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パイウォーター(2002/04/11)

【注意】このページの内容は商品の説明ではありません。商品説明中に出てくる水の科学の話について、水・液体の研究者の立場から議論しているものです。製品説明は、議論の最後にある、販売会社のページを見てください。

 製品の宣伝ではなく、πウォーターそのものの解説をしているサイトのようである。ウェブページ左側のメニューをクリックすると本文を読めるようになっている。セクション別に文を引用し、コメントしていく。

 プロローグより「医療の現状と患者数動態の意味するもの」を見ると、患者数のグラフが掲載されていて、その説明として、

医学は日進月歩ですすんでいますが、にもかかわらず患者数は年とともに大幅に増加しています。素直に考えれば、医学が進歩して病気を治すことができるようになるならば、患者数は年とともに滅ってゆくはずです。
 逆の見方をするならば、今の医学は進歩したとはいえ、こうした慢性疾患に対する決定的な治療法を確立するまでには至っていないということにならないでしょうか。

 と書かれている。これはありがちな錯覚である。医学の進歩によって、昔の平均寿命を引き下げていた最大の原因である感染症が激減した。このことで、ヒトが長く生きるようになったため、相対的に慢性疾患の数が増えてきたということである。どうがんばったとしてもヒトは何かの理由で結局は死ぬわけだから、医学がいくら発達しても、死因を無くするのは無理である。医学に限界があるということを主張するためによく使われる論理であるが、医学の進歩の恩恵を受けられなかったとしたら、多数のヒトは高血圧や糖尿病を待つまでもなく感染症で死んでいるはずである。そのあとに出てくる、現代の医療が対症療法であるというのは、医者や医学研究者がきいたら怒るだろう。慢性疾患に対する決定的な治療法が今のところ無かったとしても、医学以外のものを治療に使う積極的理由にはならないと思う。

 「病気の根本原因は生体エネルギーの欠損」から始まる第一章を読むと、ほとんどオカルトの世界が展開している。ここで問題とされるエネルギーは「生体エネルギー」で、これは「オーラ」のことで、仏像の後光とキリストの頭の後ろの光と同じものだとされている。その「オーラ」を確認する方法が「キルリアン写真」だそうで・・・。

 宗教画に書かれている後光は、ここでは物理現象とされている。そりゃ、釈迦とキリストは実在するから生体エネルギーやオーラに関連をつけたがる気持ちはわかるが、これ以外の仏像、たとえば不動明王とか帝釈天の後光はどうするんだろう?宗教画の天使像も頭の上に輪っかがある。でもこういうのは、そもそも対応する人物が実在しないのではないか?「生体エネルギー」が、保存則などのエネルギーとしての基本的性質を満たすかどうかということや、「キルリアン写真」はそもそも科学の範疇には入ってないということ以前に、絵に描かれている後光をエネルギーと結びつけるのはかなり無理があるような。

さてA‐アインシュタインの特殊相対性理論というのが広く知られています。E=mc2という簡単な式で示されるものですが、Eはエネルギー、mは質量数(物質の重さ)、Cは光の速度をあらわします。エネルギーは、質量数X光の速度の二乗、であらわされる、ということですが、言い換えると「エネルギーは物質であり、物質はエネルギーである」と言っているのです。要するに、般若心経を科学的に証明したのはA‐アインシュタインだったということになります。

 般若心経の解説をネットで探してみたら、いいのがあった。要するに、「この世で常に移り変わる現象には実体がなくて空である。空を知るものは物質的な現象に煩うことはない」ってことなのだが、質量とは物質固有の量であって、どう考えても空じゃない。質量とエネルギーの転換は、もろに物質的現象である。無理矢理2つの話を結びつけてませんか?

 「エナジー水と高エネルギーπウォーター」を見ると、

 πウォーター浄水器「ライフエナジー」から得られる水と高エネルギーπウォーターとはどこが違うのか、という問い合わせをいただきます。双方ともオーラのエネルギー(生体エネルギー)を持った水という点では共通であり、その意味では双方とも「πウォータ−」ですが、エネルギーのレベルが異なります。現時点でエネルギーレベルを正確に測定することはできませんが、おそらく三桁くらいの違いがあろうかと思います。

と書いてあるので、πウォーターとは浄水器の一種で製造できるものらしい。でも結局エネルギーを正確に測定できないと白状している。まあ、測定法がキルリアン写真じゃ、定量的に議論するのはそもそも無理か・・・。3桁ってもしかして、写真の白っぽい部分の面積の比だったりするんでしょうか。

 πウォーターの効果について、ガン消失例などが挙げられている。ところが、記述を良く読むと、πウォーター以外に通常のガンに対する治療法を行ったのかどうかについては記述が全くない。第三章に書かれている病気の治癒例は、これだけでは全く参考にならない。臨床試験をするのであれば、πウォーターを与えた患者群と、例えば単なる蒸留水を与えた患者群で治療の結果に統計的有意差が出なければならない。このとき、与えた水の違い以外の条件は平均的に両群で同じになるようにしないと、水の効果なのか他の効果なのかの判定ができなくなってしまう。多数の患者の中には、放っておいても良くなる人もいるし、他の治療法を併用していたなら、そちらの効果で良くなる人もいるだろう。ところが、どうやって患者群を決めて試験を行い、どういう結果を得たのかという最重要な情報については記載がなく、そのかわり、**歳の女性のケースでは、といったぐあいに、個別の記述ばかりである。個別の患者にとっては自分が治るかどうかが問題であることは確かだが、このことと、ある治療法に効果があるかを判定することとは別の問題である。少なくとも三章に書かれている内容がすべて真実であるとしても、πウォーターに病気を治す効果がある、という結論は出てこないのではないだろうか。

 「πウォーターのクラスターが小さいことの意味」には、

現在はクラスターを直接判定する方法がないため、一般にNMR(核磁気共鳴)という装置を使って、間接的に測走(単位ヘルツ)しています。

と書かれているが、実際にはNMRのT2緩和時間を測定しても、クラスターサイズの間接的測定にすらなっていない。NMRがクラスターサイズの測定に使えないということは、既に当ページで「水のクラスター 伝搬する誤解」にまとめた。ところで、間接的測定というためには、NMRの測定結果を何か計算式に代入して、クラスターサイズが出てこなければいけない。書かれている内容はHzを単位とした数値のみであるから、そもそも間接的測定ではない。また、NMRでの測定結果でクラスターサイズを評価している水商売業者は多々あるが、測定結果とクラスターサイズ(あるいは水分子の個数)を結びつける式をきちんと導出して議論しているのは見たことがない。従って、せいぜい言えたとしても、NMRの測定結果の数値と水質の間に相関があるかどうか、ということくらいだろう。

しかし実際の水は、一個の水分子で存在することはありません。最小でも五個から12個の単位でまとまって行動しています。

と書かれているがこれも間違っている。液体の水の中に、まとまって行動する単位などはなく、水分子は3次元的なネットワークを形成し、熱揺らぎで絶えず揺さぶられている。たまに水分子数十個が一気に移動することはあるが(1ps程度の時間スケールで起きる)、そのあとまた別の配置でネットワーク構造に組み込まれてしまう。

 

極端なことをいえば、毒物に触れた水は毒物固有のクラスターの姿になっている可能性がある。そうだとすると水なのにその毒物とさして変わらない有害性を発揮するかもしれないのです。

 

 ホメオパシーで使われる論理である。このすぐ後の段落にホメオパシーの話が紹介されている。しかし、これまでのところ、ホメオパシーの効果をきちんと確認した論文はない。一度Natureに論文が投稿されて話題になったが、追試をしたら効果が出なかった。その追試の精度を超える実験結果で効果があったという報告は今のところない。水が液体であるという理由によって、水には、溶けていた物質の形を10のマイナス12乗秒を超えて記憶するような性質はない。

 「生命の謎を解く鍵になるπウォーター

では、

 

それには証明科学の枠にあまりはまりすぎずに、現実を直視していく態度が必要だと思います。私たちが陥っている誤解と錯覚の最たるものは「科学万能主義」です。科学の尺度で測れないものを不可知なものとするのはまだよいほうで、それを否定するのは大きな間違いではないでしょうか。

 

と書かれている。これは、科学に対する大きな誤解である。まず、実験結果という現実を直視して作られたのが現在の科学である。

 この段落の主張を認めたとしても、πウォーターや生体エネルギーの効果を認める理由にはならない。πウォーターの効果として主張されていることは、科学の尺度で測れるものばかりである。病気の治療効果が本当にπウォーターにあるのかどうかということは、通常の臨床試験の手続きを踏んで、患者群の治療成績比較をすればわかるが、これは科学の裏付けのある計測方法である。NMRによる水のクラスターの測定法にしても、科学の側ではそれは誤りだと最初からわかっている話である。

 科学の尺度で測れないものを否定するなと主張する前に、科学の尺度で測れるものは科学の尺度でちゃんと測って議論するべきではないか。その気がないなら、そもそも科学とは無関係に、例えば一種の宗教的主張であるとでも言えばよいだろう。そうすれば、科学の適用は除外される。

 

別の言い方をすれば既存の科学を根底から見直すに足るような新事実がなかなか見つからなかった。それが最近になっていろんな方面から少しずつわかるようになってきたようです。その一つは遺伝子工学が明らかにしつつある知見ではないかと思います。今の遺伝子工学が明らかにしつつあることが革命的だと思うのは、従来の生命観が「かけがえのないたった一つのもの」と考えてきた生命を「もう少し複雑だよ」と教えてくれたことです。

 

 遺伝子工学は科学の礎の上に発展してきたものである。だから、遺伝子工学がいくら発達しても、それは現在の科学の成功を意味するだけであって、現在の科学を根底から見直すことにはつながらないだろう。生命を物質と物質が従う法則にまで還元しようという試みの上に遺伝子工学があるわけで、「かけがえのないたった一つのもの」という発想は科学の枠組みから自然に出てくるものではない。後半に書かれているように、根底からの見直しが必要になったのは「従来の生命観」の方だというなら、それは正しいかもしれない。これはむしろ、生命の社会的意味や宗教的意味の話だと思う。

 ページの残りの部分からは、πウォーターに関する具体的な情報は何も得られなかった。πウォーターを作れる浄水器がどういうものかということも書いてないし、成分が普通の水と同じかどうかということも書いてない。あるのは「生体エネルギーが高い」という主張と「病気に効果がある」という話だけである。科学を持ち込もうとした部分は間違っているし。最初から、どこまでが科学の範囲でどこからが既存の科学の範囲外になるのかといった区分けをすることすらしていないように見える。これでは宗教の教義と変わらない。

 このπウォーターのページからわかることは、少なくともπウォーターの話に科学的裏付けは無いということだ。で、「科学の尺度で測れないものを否定するな」というのがこのページの主張らしいから、科学的裏付け無しという結論でも差し支えないだろう。信仰は自由なんだから、πウォーターを信じる自由は誰にでもあるし。


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