「あやしい? 放射能対策?」へのコメント
どういう訳かSTAP細胞の話とくっつけて、吉岡氏の「怪しい? 放射能対策?」が紹介されていたのでコメントしておく。
まず、片瀬氏は
光合成細菌はγ線のエネルギーを利用できない
と断定しています。本当にそうか?
片瀬氏は何か実験的な確証に基づいてこのように断定しているのでしょうか?
実はこれは「不存在の証明」ですから、これを実験で確認することはできません。
「○○という現象は絶対に起こらない」と実験で証明することはできません。
この論法がいかにばかげているかは、同じ論法で「化学反応によって元素転換することはできない」ということを一言で否定できてしまうだろうということから明らかである。ただ、これだけだと、実験事実の軽重の判断がつかない、あるいは敢えて無視したがる人にとっては、あまり意味がない。そこで、もう少し丁寧に説明してみる。
これまでに見つかった自然法則には、実質的に「絶対に起こらない」を意味する内容のものいくつか存在している。たとえば、「エネルギー保存則を破る現象は無い」「永久機関は存在しない」といったものがこれにあたる。起こらないことを実験で証明できないにもかかわらず、なぜこれらの「不存在の証明」に見えるものがが今のところ相当の精度でもって認められているかというと、膨大な数の失敗を積み重ねたからである。長期間にわたって世界中でエネルギー保存則を破ったり永久機関を作ったりするチャレンジをした結果が全て失敗で、その中からエネルギーの概念が確立してきて、エネルギー保存則の方は見落としていたエネルギーを勘定に入れると成立することを確認してきたという歴史があった。それでようやく、エネルギー保存則に反する話が出て来たり永久機関ができたという話が出て来た時に、それは法則に反していて何かおかしい、と言えるに至ったのである。
「化学反応によって元素転換することはできない」の方は、化学反応で金を作ろうと苦心惨憺して全て失敗に終わり、その過程で元素の周期表が埋まり、20世紀になって原子の構造が解明され、原子核を変えるためのエネルギーは化学反応に必要なエネルギーより6桁ほど大きい、ということがわかり、加速器を使って始めて卑金属元素を金に変える実験が成功したという積み重ねの歴史がある。
既にこちらでも述べたが、これらの積み重ねの違いは、科学の中でも強固な部分と強固でない部分がある、ということにつながっている。エネルギー保存則は破れないことや、化学反応で元素転換できない(関わるエネルギーが6桁以上違うから)といったものは、強固な部分にあたる。一方で、分子生物学のからんだもろもろの反応というのは、現状ではさほど強固ではない。化学反応の範囲で事が起きている限り、起こりそうなことの制限は化学反応の限界までであって、生物学独自の何かを積極的に禁止する強固な法則はまだはっきりしていない。
考えるために必要なもう一つの基準は、科学におけるルールである。その内容は、(1)科学では新規なことを主張する側が事実を集めて証明する責任を負う、(2)証明はは論文として出して査読を受けて出版する、(3)さらにその後の第三者による追試などの歴史の審判を受ける、というものである。この過程において間違いや嘘が紛れ込んだ場合は、証明に失敗したと見做される。
これらを適用して、吉岡氏の反論を検討してみる。
片瀬氏の主張は、既によく確認された実験結果からわかっているγ線と物質の相互作用と、光合成で起きている生化学反応(化学反応の範囲である)を合わせて考えた場合、γ線のエネルギーを光合成細菌がそのまま利用するメカニズムは無い、というものである。
光合成の反応は化学反応の範囲で起きる。つまり、通常の化学反応が関与するエネルギー(数eV程度)である。一方、γ線のエネルギーはこれのおよそ6桁大きい。6桁大きい光のエネルギーを、化学反応に関与する分子が丸ごと受け取ることはできない。このことは、「化学反応によって元素転換することはできない」と同程度にはっきりしている。
吉岡氏のサイトからはリンクが切れてしまっていので探してみたら、「あやしい放射能対策」はこちらにある。ここでいうγ線云々がどこからきたのかたどってみたら、EM菌の宣伝からきていたものだった。さらに、EM菌の宣伝にはどう書いてあったかというと、
その主要菌である光合成細菌は、粘土と混和し、1200℃の高温でセラミックス化しても、そのセラミックスから取り出すことが可能である。想像を絶するこの耐熱性は、光合成細菌がガンマ線やX線や紫外線をエネルギー源とし得る機能性を有するからである。そのため、外部被曝はもとより、内部被曝の放射能を無害な状態に変換していると考えられた
とある。1200℃で死なない細菌が居ること自体がおかしな話だが、1200℃で無事と仮定しても、1200℃の熱エネルギーはγ線のエネルギーにはまったく届かない。放射能(この場合は放射線?)を「無害な状態に変換」するには、光合成細菌がやってきたγ線のエネルギーを丸ごとそこで利用して他に悪さをさせないように使ってしまうしかない。それができなければ光合成細菌も被曝するので無害とはいえない。片瀬氏の「光合成細菌はγ線のエネルギーを利用できない」は、この宣伝の主張に対して書かれたものである。
「光合成細菌はγ線のエネルギーを利用できない」は、既によくわかっている実験結果(γ線のエネルギーは光合成で使われる光のエネルギーよりはるかに大きい・エネルギーはかたまりで受け取る)から容易に導き出せる内容で、既に導かれた法則とも矛盾せず、これまでに使われていなかった光合成細菌を使って実験をしてもやはり成り立っているであろうことが充分に確からしい主張である。一方、「光合成菌がγ線のエネルギーを利用する」は、既によくわかっている実験結果にも法則にも反していて、これまでの積み重ねを軒並み否定するだけの証拠を出さない限り認められることはなく、何か菌を持って来て実験してたまたまそれらしい結果が出たとしてもどこで失敗したのかまず疑うべき、という種類の主張である。つまりこの2つの主張には大差があるので、同列に並べることはできない。
つぎに、片瀬氏は、
放射性物質の放射能は微生物によって消失したりはしない
と、これまた断定します。
しかしこれも前述と同じく「不存在の証明」ですから、実験できません。
「消失しない」ことを実験で確認することはできません。
ですから片瀬氏は実験で確認することなく、このように断定しています。
そう思う、というだけのことです。
放射能を微生物で消すことができる、という主張は、微生物の活動が生化学反応によっており、生化学反応は一般の化学反応の範囲の制限を受けることを考えると「化学反応によって放射能を消すことができる」すなわち「化学反応によって原子核内の変化を起こさせることができる」ということを意味する。この主張もまた、既に多数の実験によってできないことが確認され、実現するためには化学反応よりずっと高いエネルギーが必要だということに直接反する主張である。
これと、科学における立証のルールを組み合わせるなら、化学反応(微生物の活動を含む)によって放射能を消せないということと、光合成細菌がγ線のエネルギーを利用できない、という主張は、今のところ実験無しに行ってもかまわない。そうしてもかまわない精度で確かめられているからである。これらに反する主張をするためには、その証拠となる実験事実を集め、(1)から(3)までを行うのは、飯山氏なり田崎氏なりの仕事ということになる。
吉岡氏の反論には、既に高い精度で確認されてきた事実に基づく主張と、それに反する内容でこれから実験で証明しなければならない主張の違いを敢えて無視して並べているという問題がある。
なぜかこの議論がSTAP細胞がらみで登場したらしい(前後のつながりはよくわからない)ので、一応ふれておく。STAP細胞を作ることが可能である、という主張を、今のところ物理法則も化学反応の制限も、禁止していない。もともと何かの法則に反しているわけでもない「STAP細胞製作法の発見を目指して実験する」ことと、最初から精度の高い法則に反している「微生物で放射能を消す」といった主張を同列に扱ってはいけない。
ただし、STAP細胞ができたことが認められるのは、(1)から(3)が終わってからである。2014/04/22現在、(2)はかろうじて実現しているが取り下げがあるかもしれず流動的、(3)は提唱者のみできたと言っているが第三者は失敗のみ、(1)の内容には画像の改変や別実験の結果の流用の疑義が出されている。(1)が完全に解決し、(3)が終わるまでは、STAP細胞はまだできていないと見做すしかない。
何の禁止則にも抵触していないSTAP細胞の話を、精度よく確認された強固な規則にあからさまに反する主張と同列に並べることは、STAP細胞の研究を不当に貶めるものである。並べる相手が吉岡氏の主張であろうとなかろうとである。今回、小保方さんの研究がSTAP細胞の存在を証明できていなかったとしても、いずれ別の誰かが別の方法で証明するかもしれない。STAP細胞の発見に希望をつなぐのであればなおさら、最初からダメな別の主張と並べたり一緒くたにするべきではない。