「市民のための環境学ガイド 」での、マイナスイオンに関する記述への補足とコメント(2002/01/31)
【注意】このページの内容は商品の説明ではありません。商品説明中に出てくる水の科学の話について、水・液体の研究者の立場から議論しているものです。製品説明は、議論の最後にある、販売会社のページを見てください。
当ページでもリンクしている「市民のための環境学ガイド」に、マイナスイオンの話が取り上げられた。「あるある大事典」というTV番組で放映されたマイナスイオンの話への批判である。「あるある大事典のマイナスイオン2」「マイナスイオンはインチキか」「1月31日(木): 本HP、「2ちゃんねる」に登場」に、なぜ怪しいかということが非常によくまとめられている。
上記は3つとも参考になるが、もっとも簡単に箇条書きになっているのが、最後の1月31日の記載である。したがって、箇条書き部分を引用し、それについて、私の方からのコメントおよび追加情報を加えておく。なお、当方には、1年ほど前に、某空調機メーカーのエンジニアから、別の会社がマイナスイオンの装置を売り込みに来ているが一体どこまで本当なのか?という質問がきたことがある。そのときのやりとりもふまえてコメントしておく。
(1)「マイナスイオン」の物質としての実態が分かっていない。「マイナスイオン」測定器とはそもそも何を測っているのか。
これは事実その通りである。「マイナスイオン」の効果の説明によく使われるのは「レナード効果」で、滝壺の周りでマイナスイオンが多いという話である。元論文は随分古く、Lenard, P., Uber die Elektrizitat der Wasserfalle (About the electricity of waterfalls), Ann. Phys., 46, 584--636, 1892.である。分野としては気象学になる。簡単な解説が、英文だが、Glossary of Meteorologyに出ている。
これから連想したものと思われるが、滝壺の水しぶき−>マイナスイオン生成−>滝壺のあたりでは気分がいいからマイナスイオンは体にいい−>水を破砕して水の小さな液滴を作るとマイナスイオンが生成して体にいい、という道筋で話が一人歩きしたらしい。その中で、液滴を作るための破砕方法をちょっとずつ変えたり、なぜかセラミックスやトルマリンを使ったり、挙げ句に備長炭なんてものまで出てくる始末である。そこに加えて、水クラスターの話とアルカリイオン水の話が紛れ込んで、もう何が何だかという状態になっている。
ところが測定結果を探すと、納得できるだけの情報がどこにもない。まず、マイナスイオン測定器がいかなる原理で何を測定しているのかがわからない。特に、静電気による帯電は湿度の影響を受けるというのが日常経験するところだが、どうやって測定時に湿度の影響を除いたのか、どこを見ても出ていない。確かに、滝壺と風呂場でマイナスイオンの測定結果が大きいなんて話が出ていることもあるが、普通に考えると、単に湿度を測定しているのではないか?という疑問が残る。
最も重要なことは、水を単に破砕しただけではマイナスイオンは生じないということだ。分子線クラスターの質量分析という実験があって、水(に限らず液体試料)をジェットにして真空中に噴き出させ、断熱膨張でさらに破砕して分子数個から数十個程度の微小液滴をつくって測定する。これを質量分析器に導入するわけだが、破砕しただけでは帯電してくれないために、質量分析できないから、わざわざ後からイオン化している。また、破砕だけで帯電するなら、質量分析器にノイズとして引っかかるはずだが、そういう事実はない。このことは、クラスターの実験をしている西信之教授に直接伺った。マイナスイオンをつくるために水を破砕するというのは、何かを根本的に勘違いしている。
水滴を帯電させるのは難しいらしい。ミリカンの実験の装置だと、油滴を使うことが多く、この場合は宇宙線や自然放射線によって空気中に生じたイオンと油滴がくっつくので、線源がなくても実験できる。水滴を使って行うミリカンの実験の教育用実験装置では、小さなX線源を組み込んで、強制的に電離をおこさせることで、液滴に電荷を持たせているものがカタログに出ていた。物理学事典に出ているミリカンの実験の装置図では、X線源が組み込まれている。
(2)何種類かの「マイナスイオン」存在する可能性があるが、それぞれの実態を明らかにし、その効果(悪影響を含め)が同じかどうか検証すべきだ。
(3)「プラスイオン」なるものも同様。実態は何か。
(4)「マイナスイオン」が、ハウスダストなどの浮遊物を減らすから人体に良い効果があるというのなら、それなりの説明をせよ。
空気中にイオンを発生させるには、コロナ放電が必要である。この装置はイオナイザといって、静電気対策のために工場では普通に使われており、確かに静電気防止に効果があるとのことだ。ただし運転音がうるさいという話もある。静かなものであれば、静電気が気になる部屋では有効かと。
わざわざ「マイナスイオン」など持ち出さなくても、単に湿度がとても高いとホコリが飛ばなくて、乾燥もしないので、呼吸器系が弱い人は快適だと感じる、ということでは説明できないのだろうか。実際、花粉症の友人の話だと、風呂に入っているときだけが天国だとのことだった。お湯を使っている風呂場では花粉は飛ばないらしい。多分ホコリも飛ばないだろう。どうしても、「マイナスイオン」の効果だというなら、単に湿度が高くてホコリがたちにくいということだけでは説明できない効果を示してもらわないと、納得できない。
なお、空気中には一定量のマイナスイオンが存在するが、これは、宇宙線や電離放射線によってできたものである。我々が呼吸していても、普通に吸い込んでいるはずだ。
(5)炭が効果を示すとしたら、有害分子を吸着する以外に何か理由があるのか。どんな機構なのか。
これは私も知りたい。しかも、最近は、備長炭から電磁波がでる話まで出ている。黒体輻射以上のことがあるとは思えないが。
(6)トルマリンゴのような絶対的なインチキが混じっている。
えー、トルマリン、のtypoと思われるが(注:トルマリンゴというトルマリンを利用した製品の固有名詞だという指摘を、本稿をアップして数時間後にいただいた。これについては別途コメントする。それでも、マイナスイオンとトルマリンに関する以下の議論に変更はない)、トルマリンについてはウチの師匠の元上司が論文を書いている。(故)中村輝太郎先生で、誘電体の研究者である。トルマリンをキーワードにして、まともな文献データベース(yahooじゃないよ)を引くと、大量に出てくるが、大部分は圧電素子としての特性の評価、圧力センサの構築および圧力測定である。(故)中村教授はお茶の水女子大を退官後、東海大に移り、そこでトルマリンを使って水質を変える研究を始めた。ちょうどそのとき、水の研究を始めていたウチの師匠はあれこれ質問されたらしい。最近、あんまり変な文脈でトルマリンが出てきて中村教授の名前もちらちら出てくるので、師匠に「一体水について何を教えたのか?どうもとばっちりが私のところにきてるようだが。」ときいたら「普通のことしか教えてない。とばっちりについては、お茶大を辞めてからの仕事なので元部下は関係ない。」と答えが返ってきた。それはともかく、論文が元になったはずの中村教授が執筆した物性科学事典などの記述は「トルマリンを水に入れると水のpHがアルカリ側にちょっとだけ変化してわずかに水素が発生する」というもので、これってアルカリ金属を水に溶かしたときに起きる現象ではないか。トルマリンの成分にはLiも入っているので、トルマリンの成分が微量だけ溶け出したと考えれば説明がつく。摩訶不思議な現象でも何でもないはずだ。なのにどういうわけか、トルマリンを入れた水の元素分析は全くしないで、マイナスイオンだけではなく遠赤外線の効果だの、水の活性化だのという説で効果が語られるのは理解に苦しむ。
大体、空気中にマイナスイオンを放出する話と、水にとかしたときにpHが変わる話はまったく別のはずだけど。それが世間ではごっちゃになっているように見える。
トルマリンの論文は、この前inspecを検索した結果(1年くらい前)で、全部で120件出てきた。そのうち、関係するのは3つだけで、
- "Tourmaline group crystals reaction with water", Nakamura, T., Kubo, T., Ferroelectrics (UK), 13-31, vol.137, no.1-4, 1992
- "Tourmaline and lithium niobate reaction with water", Nakamura, T., Fujishira, K., Kubo, T., Iida, M., Ferroelectrics (Switzerland), 207-12, vol.155, no.1-4, 1994
- "pH self-controlling induced by tourmaline", Nishi, Y., Yazawa, A., Oguri, K., Kanazaki, F., Kaneko, T. , J. Intell. Mater. Syst. Struct. (USA), 260-3, vol.7, no.3, May 1996
である。トルマリンは、誘電体であり、圧力をかけると電圧が結晶の両端に生じる性質がある(要するに圧電素子)なので、他の研究は全部そちらの話である。なぜ、単に水に浸してみたり、水の性質が変わるかどうかを調べたりしているのかが謎だ。水の中で使うと傷んでしまって素子の寿命が短くなるような話でもあったのならわかるが、他の検索結果の論文要約をみても、圧電素子として使ったときにそのような問題が生じるということは書いてない。論文要約では、トルマリンのパウダーなどを使って水の性質が変わったと書いてあるが、水に溶けている成分の分析が済むまでは、物性が変わったという結論を出すべきではないだろう。また、水の中の不純物の分布を変えたいのなら、わざわざトルマリンを使う必要はない。きちんと試薬を添加して、濃度・成分ともにコントロールするのが普通である。トルマリンでないとできないこと、というのが一体何なのか、上記の論文要約を見てもいろんな製品を見ても、さっぱりわからない。残る可能性は廃物処理くらいである。色の綺麗なトルマリンは、宝石として使われるが、宝石にならないトルマリンだってあるはずで、それに付加価値を付けて売るために利用法を考えてくれ、というような研究テーマでも持ち込まれたんじゃなかろうかと、勘ぐってしまう。中村教授ご本人が存命であれば、直接話をきくところなのに残念である。
(7)赤血球の凝集状態に「マイナスイオン」が影響を与える機構を明らかにせよ。
これについては番組見てないのでわかりません。マイナスイオンを含んだ空気を吸うと変わるんでしょうか?それともマイナスイオン水だと変わるんでしょうか?後の方だと単にpHの違いだったりして。
(8)松下、東芝ともあろうものが、もっと科学的説明ができんのか。
これについては、企業から直接相談を受けた私としては、一応企業を弁護しておきたい。現場のエンジニアが「このマイナスイオンは怪しい」と思っても、営業が客先から「**社のエアコンはマイナスイオン機能付きなのに、おたくのはなぜ付いてないのか」と言われてしまうと、不本意でもその機能を搭載せざるをえないらしい。そうでないと市場をとれない。儲けなければならない企業としては、実は怪しいと思っていても、客に要求されるとどうにもならないようだ。企業が怪しいマイナスイオン機能付き装置を作って売る背景には、マイナスイオンが体にいいと思いこんでいる一般消費者の存在がある。手放しで企業を責められないのではないか。消費者も、「怪しい科学」について、もうちょっと関心を払わないと、結局企業にヘンな装置を作らせてそのコストが跳ね返ってくることになる。
なお、別の中小企業からマイナスイオン装置の売り込みを受けた空調機器会社だが、エンジニアが話をききにいったら、「高原のさわやかさが・・・」「木陰の涼しさが・・・」といった比喩的な話しか出てこなかったので、まともな実験結果が出てこないなら取引はしない、という結論になったそうだ。
こういうヘンな理論に振り回されると、メーカーにとってもいい結果にならないだろう。コロナ放電機能付き加湿器を開発したとして、それが本当に快適でいい製品になっているにもかかわらず、「マイナスイオン」の話で製品の原理を片づけてしまうと、次の製品開発に活かすための測定や調査が間違った方向に進んだり、回り道をしたりするのではないか。製品を使うことによる快適さのうち、どこまでが「マイナスイオン」によるもので、どこまでが空気清浄機能や加湿機能によるものかがはっきりしていないのだから。
(9)「マイナスイオン」発生装置の価格は詐欺的に高い。
それでも買う人がいる。あおっているマスコミの責任は大きいと思う。マイナスイオンがいいという主張を禁止するのはそもそも無理だが、それに対する反対意見や、こういう基準で測定結果が出るまで判断保留、という情報を流すことは必要だと思う。わからない話が出てきたとき、どこまでどういった測定で押さえられれば信頼していいか、ということについて、高校までの教育でちゃんと教える必要があるのではないか。いいタイミングで、文部科学省が、科学技術に関する意識調査 - 2001年2〜3月調査 -を公開しており、それによると、「先進国」のなかでは、「一般国民」の科学技術に対する意識が非常に低いという結果になっている。まず、このあたりからどうにかしないと、形を変えて、はっきりしない情報に基づくビジネスが、この先何回でも繰り返されるのではないだろうか。
(10)シックハウス的な問題を解決するのなら、換気をすべし。加湿器を使え。それでも駄目なら、空気清浄機を使え。
ごもっともです。
(11)マイナスイオン程度の事象であれば、科学的解明できないことなど無い。それをやらないでビジネスだけ先行させるから、世の中に混乱の種を蒔くことになる。
ビジネスをしながら、ある程度押さえた記述もしているサイトhttp://www.n-ion.com/もある。怪しい部分もあるが、発表された論文になっているのはどれか、といった、正しい1次資料に基づいて進むようになれば、健全な方に向かうのではないかと思う。臨床試験の文献についても掲載されている。ただし、この手の金儲けがからむと、アトピービジネスのように、専門家であるはずの医者が変な説を言い出すこともあるから、慎重に経過を見守る必要があると思う。
この手の話が出てきたときは、博士や教授の肩書き付きの人間が言っていることでも、ちゃんと論文として出ていない限り信用してはいけないということだ。書籍はまったく信用できない(言論と出版は自由だからね)。企業が「特許を持ってます」と言っても、特許は新しいアイデアを保護するものであって、中身の科学的原理の正しさまでは保証しないから、信用する理由にならない。マスコミに至っては、ハズレの方が多いのではないだろうか。一応建前では、特許とは「科学」利用して技術的問題を解決するアイデアについて認められるものらしいが、根拠になっている「科学」の誤解の上に出願されることがある。去年、特許電子図書館で「水」「クラスター」をキーワードにして検索したら、公開されている特許が140件ばかりあり、その大部分が浄水器や活水器で水クラスターを小さくする、というもので、17O-NMRの測定結果に言及しているものもあった。しかし、液体の状態で水のクラスターサイズを直接測定する方法はないし、17O-NMRの線幅はその目的には使えないのだ。特許でも、もともと「科学」の成果でないものに基づいて申請されることがあることを知っておいた方がいい。
怪しい科学の共通点は、次のようなものである。これまでの科学的成果と反するか、まるきり新規な発見だという内容が宣伝され、学者(自称も含めて)が関わることもあるが、実験の詳細は伏せられる。このとき、情報を十分ださない言い訳としては特許申請中というのが使われることがある。主張を裏付ける主な証拠や決定的な証拠が、論文として、査読のある雑誌に公表されることはない。そのかわり、テレビや週刊誌などのマスコミ発表と宣伝は行われ、一般向けの書籍なども出版される。起きている現象の詳細は何も出てこない代わりに、製品の開発はさっさとなされて市販される。体にいいというフレコミが使われることも多いが、臨床試験の結果によって言われるのではなく、体験談のみで、その人にとっては真実かもしれないが、製品の効果があるかどうかという判断には役立たない・・・・。最も簡単に判定する方法は、主な効果やメカニズムに関する通常の論文が出る前にマスコミに登場したものであれば、それは信用しない、ということに尽きる。まともな研究者であれば、自分の成果をマスコミに流すのは、論文が審査を通ってからである。
【情報追加2002/02/07】
むかいで様より、マイナスイオンの生体への影響に関する海外の文献情報をいただいた。
- L.H. Hawkins and T. Barker:Air ions and human performance:Ergonomic, vol.21,p.273-278(1978)
- A. Yates, F.B. Grey and J.I. Misiaszek: Air ions: past problems and future directions: Environment international, vol.12 p.99-108(1986)
- N.I. Goldstein et al.: Negative air ions as a source of superoxide:J. Int. Biometeology, vol.36,p.118-122(1992)
なお、大気イオンの組成については、「長門研吉:大気イオンの化学組成:静電気学会誌,vol23,p.37-43(1999)」が良いとのことだ。
イオンの存在量や組成と生体への影響を調べるのであれば、まずは、普通に放電を行ってイオンを発生させて調べるのがよいだろう。湿度は、イオンとは独立に変化させて、どういう影響があるのかを調べれば、いろんなことがはっきりしてくるのではないかと思う。トルマリンも備長炭も、表面に何かを吸着することはあっても、吸着場所がふさがってしまえばそれ以上何も起きないから、マイナスイオンの発生とは無関係だろう。
【情報追加2002/02/24】むかいで様より、以下のようなメールで追加情報をいただきました。ありがとうございました。
マイナスイオン関連で,興味深いサイトを発見しました。1955年〜1983年の文献が記されています。
http://www.negativeions.com/scientificreferences.htm
あと,
安部三史:空気イオンの生理作用:産業環境工学,1962,p.2-7
によって,空気イオンの生体作用に関する研究の歴史が明らかになってきました。以下それをまとめたものです。
1932年頃に生体作用の研究が独・仏・米・ソ・日で同時期に始まったそうです。
日本では北大の木村正一助教授(後に京城大教授)が研究を開始し,最盛時42名の研究陣を擁し,研究報告は100編を超えたようです。その他,慶大の原島進助教授,慈恵医大,日本医大,九大等でも研究が行なわれたようですが,戦争激化によって研究は中断となったそうです。
第2の波は1950年代後半から60年代にかけて起こり,1961年10月には米国フィラデルフィアのフランクリン研究所で,第1回国際空気イオン学会(The 1st Int. Conf. on AtmosphericIonization)が開催されています。主体となったのは,カリフォルニア大A.P.Krueger教授,RCA研究所のC.W.Hansell博士等です。
これは元をとっていないのですが,この研究ブームの終焉は,市販の粗悪なイオン発生器(おそらくはオゾンを発生する)が出回り,これを一般市民が様々な病気を治すべく購入・使用して,効果がないばかりか,悪化することもあったという騒動が米国であった事が理由の一つと考えられます。
(参考URL http://www.aibc.cc/resouces.htm 中のRECOMMENDED ARTICLES & PAPER の記事)
今のブーム(3回目の波ですか)は日本だけでなく,世界的に起こっているのかもしれません。
滝壺の話はともかくとして、放電で作るイオンが人体にどう影響するかという評価は必要ではないか。きちんとしたデータが出てくれば、従来のものより良い作業環境を実現する静電気防止装置なんてのが開発できるかもしれない。