傍聴ではわからない民事訴訟
書類の行方
原告が訴状を提出すると、民事訴訟の手続きが始まる。
宣伝したい原告だと、訴状提出と同時にプレスリリースを出したりする。まだ、訴状は原告と裁判所の窓口に存在するだけである。訴状を受け取った裁判所は事件番号を振って、期日を決めて呼び出し状と一緒に被告に訴状を送達するが、これには一週間か十日位かかる。だから、プレスリリースを見た記者が、被告のコメントも併せて掲載するため取材をしても、「訴状を見ていないのでコメントできない」という返事をもらう羽目になる。多分、被告は取材から逃げている訳でも何でもない。本当に訴状が届いていなくて見ていないのだ。
事件番号が振られて送達されると、被告はやっと訴状を手にする。このとき、訴状(と一緒に出された証拠)は、原告、被告、裁判所が持っている。
被告は、応訴するにあたって、答弁書を提出する。訴状の各項目について、認める、否認、不知、のいずれかを簡単な説明と共に書いて、必要なら証拠書類もつけて裁判所に提出する。原告にも副本を送っておく。この段階で、被告がどういう答弁をするかを書いた答弁書は、被告、裁判所、原告が持っている。
口頭弁論
当日は、裁判官の前で原告被告(とその代理人)が顔を合わせるが、答弁書の通りに主張する、という程度のことしか言わない。裁判官から求釈明されてその場で答えることもあるし、後で書面で提出、となることもある。いずれにしても、長々と答弁書の内容を読み上げるようなことはしない。口頭弁論という名前がついてはいるが、実態は「書面による弁論」である。
書類のやりとりは続くよどこまでも
裁判官の指示に従って、原告被告双方が主張を述べる……のだが、言いたいことは準備書面という書類に書いて、必要な証拠をつけて、口頭弁論の前に裁判所と相手方に送っておくことになっている。
というわけで、主張したいことが全部出ている書面は、当事者と裁判所は持っているが、それ以外の人は持っていないし内容も知らない。
口頭弁論当日は、「準備書面の通り陳述します、証拠書類の何番から何番まで提出します」位しか言わない。 裁判官が簡単な質問をし、それに答えて終わるから、所要時間は五分程度である。
裁判は誰でも傍聴できるといっても、「前もって提出した書類の通りです」しか情報が無いのでは、傍聴している人には原告と被告が何をどう主張しているのか、聞いていたってさっぱりわからない。傍聴人が多い場合は裁判所が気を遣ってくれて、主張の内容を簡単に説明する時間をとってくれることもある。すると、口頭弁論の時間が十分を越えることもあるが、それでも十五分を越えることはまずない。これだけでも(大量に事件を抱えている)裁判所の大サービスである。しかし、短時間で証拠書類の細かい部分の検討も含めて弁論の内容を正確に伝えるには、やっぱり無理がある。
ユーザーとしては……
誰でも傍聴できるといっても、超能力者にしか内容が分からないような状態では、裁判を公開する意味が無いんじゃないか。支援団体ができるような裁判(こんなのはごく一部だ)では、口頭弁論が終わった後、別室で代理人弁護士が支援者に解説をしたり、提出書類のコピーを配ったりといったことがあるようだが、情報伝達が不十分であることは確かだろう。
幸いにしてインターネットが普及し、簡単にテキスト情報を出せるようになったので、このサイトでは私が関わった訴訟について、訴訟資料を公開するという試みを行っている。弁護士は守秘義務があるから出せないが、当事者が出す分には問題は生じないだろう。原告被告のいずれに共感する立場をとるにしても、傍聴でわかるのは雰囲気だけなのだから、弁論については書面を見てからでないと議論すらできない。訴訟の一次資料は、やりとりされた書面である。
全ての民事訴訟が公開に馴染むとは思わないが、言論と表現の自由に関係するようなものについては、広く公開することに一定の意味があると考えている。
補足
口頭弁論では、原告と被告(とその代理人、あるいは代理人のみ)が顔を合わせる。しかし、原告と被告の間で直接のやりとりは一切無い。裁判官の前で双方が言い合いをすることなどなく、主張したいことはすべて裁判官に向かってだけ述べる。例えば、相手方の主張の内容がわからなかった場合、相手に対して直接「もっとちゃんとわかるように書けやゴルァ!」と言うのではなく、裁判官に向かって「主張のこの部分の意味がわかりません」と主張する。裁判官がその主張を妥当と認めたら「もっとくわしく、分かりやすく説明してください」などと相手方に求釈明する。
目の前にいる相手は、裁判官とのやりとりを聞いているのだが、聞いているだけというか聞こえているだけであって、裁判官に何かを言われて初めてアクションを起こす。双方とも、何かを主張するときには相手がそこに居ないかのように振る舞う。まあ、この辺は訴訟のしくみがそうなっているというタテマエの世界なので、実際に相手の主張が聞こえてしまうことによって得られる情報はもちろんある。
余談
子供の頃は、「口達者な人」が弁護士になる適性があるんじゃないかと思っていた。アメリカの法廷弁護士は、陪審員に口頭でアピールしなければならないので、口達者でないと無理かもしれない。日本の民事訴訟の代理人は、口達者よりも作文能力のウェイトの方が高いように思う。