変なクレームが来てるんだが……

わけのわからんクレームが大学に来て困惑してる。とりあえずキャンパス長から状況を知らされた。

クレームは電話で、大学にかかってきている。電話なのでメモをとったものを見ながら説明を受けて、それをさらに私がここに書くわけで、既に伝言ゲーム状態なので不正確な面は多々あると思う。まあ、伝言ゲームを選んだのはクレーム主の方なので知ったことではないが。

クレームが来始めたのは2月4日からで、何回かあったらしい。

クレームの主は匿名で名乗らなかった。13年前のキャンパスハラスメントで仲介をしたと自称している。2017年の11月から(11月まで?)何ヶ月か、匿名掲示板で私とやりとりがあっていろいろ書かれて嫌な思いをしているのでやめるように言ってほしいというクレーム。ただしその掲示板がどこかとか、掲示板の名前とか、具体的な書き込み内容の文言とかは何も情報が無い。

そもそも私が申し出されたキャンパスハラスメントとは「私が加害者とされているキャンパスハラスメントについて」だけで、後にも先にもこれしかない。事が始まったのが2008年6月だから、13年前に一致はしている。いつのことかというのは、2011年のブログ記事「古い資料(3年前)」にも書いているので、誰でも探せばわかる状態である。

当時は今ほどキャンパスハラスメント防止規程が整備されていなかった上に、運用する側への啓発も不十分であったので、相談員経由で相談記録を委員会に出すという運用がなされなかった。学内に置いていたブログのコメント欄での学生とのやりとりを、ハラスメントに仕立て上げようとしたのは当時の学科の教員だった。そのぐだぐだぶりは上記リンク先を見てもらうとして、この事案の仲介者と言えるのは、当時の学科長の日野先生、なぜか仲介役を買って出た伊藤先生、学生のアドバイザー教員の坂本先生(と一緒にクレームを述べに来た栗原先生)ぐらいである。他の学生や学外者の介在はなかった。うち、日野先生・伊藤先生・坂本先生の三名の教員は定年退職している。坂本先生は退職後も実験などをしに来ていて、廊下で会えば挨拶する程度、日野先生と伊藤先生とはその後の交流は特に無い。向こうが何か新しいハンドル名でネットで活躍していたりするなら知らずにやりとりした可能性はあるが、少なくとも人を特定できる形で情報交換をした覚えは全くない。栗原先生は現役で普通に一緒に業務をやっている。つまり仲介者に該当するのは全員が教職員か元教職員で、匿名でクレームを言うメリットが全く無いし、そんなことをする人達でもない。何か問題があると考えたら、きちんと元教員だと名乗って具体的に指摘するであろう人達ばかりである。また、定年退職した年輩の先生方が、今頃になって、時代後れの匿名掲示板の活発なユーザーになるとも考えにくい。つまり、13年前のハラスメント事案の仲介者、かつ、この手のパターンでクレームを言いそうな人、にあてはまる人物がどこにも存在しない。

13年前の他の事案かとも思ったが、その頃だと私はまだキャンパスハラスメント防止委員はしていなかったので、他の事案に関わることは無かった。その後、全学の防止委員になってからは、具体的な事案の調査に加わることもあるが、守秘義務を厳格に守っているので個別事案の内容を表に出したことはない。ハラスメント関連の議論をネットで行ったこともあるが、上記の私自身の事案かあるいは一般的な話しかしていない。一般的な話とは、規則の運用の仕方とか、相談ルートに乗らずに解決できなかったものが新聞沙汰になって、うまく解決したものは守秘義務のため外には出ないから、外部の人が目にするのは解決ルートにすら乗らずに失敗したものばかりだ、といったものである。それを書き込んだ先は匿名掲示板ではない。主にtwitterとFacebookである。ちなみに、2016年に群馬高専についてtwitterとtogetterのコメントに書いたものがある。この前後だと、同じような内容を別途ツイートしていたはずだが、特定の誰かをハラスメントの話題で叩いたことは無い。また、仕事先の防止委員であることを名乗って発言していたわけで、ハラスメント防止制度の特徴について説明したり問題提起したりする内容を意識して書いており、被害者に2次被害が起きるような内容と受け取られそうなものは書かないように極力注意していた。

私の場合、東日本大震災のちょっと前、つまり2010年頃から、主な情報発信がtwitterに移行しつつあって、それにつれてブログやサイトの更新の頻度も減りつつあった。そのうちFacebookを使い始めた。余所のブログのコメント欄に書き込むことも激減しているし、匿名掲示板と呼べるようなものは、ほとんど見ていないし書き込んでもいない。

私自身のハラスメント事案については、具体的な内容は自身のウェブサイトに書いた分と、そのURLを示してtwitterやFacebookで話題にしたものに限られていて、匿名掲示板にはそもそも書き込んでいない。私の事案では、まず相手方の動画中継による中傷と2ちゃんねる等への投稿が先にあり(これはあまりに酷くてさすがに左巻先生にも気づかれてしまって、その当時何かのイベントで顔を会わせた時に大丈夫かと言われたのを記憶している)、それに対する私の名誉回復目的で書いた内容なので、守秘義務的にはグレーなこともあり、もし裁判になった時に、確かに自分が書いたものだとわかる状態を維持する必要があると判断しているからである。その理由は簡単なことだ。何年も前に書いてすっかり忘れている匿名掲示板の内容について「お前が書いたんだろ」と言われた場合、忘れて否定した後で自分だとわかると訴訟で不利益になる。すると、書き込み元のIPアドレスを掲示板管理者に問い合わせて、さらにプロバイダにも問い合わせて、自分が書いたかどうか一つ一つ判定する、という超絶面倒臭い作業をする羽目になるのが確実だからだ。後の証拠収集の手間を軽減するために、自分が管理できるところ以外ではグレーな内容は書かないようにしている。

なお、その当時、申し出を行った学生は、調査中のハラスメント事案について、意図的に私の管理する掲示板を探し出してまで聞き取り調査の内容を書き込んだ。私が削除した上でアクセス禁止にしたら「北朝鮮か」などと意味不明な内容で罵った。それと並行して、調査中も調査が終わった後も2ちゃんねるで山ほど私を誹謗中傷した。先に守秘義務を破りまくったのは当時の学生の方で、私が規則通りの守秘義務を守るなら提訴は不可避という状態になっていた。提訴しても賠償金は安いし、反省もしそうにない相手だったので、反論して名誉回復をする方を選んだのだった。

さて、今回のクレーム内容では、どうも、2017年頃に、ハラスメントについて、私がクレーム主と継続的に匿名掲示板で何ヶ月か激しいやりとりをしたことになっているのだが、身に覚えが全く無い。というか匿名掲示板という言葉すら久しぶりにきいた感じで、クレーム主はどこかからタイムスリップでもしてきたのか?と思った。震災以降、ネットの利用はtwitter(とそのまとめのtogetter)、Facebookと自分トコのサイトへの書き込みがほとんどで、匿名掲示板的なものを積極的に見に行かなくなって既に15年ほど経っている。大体、ここ数年私が揉めてる相手は事業者か元事業者ばっかりで、その理由は自サイトのコンテンツや取材記事にあって、匿名掲示板も学生も全く関係が無いのである。どうも、全く関係のない他人同士のネット上の争いがどこかあずかり知らないところで起きていて、そのクレームだけが人違いで職場に届いているようなのだが、相手が匿名で電話するという卑怯者のため、人違いだと伝えることもままならない。だから相手の目にとまることを期待しつつここにこうして書いている。

ありそうな可能性として、上記事案の当時学生だった人物が私になりすました別人とトラブルになっていて身元を隠すために居もしない仲介者を装って電話したものか、公開されている情報を調べて仲介者を自称する全くの第三者と私になりすました誰かの間でトラブルになっているというものをまず思いついた。後者ならわざわざ大学にクレームを入れないだろう。もし前者なら、上記ページの削除要求ではなく、匿名掲示板でのやりとりの方を問題にしていることが解せない。前者であった場合、思い込みとその場の気分で他人を攻撃するという行動パターンと今回のクレームに至る経緯に共通性があるものの、2ちゃんねるでも私のブログでも自分の名前や学生証を晒していたし実況の時も名乗っていたから、今頃匿名にこだわるのはパターンから外れている。当時の教職員で定年退職した人の誰かが認知症の初期症状でも示してるのかという疑いも捨てきれないが、とにかく謎は深まるばかりである。他に、こういう暇なことをしそうで過去にやり合った相手は、ふまくんかアレな雀か逆ストーカー化した某氏ぐらいしか思いつかないが、どちらもここ数年はSNSでもそれっぽいのを見かけていないしなあ(ブロックしてるかミュートしてるか実際に現れていないのかもだけど)。っていうかホントにお前一体誰だよw

クレーム主は、訴訟になるといろいろ言われるので訴訟にはしたくないと言っているらしい。私としては、いっそさっさと訴えろ、ただしその前に発信者情報開示請求をしろ、としか言えない。書き込み主の特定や内容の特定をせずに電話のクレームだけで対応がなされると思っている脳天気っぷりを考えるに、書面作成能力を欠いているなら自力で裁判手続きは無理だから開示請求の段階から弁護士に頼めというアドバイスもしておく。クレームを出すにあたっての特定の甘さを見るに、この人物にまともな社会人経験がありそうにも見えないし、社会生活を送っているかも怪しい。匿名掲示板ってことは、私が書いて公開した内容の貼り付けは自由、私の名前を騙るのも自由ってことだ。だから内容が私の書いたものと同じでも何の証拠にもならない。大体、匿名掲示板ってのは、本人が実際に書いてて実名を名乗っても誰も信じないような場所じゃなかったっけか。書き込み元のIPアドレスからプロバイダを特定してたどる以外に、書き込んだ人物を特定する方法は無い。そもそも大学にクレームを入れても教員の言論を縛るのは無理だが、今回は発言者が私ではなく、クレーム主が勝手に私だと思い込んでいるだけの全くの別人のようなので、ますます大学にクレームでは問題は解決しない。なお、発信者情報開示の結果、誰が出てくるかは知らんが、そいつは多分私じゃない

もっと身も蓋もないことを言うと、クレーム主は私が匿名掲示板でずっと相手をしたと思い込んでいるようだが、思い上がりにも程がある。私がそういった行為をしたとして、私には何のメリットもないどころかデメリットしかない。全くの時間の無駄である上、何かで身バレしたら、ハラスメント防止委員をしているという事実は公表済みなので弊社のハラスメント対応体制の信用まで低下する。第一、私がそんな手間をかける値打ちがそもそもあなたには全く無いってことをまず自覚してほしい。書面で内容を特定してクレームを出す能力すら無い学外の人物を教育してやる義務は無い。まともなクレーム文書の書き方でも勉強してから出直してこい。あなたが今月やったことは、弊社の窓口担当者等に対するただの迷惑行為に過ぎない。

「大学生の日常も大事だ」はわかるけど,じゃあ条件は?

 新型コロナのせいで大学生がキャンパスに来られず,リモート講義ばかりになっている。後期もリモートのみになりそうな大学が出てきたので,ツイッターで「大学生の日常も大事だ」というハッシュタグイベントが盛り上がった。

 大学生の気持ちはわかるのだけど,既に,東京に出かけてクラブに行って戻ってから地元の飲食店でバイトしてて感染判明とか,宴会やってて感染判明といったケースが続々と出てきていて,たまたままだ大学がリモート講義だったからキャンパス内で接触した人が居ない,となって,大学経由の感染拡大ルートが断ち切られている状態になっている。

 大学が怖れているのは,キャンパス内でCOVID-19が拡がる機会を作ってしまうことで,その結果,再度市中に持ち出して感染者数を増やす結果になったり,学内の感染者に重症者や死者が出ること(将来ある学生を育てる側としてはこれ自体を避けたい)ともしかしたら追加で注意義務・管理義務違反で訴えられかねないことだろう。

 当面,コロナ以前には戻れないのだから,大学生の「日常」に優先順位をつける必要がある。多分,コロナ以前の「日常」を全て取り戻すのは無理だろう。学生は若いので低リスク群だから,コロナが蔓延してもキャンパスに集まる,というのは,腹をくくればできるかもしれない。しかし,大学で蔓延すれば,症状が出なくても家族に感染させる可能性はあって,家族は無事では済まないかもしれない。特に,学費を出しているであろう父母が重症化して働けなくなったり死亡したりするリスクがある。それでもかまわない,というところまで覚悟できるなら,キャンパスに戻るというのもありだろう。あるいは,家族に感染させる可能性の低い下宿している人だけキャンパスに戻り,帰省する時は14日ぐらいはバイトもしない大学にも来ない隔離期間を設けてから移動する,というやり方もある。

 都会の満員電車で感染爆発が起きていないことを考えると,マスクをして黙っていられるのなら,そこそこ人数が集まっても安全ということではないかと考えられる。さて,学生達が教室に集まると,教員が授業を始める前にかなりうるさいぐらいにお喋りをしているのが普通の光景だが,黙って着席していることができるのか?お喋りするなら屋外で,を徹底すればかなり安全にはなりそうだが,実行できるか?

 ねとらぼの「大学生の声を聞けぇー! ハッシュタグイベント「大学生の日常も大事だ」主催者・企画者の声から伝わる“大学生とWith コロナ”」に「なぜ大学だけが自粛を強要されているのか納得出来る明確な理由が欲しい」とある。理由ならすぐにいくつも思いつく。

 まず,大学はクラス単位で人の移動を制御できず,数千人が入れ替わり立ち替わり密な教室で接触するので,一人スプレッダーが混じった時の感染可能な人数の桁が小中高とは全く違う。人が移動した後の部屋を消毒する,といっても,小中高のように,理科室や音楽室を使った後で消毒とか,教室については下校後に消毒,といった対応ができない。休憩時間ごとに全教室を消毒するのはほぼ無理である。

 高リスク群である年齢の高い教職員がリモートワークに移行し,学生にキャンパスを開放するという解はあるが,キャンパス内でコロナが拡がったら封じ込めるのが困難で,ほぼ確実に市中に持ち出される。これを防ぐには,対面の接客系のバイトは全て禁止で非対面のバイトのみ許可制でOKとか,夜の宴会飲み会食事会も全て禁止にするしかない。今でさえ,個別にクラブに行ったとか宴会したとか密なイベントに行ったとかで感染者が出ていて,リモート講義のおかげでキャンパス内で拡がるルートが抑えられている状態だ。学生全員が,放課後の飲み会や食事会をしないということをが守れるか?キャンパスで拡がった後,対面バイトで複数経路でキャンパスからのコロナ持ち出しが起きたら,市中からキャンパスを閉めろという声が上がることになりかねない。日常を求める大学生達が小中高の授業再開と大学の状態を比較するのなら,行動の方も小中高並みにするしかない。クラス単位で人の移動を管理がカリキュラム上無理なら,せめて,対面バイトなし飲み会なしを徹底するのでないと,小中高と並べて議論することすらできないだろう。キャンパスに集まって勉強することと,コロナ前のように対面バイトや飲み会をすることは,2種類の「コロナ交換場」を頻繁に行き来するのと同じことになる。キャンパスに集まって勉強することを選ぶなら,対面バイトと飲み会は諦める必要がありそうだし,諦められる学生だけでキャンパスでの活動を再開するという手はあるかもしれない。

 そうは言っても,対面で接客している販売業は街中で営業している,という反論があるかもしれない。しかし,フルタイムでそういう仕事をしている人達は,感染確率の低い交通機関を使って出勤し,それぞれの職場で働くことと,家に帰ることを繰り返している。途中で,大人数と接触してしかも接触相手が入れ替わる上にリスクの高い室内会話をする状態(つまりキャンパスに出てくるということ)はしていない。行動範囲に「コロナ交換場」になりそうな場所が複数含まれていない。まあ,そういう人達でも,密になって酒の出る場所に行ったり,そういうイベントに参加したとたん「コロナ交換場」入りする結果になるのだけど。

結局だぶさんのアライグマツイートはどうだったのか(2)

 最近のツイートを見ると、アライグマを水で殺す話が出てきていて、これを推奨したと受け取る人がいたことが問題だったのか?と思った。

水で殺す話1

 そこで、この、水で殺す、というのがどういう文脈で書かれているかを調べたら、出て来たのがこれだった。

水で殺す話2

 まず、ここでの話は、環境省のガイドラインにある、特定外来生物であるところの今現在野生のアライグマを殺す話ではない。アライグマを愛玩動物として飼っている飼い主が、もう飼えなくなった場合に野に放つ代わりにすべきこととして、「水に放り込んで殺す」べきだと書かれている。しかも、皆がそうしてくれていれば、と述べていることからわかるように、昔の飼い主がアライグマを飼えなくなった時に水で殺すべきだった、という仮定の話である。今現在多方面に被害を出している野生のアライグマを捕まえて水責めにせよという話ではない。この記述を理由に、アライグマを虐待することを勧めているとか、環境省のガイドラインを無視していると主張するのは無理がある。環境省のガイドラインは今これからアライグマを捕獲して駆除する場合に推奨される方法であって、昔の飼い主がどうすべきだったかという話とは関係がない。

結局だぶさんのアライグマツイートはどうだったのか(1)

どうも、日付をわざとに削除したスクリーンショットでクレームを入れている人が居るらしいので、資料として、キーワード「アライグマ」で出て来たツイートをまずはあとめておく。

確かに2011年のツイートを見ると、「食ってやる」「殺意」といった表現が登場するが、これは全部言っているだけで、実行したことを示す記述はどこにもない。他人に実行せよとも言ってない。

2013年のツイートは、近寄ってきたから蹴ったと書いてある。これが唯一だぶ氏が実行したことらしい。なお、近寄られたら蹴って対応するのはアメリカでも普通に行われている。危険な特定外来生物への対応としてはまあそんなものだろう。豹変して飛びかかられてからでは遅い。

 2020年3月8日のツイートでは「ただ、もちろんこちらも落ち度があって、2011 年と2013年のツイートはいささか露悪的だ。あの頃はフォロワーも300人もいなかったのだが、こういう虐待を想像させるような表現はするべきではなかった。まじめにアライグマ排除を黙々とやっている方に大変な迷惑がかかる。これについては猛省している。」とあり、書き方については反省している。

 2011〜2013年の投稿は、アライグマの牙やら爪やらと、牙も爪もないヒトが獲物を持ってサシでやりあおうという設定で書かれているのであって、その上で食べようぜという話である。単純に駆除するという話ではない。

関連ツイート

学習院の謝辞

学習院大学に掲載された卒業生代表の謝辞が話題になっている。話題になっている方の謝辞を引用して私なりの感想を書いておく。

【謝辞①】

卒業生代表・小堀奈穂子

 卒業生総代答辞の多くが、ありきたりな言葉の羅列に過ぎない。大きな期待と少しの不安で入学し、4年間の勉強、大学への感謝、そして支えてきてくれた皆さまへの感謝が述べられている定型文。しかし、それは本当にその人の言葉なのか。皆が皆、同じ経験をして、同じように感じるならば、わざわざ言葉で表現する必要はない。見事な定型文と美辞麗句の裏側にあるのは完全な思考停止だ。
 私は自分のために大学で勉強した。経済的に自立できない女性は、精神的にも自立できない。そんな人生を私は心底嫌い、金と自由を得るために勉強してきた。そう考えると大学生活で最も感謝するべきは自分である。
 すべての年度での成績優秀者、学習院でもっとも名誉である賞の安倍能成記念基金奨学金、学生の提言の優秀賞、卒業論文の最優秀賞などの素晴らしい学績を獲得した自分に最も感謝している。支えてくれた人もいるが、残念ながら私のことを大学に対して批判的な態度であると揶揄する人もいた。しかし、私は素晴らしい学績を納めたので「おかしい」ことを口にする権利があった。大した仕事もせずに、自分の権利ばかり主張する人間とは違う。
 もし、ありきたりな「皆さまへの感謝」が述べられて喜ぶような組織であれば、そこには進化や発展はない。それは眠った世界だ。新しいことをしようとすれば無能な人ほど反対する。なぜなら、新しいことは自分の無能さを露呈するからである。そのような人たちの自主規制は今にはじまったことではない。永遠にやっていればいい。
 私たちには言論の自由がある。民主主義のもとで言論抑制は行われてはならない。大学で自分が努力してきたと言えるならば、卒業生が謝辞を述べるべきは自分自身である。感謝を述べるべき皆さまなんてどこにもいない。

 ツイッターを見ていると、ネオリベの論理だとか強者の論理だとか言って批判している人を見かけたが、どれもピントを外しているように思え得る。なぜなら、これは、大学に対して述べたもの、だからだ。

 大学に対する学生からのありそうな批判は、「もっと分かりやすく説明しろ」「試験が難しい」「評価基準がきびしい」といったものだろう。こういった内容を想定して読むと、意味ががらっと変わってくる。ろくに予習・復習もしないで「授業料払ってるんだからわかるように説明しろ」と受け身のままで「お客様」としての権利主張する学生に向かってであれば、大した仕事もせずに自分の権利ばかり主張するな、という批判は全く正しい。むしろ大学自体がこの立場をとるべきだ。

 教員をやっている側にしても、普段からさぼっていて点数も低い学生が「講義がわからん」「評価の基準を変えろ」などと言ってきた場合、「教え方に文句言う前にまず予習復習しろ、講義の3倍の自習時間確保してからモノを言え」と言うしかない。しかし、普段からよく勉強していて成績もいい学生から、評価基準が適切ではないという意見が出たら、この学生にして引っかかるのなら少し見直してレギュレーションするか、と考えたりもする。

 一応は謝辞なので、いくらなんでも、「ろくに勉強もしないで教員の教え方や教材や評価基準に文句言ってゴネて楽に単位を取ろうとするお客様気分のアホ多すぎ。でも大学はそんなの相手にしなかったのは褒めてやる今後もそのまま続けておけ」とはストレートには書けないだろうし芸がなさ過ぎるから、この内容をうまいことぼかしたらこの表現になったんじゃないか。だから私には、とんがった表現というよりは、最大限オブラートに包んだ表現に見える。

 この人が女性で「経済的に自立できない女性は、精神的にも自立できない。そんな人生を私は心底嫌い、金と自由を得るために勉強してきた。」と書いていることで、まだ男性はこの視点を持たなくても女性よりはなんとかなる程度に自動的に下駄を履かせてもらえる(とこの人が認識している)、ということがわかったことは一つの収穫。学習院ぐらいの大学だと、男子学生は割と余裕でそこそこいい所に就職できているのだろうか。雇用機会均等法の第一世代がちょうど私の世代なのだけど、随分時間が経って改善されたとはいえまだそういう状況なのかな、と。まだ、女性はわざわざ経済的自立を意識しないといけない雰囲気が残っているということなのだろう。

電凸野郎の情報募集

山猫だぶさんとオイカワマルさんの職場に電凸したヤツの情報。
この人の本人身バレにつながる情報を募集します。

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文献講読で英文翻訳サイトの使用を禁止した

 化学文献講読という卒研生向けの科目があって,論文や参考書などを主に英文で読むことになっている。今年はウチは英文の専門分野の教科書を,担当者を決めて読んでゼミをすることにしている。皆さん予習はしているのだが,説明をきいているとあまりにも意味不明で,その意味不明の原因が自動翻訳サイトの訳やウェブで引ける辞書にあることがわかったので,翻訳サイトの使用禁止を指示した。

 たとえば,数式の説明で,こんなフレーズがある。

where epsilon = +1 or -1 depending on whether A is even or odd in the combined power of the momenta

テキストの前後の文脈から,Aは物理量で,位置rと運動量pの関数であることが既に示されている。

 これを,ネットで使える翻訳サイトで日本語にしたらどうなるか。

まずは,ぐーぐる先生。

ここで、Aは運動量の総電力で偶数か奇数かによって、ε= + 1または-1になります。

マイクロソフト。

ここで、イプシロン = +1 または -1 は、瞬間の結合力で A が偶数か奇数かによって異なります。

Weblio。

1. エプシロン= +1またはAが均一であるか混合性のものがおかしいかどうか次第になっている-1が勢いの原動力となる所で、
2. エプシロン= +1またはAが均一であるか混合性のものがおかしいかどうかに従う-1が勢いの原動力となる所で、
3. エプシロン= +1またはAが均一であるか混合性のものがおかしいかどうかに依存している-1が勢いの原動力となる所で、
4. エプシロン= +1またはAが均一であるか混合性のものがおかしいかどうか次第になっている-1が勢いの原動力となる所で。

NAVER(Papago)

ここで,epsilon = +1 または -1 は,A が minute の累乗で偶数であるか奇数であるかによって異なります

Yonder

ここで、epsilon=+1または-1は、aがmomentaの結合力で偶数または奇数であるかどうかによって異なります

Freshly

どこで、イプシロン=+1あるいは-1、Aがそうかどうかに依存すること、あるいはmomentaの結合した力において奇妙。

 どれを見ても日本語として意味が全く通じないし数式の説明としても意味不明である。前後の文脈からmomentaは運動量で,Aは運動量の関数でもあることがわかっているので,「ここで,εが+1になるか-1になるかは,Aが,運動量のべき乗の組み合わせによって偶感数か奇関数のどちらになっているかによる」といった内容の英文なのだけど,自動翻訳の結果をどう見ても,この意味にはならない。

 時間をかけてネットを使って調べても,でたらめを教えられてしまったのでは,全く意味がない。専門分野ごとに用意されている有料の技術翻訳サービスを使えばもっとマシな結果になるのだろうけど,手軽に使えるものならまあこんなものなのだろう。便利なものはどんどん使えば良いと思っているし,学生をいじめる気は全くないのだけど,インチキな翻訳に振り回されて内容が余計にわからなくなるのでは逆に足を引っ張られるだけである。そんなわけで学生には,無料翻訳サイトの使用禁止を申し渡した。技術は進んでいくものだから,もう数年したらもっといい翻訳サイトになるかもしれないけど,今年中に,っていうのは無理だろうなあ。

「山月記」を久し振りに読んでみた

『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』という本をネットで知って読んだ。「山月記」そのものは私の高校の頃の現代国語の教科書にも出ていて,授業を受けた記憶がある。が,もう30年以上前のことで,どんな指導だったかよく思い出せない。今読んだらどう読めるのだろうと思いつつ,青空文庫で読めるのでざっと読んだ。

李徴,悪い人じゃないんだけど詰めが甘いし計画性は無いし自己評価の基準が他者にあるしで,虎のメタファーが何であるかはとりあえず置くとしても,そりゃ虎にもなるわなあ,という納得感があった。

まず,博学才頴とあるから,李徴は勉強ができて優秀な人である。無事に試験に受かって官吏になって生活も安定した。ところが,官僚のままダメ上司に従うよりは詩人として名を残したいと考えて,妻子持ちなのに仕事を辞めちゃった。ひたすら詩作に耽った,とあるので,作品を量産してはいるようだから,単なるワナビーではないといえる。

サラリーマンしてるけど作家になりたいとか漫画家になりたいとか言う人,今の日本にもいっぱい居るが,いきなり仕事辞めて創作にふける人は少ないはずだ。創作系の仕事は兼業で始められることがほとんどなので,今の仕事に不満があっても,まずは作品を作って売ることを考え,売り出してやっていける見通しが立った後で仕事を辞めるというのが,計画性のある考え方だろう。売れるかどうかもわからないのに先に官吏を辞めちゃった李徴は,まるで計画性が無いしリスクヘッジもできていない。

なお,李徴のかみさんは割とよくできた人らしい。生活の安定してる官吏だと思って結婚したら,ダンナが詩人になると言って仕事を辞めちゃって,貧乏一直線という状況で,それでも別れずに居たのだから。

詩人を目指した理由にそもそも問題がある。「詩家としての名を死後百年に遺そうとした」が理由となると,李徴にとって,詩は後世に名前を残す手段に過ぎなかったことになる。詩が好きでたまらないから,とか,書かずにいられないから,とか,書いてるのが当たり前だから,という理由ではないのである。

詩の方で認められず,生活が困窮したので,もう一回官吏になってみたら,かつての同期,しかも自分より出来が悪いと思っていた同期が今は上司,という関係になっていて,なんで俺があんな無能の命令きかにゃならんのかとストレスと溜めた挙げ句に失踪しちゃった。次に人前に出てくるのは虎になった後である。

李徴の考え方には,自分は人より優秀だという思い込みがまずある。実際優秀だから全く根拠がないわけではない。李徴という人は,自分が他人より優秀だということが他人からも認められていることを自分で確認できると満足する。他人相手にマウンティングして自分が上だ,という状態でないと満足できないのである。だから,再度官吏になって,かつての同僚が上司になっていることに耐えられなかったのだろう。また,名前が後世に残れば李徴はよりいっそう満足できる。つまり,李徴とは,承認欲求の塊のような人物である。

後半,友人の袁傪は虎になった李徴と久し振りに再会して話をしている。袁傪に示される詩は,虎になるずっと以前,詩人として名をなすつもりで作っていたものの一部である。袁傪の評価は「作者の素質が第一流に属するものであることは疑いがない。しかし,このままでは,第一流の作品となるのには,どこか(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか,と。」というものであった。本当に詩人になる才能のある人とは,何をおいても詩を書かずにいられないような人で,他人がそれをどう評価するかは二の次三の次だろう。詩を書く技術は一流でも,承認欲求を満たす手段として書かれた詩に,なにがしかの欠落があると感じられるのは,そう不自然なことでもない。

虎になって生きると人間の心は無くなるが,今のところは人の心に戻る時間がある。その時間を使って李徴はあれこれ自己分析している。本人はこのまま完全に虎になることを悩んでいるようだが,むしろ完全に虎になった方が李徴は幸せではないか。どうしようもない自己顕示欲と他人にマウンティングして上に居ないと気が済まない性格が直せないのであれば,詩人としてダメで官吏としても出世が遅れることが確実となった後では,李徴が満足できる状況には決してならないし,ずっとストレスを感じながら生きて行くことになる。虎になればそういったものから解放されるので,やっと李徴に安らぎが訪れたともいえる。評価軸の基準が他人にしかない人間が解放されるには,他人との関わりを断つしかなかったということなのだろう。

ところでこの虎になるという感覚は,私にもわかる。最近はほとんどやらなくなったが,昔は,虫を探したり,文学の元ネタになった場所を訪問するといった目的で,レーションやら雨具やらをリュックに詰め込んで一人で山やら人の来ない場所をうろついていた。これをやると,どこで物を食べるかとか,どこで寝るかといったこと以外のことを考えなくなる。食料だけは持っていたが,わりと気ままに動いていたので,食料が尽きたらどうするかとか,水をどこで確保するかとか,常に考えることになった。こういう時は,一日のうちのほぼ全てを,食べることと休むことだけ考えて過ごすことになる。この状態では,とりあえず無事に生き延びることに思考のリソースが全振りされて,他のことをあれこれ悩む余地はなくなる。多分これが李徴が虎になった状態に近いのだろうと考えている。

現代国語の場合は,なにがしかの教訓を引き出さなければならないらしい。私が思いついたのは次のようなものである。

  • 創作系の仕事は兼業でもできるので,いきなり稼げる仕事を放り出すのはやめろ。
  • 評価の軸が他人にあるというか他人に依存してる人は創作には向かない。
  • 何かと他人にマウンティングする癖は早いとこ直した方がいい。
  • 一人で思い悩んでいても到達点には限界があるし良い結果にならない。
  • 虎も案外悪くない。装備減らして山に数日入れば気分は体験できる。遭難の危険はあるが。

……現代国語の指導には使えないなあコレじゃw

教授にメールは無意味です

 「落単した大学生必見!教授に救済措置お願いのメールの書き方とは」という記事が,誤解を招く内容なので,大学教員の立場を述べておくことにする。(批判を書いて1時間経たないうちに元記事が消えてしまったが,私が書いた内容自体は一般的なものなので残しておきます。)

教授にメールを送ってみると、意外と救済措置のレポートを出してくれたりします。
そこで今回は、落単したであろう時に教授に
救済措置をお願いする時のメールの書き方について紹介していこうと思います。

で始まっており,救済をお願いするメールのテンプレートとして,

件名:(授業名)の期末試験について (授業名)を履修しているCIELです。

本文

〇〇教授(または先生)
お世話になっております。
(授業名)を履修している(学年)の(名前)と申します。
本日の期末試験のことなのですが、事前に勉強をしていたつもりではあったのですが
残念ながらあまりいい手応えを感じることができませんでした。
〇〇教授のされている〜〜〜〜という研究内容にすごく興味を持ってこの授業を履修させていただきました。
そこで、誠に勝手であることはわかっているのですが
レポートや再試験といった救済措置を取っていただくことは可能でしょうか。
もし救済措置を取っていただけるのであれば、全力で取り組みたいと考えております。
また、今後このようなことがないように次の学期はさらに日々勉学に励んで行こうと思っています。
お忙しいところ申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。

○○大学○○学部○年

CIEL
メールアドレス

というものが出ている。

 が,このようなメールを送ることは全くの無駄であり,従って,これを送られた教員の機嫌を損ねる可能性が極めて高い。以下にその理由を説明する。

 単位認定の基準は公平かつ公正に行わなければならない。基準の設定や内容(試験とレポートの点数配分など)は教員の裁量に任されているが,大前提として公平かつ公正,ということが求められている。特定の学生から,単位を落としたので救済措置を求めるメールを受け取ったからといって,その学生だけに救済措置を行ったら,それは不公正な単位認定ということになり,教員にとっては大学から処分されるリスクを負う行為となる。そのようなメールを教員に送ることは,教員に向かって不正な行為をしてくれと依頼することに他ならない。不正の依頼を堂々としてくる学生への(成績表には表れない倫理的な部分での)評価がどうなるかは,まあ誰にでも想像がつくだろう。

 学生が救済措置を求めるメールを送ってきたとして,たまたま不合格になった人が例年よりも多く,本当に何らかの救済措置が必要だと教員も考えている状況だったとしよう。その場合には,全受講生に対して,方法や救済後の評価について公平にチャンスを与えなければならない。具体的な救済措置の実施の方法については学内の掲示板などで全員に知らせるので,そちらを見ていればよく,個別にメールで問い合わせるのは全くの無駄である。

 いずれにしても,「あなた個人」だけに対する救済措置としてのレポートや追試はあり得ません,という回答以外は無い。もし,個別メールでのお願いに対して追加課題で単位認定をしている教員がいたり,そういう方法を容認している大学があるなら,それは単位認定について欠陥を抱えた大学ということに他ならない。

EM裁判(出口vs.左巻)資料(ウチで)非公開の理由

実はこの前に、コンテンツ全部暗黒団に吸い上げてもらってました。書いた時は別サイト公開もやめるって話だったけどちょっと状況が変わりました。新公開場所はこちら。http://ankokudan.org/d/d.htm?samaki-j.html

———- 元の内容ここから———–

 理科教育の左巻氏とEM研究機構の元顧問の出口氏との裁判資料について、私のサイト(http://www.i-foe.org)で公開していたが非公開とした。意外に思われるかもしれないが、今回、非公開になった経緯には、EM研究機構も原告の出口氏もその他のEMを広めている団体も全く関係がない。資料公開について、これまでにEM関係者からは何のクレームも来ていない。多分、左巻さんの方にもきていないだろう。非公開になったのは、私と左巻さんが揉めた、というのが直接の原因である。以下に状況を書いておく。なお、関係者(?、かなり蚊帳の外だけど)であるKaetzchen=howtodominate氏については、左巻さんは直接の面識があるそうだが、私との面識はない。私は、以前、ツイッターでごく短期間howtodominate氏やりとりをしたあと、ブロックして今に至っている。今回は、私が、左巻氏のhowtodominate氏に対する対応を見て、さすがに見過ごせないと判断したことが発端である。

 左巻氏によれば、howtodominate氏は、昔、Kaetzchenと名乗って「リベラルブログで暴れ回っていた」らしい。そのことで、最近、中大理工の田口さんとの間で左巻さんとやりとりがあった。http://samakita.hatenablog.com/entry/20170918/p1。これがツイートで流れてきたので確認したら、howtodominate氏の4年前の逮捕歴を左巻氏がブログで拡散していた。さすがにこれはやり過ぎだろうと思って、その旨を左巻氏に伝えた。そのやりとりが下になる。

Twitter screenshot

 実は、以前から、左巻さんのhowtodominate氏への対応方法が引っかかっていた。その理由は、howtodominate氏の言動への批判ではなく、たまたま以前からリアルで関わっていたために知り得たプライベートな情報(病気やら生活保護や医学部受験に失敗したといった)を、左巻さんが一方的に暴露しているように見えていたからである。howtodominate氏のプロフィールを確認しても、実名その他個人情報については何も書いていないので、左巻さんがやっていることが、howtodominate氏本人のコントロールを離れた意志に反する暴露だと判断するしかない。それで、以前にも、批判や反論なら良いが、たまたま知り得た個人情報の公開はやり過ぎではないかと左巻さんに伝えていた。

 上記の左巻さんのブログで、howtodominate氏の逮捕歴を探し出して公開しているのは、私の基準では容認できない程度の一線を越えたやり過ぎだと考える。もちろん、逮捕歴や前科の情報を共有する必要がある場合もあるのだが、それは、その逮捕や前科の原因となったことがまだ解決されていないか、繰り返されるおそれがある場合に限られるだろう。例えば、昔悪徳商法で捕まった人物が今度は別のインチキ商品を売り始めた、といった場合には、当該人物の社会的信用に関わる情報を共有する必要が出てくる。ところが、左巻さんによると「リベラルブログで暴れ回っていた水谷氏がハウツになって本当におとなしく存在感がない。影響力もなさそうだがバカを騙してやりとりしているから時々注意喚起。」である。左巻さんが、howtodominate氏が今後も暴力的なことをするとは全く予想していないことがわかる。そうであるなら、今更逮捕歴を公開することにはどんな理も義もない。だから、今回もツイッターでやり過ぎだと指摘したら、左巻さんからの返事が、「良識ある人は俺のフォローを外してくれ」で、他人の逮捕歴を公開することの意味も重みも全く理解していない内容だった。それで、私は、今後は左巻さんがhowtodominate氏専属のネットストーカーであると言うしかない旨を伝えた。

 そうしたら、左巻さんからの連絡が、「EMの裁判資料を非公開にしてくれ」というものだった。また、知人を交えてやりとりした結果、左巻さんによれば「気分の問題」とのことだった。

 私は、もともとhowtodominate氏の個人情報暴露問題とEM裁判やらニセ科学の問題は別だと考えていたので、左巻さんの対応にかかわらず、それをEM裁判の資料公開と結びつけるつもりは全く無かった。だから、個人情報暴露をやめなければ公開を止めるぞなどとは一切言ってないし、そのつもりも全くなかった。他人の逮捕歴を「どうも俺は可笑しげなの、卑怯なのは許せないんだなあw」で、その他の経済状況と一緒に公開し、それを批判されたら、今後EM推進している人達に脅されるかもしれない人々にとって役立つはずの記録を「気分の問題」という理由で公開を止めるという判断をしたのは左巻氏である。従ってEM研究機構も出口氏もその他EM関連団体も全く関係がない。なお、「気分の問題」の合理的説明も無いままである(気分だからまあ説明できないのも仕方が無いとは言えるが)。

 howtodominate氏が左巻氏を中傷しているという事実はある。上記のブログからもそれはたどれる。まあいろいろと酷いことを言われていて、左巻氏には本当にお気の毒と思うし、中傷する方が悪い。しかしそうは言っても、左巻氏の方も、長期にわたってhowtodominate氏の正体だの個人情報だのを他人に触れて回っていたのだから、howtodominate氏の中傷を誘発した面が無いとは言えないだろう。

 ネット人格や設定を作ってやりとりするというのは特に異常なことでもないし、最近のインスタグラム等ではリア充を装う、というのがごく普通に行われていたりする。装い過ぎて疲れるという本末転倒まで起きている。その設定で語られる内容が、他人に被害を及ぼす場合は、嘘であるとか間違いであるといったことを指摘しなければならなくなる。もし、左巻氏が、howtodominate氏に騙されてインチキ商品を買ったりニセ医療に誘導されたりしている人がいるのを見て、その発言の内容は間違いだとか、正しくはこうだ、ということを主張していただけなら、普段のニセ科学やインチキへの対応と変わらず、何の問題も無かったし、私はむしろ応援しただろう。また、もし、howtodominate氏が権威を装って大々的にインチキ商品を売り始めた、とかであれば、正体を暴露する必要もあるだろう。しかし、今回はそのどちらでもない。騙される人が出ないようにするとか、可笑しげサヨクをいじるのに、howtodominate氏の個人情報らしきものを暴露する以外の方法がいくらでもとれる以上、左巻氏がやっている正体の暴露に理は全くない。

 さて、これを書いていて、左巻さんのブログをチェックしたら、 http://samakita.hatenablog.com/entry/2017/10/12/112846が公開されていた。

 相変わらずhowtodominate氏をクズ呼ばわりした上で「しかし、ツイッターでバージョンアップした妄想人格をつくって大学教員や医師、患者などを騙してやりとりするのを喜びにしていたのだ。」と書いてある。散々悪口を言われたのだからクズ呼ばわりしたくなるのはまあわかる。だが、howtodominate氏がやったのは「やりとりを喜びにしていた」だけである。左巻氏は正直だから、被害があれば具体的に書くだろう。こう書いてあるということは、左巻さんの認識では「やりとりを喜びにしていた」以上の事は起きていないことを意味する。それならば、正体を暴露して警告することに正当性は無かろう。

 左巻氏は、10月12日付けのブログで、2ちゃんねるの西村博之氏の発言を引用し、

そのクズは2ch西村博之氏がいう「無敵の人」。
 “逮捕されると、職を失ったり、社会的信用が下がったりします。元々、無職で社会的信用が皆無の人にとっては逮捕というのは、なんのリスクにもならないのですね。”

 と書いている。読んでかなり違和感があった。

 左巻氏が、howtodominate氏を「無敵の人」と見做していて、無職で引きこもりだと(左巻さん的にはそれなりの確度をもって)述べていることは明らかである。

 実は、このブログを書く前に、左巻氏が読める所で、私は次のように書いた。

 私はハウツ氏を直接は知らないし、以前ツイッターでリプしてきた内容が私の買った液晶ディスプレイにケチをつけるというものだったので、何だこいつはと思ってブロックだかミュートだかした覚えがあります。(つか、今確認したらブロックしてたw)

 なりすましを野放しにすべきではないとは私も思うし、だから例えば「そうはいっても(なりすまされた)本人である保証がない」とか「それ証明できないよね」ってツッコミ入れる程度ならまあわかります。しかし、アカウントと紐付けしてない本名をばらし、医学部受験に失敗したとか現状生活保護だとか、プライベートな内容を公開する、しかも、定期的に何年もそれをやってツイッターでやりとりしてる相手に知らせに行くというのは、個人情報の取り扱いをどう考えているのかって思うわけですよ。あと、逮捕歴まで追加されてますね。しかも4年も前の。

 
 で、まあ、ハウツ氏の正体が左巻さんの主張通りだとして、だとしたら左巻さんとハウツ氏では社会的な力関係に大差があるのは誰もが認めるところだと思いますよ。
 一方は理科教育で広く知られ法政大の教授などを歴任してて、一方は無職ひきこもり。

 このリアルの力の差を無視して「どうも俺は可笑しげなの、卑怯なのは許せないんだなあw」って理由で個人情報ばらしまくるってのは、相手が絶対に訴えてもこないし殴り返しても来ないのを見透かした上でのいじめでなくて一体何なんだ、ってことです。で、良識あるならフォローを外せってのは、一方的に殴ってる自覚があっての発言なんですよね?

 左巻さん自身が中傷されてる分については反論はすべきと思いますが、だったらブログに書いてるように事実を言えば済む話で(教授であることの証明とかなら簡単にできるし)、たまたま知人だったから知り得た個人情報を公開するというのはどう見てもやり過ぎだしルール違反と思いますよ。

(※ハウツ氏との話題について液晶ディスプレイ、と書いたが、もしかしたらペンタブレットだったかもしれない。何せだいぶ前のことなので記憶が定かではない。)

 私のこれに対する回答が「無敵の人」云々ということなら、立場の差を利用して殴ったところで相手はちっともダメージを受けてないから無問題、という意味にしかとれない。逮捕されてもダメージを受けない「無敵の人」が相手なのだから個人情報や逮捕歴をどれだけネットで触れて回ってもかまわないと左巻さんが判断している、ということになる。そういうことならば私の倫理観とは相容れない。

 実はこれを読むまでは、もう少し別の理由があるのかなとも思っていた。左巻氏から話をきいたり、左巻氏自身がブログでも何回か書いている(これとかhttp://samakita.hatenablog.com/entry/20170909、上の9月18日付けのものにも)のだが、左巻氏の想定通りの人物なら、howtodominate氏とは昔リアルに知り合いで、howtodominate氏との共著がある。それも、左巻さんの方がhowtodominate氏に著作を書く機会を提供した。つまり左巻さんとしてはある時期まではhowtodominate氏を友人だと考えて活躍の機会を提供しようとしていたということだ。だから、howtodominate氏を助けたいという善意が今でも少しは残っているのかなと思っていた。それでも、howtodominate氏の個人情報をばらまく理由の説明がつかない。

 左巻氏の主張のように、騙される人を防ぐ目的ならば、単に本物で無いということだけ指摘すれば足りる。あるいは、主張がおかしい(設定と発言内容がかみ合わない)ことを指摘すれば済むので、個人情報を暴露する必要も理もない。本人に療養を促したい場合、逮捕されてもダメージを受けない無敵の人という判断を左巻氏は既ににしているのだから、個人情報をいくら暴露しても効果がないことが容易に予想できるので、やはり意味がないし理にかなってもいない。相手がダメージを受けないのだから暴露し放題だという主張ならそもそも倫理的にどうよ、って話になる。具体的な被害の発生があるならともかく、相手がキャラつくってええ格好しているだけの無職引きこもりの個人と認識した上で、正体をばらして回ることに一体どんな大義名分があるのか甚だ疑問である。これは、ニセ科学への対応とは理路が違う問題である。

 わからないのは、なぜ左巻氏が執拗にhowtodominate氏の個人情報を暴露することにこだわり、悪いことだとは全く思っておらず、寧ろ正当化している節があるのかということだ。今回、私が少し本気で批判したら、気分の問題という理由でEM裁判の情報公開を止めると言ってきた。左巻さんの裁判記録だからどうしようが左巻さんの自由だからそのこと自体に異論は無いが、意味がわからない。howtodominate氏の正体をばらすことは、左巻氏にとって大変に気分が良いことなので、かわりにEM裁判の記録の公開をやめても続けたいということなのだろうか。「無職になったときぼくの事務所に泊め求職活動させたり援助した。本にも書かせた。本で無職をサイエンスライターにしてあげた。ぼくは実際にも何度かあって援助してきた。」とあるが、過去に援助したから後で正体を暴露して逮捕歴まで晒してもかまわない、という基準なのだろうか。私は,左巻氏はご自身が言うところの「気分の問題」のその「気分」の中身としっかり向き合うべきだと思う。

 なお、左巻氏の理科教育やニセ科学への取り組みについては、私はこれまで通り支持するし応援もするつもりである。この批判をしたからといって、それ以外の部分についての評価は何ら変わることはない。言うまでもないことだが。

【追記】

 まああれだ、いろんな理由で脳が壊れることはある。梗塞起こしたとか腫瘍ができたといった理由で行動がおかしくなることは誰にでも起こりうる。ハウツ氏に近い言動を取り得るおそれというのは割とあるかもしれない。そうなった時に、左巻氏にプライベートな情報を知られていたり、過去に助けられたりしていると、個人情報をばらまかれるおそれがあるということだけは言える。左巻氏は悪気はないしむしろ親切な人だけど(多分この評価には多くの人が同意するはずだ)、それでもプライベートな情報は渡さない方が安全だろう。

【追記2017/10/15】

 一晩たって別のことが引っかかった。左巻さんのブログなどの読者が多いのに、誰も、正体暴露してまわってることについてプライバシーの問題を指摘しなかったのかってこと。多分、読者に学校の先生が多数いると思うのだけど、全員これをスルーだとすると、逆にそっちに問題がありそう。学校内部が社会と別ルールだってのに馴らされすぎてるんじゃないのか。