宣言している。そう、時代は「水素」なのであって、シェールであろうが何であろうが、化石燃料ではもはやないのである。

しかしそれを真正面から追求すると、アメリカはイギリスから何をされるかわからない。それをアメリカが最も恐れているであろうことは、中東の石油利権を争ってきたのが、ほかならぬ米英両大国であったことを思い起こせばすぐわかるのである。だからこそ「シェール革命だ」とアメリカは騒ぎ、「高貴な嘘」をついていると考えると合点が行く。

わが国にとって今必要なのはバカの壁に入ることなく、老練な米欧各国が国際場裏で公然とつく「高貴な嘘」をあらかじめ見破り、私利私欲を捨てて人知れず備えるべく全国民を指導するリーダーなのである。今夏行われる参議院選挙の本当の争点は、実のところ「この一点」なのである。そのことを私たち有権者は忘れてはならない。*5月(奈良)と6月(東京)に、原田氏の新刊記念講演会を行う予定です。くわしくはぜひ、こちらをご覧下さい。

 この著者、炭酸ガスCO2を分解して、炭酸化ナトリウム(って何?)と水素(H)ができるという話を疑わずに信じた上に、革新的な技術だと評価している。つまり、COしか無いところからNaHができるという話を信じている。化学反応をやっている限り元素が生成することは無いというのが化学の基本原理で、これを覆す実験事実は無い。そりゃ革新的だろうね、触れ込みだけは(棒)。
 「高貴な嘘」を疑うのはいいが、ただの間違いや妄想を真に受けてどうするんだと。
 エネルギー問題というが、使える形でエネルギーを取り出すには化学反応に頼る(バイオマスなども生化学の反応を利用するから化学反応の範疇)か、原子力に頼る以外の方法はない。そのエネルギーだってとどのつまりはインフレーションとビッグバンの後の残り物をちまちまかき集めているだけであって(太陽の核融合はその前の超新星爆発の残り物、その前の星形成やら核融合やらは宇宙創生の時のエネルギーの残り物)、有史以来、エネルギーが新たに作り出されたことなどない。
 原子力が逆風のまっただ中だし技術的にも未解決問題が多いから化学反応のシェールやら水素やらを推すというのはわかるが、肝心の化学反応で、元素が勝手に生成するという話を疑いもせず受け入れる人の言うことは全く信用できない。元素が勝手に生成するという前提でエネルギー問題を論じれば、どんな楽観的な結論だって出てくる。ただし全ては夢物語で終わるだろうが。この著者に限ったことではないが、エネルギー問題を議論する前に、高校の化学を復習すべきだろう。

 試験が終わったら理科は忘れてもいいなどと思っているとこういうアホな話に引っかかることになる。大人になってからこういう恥ずかしい内容を書いて満天下に晒さないためにも、「革新的な技術」を主張する変な会社に騙されないためにも、高校までの理科の内容はしっかり身に付けておくべきなんですよ。
 
 

子どもと情緒

 教育現場(学校での道徳教育等)を汚染する大型トンデモ「江戸しぐさ」につけたこのコメント

むしろ、いい話なら出典や根拠はデタラメでもOK、とする情緒と感情優先の考え方が教育現場で猛威をふるっていることが本当の問題では。教員に有意にそういう人が多いかどうかは知らないのですが、教育学部でそういう考え方を否とする教育が行われていないとか、教員採用でそういう人をはねられないといったことがあるのではないかと勘ぐりたくなります。文科相だけの問題ではなさそうにも思います。

がたくさん「いいね!」されてるわけだが、これに関連して気付いたことを1つ。
 基盤教育の科学リテラシーの講義で、科学を道徳の根拠にするな、ということも教えていて、その例として文部科学省の「心のノート」を挙げている。花が折れていたのでティッシュで包帯を巻いた、という作文が掲載されている部分を使っているのだが、これを話した回の出席カード裏の学生のコメントの中に「子どもについては情緒的でよい」という立場からの反論が出てくる。講義の流れとしては、小学生がこういう作文を書くことに批判的なのではなく(心のノートの編集者である大人が)こういう作文を例に選ぶことを問題にしている。つまり大人の考え方の問題として話をしているのだが、大人数を相手にしての講義なので、毎年何人かは勘違いする。勘違いの方向はどういうわけかいつも「こどもらしい感性」に突っ込むのはやぼだというもので、特に教育学部の人が主張しているというわけではない。「子どもにも小さいうちから合理的な考え方をどんどん教えるべき」という主張はウケが悪い。
 つまり、良い話なら合理性も根拠も捨てて良い、というのは、教員だけの問題ではなさそうで、普通に義務教育から高校まで上がってきた生徒の中に既にできあがっている価値観のように見える。
 感情に配慮するなというつもりはないが、「子どもは情緒優先でいい」ということがどういう経緯で前提とされるようになったのか、ずっと引っかかっている。教育学の方で何か確立した話はあるのだろうか。

まともな研究者の対応の例

 名古屋大学の川瀬研究室のページより。「最近出回っている「テラヘルツ鉱石などの健康グッズ」に関して

科学的根拠の希薄な様々なテラヘルツ健康グッズを販売している会社が 近年多数見受けられます。ひどい会社になると、勝手に『名古屋大学川 瀬教授が発明したテラヘルツ波動に基づき、水晶を高温で焼き上げたテ ラヘルツ波を発生する鉱石が癌や脳梗塞を治す』などとして高価な値段 でネックレスなどをご病気の高齢者相手に私の写真などを見せながら 販売していると一般の方から苦情を頂きました。

これらのことは非常に腹立たしく、我々と何の関係もないばかりか、科 学的な根拠が希薄な詐欺紛いの商法です。 私は20年以上、テラヘルツ 波の生体への影響を研究してきましたが、もしもそれらの会社のうたう 効能に(学会が認めるような)科学的根拠が見つかったら、それだけで ノーベル賞ものですが、まだ世界の誰もそのような確たる根拠を発見し ていません。

過去において、同様に科学的根拠の希薄な遠赤外線グッズで長年儲けた 輩がテラヘルツと名前を変えて二匹目のドジョウを狙っているようで、 テラヘルツ波を研究する者としては実に嘆かわしいことです。 さらに 最近では、一部の業者が研究会を名乗って「本物のテラヘルツジュエリー を認証します」などと活動してますが、本物も贋物も普通のセラミクス も岩石も、かつての遠赤外線グッズも、放射原理は常温の黒体輻射にす ぎず、黒体輻射を浴びたら難病が治る、などという話は私の知る限りの 学会では全く認められていません。

これまでは怪しいテラヘルツ商法も苦々しく思いつつも看過してきましたが、 私の名前を使って売っている、という苦情が寄せられた以上、ここに反論 させて頂くに至りました。 今後、もし私の名前を使って売るような会社を 見かけましたら、何卒ご一報下さい。

 まともな研究者であれば、根拠のあやふやな健康グッズの販売に名前が使われることを避けるのは当然ですし、通報があれば、関係ないことを明らかにするのも当然です。この川瀬研究室の反論掲載はもっともなことです。できれば、名前が使われる前に、アレはインチキだと表明していただきたかったところですが……。
 なお、企業が大学と共同研究する時は大学に対して守秘義務を課すのが普通で、一緒に研究した大学側の研究者を宣伝に登場させるようなことはしません。「我が社のすばらしい技術」を前面に出して宣伝するならともかく、大学の先生に手柄譲ってる時点で会社としてはいろいろとダメでしょう。この手の健康グッズが疑わしいかどうかの判断基準の一つとして「大学の先生の名前が使われていると信用ならない」といっても、そう間違いではありません。

ドメイン限定検索を普及させよう

ラジオ出演「疑似科学を科学する」」を読んで。

となるとどうすればいいのか――ということが問われましたが、とりあえず我々にできることは、信頼できる情報の絶対量を増やしていくことかなと思います。たとえば以前に書いた通り、最近「酵素」というキーワードを含んだよくわからない健康法が流行っており、これは疑似科学の要素を多分に含んだものです。しかし「酵素」という言葉で検索しても、まともに生化学的な意味での酵素について解説したページは、上位30位までに2~3件に過ぎません。要するに、業者の発信する情報に、正確な知識が押し流されてしまっている状態です。

 これは以前から指摘していることです。ニセ科学で商売をしている人達は、情報を吟味する気も自分のところでまともな消費開発をする気も(おそらくは能力も)無く、同業他社の宣伝文句をコピペしてきて多少編集して自社製品の宣伝に使っているようです。ですから、数は多いがヴァリエーションに乏しい間違った情報が出回るという結果になります。
 サーチエンジンの検索結果に正しい情報が登場する割合を増やす努力は大事ですが、それと同時に「ドメイン限定検索」を普及させることで、情報がおかしいと気づくきっかけも増やせるのではないかと思います。
 「酵素」を検索するのなら、.ac.jpや.go.jpドメイン限定で検索した時と、そうでない時の検索結果を比べるのです。限定なし検索で謳われている内容が、ドメイン限定検索で出てこないなら、それは宣伝用に歪められた科学とは関係のない言説ということになります。
 もちろん、教育機関でもおかしな言説を信じて情報発信してしまう人がゼロではありませんから、ドメインを限定してもニセ科学言説を完全に遮断することはできません。しかし、出てくる言説の数の分布が大幅に違うということから、ある程度判断はつくはずです。