疑似科学の見分け方
以下は、「きわどい科学」(マイケル・W・フリードランダー著、白揚社)からの引用である。
アーヴィング・ラングミュアによる病的科学の症状を見分けるルール
- 観測される最大の効果は、ほとんど検出できないくらいの強さの原因から生まれ、その効果の大きさは本質的に原因の強さには依存しない。
- その効果の大きさは検出限界ぎりぎりのところにとどまる。あるいは、得られた結果が統計的にはほとんど意味をもたないために、数多くの測定が必要になる。
- きわめて精度が高いと主張する。
- 経験と矛盾する夢のような理論である。
- 批判すると、とっさに思いついたその場かぎりの言い逃れをする。
- 反対者に対する支持者の割合は五〇パーセント近くまで上がるが、その後は次第に下がっていってやがて忘れ去られてしまう。
マリオ・ブンゲによるチェックリスト
- 新しい理論は融通性に乏しく、一般に新たな研究の妨げになる。
- 一般に、支持者は研究していない信奉者からなっている。
- 場合によっては商業的な関心から支持を得ることもある。
- 疑似科学の現象のほとんどは信奉者にしか証明できず、その多くが超自然的効果をほのめかしている。
- 拠りどころとする議論の多くは時代遅れだったり信頼できない文献から引かれるか、証明不可能である。そうした立論には明確さと首尾一貫性が欠けている。
- 数学が使われることはめったになく、論理的な議論も欠けていることが多い。
- 主張される現象の多くは非常に古くからあるものだが、そのアイデアにはほとんど、あるいはまったく進展がみられない。(これと対照的に、科学の本流では知識が累積されていく。)
マーティン・ガードナー「まぎれもない疑似科学の連中の偏執的傾向が現れる五つの特徴」
- 自分を天才だと考えている。
- 仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
- 自分は不当にも迫害され差別されていると考えている。
- もっとも偉大な科学者やもっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
- 複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。
「きわどい科学」からの引用
では、いったい誰にエキスパートとしての資格があるのか。専門家としての知識や権威というものは、学位を取得すれば自動的にそれについてくるというものではない。研究者仲間が、専門領域で重要な論文をどの程度書いているかを参考にして判断するのである。卒業証書も普通役に立たないこともないが、本質的ではない。科学者たちのなかには、その科学への貢献での重要さと持続性により、権威として広く認められている人たちがいる。
何か目新しいことが提唱されるとき、そしてそれが専門家の世界とは別の回路で持ち出されたときには往々にして、博士とか教授といった肩書きが残念ながらお墨付きのようになってしまうことがある。専門家としての優れた判断は、その本来の専門領域を超えてまでそのまま通用するものではないのだが、そのように見せかけてしまうことはできる。