水素ガスについて訊かれたのでコメントした

 水素水ではなく水素ガスの効果について週刊新潮から意見を求められたので,いろいろ話をした。大体こんな感じ。

  • 水素水の場合は体内に入る水素の量がとても少なかった上,胃腸からのガスの吸収という効率の悪い方法だったので効果は無さそうだが,肺からのガスの吸収であればなにがしかの生理作用・薬理作用があるかもしれない。どれくらい効率が違うかは,息を止めて酸素水を与えても窒息するし,胃に酸素ガスを送り込んでも呼吸のかわりにならないことから見当がつくはず。
  • 生理作用や薬理作用は,臨床試験によって判定されるべきもので,試験の結果なしに効果を期待しても無駄。仮に,何かの病気に効くとか症状を和らげるといった効果が見つかったとしても,それはその特定の病気だけの話なので,予防に役立つとか健康にいい,といった拡大解釈をしてはいけない。
  • 研究の状況の判定方法は,たとえば,「食べ物とがん予防」(文春新書)に出ている,「健康情報を評価するフローチャート」によるべき。研究デザインが正しく,十分な数の被験者が確保できていて,結果が論文誌に出され,複数のグループの追試も同じ結果である,といった場合に,そこそこ信頼していい結果があることになる。動物や培養細胞で実験しただけとか,被験者が少ないとか,学会発表しかない,といった状態なら,十分な研究が行われるまで判断を保留すべき。
  • 病気の人に使うのと,健康な人に使うのとは状況が違う。病気の人に効果があっても健康な人には関係無いかもしれない。予防の効果の確認は,健康な人の大人数の集団を長期にわたって追跡しなければできないので,そうそうすぐに結果は出てこないだろう。
  • 効果の判定をするなら,吸わせる水素ガスの濃度と,血中水素濃度の変化の計測が必須。
  • 太田教授のもともとの研究は脳梗塞ラットの血液再灌流時に発生するフリーラジカルの影響を減らすというものだった。ヒトに使えるなら助かる人も多いかもしれないと思って論文を見ていた。水素濃度を上げておくと,何かの異常で大量にフリーラジカルが出来る時の影響が減らせるかもしれない(単純に化学反応が競合するので)。もともと,ヒトの体内では,フリーラジカルは必要な時に作られ,必要なくなったら分解されているもの。水素の量を増やして競合させてもどれだけ意味があるかは疑問。ただ,大量にフリーラジカルができるといった異状な場合に限っては,効果があるかもしれない。が,臨床試験の結果次第だし,積極的に臨床試験すべきかどうかについては,水素よりもっと有望な方法があればそちらが先に試験の対象になりそう。このあたりの優先順位については私でなく医者に訊くべき。

電話取材だったのでこんなことをいろいろ話した。まあ,そんなに長いコメントは出ないだろうなあ。

NMRパイプテクター対策に:消費者法ニュースの記事を公開します

 

「消費者法ニュース」119号(2019年4月発行)に掲載された,「マンションの管理と磁気活水器」全文の原稿を公開します。

 本文中にはNMRパイプテクターという名称は用いておらず,磁気活水器と書いていますが,売り込みの方法や問題点はほぼ全てあてはまる内容です。主な売り込み相手がマンション管理組合や理事会といった消費者保護の枠組みが適用されない組織であること,しかしその役割を担っている人の多くが比較的年輩で科学や法律に詳しいとは限らず,知識においては一般消費者とさして変わらないことから,防ぐのが難しい状態です。柔軟にマンションの管理を行うために,住民の過半数の賛成でいろいろできるようにしたことがあだになってしまっています。

 掲載誌が法律の雑誌であるので,科学としておかしいという議論は少なめにし,制度上の問題提起を伝える内容となっています。

 この会社(日本システム規格株式会社,jspkk)の主張(≒社長の主張)には,科学以外の部分でも,嘘やデタラメがたくさんあります。宣伝の触れ込みがおかしい以上に,効果があったとする結果の方もそのまま信用するのはまずいと考えます。もし,既に導入してしまった方は,効果の評価や検査の時に,日本システム企画株式会社の息のかかっていない,無関係な検査会社を使うことを強く勧めます。会社が主張している効果があったという結果を出すにあたって,試料が適切に採取されている保証はありません。試料自体に操作が加えられているという可能性を潰すには,検体の採取から検査までを,日本システム企画株式会社とは全く利害関係のない,信用のおける分析会社に依頼することが重要です。導入するかどうか迷っている場合は,日本システム企画株式会社が出してきた検査結果ではなく,ユーザーが,独自に,中立な検査会社に依頼して出したことが確認できる結果のみを用いて判断してください。なお,ユーザーが行った中立な結果だということを日本システム企画株式会社が主張している場合には,そのまま信じず,必ず裏をとるようにしてください。

 磁気活水器のページの中程に関連情報をまとめてあります。私に関して嘘を書いていることについては,随時指摘していく予定です。

高校物理で得点できない人へ

 高校の頃,物理の出来が悪かった。

 当時の理科のカリキュラムは,理科Iという,物理・化学・生物・地学の基本的なところだけ集めたものをまずやって,その後,物理・化学・生物・地学のそれぞれの教科書を選択で学ぶことになっていた。今のカリキュラムなら,理科の「○○基礎」の一部が理科Iに入っていて,「○○基礎」の残りと「○○」が,それぞれの教科書に入っている,という対応になる(厳密には同じじゃないので,およそこんな感じ,という意味で)。私が通っていた高校は,可能な限り全科目学ばせる方針だった。1年生で理科Iの生物と地学をやり,当然時間が余るので,分厚い方の生物・地学の教科書を1年生終了まで進める(が,元々1年間でやる内容だから,どちらも最後まで終わらない)。2年生で,理科Iの物理・化学をやったあと,物理・化学の教科書を続けて学ぶ(こちらも2年終了時には終わっていない)。3年生になるときに理系・文系の選択があり,理系は理科2科目選択なので,物理・化学,あるいは化学・生物の組み合わせで,教科書の残りを学ことになっていた。

 高校2年生になって,物理の授業が始まったのはいいが,さっぱりわからず得点できないという状態だった。例えば,運動の法則で,等加速度運動の公式が3つ出てくる(加速度,速度,位置の式)。授業の最初の方で出てくるものだけど,よく使うので,先生が,授業の時に,公式を3つ書かせて暗記しているかどうかをチェックするという小テストをしてくれた。クラスのみんながどんどん満点を取っていくのに,なぜか私は覚えることができず,最後まで全問正解はできなかった。こんな有様だから,定期テストも悲惨なもので,毎回,40点台から60点台をうろうろしていた。

 高校の物理の教科書は,私の目には,問題を解くための個別の式がばらばらに出てきて,式の形が違うものを大体知っていないと問題が解けない,というものに見えていた。教科書を読んでも,問題集を解いても,つながりが全く見えてこないのである。

 3年生になって,理系文系の振り分けがあり,理系を選んだ。例年は,理系選択をする女子の比率が少ないので,理系3クラスのうち2クラスは男子生徒のみで理科は物理・化学を選択,女子は化学・生物を選択するクラスに入ることになっていた。私は物理・化学選択を希望した(その方が大学受験の選択肢が拡がるから)ので,どうなるかと思っていたら,物理を選んだ女子生徒の数が多い学年だったので,物理・化学選択の男子生徒のみのクラスが1つ,物理・化学選択の男女混合クラスが1つ,生物・化学選択の男女混合のクラスが1つできることになった。で,新学期が始まった4月に行われた共通一次試験(今のセンター試験)の模試で,物理が40点取れなかった。さすがに,理系選択は誤りだったかと思った。

 5月頃に,従姉妹から,大学受験の参考書として駿台文庫を薦められた。家の近くの本屋には置いてなくて,今と違ってネット通販も無かったので,隣の街の本屋まで探しに行った。薦められたのは主に英語だったのだけど,他の科目も見ていたら,山本義隆の「大学入試 必修 物理」というのがあった。中を見たら,高校の教科書とは全く異なり,微分積分を使って体型的な説明が出ていた。これまで,高校の教科書のやり方でやって全く駄目だったし,理系クラスで物理を選択した以上はどうにかするしかないわけで,それなら全く違う方法でやってみるのも手かなと思ってその場で購入を決定。

 2年生の3学期に,数学で多項式の微分積分を習い,応用例として運動の法則がちらっと出てきていた。それが興味深かったのと,微積分は大学入試で変にパズルにされていないので,入試の数学が苦手でも修得しやすいという話をきいて,独習に適した微積分の参考書を買って読み始めていた。「微分積分学精説」という,高専から大学教養部向けの本なので,高校の数学の範囲は超えるがきちんと読んで例題を解けば身につくようになっていた。これを自分なりに進めていた。3年生では,三角関数や指数・対数関数の微積分や簡単な微分方程式が授業に登場する。つまり,3年生に入って少し経ったあたりで,高校物理をやるのに必要な微積分の知識が揃ってきていた。

 数学がうまいタイミングで追いついてきていたので,山本義隆の物理の参考書を自分で計算を追いながら読めるようになった。5月の終わり頃から夏休み明けくらいまで,微積分を使って式の展開を追いかけながらノートを作るということをしていた。この作業で,物理量のつながりがやっとわかった。2学期になってからは電気・磁気の単元が始まり,力学や振動,波動も含めた模擬試験も時々あったが,安定して点がとれるようになった。

 私に必要だったのは,物理法則や本質は何かといったことと,計算手段の分離だったのだろう。微積分を使うことで,法則の構造のようなものが見通せるようになり,個別の問題について式を立てて解くやり方が,個別の公式の暗記ではなく,一本道で計算できるということがわ理解できた。高3の夏休みは,大学受験をするなら,入試問題を解く練習をする時期である。が,物理に関しては,まず構造を理解する方を優先させた方が良いと判断し,結局これが得点への早道だった。とりあえず目先の模試や入試を何とかするために,教科書に沿った問題演習で馴れよう,という道は私には無かった。

 私のような物理劣等生に山本義隆の本を薦める学校の教師も塾の先生もまず居ないだろう。無難なアドバイスとしては,易しい問題集をまずやって,馴れたら中程度のものをやれば,といったものになるに違いない。しかしその方法では,私は高校の物理を絶対に理解できなかった。全体の繋がりや本質を理解した上で,いくつかの問題を解けば,入試対策を目的とした試験でも点が取れるようになっていった。極限概念は使うのに微積分は使わず,指導要領の範囲でだけ説明するというのは,実は分かりにくくて難しい。体系立っていて情報量が多い方が,全体を把握しやすくなり,理解もしやすくなる。この意味で,私にとって,山本義隆の「物理」は,高校の教科書よりもずっと易しかった。山本義隆の本の次は,小出昭一郎の「物理概論」上下巻(こちらは大学の教養向け教科書)が市立図書館に入ったので,それを借りて独習した。この方法で,最終的に私は千葉大学理学部物理学科に合格した。1年前にマークシートの模試で物理が赤点だった状況を思うと,ちょっと考えられない進学先ではあった。今でも,どうしてこうなった感はある。

 駿台文庫の方はその後何回か改訂されて,山本義隆の本で今入手できるのは「新・物理入門(駿台受験シリーズ)」「新・物理入門問題演習 (駿台受験シリーズ)」の2冊である。微積分を使って体型的に書いてあるという特色はずっとそのままなので,今買うならこの2冊になる。

 「新・物理入門(駿台受験シリーズ)」は,難関校向けと言われることが多いし,高校の範囲を超えた記述もある。が,高校の教科書ではつながりがよくわからず点が取れないという人は,一度は山本義隆流の物理を試してみる価値はある。

『電子レンジの仕組み・原理』に異議あり

科学情報誌の記事「『電子レンジの仕組み・原理』ーなぜ温まる?加熱ムラの原因は?」にちょっと異議があるのでいくつか指摘しておく。

 電子レンジがものを温める仕組み・原理は、
「マイクロ波という波が水分子を高速回転させて、摩擦熱を発生させるから」です。

とあるのだけど、これが実は、微妙にというかだいぶイメージが違う。

まず、液体の水の中の水分子は、そんなに高速「回転」はしていない。水分子の酸素側が負電荷、水素側が正電荷を持っているのはその通りなのだけど、これが原因で水分子は酸素側と水素側でお互いに引っ張り合っている。これを水素結合と呼ぶ。引っ張り合いは他の分子に比べれば強いが、強固なものではなく、しょっちゅう切れたりつながったりして、水分子は常に移動している。まわりの分子が邪魔しまくるものだから、分子を回そうとしても、そうそうくるくると回転はできない。

材料に電磁波のエネルギーが吸収されるかどうかは、誘電損をみればわかる。水のマイクロ波から遠赤外領域の誘電損は、およそこんな形をしている。

Watere

この誘電損に、角振動数ωを掛けたものが、電磁波の吸収係数に比例する。

Waterabs

マイクロ波の加熱周波数を図中に記しておいた。

電子レンジの電磁波の吸収を担っているものは、水の25GHzの誘電損のピークの裾野の部分ということになる。この誘電損のピークは、水分子1個の動きから出てくるものではない。水素結合した水分子が数十個くらい集まったのを均した時に、全体として出てくる分極の運動がもとになったものである。もし、水の中で、個別の水分子が回転したり、あるいは完全に回らなくても往復運動するような回り方をしていたら、誘電損のスペクトルはこんなに幅広いものにはならず、回転運動の量子準位の存在を反映した細く鋭いピークになる。

従って、電子レンジの電磁波を浴びせた場合、電磁波が個別の分子と直接吸収するのではなく、水分子数十個単位が作る分極と電磁波が相互作用する、と考える方が、より適切だろう。

エネルギー散逸があるという意味で「摩擦」と呼びたくなるのはわかるが、トライボロジーでいうところの摩擦と起きている現象が同じとも言い切れない。水分子1個が引っかかるから摩擦がおきる、としてしまうと、ちょっと違うものを想像してしまいそうである。

水分子がまとまって作る分極の運動が、外から与えられる電磁波の変化に遅れて追随するときに、電磁波のエネルギーの散逸が起きて、熱エネルギーになる、と考えた方がよい。やってきた電磁波のエネルギーを水分子が分担して受け取っているイメージの方が実態に合っているだろう。

水素水を考える上で参考になる記事

産経ニュースに、水素水について考える上で参考になる記事が出たのでメモ。

日本医科大の太田成男教授の主張には明らかな誤認がある 公益財団法人食の安全・安心財団理事長・唐木英明(東大名誉教授)

 産経ニュースが報じた記事「美容、ダイエットと何かと話題の『水素水』 実はかつてブームを巻き起こした『あの水』と同じだった」(平沢裕子記者)に関し、日本医科大の太田成男教授が「正しい水素医学と水素産業の理解のために あの産經新聞の記事には、明らかな誤認がある!」と題する反論文を寄せた。この太田氏の反論文に対して、平沢記者の記事中でコメントを紹介した公益財団法人食の安全・安心財団理事長で東京大名誉教授の唐木英明氏が反論文を寄せた。詳細は以下の通り。

【日本医科大の太田成男教授の主張には明らかな誤認がある!】

公益財団法人食の安全・安心財団理事長、東京大学名誉教授 唐木英明

 産経ニュースが『健康神話を検証する・美容、ダイエットと何かと話題の「水素水」実はかつてブームを巻き起こした「あの水」と同じだった…』という記事を掲載し、健康食品として販売されている水素水をニセ科学と批判した。人気の水素水商品に警鐘を鳴らす記事であり、私はその内容に賛同し、コメントも寄せた。

 ところが、水素水の研究者である太田成男氏が「水素水は正当な科学」と主張し、「あの産經新聞の記事には、明らかな誤認がある!」と批判する意見を掲載した。しかし、この太田氏の批判は筋違いである。それは「水素水は科学か、ニセ科学か」という問いは成り立たず、「使い方でどちらにもなる」という国の規制をご存じないからである。

 最初に、水素水による治療研究については、まだ研究途上ではあるが、いくつかの病気の治療に有効である可能性が認められている。消化管内の水素水から水素がどのように血中に入り、標的細胞に達するのか、水素の作用は活性酸素消去と関係があるのかなど明らかにすべき課題は多いが、研究自体はまじめな科学であり、私自身、水素水による治療研究をニセ科学と考えたことはない。

 他方、産経ニュースが取り上げたのは、「健康食品としての水素水」である。健康食品を使うのは病人ではなく健康な成人であり、その目的は病気の治療ではなく、健康の維持・増進である。だから、健康食品の機能を表示するためには「健康な成人での臨床試験」が必要である。間違ってはいけないのは、病人を使った治療の研究を健康食品の健康維持機能の根拠にすることが認められていない点である。もし科学的根拠が得られれば、その製品は特定保健用食品(トクホ)あるいは機能性表示食品として、その健康維持機能を合法的に表示することができる。これが国による「食薬区分」の規制である。

 それでは、水素水が健康食品としての効能を示すことを示した「健康な成人での臨床試験」はあるのだろうか? 現在のところ、予備的な研究はあるものの、健康食品としての効能を示すような確実な研究結果はない。だから、トクホあるいは機能性表示食品としての水素水は存在しない。科学的根拠なしに効能があるような宣伝を行えばこれは明らかなニセ科学であるだけでなく、処罰の対象になる。これが水素水ビジネスの実態であることを伝えたのが、産経ニュースである。

 太田氏は「健康食品としての水素水」の議論に「病人の治療に有効」という主張を持ち込むという誤りを犯した。治療効果を標榜すればその健康食品は直ちに法律違反になる。これは水素水も活性水素水(電解還元水)も同じであり、医薬品と健康食品に対する規制を知っていれば、このような誤りは起こり得ない。「知らないのに知ったかぶりして、間違った情報を発信するのは科学的でない」。これらは私が太田氏から頂いた批判だが、そのまま太田氏にお返しする。

 最後に、「治療のための研究は科学」と述べたが、これはまだ発展途上にある。にもかかわらず、市販の水素水商品を素人判断で飲んでも治療効果があるといった誤解を広げる一部の水素水ビジネスは、病人が正当な治療を受ける機会を失わせる可能性もある危険な行為である。太田氏は水素産業の育成に力を注ぎたいと述べているが、このような無効有害ともいうべき水素水ビジネスの排除にも力を注ぐことを願っている。

笹井さんは自分で実験していたのかしら?

 今更書いてもしょうがないかなあと負いつつ、それでもいろいろ引っかかるので書いておく。
 一連の報道で一番しっくりこないのは、笹井さんが自らSTAP細胞の再現実験に乗り出そうとした話が全く出て来ないということである。
 再生医療や分子生物の分野では事情が違うのかもしれないけど、こういう騒ぎになった時に自分で手を動かさないままでいるというのが、私にはちょっと信じられない。

 若手が面白そうなテーマで論文を書いたがアクセプトされずに困っているので、一応の内容を確認(この時点では捏造とかは想定しない)したベテランが相談に乗って共著で論文をアクセプトまで持ち込む、というのは、ありそうなことではある。その内容について、あり得る話であるとコメントするのも、特に問題が生じていない状態であれば、共著者なら当たり前である(内容を疑っているなら最初から共著者にはならないだろう)。
 1月29日のSTAP細胞発見の発表と記者会見の後、2月、3月の間に疑問点や研究不正の疑いが次々と指摘された。図の使い回しや不適切な加工が指摘され、筆頭著者の博士論文にも剽窃や企業サイトの図の使い回しが見つかり、直接関係のない図を入れていたという指摘がまずネットで伝搬した。4月に入って、疑惑があるという報道がなされるようになった。4月9日に小保方さんの記者会見があって、その後の4月16日が笹井さんの記者会見だった。

 私にとって、一番違和感があった、というか寧ろ驚愕したのが次の発言である。
(1)「最後の段階で論文仕上げに協力しただけ」「実際に指導したのは若山照彦教授である」「私の仕事としてSTAP細胞を考えたことはありません」
(2)(STAP細胞は)「検証する価値のある合理性の高い仮説」「STAP細胞と考えないと説明できないデータがある」

 ギフトオーサーシップの問題とか管理責任の話はとりあえず全部抜きにする。何も疑義が無い状況なら、共著となった論文中の他人の実験結果について、このコメントでもまあそんなもんかとは思う。しかし、記者会見までの間、筆頭著者が平気で捏造や図の加工や剽窃をする人物だということが山ほど指摘されていた。つまり笹井さんが小保方さんから過去に見せられたデータにどれだけの「過誤」(ただちに捏造を疑うという判断の切り替えがすぐにできなかったとしても過誤くらいは想定できただろう)が含まれていたか分からないという状態だった。
 その状態で、仕上げをしただけだ(実際に自分で実験してデータを得たわけではない)がSTAP細胞を仮定しないと説明できないデータ(そのデータの信憑性がもはや危ういのに)がある、と記者会見で主張したのだ。「何という危ないことを言い出す人なんだろう」「何だかこわいことやってるなー」というのが率直な感想だった。

 私は随分前に、個体差でデータがばらつくのが嫌で生物系から物理に戻った。それでも、実験しているとエラーは入り込むし、使った材料や器具に対する理解が不十分で間違った結論を出しかけたこともある。だから、何か違うことをやったときにはしつこく確認するし、時にはわざとに手順を変えて別のファクターが紛れ込んでないかチェックしたりもする。自分のデータもなかなか信用しないが、他人のデータもすぐには信用しない。自分の所で相補な測定をやって、矛盾しない結果になれば、他人のデータがまあ確からしいかも、という方に判断が傾く。生物ほど結果がばらつかない実験をしていてもこんな感じである。「貴方を疑うわけではないが、一応確認はします」というのが基本姿勢である。同じことを私が言われたとしても「どうぞどうぞ」と返事して協力するだけである。
 分野が違うので正確な評価はできないけど、笹井さんは生物学の方でいい仕事をたくさんされた方である。個体差やらちょっとした手技の違いが結果の違いをもたらす分野でずっと仕事をして成果を出しているのであれば、何か結果が出てもしつこく確認しないと危ないとか、他人が出した結果を鵜呑みにしていると足を掬われることがあるというのは身にしみているはずである。捏造が一切無くても、単なる勘違いとか見落としは紛れ込む可能性はいつもある。そういうケースに直接巻き込まれたことが無かったとしても、他人の失敗談などから実感を持てる程度には知っているだろう。どの分野であっても自然は人間の都合なんか一切無関係ない(それどころか主観的にはかなり性悪な)わけで、そういう自然を相手にしている人であれば、分野が違ったとしても、成果に見合った「用心深さ」を備えているはずだと私は考えていた。

 ところが、記者会見の発言からは、凄い成果をたくさん出してきた人に対して普通に期待できるような「用心深さ」が全く感じられなかった。(1)と(2)を同時に言ってしまうというのは、どうにもアンバランスな気がした。

 その道の権威の人が居て、実験手法についての十分な知識も技術もあって、若手を一人プッシュして職場に招き入れたとする。実験操作はその若手に任せていて、論文をまとめて共著者として投稿したが、その若手のやった内容に疑義が生じたらどうするか。まずは、「疑うわけではないが、再現性を確認できたら安心できるので」と、その若手にくっついて自分でもイチから実験するものじゃないのか。笹井さんが「やり方を教えてくれ」と言えば、小保方さんはその通りにするんじゃないか。そこで断るようなら「こいつは怪しい」ということになるだろうし。管理職として超多忙であったとしても、最初に記者会見でぶち上げた以上、自分の主な仕事でなくてもコケたら信用問題なのだから、他の仕事を中断してでも、真っ先に自分で確認して何が起きてたかはっきりさせようとするものじゃないのか。特定の研究グループに弟子入りして半年修行しないと手技が身につかないというのならともかく、STAPって簡単にできるというのが最大の売りだった。若山さんに依頼しないとできない分は仕方無いとしても、その前までのところなら自分で確認することが可能だったんじゃないか。自分で実際にやってみて初めて、今後どの程度期待していい話なのかという見通しを安心して記者に語ったりできるわけで、自分で実験を全くせずに見通しを公表するなんて、実験やってる人間としては、普通は怖くてできないものなんじゃないか。全く何も無い状態なら「こういう見通しでがんばってみます」も有りだけど、既に疑義が出ていたらそうも言えない。記者会見で「今自分でここまで実験して確認してます」という話が出てくるのかと思ったら全くそうではなかったので、大丈夫かしらと思ったりもしたのだけど。このあたりは私の実感と合わないという話であって、別の人や別の分野にそのままあてはまるかどうかはわからない。何か生物分野特有の事情があるなら知りたいところです。

 笹井さんほどの人がSTAPはあるだろうと考えていたのだからきっと何かあるに違いない、という意見も目にしたけど、私はそうは思わない。笹井さんほどの人でも管理職になり現場を離れて手を動かさなくなると見通しが甘くなるのだ、の方がよほどしっくりくる。
 実のところ「若い頃実験やってすごい成果を出して今偉い先生になってるのだけど最近は学生への指示の出し方がどうも……」というケースを随分見聞きしてきた。「凄い先生でもこうなのだから、自分達がこれから大学に就職したとして実験の現場離れたら絶対ダメだよなあ。自分で手を動かさなくなったらそれで終わりだよなあ」って当時のポスドクや院生の人と語り合っていたことも思い出した。うまく説明できないのだけど、こういうのは特定個人の問題ではなく現場を離れた人に起きる共通の問題のようにも思える。もしかしたら、マネジメントを専門にする人を共著者に入れること自体が危ないことなのかもしれない。

主観は主観でとどめるべき

NHKニュースの記事より。

「悪霊払い」で妻死亡 私大准教授を逮捕
7月3日 14時56分

妻に大量の水を飲ませるなどして死なせたとして、熊本市の私立大学の准教授ら3人が傷害致死の疑いで逮捕されました。
准教授らは「悪霊を払うためにやった」などと供述しているということで、警察で詳しい経緯を調べています。

逮捕されたのは、熊本市東区長嶺南の崇城大学准教授、福田耕才容疑者(52)と、自称、祈とう師の野田英子容疑者(81)ら3人です。
警察によりますと、3人は先月21日、野田容疑者のマンションの部屋で福田容疑者の妻の利恵さん(51)を押さえつけ、大量の水を飲ませるなどの暴行を加えた疑いがあるということです。
利恵さんは搬送先の病院で翌朝死亡し、警察は3人を傷害致死の疑いで逮捕しました。
警察の調べに対し、福田容疑者らは「悪霊がついているから、おはらいをしようと水を飲ませた」などと供述しているということです。
警察によりますと、野田容疑者は30年以上前から祈とう師を名乗っておはらいを行い、福田容疑者と利恵さんは数年前から通っていたということで、警察は詳しい経緯などを調べることにしています。

 幽霊を始め、霊的なものをを見たとか存在を信じるというのは自由ですが、あくまでも、その人個人の主観に始まり主観に終わる話です。個人の主観を越えて、人の間にもそれが存在すると信じて、他人に何らかのアクションを起こせば、その時点で一線を踏み越えてしまう結果になります。

エントロピー計はありません

 Tokyo DD Clinicのページより。ツッコミどころは山ほどあるのですが、私が前期担当している専門必修科目の「物理化学I」の試験を控えていますので1点だけ。

メタトロンはロシア人科学者によって開発されたエントロピー測定機器です。

と書いてありますが、世の中に、エントロピー測定機器というものはありません
 エントロピーというのは、熱平衡状態に対して1つだけ決まる量です。特定の系のエントロピーは、S=S(U, V, N,…)のように示量変数の関数として表したときに、その系の熱力学的性質を全て表すことができます。この形の式をのことを基本関係式と呼ぶのは、講義で述べた通りです。
 S(U, V, N)を決めるには、熱膨張係数、等温圧縮率、モル低圧比熱(これらは定数表に実測値が出ています)と、基準の状態での体積とエントロピーの値が必要です。さまざまに条件を変えて測定した3つの熱力学量の値を使って広い範囲でのS(U,V, N)を計算します。ごく一部の物質については、S(U, V, N)を1つの式で表すことができます。そうでないものについては、数表の形か、限られた条件での近似式でしかあらわせません。
 幸いなことに、モルエントロピーは、さまざまな物質について既に求められています。定数表のエントロピーを使った計算方法と、エントロピーを決めるための計算方法について、試験前にもう一度ノートを見直しておくことをお薦めします。

「福島で放射線のせいで鼻血」に特商法6条運用指針を適用して評価しよう

 鼻血の原因を福島県の放射能のせいにする言説について、どうも、効果のない健康食品やダイエット食品の宣伝と同じに扱えばすっきりしそうだと気づいたので簡単にまとめておく。
 これまでにわかっていることとしては、放射能が原因の鼻血つまり出血傾向がみられるのは骨髄死を起こす3〜6Gy被曝した時の急性症状としてであり、急性症状を起こさないような低い線量では(現在の福島はこちら)鼻血のような出血傾向がみられるという効果は見つかっていない、ということがある。人為的に短寿命のRIを患者さんの体内に入れた場合(核医学検査)でも、患者さん本人が検査の前後で放射線が原因の鼻血で困っているという話は皆無である。

 考えるための参考資料は、特定商取引に関する法律第6条の2等の運用指針。景品表示法の4条2項の運用指針もこれと同じ内容である。

 まず、福島県に行った人が鼻血を出した事実があれば、これは別に否定しない。福島県に行く人など大勢いるのだから、その中でたまたま鼻血を出す人が居ても全く不思議ではないし、花粉症の季節には数が増えるかもしれない。
 鼻血の原因が「福島県の放射能」にあるとする主張は、放射能の「効果効能」を謳っている言説の一つであると考えることができる。本人だけがその「効果効能」があると思い込んでいるなら自由だが、他人にその主張を振りまくことによって他人の判断を誤らせたり、しなくていい心配をさせる可能性がある。

 個人の経験を語ることによって他人の判断を左右するケースの典型例は、根拠のない健康食品やダイエット食品を他人に売りつける時の体験談を利用した広告である。宣伝と、鼻血の原因を福島の放射能であるとする言説は、体験によって効果効能を他人に伝えるという共通点がある。「使った、治った、効いた」が健康食品の「3た論法」であるのに対し、「福島に行った、鼻血が出た、放射能が効いた」が使われている。効果効能が見つかっていない健康食品やダイエット食品に効果効能があると主張するのと同じように、鼻血を出すという効果効能が見つかっていない低線量の放射線について鼻血を出す効果があるという主張が行われている。
 したがって、宣伝に対して求められている根拠と同じものを求めていけば、それなりに確からしいかどうかがわかるのではないだろうか。つまり、経産省のガイドラインに従って「合理的な根拠」をそなえているかどうかを確認すればよい。

 ガイドラインの7ページには、「合理的な根拠」の判断基準として、企業(つまり効果効能を謳う側)が提出する資料について、

①提出資料が客観的に実証された内容のものであること
②勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された性能、効果、利益等と提出資料によって実証された内容が適切に対応していること

が求められている。ここでいう「客観的に実証」とは、

① 試験・調査によって得られた結果
② 専門家、専門家団体若しくは専門機関の見解又は学術文献

である。
 放射能の効果効能については、商品販売ではないので、「合理的な根拠」の②はさしあたり考えなくても良い。①についてのみ考える。
 この基準によれば、体験談に基づく「鼻血の原因を福島の放射能に求める」主張は、全て却下するべきだということがわかる。
 試験・調査の方法についても制限があるので、詳しくは上記の参考資料を見ていただくとして、関連部分を抜粋すると、

①に関連する学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法によって実施する必要がある。
②学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法が存在しない場合には、当該試験・調査は、社会通念上及び経験則上妥当と認められる方法で実施する必要がある。
③…長期に亘る多数の人々の経験則によって性能、効果等の存在が一般的に認められているものがあるが、このような経験則を…根拠として提出する場合においても、専門家等の見解又は学術文献によってその存在が確認されている必要がある。

となっている。

 ダイエット食品やでも健康食品でも、使ってみて効果があったという人は存在する。そういう人が居るからといって、特定の「○○ダイエット」や健康食品に効果効能があるだろうということは言えない。なぜなら、比較すべき対照群がないために、本当にダイエット食品や健康食品が有効であったかどうかがわからないからである。
 鼻血も同じで、福島に行ったら鼻血が出たからといって、鼻血の原因が福島の放射能だということはいえない。鼻血を出す原因は他にもいろいろあるので、他の県との比較をしないとそもそも福島に原因があるかどうかもわからない。

 現状では、鼻血が出たことを福島の放射能に関連づける言説は、風評被害の原因になるなどという理由で強く批判されることがある。これは、純粋な科学の問題ではなく、言説が社会の中でどう位置付けられているかということによる。
 たとえば、「マイナスイオンは体に良い」という根拠のない言説が10年ほど前に大流行した。批判も相当あって、今では落ち着いてはいる。しかし、言説があまりに広がったため、もはや、体にいいとか、その他個別具体的な効果を言わなくても、ただ単に「マイナスイオン」と言うだけで「体に良い」イメージを相手に伝えることができてしまう。この状況が生じている時に、「マイナスイオン」を謳って商品を他人にすすめたら、騙す意図があるのだろうと疑われても仕方がない。
 特定のサプリメントについて上記の基準を満たす合理的な根拠無しに「がんに効く」という話が広まっている時に、「自分も癌だがこのサプリメントを使っていたら治った」という体験談を広めたら、それがその人にとって事実で、誰かに知らせることに何ら悪気が無かったとしても、「他人の判断を誤らせるようなことは言うな」と批判されることはあり得る。
 鼻血の原因を福島の放射能に求める言説もこれらと同じで、体験談によって他人の判断を誤らせることをさらに進めるから批判の対象となっている。

 引用した基準を満たす根拠が出てくるまでは、鼻血の原因を福島の放射能に求める言説は、臨床試験のない健康食品に効果効能があったと主張する体験談程度の話だとして扱うしかない。そういった体験談で商品を買ってしまう人も相当数居るので、鼻血の原因を福島の放射能に求める言説が無くなることはないだろう。ただ、その言説が体験談宣伝と同レベルだと指摘し続けることは、ついその気になってしまう人を減らすことには役立つはずである。

※運用指針は、心の準備ができていない消費者に不意打ちで販売する時の規制なのだけど、その内容の本質は「不確かなことを言って他人を惑わしてはいけない」というものなので、商品販売を伴わない言説の流通に対し、個々人がこの基準を流用して判断することは全くかまわないだろう。

わざとに行われた言い換えの例

 たとえば、私の発言について

牛乳☆たん@milktan2525 1:35
@Hideo_Ogura @apj apj氏に科学的態度を要求するのは無理です。その人は科学と疑似科学の区別もつかないと自分で言ってた人なので、おそらく健康食品のまっとうな商法と悪徳商法との区別もつかないでしょう。

といった主張がなされています。これ、私が主張したことではなく、他人の勝手な解釈によるものです。つまり私の発言ではないのです。実際に私がどう発言したかは、このあたりに記録が残っています
 もとは、「科学」と「非科学」の間に線は引けるかという問いに対し、「グレーゾーンが拡がっているため線引きはできない」と私が答えたものです。グレーゾーンがあるわけですから、1本の線は引けませんが、明らかに確からしいほぼまっ白から、明らかに科学ではない大体真っ黒なものまで幅があるわけで、真っ黒なものについては非科学と判定しても間違いではないわけです。既に白である内容に反するものであれば、科学非科学判定における黒、ではなくて、単なる間違いとする方が適切でしょう。
 まず、上記で引用した言説は、元々科学と非科学の話であったものが、科学と疑似科学についての発言であるとされています。この点で元の発言の趣旨とは違っています。私は、科学を装った言説については一貫して「ニセ科学」と呼んでおり、疑似科学とは区別しています。科学と疑似科学の線引きについて議論したことはありません。
 次に、程度の問題を無視するという種類のごまかしが行われています。グレーなところに1本の線を引けない、ということと、両端に近い黒と白の区別がつかないということは意味が全く違います。
 つまりこの言い換えは、「apj氏に科学的態度を要求するのは無理」と言うのに都合良く見せかけるために、私の本来の発言の趣旨をねじ曲げているものなのです。おそらく、本来の私の主張をそのまま書いたのでは、都合のよい主張つまり科学的な話の信用をわざとに落とすことができないからでしょう。
 勝手な解釈をもとに、言ってもいないことを本人が言ったように見せかけるというのは、不誠実です。
 なお、科学とそうでないものの間に線が引けるかというのは、科学哲学で以前から出されていた問いで、線引きできない、というのが一応のコンセンサスとなっています。このコンセンサスがあるからといって、科学的態度をとれないとか、科学的な態度や科学そのものがあてにならないかというとそんなことはありません。線引き問題については、科学の専門家に訊くよりも科学哲学の専門家に訊いた方が、現状の研究を踏まえた答えが得られるはずです。

 参考までに、「科学哲学の冒険」(戸田山和久著、NHKブックス)の83ページより、線引き問題について書かれている部分を引用しておきます。

科学と科学でないものとを区別する基準を探そうというのも、科学哲学の古くからの問題で、「線引き問題(demarcation problem)」と呼ばれている。線引き問題の現在のところの結論は、科学と非科学をすっぱり区別するただ一つの基準はなさそうだ、というものだ。だからといって、科学と非科学は結局区別できないんだということにはならない。いくつもの基準があり、それの総合点というか合わせ技で、やはり、現在まともな科学とみなされているものとそうでないものとの間には大きな隔たりがあるということが示される。この点については伊勢田哲治さんの『科学と疑似科学の哲学』(名古屋大学出版会、285ページ参照)が詳しい。

 線引きできない、というのを絵で表すならば、白から黒までグラデーション塗りした帯を想像すると良い。白黒の境界線を1本引くことはできないが、白い方の端と黒い方の端の色の違いは誰が見ても明らかである。これが、まともな科学とそうでないものを分けるのは「大きな隔たり」でしかない、ということの意味である。

【追記2014/05/08】
 伊勢田さんの「疑似科学と科学の哲学」も確認したので追記。この本に285ページは無いので、戸田山さんの本に書かれた参照ページは誤記ではないかと思われる。線引き問題について、おそらくここではないかと思われるのは252ページの
「2)線引き問題は何を問題にしているのか?」という節と257ページの「4)線を引かずに線引き問題を解決する」という節である。ここに挙げられている線引きの基準として使えるかもしれないもの一覧は次の通りである。

(a)ルースの線引き基準
(b)枚挙的帰納法
(c)仮説演繹法
(d)ヒューム流懐疑主義(奇蹟論までふくめて)
(e)反証主義(仮説自体の反証可能性)
(f)方法論的反証主義(反証された仮説に固執しないこと)
(g)蓄積的進歩
(h)俗流パラダイム論
(i)クーンの「通常科学」による線引き
(j)クーンの五項目の合理性基準
(k)リサーチプログラム論
(l)リサーチトラディション論
(m)強制的な基準(学会誌、査読制度など)
(n)科学的理論の使用
(o)強い再現性・操作性
(p)機械論的世界観の使用
(q)マートンの科学の四つの規範
(r)ファイヤアーベントのアナーキズム(なんでもあり)
(s)科学知識社会学
(t)特定理由の要件
(u)統計的検定法
(v)ラングミュアの病的科学の徴候リスト
(w)ベイズ主義

さらに、伊勢田氏は、

 確かに、科学であることの必要十分条件を与えるのは無理そうだ。ということは科学も疑似科学も区別できないということになるのだろうか?それはちょっと気の早い結論である。わたしが提案したいのは、「科学と疑似科学は区別できる、しかしそれは線引きという形での区別ではない」という考え方である。第5章で確率論的な「程度」思考の重要性を強調したが、「程度」思考を取り入れるということは,科学と疑似科学の間の区別を線引き問題としてとらえることを止める、ということでもある。

が、グレイゾーンが存在するからといって明確に科学的な分野や明確に非科学的な分野が存在する可能性を排除することにはならない。

と述べている。
 結局、伊勢田氏も、科学とそうでないものの判定は合わせ技でやるしかないという考えを示している。列挙された基準のいくつかと、分野ごとのクリティカルな要件を満たしていないといったことの合わせ技でもって判定するしかないというのが現状である。