東洋経済オンラインにこんな記事が出ていました。こちらは新年早々です。ツィッターでリンクが呟かれていたので気づきました。
全体を見た方が良いと考えましたので、敢えて全文引用します。
福島原発から、トリチウム汚染水が消える日
安倍首相、A社の新技術で「水地獄」から抜け出せ!
原田 武夫 :原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役 2014年01月07日
「原田さん、ついにやることになりました。2014年になりますが、1月14日にあの有名国立大学で我々の技術を試験してくれることが決まりました」
汚染水問題解決の可能性がある技術とは?
昨年12月半ば。神奈川県にあるヴェンチャー企業に勤める馴染みの副社長氏から、私のもとにメールが飛び込んで来た。その瞬間、私は感激の余り不覚にも独り涙ぐんでしまった。
「そうか、ついに『その日』がやって来たか・・・」
なぜ私が感極まったのか。―――その理由は、このヴェンチャー企業が長年にわたって開発してきた最新技術にある。非常に簡単に言うと、この技術が投入されることによって我が国、いや世界全体が苦しんでいる「福島第一原発から漏出し続けているトリチウム汚染水」という前代未聞の大問題がものの見事に解決してしまう可能性が急浮上するのである。
「まさか。そんなことができるわけがない。並み居る我が国屈指の公的研究機関や大学、あるいは国内外の有名メーカーたちが寄ってたかって取り組んでも、これまでのところ解決できていないではないか」
読者からはすぐにそんな声が聞こえてきそうだ。それもそのはず、大手メディアは「福島第一原発からまたトリチウム汚染水が大量漏出」といった報道を連日のように繰り返してきている。何も手の打ちようがないように思えてしまう。しかし、である。実は政界・官界のトップクラスだけがすでに知っている、究極の解決法があるのだ。それがこのA社の開発している技術なのである。
さて、そこでまず気になるのはこの技術の中身である。生まれたての技術、しかも我が国と世界の命運を握っている技術であるので十分に秘密を守りながら、あえてざっくりとその概要を書くとこうなる:
●特殊加工した炉の中に、オリジナルの溶媒を入れる。そしてその中に気体や液体を入れて、特定の温度で熱する。技術的にはこれだけ、である。無論、その運用には熟練した技が必要だ
●A社の実験施設においては、これまで繰り返し「重水(D2O)」をこの炉の中に入れ、試験を行ってきた。その結果、気体として水素などが出てくることが判明した
●さらにこの炉の中にトリチウム水(T2O)を入れると、水素ガスが出て来ることが判明している。すなわち完全無害化されることになるのだ
2011年3月11日に発生し、多くの人々の命を奪った東日本大震災。それによって被災した福島第一原子力発電所は放射性物質を飛散させ、世界中をパニックに陥れた。その後、事態は沈静化したかのように見えるが、実際には「ストロンチウム」「セシウム」そして「トリチウム」といった放射性物質が通称「フクイチ」からは毎日出続けている。
汚染水が、水素ガス化で完全に無害化される
それらのいずれもが重大な問題なのではあるが、原子力の専門家たちに言わせると「本当に問題なのはトリチウム」なのだという。なぜならばストロンチウムやセシウムについては、ほぼ100パーセント除去する技術が、我が国においてもあるからだ。
この点について詳細を聞いた私に対して、とある国立大学で研究を続ける、この分野の第一人者でもある教授は「除去のための費用は純粋に国産の技術でやる限り、全くかさまない。なぜならばそのために必要なのは例えて言うと『猫のトイレ用の砂』の様なものであり、10キロ数百円くらいの安さだからだ。それなのに、政府はわざわざそのための機材を米国から高いカネを払って購入し、四苦八苦している。専門家の目から見ると全くもって笑止としか言いようがない」と言い切った。
しかしこの有名教授の目から見ても、次々と出て来るトリチウム水は問題なのだという。なぜならば既存の技術ではそこからトリチウムを完全に取り除くことができないからだ。「それではどうすれば良いのですか」と私が聞いたのに対し、教授氏はこともなげにこうつぶやいた。―――「取れないものは仕方がないじゃないですか。薄めて海に流すだけです。早くやらないと福島、いや日本中が汚染水タンクだらけになってしまいますよ」
だが、繰り返しになるがA社の技術は質的に違うのである。なぜならばトリチウム汚染水を完全無害化し、水素ガス化してしまうからだ。無論、細かなことを言えば「水素ガスに酸素が交われば爆発するのではないか」といった難癖をつけることもできる。だが、そもそも水素ガスそのものは無害なのだ。豊かな漁業資源に恵まれる福島県の沖合に半永久的に垂れ流され、それらの漁業資源が失われてしまい、多くの人々が苦しむことになるように仕向けるのと、どちらが「正解」なのだろうか。
通常ならあり得ないことが、目の前で起こっていた
実のところ、私はこのA社のことを3年ほど前から知っている。当時、近しくしていた国土交通省OBからこんなことを言われたのだ。
「水を通すと炉で様々な物質ができてしまうと言っている、風変りなヴェンチャー企業がある。資金繰りに困っているようだ。何とか助けてもらえないだろうか」
「一体、どんな研究者たちが開発しているのだろうか」
そう思った私は急ぎ、神奈川南部にあるA社に向かった。すると何のことはない、(社長や副社長には大変失礼だが)「掘っ立て小屋」のような場所で、熱心に実験を繰り返す民間技術者たちの姿を目の当りにしたのである。「こんな方々がそんな技術を・・・」私は絶句した。
それ以上に現場で驚いたのが、この技術からこの世に生み出される物質の数々である。“我が子”である試験炉を愛おしそうに見つめる社長の方を向いて、右腕である副社長が「それでは入れますよ」と一声かけながらバルブを少しずつ開いていく。しばらくすると温めた炉を抜けて出て来る物質の性質を、傍らに設置された質量計で見ることができる。
「あ、これ見てください、原田さん。普通に考えると、地球上では存在し得ない物質が出て来ていますよ」
地球上では変わらないはずの元素が、明らかにそこでは「変性」していたのである。そして理論的には宇宙空間のどこかでしか存在し得ない物質が、私たちの目の前に出現していた。私は思わず「元素転換ですね、これは!」と叫んでしまった。
全てのイノヴェーションは「常識を打ち破ったところ」から始まる。A社のこの技術の場合は正しくそうである。だが、そのために実験を始めて10年近くの間、社長そして右腕である副社長が研究の傍ら、ありとあらゆる公的研究機関や有名大学の研究室でこの技術の有意さについて声を枯らしながら訴えても、権力とアカデミズムの住人たちは、これを一切無視してきたのだという。
「理論的にそんなことはあり得ません」
「実験している最中に別の物質が混入したのではないですか。確認しましたか?」
「まぁ、イギリスの有名雑誌『ネイチャー』にでも掲載されれば別ですけれどね。そうしたら本気で見てあげても良いですよ」
社長と副社長の付き添いで同行する私は、彼らが二人をこんな言葉で罵るのを何度となく目の当りにしてきた。何とかその場をとりなそうとする副社長の傍らで、社長は苦笑いをしながら深い憂いのある目を見せている。その眼差しはこんな風に言っているようだった。――「ブルータスよ、お前もか」
折しも、2008年のリーマン・ショック後、A社はたちまち資金繰りに窮することになる。何度となく繰り返し訪れる危機の中で、結果何も助けることのできない私と会った社長と副社長は、場末の居酒屋にて湯で割った芋焼酎で顔を赤らめながら、こういったものである。
「原田さん、私たちはね、金儲けがしたいわけじゃないんだよ。ただ、こんなすごい技術が他でもない我が国で生まれたっていうことを皆に知ってもらいたいだけなんだよ。俺たちはこのニッポンという国がたまらなく好きだから。これを使えば極めて安価に発電もできるし、レアメタルだってできる。『平成バブル不況』で20年も痛めつけられた我が国が起死回生の挽回をはかる絶好の道具にして欲しい、ただそれだけなんだ。何とかしたい、本当に何とかしたいんだ」
資金繰りがいよいよ「最後の危機」へと迫る中、降って湧いた実験結果が「重水の分解」だった。そしてトリチウム水を入れると水素ガスが出て来た。これを使えばあの「フクイチ」は解決に向けて大きな一歩を踏み出すことになるではないか。――そう考えた社長と副社長は再び「要路」(=重要な人々)の間を、駆けずり回ってきたというわけなのである。
14日の実験結果で、「日本」や「世界」が驚く
そしてついに「公的認証」の第一歩としての実験が今月14日に行われるのだ。実験室での生真面目な表情が戸外では崩れ、笑顔を絶やさない副社長は電子メールで私にこう言い切った。
「もちろん、自信はあります。14日の結果、楽しみに待っていて下さい」
我が国が本当に“成長戦略”を求めるのであれば、この技術を用いるしかない。その結果、砂上の楼閣のような仮説で象牙の塔を塗り固めてきたアカデミズムの住人たちが、何人も「討死」するのは間違いない。だが、そうした尊い犠牲の向こう側に我が国が「資源がないから従属外交をする国」から「資源がないなら創り出してしまうため、真に独立した国」へと脱皮する道のりがくっきりと見え始めるのである。安倍晋三総理大臣よ、これを決断しないで誰が「日本国総理大臣」を名乗ることができようか。
私の研究所の公式メールマガジンでも取り上げてきているとおり、我が国には独立行政法人科学技術振興機構が推し進める「元素戦略」が国策としてはある。だがそこで中心に据えられている技術は「『元素』そのものを錬金するのではなく、『製品に必要な希少元素の特定の「機能」を別の元素で置き換える』という意味での錬金術」(中山智弘『元素戦略』(ダイヤモンド社))である。
アカデミズムに暮らす碩学たちを顧慮すれば、“政治的”に言うとこれが限界なのだろう。だが、どうやら「現実」は、明らかにその先をすでに示し始めているようなのだ。2014年1月14日。この日を境に「フクイチ」が変わり、東京電力、さらには我が国、そして世界が変わる。その歴史的な瞬間は、もう間もなくである。
1月18日(東京)、26日(大阪)に行う恒例の年頭講演会(「2014年 年頭記念講演会」、参加無料)のお申し込みはこちらまで。
いやこれはどう見てもアカンやつだろう。
まず、筆者の「水素」の書き方がえらく曖昧というか、重水素とトリチウムが水素の同位体だということを認識していないようである。水素H、重水素D、トリチウムTは全て水素の同位体で化学的性質は同じである。だから、これら3つを含んだ水(普通の水=軽水、重水、トリチウムの水)のどれを分解してもH2、D2、T2、あるいはHDとかHTとかDTのような気体が出ることになるが、これらはどれも「水素」だから、「水素が出てくる」と言っても(文脈からすると紛らわしいかもしれないが)正しい。もし、A社がそのように説明したのであれば、A社の装置は放射能除去とは何の関係もない。それを、トリチウムをHに変えると筆者が理解したのなら、筆者の壮大な誤解ということになる。しかし、「地球上では変わらないはずの元素が、明らかにそこでは「変性」していたのである。」とあるので、A社は実際にTをHに変える話を筆者にしたと思われる。この場合、そんな話を真に受けている時点で筆者とA社のインテリジェンスを疑うほかなくなる。
※やや専門的な話になるが、液体の水の中のHは交換している。H2OとD2Oをまぜると、液体の水の分子はH2OとD2OとHDOが元の濃度比を反映して一定割合でできる。T2Oが加わっても同様。電気分解すると出てくるガスもH,D,Tのうちから2つをえらんで作った水素分子となる。
核反応のエネルギーは化学反応のエネルギーに比べておよそ6桁大きい。だから、化学反応のプロセスをどう工夫したとしても核反応には手出しできない。人為的な元素転換は、加速器を使うか、原子炉を利用する以外の方法で成功した例はない。
実のところをいえば、人為的な元素転換はみんなやってみたかった。そこそこの技術でできれば応用も広がるのは誰だって思いつくことである。でもって、世界中で長い時間をかけていろんな挑戦してきた結果が全て討ち死にで、その屍累々の上に今の科学の枠組みが作られている。
だから「砂上の楼閣のような仮説で象牙の塔を塗り固めてきた」という評価は完全に間違っている。専門家が元素転換の話を相手にしなかったのは、砂上の楼閣どころか、実現できないことを実現しようとして過去にどれだけの犠牲を払って核反応と化学反応の知識を積み重ねてきたのかをよく知っていたというだけのことである。数多くの観察事実によって支えられている場合は、科学の枠組みは強固なのである。まず確実にA社は屍を1つ増やすだけに終わる。
ところで、科学の中でも強固な部分とそうでない部分がある。
あんまり強固でない方の代表は分子生物学で、頻繁に定説が書き変わったり新しい発見が付け加わったりしている。強固な方の筆頭はエネルギー保存則とエントロピー増大の法則で、どうやってもこれを破れないことを散々失敗して確認する羽目になったというのが科学の歴史でもあった。都合の良いエネルギー取り出し装置を作ろうと夢見て失敗した積み重ねが、この2つの法則が正しいことを裏付けている。結局のところ、自然がエネルギーの取り出しについて制限をかけているということがはっきりしたのである。
分子生物学の発見は生化学の反応の範囲内つまりは化学反応の範囲内で起きていて、かつ、自然が課している制限には抵触していない。起きてもかまわないことの範囲だから、いろんなことが起こりうるし実際見つかっている。一言で科学の法則といっても、起こりうる現象に制限をかけている部分と、制限の範囲内の話では、その強固さがかなり違うのである。
強固さの順番でいうと、エネルギー保存則やエントロピー増大の法則、量子論の不確定性関係、光速度一定の法則(特殊相対論)あたりが最も強固で、化学反応で核反応に手出しできない(だから化学反応で元素転換は不可能)というのはこれらに次ぐ位置付けになる。
そんなわけで、学生に講義するときは「絶対にできないことをやろうとして人生を棒に振らないために知識を身に付けろ」と言っている。専門家だってろくでもないアイデアを考えたりするが、その中で、強固な法則に反するものは真っ先に捨てる。起こりそうにないことをばっさり捨てる知識があるのが専門家で、どれも同じに見えるのは素人ということである。
A社は純粋に世の中に役立つことを目指しているのかもしれない。しかし、これまでに、いろんな会社によって強固な方の法則のいくつかを破る画期的な発明という触れ込みで投資詐欺の商材が登場したことは何度もあった。強固な方の法則を破るような技術や商品を的確に見抜けなければ詐欺にひっかかることになるし、そういう技術をヨイショする記事を出したら、投資詐欺の被害者を増やす可能性がある。記事を書く側も載せる側も選別眼が必要である。
ということで、大人になってから、明らかにおかしな会社の紹介記事を書いたり、それを載せたり、その記事を信じたりしないためにも、高校までの理科の知識は大人になってもちゃんと身に付けていてください。もうじきセンター試験で、大学入試も始まりますが、受験勉強で身に付けた知識は受験が終わったら用済みじゃないんですよ。
【追記】
コメントしたつもりがうまく反映されないので、本文に追記しておく。
REVIさんから、予想通りの典型的なコメントをいただいた。
「天動説というパラダイムはガリレオにより覆され、ニュートンのパラダイムはアインシュタインに覆された。同様にエネルギー保存や光速度一定というパラダイムも覆されないとも限らない」
天動説と地動説の場合は、どちらを使った方が星の動きをより記述しやすいかという話であって、地動説によって天動説が示す運動が起きないといった制限をかけるものではなかった。観測した星の動きに対し、どちらのモデルで説明するかという問題だった。
アインシュタインは光速度一定を提案したが、これは電磁気学とニュートン力学のすりあわせが必要になったため。アインシュタインの理論はニュートン力学の内容を覆したわけではなく、運動の速度が光速度に近い場合の拡張を正しく行っただけなので、運動が遅い場合はニュートン力学で今でも充分良い近似になっている。
過去に覆った例としてとりあげられたものは、記述の枠組みの選択や元の理論の拡張に過ぎないので、例としては不適切ではないか。どちらも、多数の実験に支えられることによって見えてきた、自然が課している禁止事項らしきものに挑戦して覆したという話ではない。
私が「強固な」と書いた理由は、あることが起きることを禁止する法則というのは、仮に破れていることが将来見つかるとしても、相当極端な条件で、かつ、今確立している内容を拡張する形になり、実験で支えられている部分は相変わらず良い近似になっていて変更されずに使われるだろうと予想しているからである。
パラダイムという言葉でもって、禁止事項への挑戦とそうでないものの違いをわざとに曖昧にすることは、自分にも禁止事項を覆す発見をするチャンスがあると勘違いする犠牲者を増やすだけではないかと思う。
Filed under: ニセ科学, 科学 | 96 Comments »