子どもと情緒

 教育現場(学校での道徳教育等)を汚染する大型トンデモ「江戸しぐさ」につけたこのコメント

むしろ、いい話なら出典や根拠はデタラメでもOK、とする情緒と感情優先の考え方が教育現場で猛威をふるっていることが本当の問題では。教員に有意にそういう人が多いかどうかは知らないのですが、教育学部でそういう考え方を否とする教育が行われていないとか、教員採用でそういう人をはねられないといったことがあるのではないかと勘ぐりたくなります。文科相だけの問題ではなさそうにも思います。

がたくさん「いいね!」されてるわけだが、これに関連して気付いたことを1つ。
 基盤教育の科学リテラシーの講義で、科学を道徳の根拠にするな、ということも教えていて、その例として文部科学省の「心のノート」を挙げている。花が折れていたのでティッシュで包帯を巻いた、という作文が掲載されている部分を使っているのだが、これを話した回の出席カード裏の学生のコメントの中に「子どもについては情緒的でよい」という立場からの反論が出てくる。講義の流れとしては、小学生がこういう作文を書くことに批判的なのではなく(心のノートの編集者である大人が)こういう作文を例に選ぶことを問題にしている。つまり大人の考え方の問題として話をしているのだが、大人数を相手にしての講義なので、毎年何人かは勘違いする。勘違いの方向はどういうわけかいつも「こどもらしい感性」に突っ込むのはやぼだというもので、特に教育学部の人が主張しているというわけではない。「子どもにも小さいうちから合理的な考え方をどんどん教えるべき」という主張はウケが悪い。
 つまり、良い話なら合理性も根拠も捨てて良い、というのは、教員だけの問題ではなさそうで、普通に義務教育から高校まで上がってきた生徒の中に既にできあがっている価値観のように見える。
 感情に配慮するなというつもりはないが、「子どもは情緒優先でいい」ということがどういう経緯で前提とされるようになったのか、ずっと引っかかっている。教育学の方で何か確立した話はあるのだろうか。

ファイル公開の件の続き

 本日つまり2013/08/16の夜には当該ファイルは削除されていた。アクセスすると

(0003)firestorafe宛に送られた法的要請、もしくは不適切なファイルの為、このファイルは削除されました。

と出る。これが削除理由なのだろうか。アップロードした本人なら、法的要請やら不適切やらの理由を持ち出さなくても削除できると思うが、一体どうなっているのだろうか。
 ということで、ちょっと試してみた。

 まず、http://firestorage.jp/を表示し、無料会員登録する、をクリック。メールアドレスを入力。すぐに、入力したメールアドレスにパスワードが送られてくるのでログインする。手元のパソコンに「アップロードのテスト」というファイル名でテキストファイルを作り、その中に「アップロードと削除のテスト。」の1行を書き込む。このファイルをログインした状態でアップロード。
 ファイルの説明や送り先を入力する画面を見ると、
http://firestorage.jp/download/165fe3cd0a9698a61e243b4d1443a99805304776
http://firestorage.com/download/165fe3cd0a9698a61e243b4d1443a99805304776
の2つがダウンロードのためのURLとして生成されていた。
 アクセスして「アップロードのテスト」ファイルがダウンロードされることを確認。さらにログアウトして同様の操作でもダウンロードできることを確認。つまり誰でも見ることができる場所にファイルを置いた状態であることは、アップロードした直後から容易にわかるし簡単に確認できる。ファイルの中身に保護スベきプライバシーが含まれているのであれば、この時点でファイルを削除するべきだろう。よって、このサービスを使った場合、公開の意図が無かったという言い訳はまず通らないのではないか。
 次に、再度ログインする。
 左側のメニューからファイル一覧をクリック、ファイル名の右端のチェックボックスにチェックを入れ、リストの下の「機能選択」をクリックして「削除する」を選ぶ。確認画面を表示後「実行」をクリック。その後、もう一度文書のダウンロードURLを見に行く。メッセージは

(0004)該当のファイルは削除されました。

となった。

 このことから、firestorageでは、アップロードした人が自分でファイルを削除すれば、削除後のメッセージは「(0004)該当のファイルは削除されました。」となることがわかった。

 つまり井本氏は、自分でアップロードしたファイルについて、メニューから自分で削除するのではなく、何らかの法的クレームによって運営側に削除させたということになる。自分でできる削除をせずに大学に対して私のツィートを消すように求めた行動と併せて考えると、井本氏は、自分でできることをせずに他人に対して法的クレームをつけて削除させることを好む人物である、と受け取らざるを得ない。
(私はfirestorageに削除を求めていないし、第三者がプライバシー云々を理由にして削除を求めたとしても本人確認のところで却下されるだろうから、削除を求めたのは井本氏以外にほぼあり得ない。)

井本氏が関連ファイルを公開した件

 少し前から、井本剛司氏より、古いブログの記事についたコメントを削除するように求められています。しかし、削除理由があるかどうかの判断に迷っていて、どんな削除要求が誰からあったのかということをここに書いたところ、井本氏は大学にクレームを出し始めました。
 そういうことはたまにあるのですが、クレームを出すにあたって、井本氏は、私とのメールのやりとり全文や、私とのメールのやりとりをまとめて誰でも読めるファイルストレージにパスワードもかけずにアップロードしました。
 そのことについて、私は2013/08/11 21:44:52に、

http://firestorage.jp/download/ae5a37e7e5f085ab262e74076fe5d45af6f607ce 上げたのは私じゃありません。私とのやりとりが誰でもダウンロードできる状態で公開されています。

とつぶやきました。私に、プライバシーを理由に削除を求めた人物がこんなことをしたので、かなりびっくりしました。
 そうしたら、井本氏はまた大学にクレームを送り、このツィートを削除するようにと言ってきました。
 大学には、教員のツィッターを削除させる職務命令を出す権限はありません。学部長からは個人の権限において適切に対処せよ、という連絡が来ました。

 ファイルは未だに誰でも読める状態で公開されています。何のパスワードもありません。その状態にしたのは井本氏です。私がつぶやこうがつぶやくまいが、誰でも気付けば読める状態です。大学にクレームをつけるにしても、資料をメールに添付するとか、印刷して別便で送るとか、他にいろいろ方法があるにも関わらず、「パスワードもかけずに誰でもアクセスできる場所に出しておく」という方法を選んだのは井本氏です。自分で大公開状態にしておいて、URLをつぶやいたツィートを消せ、と大学にクレームをつけるというのはお門違いです。アップロードしたファイルを井本氏が自分で削除すれば済む話ですし、それが筋でしょう。しかし井本氏は大学にクレームをつけてきました。いくら何でもこれは何か違うんじゃないのかしら。

 誰でもダウンロードできるパスワードも無い場所にファイルを置く、というのは、誰かに読まれても問題ないファイルを取り扱う時に使う方法です。誰かに読まれては困るのであれば、そんなことをしてはいけません。学生にだってそう教えます。
 この意味で、井本氏とのやりとりは要注意です。ウィルス感染等による流出以外で第三者に見られないことを予期してメールで送ったりしても、井本氏が他の誰かに伝える時に誰でも見える状態にして伝えてしまう可能性がある、ということですから。

 この件に関しては、学部長には、井本氏のクレームが理不尽なのでツィートは消さずに争う、と回答しました。至急の照会としてメールが来たのでそのように返信しました。

 井本氏もここを読んでいるでしょうから、ついでに書いておきます。
 8月11日のエントリーにも書いたように、学内で開設されているウェブコンテンツの内容について、大学の部局等が直接管理していないものについては、大学が(紛争回避のために安全策をとって)部局等が管理するページからのリンクを削除することはできますが、それ以上のことはできません。普通に問い合わせた時の総務部広報ユニットの回答です。
 ウェブの内容にクレームがついて「削除する義務が無いことを確認する」という訴えを先に起こした時に「削除しろという命令を出すな」という理由で大学も被告にしたことがありました。このときは、相手が既に私の母校の大学だけを遠方で訴えていて大学の応訴の負担が大変でしたので、おなじ事を勤務先にされないように地元の裁判所にまずは係属させて勤務先の負担を減らすというのが狙いでした。このときの大学の顧問弁護士の裁判所での主張は「(私が書いて出している部分について)大学は関係ないし知らない」というものでした。これもまた、総務部広報ユニットの回答と矛盾しないものです。

 さて、私はこの10年以上にわたって、ウェブなどで書いた内容は個人が直接責任を負うべきで所属組織とは切り離すべき、と主張してきました。大学に限らず民間の企業でもそうあるべきだと考えています。すぐには無理でも、大学が先例となってその方向に進むことができればいいので、とりあえずは実績を積み重ねるしかありません。そうでなければ、いつまで経っても、実名で情報発信する、ということが根付きません。個人の情報発信につき所属組織が何らかの形で圧力をかけることがあれば、個人と組織の力関係からいって、萎縮効果が大変大きく、到底実名での自由な発言など行えないからです。この目的のために、私はそれなりにコストも払ってきました。

 今回、またもや井本氏が「組織に文句を言って対応させる」方法を選びました。私としては、これはおかしい、と言い続けなければなりません。

 大学にクレームをつけることで何かさせようという相手に対しては、何をされたかという情報を徹底的に公開して批判を加えます。これは、これまでに同様のことを私に対してしてきた人全てに対して行ってきたことです。組織にクレームを出すことは決してこっそり何か対応をしてもらえるということではないということを広めない限り、組織ではなく本人に責任を負わせるということのインセンティブが出てきません。

総務部広報ユニットからの回答

 実は以前、削除要求が大学に来た時、総務部広報ユニットに問い合わせを出して、大学としての回答をもらったことがあります。2007年12月のことです。
 だいぶ前のことなので記憶がちょっと怪しいのですが、サイトに「なお、文部科学省や国大協にまでクレームを送りつけ、事務に電話をかけまくるという迷惑極まりないことをやってくれた(自称)某探偵事務所のようなケースが出てきました。こいつは、電話で「私の自宅に行くぞ」と言い、「来たら警察に連絡する」と言ったら「警察に連絡する余裕があればいいけどな」という捨てぜりふを言いました。この人物は、不倫復讐代行殺人請負詐欺の犯人として既に逮捕されました。今後、当サイトに対するクレームは、どこのお役所経由であろうと、いかなる形で届いたものでも手段を選ばず全力をあげて公開いたしますのでご承知置きください。」を掲載する原因となったクレームや、当時係争中だった磁気活水器の会社からの大学宛の削除要求が続いたため、切り分けをはっきりさせる目的で回答を求めたのでした。

 私が出した問い合わせは次の通りでした。

総務部広報ユニット 御中

 理学部物質生命化学科の天羽です。

 教えていただきたいことがあります。

山形大学ホームページ運用要項
http://www.yamagata-u.ac.jp/jpn/yu/modules/common14/index.php?id=10
を見たのですが、教員が個別に研究室単位で開設するホームページが
どう扱われているかはっきりしません。

 各研究室のホームページの内容に法的責任を負うのは、最終的には
教員個人という理解でいいのでしょうか?管理者としての権利がある
のは結局誰になるんでしょうか?

 あと、内容にクレームがついた場合の対処は、どのようになって
いますか?個人で対処してもかまいませんか?

 これに対する回答は、2007年12月4日付けで、総務部広報ユニットから pdfを添付するという形で送られてきました。

教員が研究室で開設するホームページの位置づけについて(回答)

●各研究室のホームページの内容に法的責任を負うのは、最終的には教員個人という理解でいいのでしょうか?管理者としての権利があるのは結局誰になるんでしょうか?

回答:部局が提供するホームページを管理するための部局責任者は部局長となっておりますが、大学のホームページ以外で個別に開設しているものは、それが部局の提供するホームページとリンクされているものであっても、その内容については、基本的に開設者本人の責任になります。
当該ホームページの内容が犯罪、不法行為にあたる場合には、リンクしているということから、当該部局が幇助に問われる可能性があります。その意味で、部局に管理責任があります。それ故に、必要な場合、部局においてリンクを断ち切ることができます。

●内容にクレームがついた場合の対処は、どのようになっていますか?個人で対処してもかまいませんか?

回答:部局が提供するホームページの内容についてクレームがついた場合は、上記のように、部局責任者が、必要な措置を講ずることになります。なお、大学のホームページ以外で個別に開設しているもので、部局が提供するホームページにリンクされているものについては、個人の責任になります。

 外部からのクレームがあった場合、学部などのページからのリンクを削除する以上の対応はしないというのが総務部からの回答です。

 ですから、もし、大学に、大学の部局等が直接管理していないウェブサイトの内容についてクレームをつけた場合、部局等が回答に書かれた以上のことをすれば、総務部の回答と矛盾することになります。

記事1つ消しました

 現在進行中の削除要求について書いていた記事を1つ削除しました。争うにせよ消すにせよ、争点はシンプルにした方がいいと考えたので。
 なお、削除要求の根拠は、

「前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉,信用に直接にかかわる事項であり,前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有する」(最判昭和56年4月14日),「この理は,右の前科等にかかわる事実の公表が公的機関によるものであっても,私人又は私的団体によるものであっても変わるものではない。そして,その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては,一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから,その者は,前科等にかかわる事実の公表によって,新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべきである」(最判平成6年2月8日)

でした。

クレームにより記事訂正

 古い記事にクレームが来たので対応しました。
 クレームの内容は次の通りです。

天羽様

最近、ネットで
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/atom11archive/wwatch/others/comment_11.html
のページを発見し、記載内容に間違いがあり、訂正をして頂きたく、メールを差し上げました。

コスモアート・ジャパン(株)&オーセンネットショップ(2002/10/06)
のコメントについて

扱っている製品が同じなので、2社同時に眺めてみる。「カーツ活水器」という、蛇口部分を取り替えて水流に空気を送り込むタイプの活水器である。オリジナルは、コスモアート・ジャパン(株)で、販売ルートの1つがオーセンネットショップらしい。

と記載されておりますが、
カーツ自体は当社で仕入れて販売しておりましたが、
オリジナルは、コスモアート・ジャパン(株)で、販売ルートの1つがオーセンネットショップらしい。
と言う部分は推測であっても完全な間違いで有り、訂正、又は削除をお願いします。

追記
カーツの発売元は大阪府羽曳野市にあった大揮産業商事(有)で、その後、社長が死亡され、2~3年後に廃業、東京の代理店が引き継いだと聞いております。

4、5、6の説明文は、大揮産業商事のカーツのカタログに記載されていた内容で有り、当時の大揮産業商事(有) 澤社長の説明文です。

赤字の部分の訂正がなされないで公開が続いた場合、記録として公開されている天羽氏に対して、大阪地裁に訴訟をさせて頂くことになります。

コスモアート・ジャパン株式会社
代表取締役 安西憲雄
558-0004 大阪市住吉区長居東3-20-16
mail: cosmoart.jp@cosmoart-japan.com
tel:06-6609-2611 / fax:06-6699-6672

 当時は、同じ製品の説明が2カ所に出ていて、ウェブを見てもどちらがオリジナルかわからないので「…らしい」と書いた。が、当時であっても、別の開発元(特にコメントをつけた宣伝内容を書いた会社)がわかっていれば、そのように書いたはずである。もちろん、今でも、事実関係が間違ったままにしておくつもりはない。
 かなり時間が経った後ですが、本当の開発元についての情報提供はありがたく受け取って早速記載に反映させた。delタグで挟んで打ち消し線で削除し、追記した。
 メールには「赤字」とあったが、私は plain text でやりとりする設定にしているため、メールの本文そのものの文字修飾情報は全く見えなかった。メールでのやりとりの時には、相手の環境次第で文字修飾は見えないことあるので、文字の装飾を前提にした書き方をしない方が安全である。だから、赤字、の部分で行き違う可能性もあるが、文章を読んでわかった範囲で対応した。

 と、これだけにしようかと思ったのだけど、「大阪地裁に訴訟をさせて頂くことになります」について検討しておく。
 このような内容が届いた場合、私の判断は「相手は訴訟の準備ができておらず言ってみただけ」となる。なぜなら、このメールには事実関係が書いてあっても、訴訟になった場合の争点になりそうな内容や法律構成を窺わせる記述が全く無いからである。相手はまだ弁護士に相談すらしていないと推測する。プロがついていればもうちょっと法的な内容を書いた手紙が届くはずだからである。
 本当に恐いのは、訴えるぞとは全く書いてなくて、かつ、行為が法的にどういう意味を持つかを丁寧に記載したものが届いた時である。つまり、読めば相手が出しそうな訴状やら準備書面の内容の見当がついて、どういう法律構成で争うつもりかもわかるような内容ということである。こういうお手紙が来たら、相手は既に弁護士に相談済みで充備万端整えているはずなので、こちらもプロのところに持ち込んで対応を検討しなければならない。

 事実と違うことを出しっぱなしにするつもりは無いから、訴えるとか書かなくても普通に「会社が違います」と言ってくれれば対応はするわけで、何もわざわざ、準備できてなさそうにみえる訴訟なんか言い出さなくても良いのにねえ。

やはり私刑は認めない方向

 YOMIURI ONLINEの記事より

ナイフで脅した小6の頭叩いた校長処分…退職

 大阪市教委は31日、児童7人の頭を手でたたいたとして、同市都島区内の市立小学校の校長(62)を25日付で戒告の懲戒処分にしたと発表した。

 校長は「指導のつもりだった。深く反省している」として、31日付で依願退職した。

 市教委によると、校長は5月、6年男子児童が校内にナイフを持ち込んで他の児童を脅し、一緒にいた同級生6人も先生らに知らせなかったことを知り、7人を別室に呼び出して頭を1発ずつたたいた。7人にけがはなかったが、市教委は「市立桜宮高の体罰自殺問題を受けて、暴力に頼らない指導を目指す中、管理職が手を上げた責任は重い」として懲戒処分とした。

(2013年8月1日11時59分 読売新聞)

 一昔前までは、この手の事件が起きた時に、警察マターにはしないかわりに学校内で処罰するという「教育的配慮」が当たり前とされてきました。しかし、最近では、教育的配慮であっても私刑は違法という判断が続いています。多分この流れは変わらないでしょう。
 現実に違法なことをする生徒が居る以上、秩序の維持のためには何らかの懲罰が必要です。教師が懲罰を与えることが違法とされてできないことになったのですから、警察に通報し、少年法の手続きに則って粛々と進めるしかありません。
 この元校長先生は、一緒にいた同級生が先生に知らせなかったことを叱っていますが、自分だって警察に通報はしていないわけで、生徒を叱れる立場じゃなさそうですね。
 教師による懲戒を問題とする=「教育的配慮」の拒否、にほかなりません。わかりきったことですが、社会でこれを選んだのですから、その結果も引き受けるしかないということです。これから教師になる人には、手続き優先、教育的配慮はしないように注意、と教えた方が職を全うできそうです。

どの程度なら削除すべきなのだろうか

 古いブログエントリーへの削除要求について、どう考えるべきか迷っている。
 確かに、人の前科等にかかわる事実をブログに書いて、検索して見に来た人が「Aさんは○○で逮捕された」などとわかってしまうというのは、更生という点から問題である。一定期間後に消すべきだと思うし、ネット上の忘れられる権利も認めて良いと思う。
 しかし、「Aさんは既存の会社と似たような名前の会社をなのっていた」「それはB会社関連も同様だった」程度の内容だった場合どうなるのだろう。Aの名前とB会社を組み合わせて検索すると前科に関する情報が出るが、ブログを見ただけではそのことがわからない場合、この程度でも削除すべきなのだろうか。
 「前科等にかかわる事実」を広く解釈し過ぎると、自由な議論や情報発信に対して制限が強くなりすぎるという弊害が出る。しかし狭く解釈し過ぎると更生の妨げになる。一体どこでバランスをとるべきなのだろう。現状の下級審裁判例も含めた相場はどのあたりなのだろう。

 ウチの人文学部の判例検索室、開いてるかな……。しかし明日は午前も午後も会議だしなあ。

おうちに机が届いた件

 今年の1月に注文した机がやっと届いた。人生できちんと机を買ったのはこれが3回目である。

 最初の机は小学校に入る時に親が買ってくれたいわゆる勉強机で、引き出しや本棚がついているもので、高校卒業まで実家で使った。
 2つ目の机は大学に受かって下宿する時で、学習机は移動が大変なので持って行かず新規購入した。千葉の(今は無き)セントラルプラザで、キャスター付きの使わない時は折りたたんで収納できる白い机を選んだ。天板を支える角度を3段階くらいに変えられるようになっていた。
 引っ越しに備えて折りたためばすぐ運べるものを選んだのは正解で、その後寮住まいの2年間は実家で保管したことがあったが、結局今までずっと使ってきた。

 ところが、最近になって狭い上に不安定で仕方がなくなってきた。

 およそ三十年前に机を買った時は、パソコンがやっと普及し始めた頃で、ノートパソコンはまだ無く、パソコンは専用のパソコンラックに入れることが多かった(それをせずこたつの上に置いていた友人は熱暴走に泣いた)。学生時代にパソコンを買った時は、パソコンラックも同時購入して収納した。机には、本とノートとペン立てとスタンドが置ければ十分だった。しかし最近は、パソコンがすっかり文房具と化して常時机の上にあるのが当たり前になってしまった。ノートパソコンを使うことにしても、本来、B5ノートとA5の本くらいしか広げる予定のなかった机の上で常にA4程度の面積をとられるわけで、どうしても手狭になる。作業を楽にするために大きなディスプレイをつないだり、ゲーム用の別のディスプレイを置いたりしようとすると、もっと狭くなる。ついでに本自炊のためのスキャナまで机の上の面積を要求する。
 さらに、ほかの作業の時は一時的にディスプレイの位置を変えたいので、エルゴトロンのディスプレイアームで机に固定したら、重心が上がって不安定になった。静かに置いておく分にはいいが、ちょっと揺れると机ごとひっくり返りそうになる。震度4くらいで惨事になりそうだ。しかもさすがに古くなって、足を載せる板がたわんできている。
 これは狭い上に危険だということで、新しい机を探して購入することを決めたのが、今年の新年早々だった。
 条件は、現状で使っているものよりは大きいものであること、どの方向からでもクランプでアームを固定できること、ディスプレイの位置を変えた時に不安定にならないこと、キャスター付きの机であること。
 大して難しい条件をつけたつもりはなかったのだが、条件に合うのがなかなか見当たらなかった。
 大きさとクランプで固定できる条件を満たすものは、プラスやらコクヨやら内田洋行などオフィス家具のカタログにたくさん見つかったのだが、キャスターが無いものばっかり。たまにキャスター付きパソコンデスクが見つかると、幕板のところにケーブルを収納するためのあれこれがついていたり、天板をささえる枠があってクランプ取り付けと干渉しそうだったりでやっぱりダメ。ネットを探しまくったら、GARAGEというオフィス家具の通販ショップでfantoni MEというシリーズを見つけた。

 構造を見ると、テーブルの内側から斜めに脚が出ている感じで、天板のほとんどは板のまま、つまりクランプ固定し放題という素敵な仕様。製品紹介の写真はキャスター無しのものばかりだったが、サイズや天板の種類、サイドテーブルなどのオプションパーツを好きに選べると書いてあって、私が見た時はキャスター付き脚を選べると記載されていた。それで購入を決定した。
 ところが、購入申し込みしようとするとキャスター付き脚が選べない。そこでお客様センターに電話したら「ちょっと前まではキャスター付き脚も売ってたのだけど販売を中止する」ということだった。私が見たキャスター脚オプションのページは、販売変更に伴ってサイトを変更していたのが直って無くて見えていたということだった。「キャスター付きが欲しくて散々探してやっと見つけたので残念だ。キャスター無し脚で買って自力でどっかに工作依頼して頑丈なキャスターを取り付けられそうな脚の構造ですか?現物どっかで見れますか」などと粘ってみら「イタリアではキャスター脚を作っているから受注生産で輸入は可能」とのこと。それで、キャスター脚・天板白色・幅160cmのものを注文した。
 イタリアから船便で送るので届くのに3〜4ヶ月はかかる、と言われた。4月下旬に、GW頃に届くことを期待して「その後机どうなってますか」と電話してみた。ところが、折り返し担当者からの電話は「キャスター脚は無事に届いたんだけど天板の確保忘れてたテヘペロ」。担当者は恐縮していたが、私の方は、何だその絵に描いたようなベタな展開は、と、電話で話しながら爆笑してしまった。天板は国内販売品と共通パーツだし、即納できるって書いてあったので油断していたら、どうもたまたま売り切れたらしい。イタリアに発注はかけているということで最大2ヶ月待ちくらいだという説明だったので、3ヶ月待った商品が多少延びてもどうってことないので待つことにした。
 こんないきさつで、部品が全部揃って発送できますという状態になったのが6月下旬。連休の作業の方が何かといいので本日届くように手配してもらっていた。

 天板と脚が別々に梱包されて届いたのだが、やたら思い。天板は引きずるのがやっと。組み立ての注意事項として「重量があるので2人以上で組み立ててください」。カタログによると、キャスター脚じゃない方の同サイズのもので総重量45kg。ふざけんじゃねえ実験物理学者舐めんな、ってことで、古い机を拭いて畳んで片付けて部屋の床を空けてから天板を引っ張りこんで脚を取り付けた。逆さま向けて脚を取り付け、90度回すまでは楽勝。天板側にスペーサーを入れて、手が入るようにしてから気合いで立てたら何とかなった。足の上に倒してたらほぼ確実に骨折だろうし、安全靴が欲しいところではある。これで怪我したら恥だが、無事に作業終了。
 昨日買っておいたビニールのテーブルマットを載せて、クランプでディスプレイ2つ、ノートパソコン1つを固定。さすがにこの重量だとびくともしない。ScanSnapを置いても余裕の広さ。安心して使える。しかし部屋は狭くなった(←当たり前だ)。
 さて、部屋を広くするため自炊作業を進めるか……。
 

名前呼びをめぐるあれこれ

 書き始めてから時間が経ってしまったのだけど。いろいろとひっかかることがあったのでまずは引用。

「がんばれニッポン」が控えめにした五輪熱」より。

 私は、フィギュアスケートの浅田真央選手を応援している。
 がんばってほしいと思っている。
 が、そう考えている一方で、彼女に対して、「真央」ないしは「真央ちゃん」と、名前呼びで語りかけるカタチの放送に、いまだに慣れることができないでいる。
 あれはアスリートに対する態度ではないと思う。

 安藤美姫選手は「美姫」と表記される。あるいは「ミキティ」と呼ばれる。
 この呼び方も私は好きになれない。
 安藤選手と、普通にそう呼んでほしい。

 スポーツメディアの中では、いつの頃からなのか、女子選手に対して、名字を省略することをもって「美人選手認定」とするみたいな、異様な風潮が定着している。
 名前で呼ばれる選手は、それだけ国民に愛されていて、親しまれていて、娘のように扱われている、と、そういうことになるようなのだ。

 で、私は、このマナーどうしても好きになれない。どうしてスポーツをパパ目線で見なけりゃならんのだ? ばかばかしい。

姫は城を出て母になる」より。

 もうひとつ、私が違和感を持つのは、

「美姫、出産していた」

 みたいな見出しの付け方だ。
 一人前の女性をつかまえて、「美姫」と呼び捨てにしている。
 そもそも、こんなデタラメな距離感で、マトモな記事が書けるはずがないのである。
 
 このこと(スポーツマスコミが、女子選手を下の名前で呼び捨てにする傾向=娘呼び)については、以前、当欄でも触れたことがある。

 私は、今回の安藤美姫選手の出産が、過剰に問題視されていることの背景には、この「娘呼び」が介在していると考えている。

 安藤選手は、25歳になる大人の女性だ。
 とすれば、誰と交際しようが、どんなカタチでいつ出産しようが本人の自由であるはずだ。

 なのに、その妊娠について、あれこれ言いたがる人が多いのは、結局のところ、これまで、長い間、われわれが女子選手に、「娘」としての役割を担わせてきたことの反作用なのだ。

 「浅田選手」、「安藤選手」ではなく「真央」「美姫」という見出しの付け方は、記事を書く人々が、彼女たちを「娘」ないしは「身内の子供」として扱っていることを意味している。

 整理部のデスクは

「いや、文字数を節約したいということで、他意はありませんよ」

 と言うかもしれない。
 しかし、私は信じない。他意は、明らかに、存在している。

 名前呼びの違和感というのは強烈にありまして。
 名前呼びされても許せるのは、親、兄弟、叔父叔母従兄弟などの親族(名前呼びしないとお互いに姓がかぶってるもんだから誰が誰だか混乱する)、あとは子供の頃からつきあいが続いている友達とか(つきあい始めた時からお互い名前呼びだから今更変えても)。それ以外の他人から名前で呼ばれると、どうも人間関係の距離感が狂った気がしていただけない。
 大学の体育会でも女子学生は名前呼びのところがあって、どうにも近寄りがたかったなあ。

 恋愛小説で、作中の描写が、男性は姓を記述女性は名前になってるのが多いのは、やっぱりなにがしかのジェンダーなんでしょうかね。