甲13号証
甲13号証(原告:松井氏提出書類)
本件訴訟は2007年3月に第一審判決が言い渡され、既に確定しています。このページは、ネット上の表現を巡る紛争の記録として、そのままの形で残しているものです。
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雑感304-2005.5.24「ナノテクノロジーとリスク(2)」
今回の雑感目次
A. ナノテクノロジーとリスク(2)
B. 名誉毀損事件
A.ナノテクノロジーとリスク(2)
B. 名誉毀損事件
(京都大学地球環境学大学院地球環境学堂教授 松井三郎さんから提訴された損害賠償請求事件)
第1回の口頭弁論が、以下の通り開かれる。
平成17年5月27日 午前10時
横浜地方裁判所 第502号法廷(5階)
(みなとみらい線ができて、とても便利になったそうです)
弁護士は、弘中 惇一郎さん、弘中 絵里さんに引き受けて頂きました。弘中 惇一郎さんは、外側の世論とか、既成概念にとらわれず、法理論をきっちり詰める論理派。カミソリ弘中と言われる、鋭い方です。絵里さんは娘さん。年代的にも、とても良い組み合わせだと思う。
(心境)
当初は、何か自分が書き過ぎたのかとか、言い過ぎたのかと思っていたが、自分の書いたものを反復して読み、益永さんはじめ多くが発表しておられることや、私のもとに届く激励のmail、FAX、手紙などを読むにつれ、この裁判は謀略だったのだという確信のようなものが、形成されてきた。
自分で気が付かないのはおかしいと思われるかもしれないが、当初は、自分が何か悪いことをしたのではないかという気持ちが前面に出てきて、そればかりを考えていた。また、何よりも、そのことから逃げたくて、訴状もそれほど丁寧には読まず、また、訴状が出された時のプレスリリースも暫くは見ていなかった。
多くの方からの指摘で、提訴された時のプレスリリース用文書(net上で公開されていた)の内容は知っているつもりだったが、きちんと読んだことはなかった。先週、弁護士との打ち合わせがあり、そのために初めて読んだ。そして、驚いてしまった。
私は、こう受け取っていた。 私が、環境ホルモン問題は終わったと言っている、と。それも別に提訴の理由にはならないだろう。しかし、どこでどういう文脈で言ったことを指しているのか?と。
ところが、よく読むと、「中西氏は、『環境ホルモン問題は終わった』と考えておられるようであるが」(原告代理人)とある。考えておられるようであるが、を提訴の理由にしている、恐ろしいことだ。
私は、提訴されるという重圧の中で、いつの間にか、自分が何か悪いことをしたのではないか、行き過ぎたことをしたのではないかと、そればかりを考えていた。環境ホルモンは終わったと、私はどこで言っているのだろうか?などと考えていた。別に、それを言ったからどうということもないのに、そういう考えに追い込まれていた。
しかし、落ち着いてきて、多くの方達の意見や励ましのmailや電話に促されて、冷静に資料を読むにつれ、冒頭に述べたような確信が強くなっていった。
では、こういう問題に対し、自分はどうすべきなのだろうか?
私にかけられているのは、ある種政治的な攻撃である。これに対して、私は戦う武器のようなものがあるのだろうか?最近、このことを考えるようになった。
私は、どちらかと言うと政治的な議論や思想的な議論が好きでない。それは「環境リスク学」で述べた通りである。そして、できるだけ自分が集めたデータや、観察、実験で反論してきた。しかし、どう考えても、データの問題ではない。
こういう時、思想論争に巻き込まれたくないと思ってきた自分は何をするのだろうか?このことをぼーっと考えている。まだ、これだというものが見つからないのだが、第1回の口頭弁論が近づくにつれて、何かが掴めそうな感じがでてきた。
流域下水道の際、不経済性指数というものを考え、駒ヶ根市で個人下水道を考え、ダイオキシンで農薬に辿り着いた。
そういう、何か新しいものの見方、つまり、従来のAという考え方を支持する人(A派)と、それに反対する反A派があったとき、そのどちらもが心の奥で共通に良いと思う心情、共通に認める事柄を探し出し、それを基盤に論理を構成する切り口を見つけなければならない。
益永さん達が書いていることは、非当事者としてのそれだと思う。私は、当事者としての、そういう切り口を探さねばならない。そう考えて立ち止まっていたのだが、第一回の口頭弁論を前にして、当事者としてそういう見方を出すことができるという気持ちになってきた。それは、新しい理論でなければならない。これが、今、自分に課している課題である。