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ありがちな議論とそれに対する反論

 たかぎFさんの項目に沿った形で追加修正を試みる。

「○○はニセ科学である」ということには異論がない人による,ニセ科学批判への批判

「批判に労力を使うよりも科学者としての本業に専念しろ」

【反論】

  • その科学者に向かって、「象牙の塔に居るのはケシカラン、社会貢献しろ」と言いまくったのは誰か?間違いをただすことも社会貢献の1つの筈である。
  • ニセ物が社会に出回っていることは放置できない。品質管理の問題として。
  • (科学者である前に)個人として、社会にニセ物が蔓延するのは困る。科学については、たまたま何とかなりそうなので対応するが、それ以外については他の専門家の努力を期待したい。

 

「こんなアホな話に騙される人はいない」

【反論】
 サーチエンジンで検索してみろ。現実に騙されている人は大勢いる。

「放って置いても大したことにはならない」

【反論】
 そう思うのなら、あなたは何もしなくていい。しかし、そう思わない人の行動にわざわざ水を差すのは、もっと「大したことじゃない」ことをわざわざしているんじゃないのか?

「他にもっと大事なことがある」(優先順位問題)

【反論】
 それならあなたはその大事なことを優先していればよい。他人の優先順位に口を出すことは、あなたの「大事なこと」よりも大事なのか?

「信者を説得できないから無意味だ」

【反論】
 信者を説得できなくても、議論を見ることによって、信じかけている人が思いとどまるかもしれない。

「批判の仕方が悪い」

【反論】
 やって見せてくれ。見習うから。

○○がニセ科学かどうかにあまり興味がない?人による、批判への批判

「喧嘩はやめろ」「弱い者いじめはよくない」

【反論】
 誹謗中傷になった場合にだけそう言ってくれ。

「科学もニセ科学も似たようなもの」「○○がニセ科学かどうかなんてどうでもいい」

【反論】
 問題を理解できないのなら黙っていた方が賢明だろう。

ニセ科学だと指摘されているものを、ニセではないと信じている人による反論

「現代科学では解明されていないことも沢山ある」

【反論】
 特定の科学っぽい言説の内容と実体がかけ離れている、つまりニセ科学であることと、科学の未解決問題が他にあることとは関係がない。

「科学は唯一絶対の真理などではない」「何故科学だけが偉そうに他の立場を批判できるのか」

【反論】
 それならどうしてわざわざ科学を騙ったりするのか?ニセ科学が問題にしているのは、科学を騙ったことについてだけである。

一般的な反論

「何を信じようが個人の自由だ」

【反論】
 誰もが読めるblogや掲示板に書かれたものについては、その主張はあてはまらない。書かれたものを見て信じる人が出たらどう責任をとるのか?思想信条の自由はあくまでも「内心の自由」に止まるかぎり自由だが、公然と意見表明をしたことについての責任は発生する。

「批判する側がニセ科学だと一方的に決めるのは不公平だ」

【反論】
 まず、誰が不公平感を抱くかで問題の種類が違ってくる。
 批判する側が不公平感を抱くのなら、そうじゃない批判を実践してくれ、で済む。あるいは、批判を公平にするために別ネタの批判をお前がやれ、ということになる。
 批判される側が不公平感を抱くのは仕方がない。先にニセ物を広めた方が悪い、というだけの話である。ウソを指摘されたことに対する反感や不満から不公平だとだだをこねる場合も少なからずある。

「批判しやすいものだけ選んでやっている」

【反論】
 ニセ科学蔓延防止対策を、個人が手の届く範囲でやろうとすると、その第一歩は「自分が欺されないようにする」である。しかし、個人の注意力には限界があるし、得手不得手もあるし、個人の注意で足りているならそもそもニセ科学は蔓延しないだろう。そこで、次に「欺されそうなポイントをお互いに出し合って注意しましょう」ということになる。つまり、ご近所で「オレオレ詐欺が流行っているから注意しないといけないね」「隣町に泥棒が入ってまだ捕まってないから戸締まりに気を付けましょうね」「隣の市ではしつこい訪問販売対策を始めたからウチのところでも注意しなくては」といった情報を共有し合う延長上に、ニセ科学に対する注意喚起もある。
 こう考えると、「批判したい側が批判したい対象だけを切り離せる線引きをしている」というのは的外れであることがわかる。善意で声を掛け合っている状態なのだから、目に付いたものや気付いたもの=批判しやすいものが取り上げられるのは当たり前である。防犯のために町内で声かけ運動をしているときに、「すべての犯罪について等しく注意喚起しないのは不公平」と主張するのはナンセンスだろう。

「ニセ科学批判は道徳や社会規範の押しつけだ」

【反論】
 ニセ科学を問題にする場合の背後にある社会規範は、せいぜい「嘘をついて他人を騙すな」「不確かなことを言いふらすな」程度でしかない。押しつけがけしからんなどと抽象的な表現で印象操作をせずに「私は嘘をついて他人を騙すことを是とする」「私は不確かなことを言いふらして人心を惑わすことを何とも思っていない」と正直に言ってもらいたい。

「ニセ科学批判は科学の権威を振り回している・科学の権威による抑圧だ」等々

【反論】
 科学に権威がくっついていたとして、そのことによって具体的にどんな被害があったのか?「抑圧」があったとしてどんな実害が生じたのか?まずは説明してもらいたい。「人間の……」「社会の……」という話で止めず、あなた個人についてどんな被害・不利益がもたらされたのかを。もし、具体的な被害が無いのにクレームをつけているのだとしたら、それは、あなたの心のありようの問題に過ぎず、科学に文句を言うのはお門違いである。

「ニセ科学に対しては何をしてもいいのか。勝手に断罪することが許されるのか」

【反論】
 ニセ科学に対して個人がとっているアクションは、せいぜい、blogやウェブで批判的に議論するだけにとどまっている。これには何ら強制力はない。もちろん、誹謗中傷を振りまけば、法的制裁を受けることになる。「何をしてもいい」も「断罪」も、この手のことを主張する人の妄想に過ぎない。